2000年 7月


2000年 7月の幻想断片です。

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気分   ×


  7月31日− 

 霧の午後。果てしなく続く翠の森に沿って延びる街道を、乗合馬車がゆっくりと行く。
 森の中から小鹿が顔を出し、きれいな瞳で、僕らが通り過ぎるのをじっと見ていた。
 


  7月30日− 

 時間なら、たっぷりある。サンゴーンとレフキルは、花屋の店員に礼を言い、野原へ向かって歩き出した。昼間のイラッサ町はのどかである。椅子に座ったまま居眠りする魔術師の脇を通り過ぎ、老夫婦と会い……。
 潮の香を含む風を飲みながら、二人は歩き続けた。
 


  7月29日− 

 誰もいない。何も見えない。何も聞こえない。
 小さな押し入れで、膝を抱えて泣いてたっけ。

 あの頃は、時間も世界も、無限だと思ってた。
 それらは膨らみ、シャボン玉のように弾けた。
 


  7月28日△ 

 ある夏の日の午後だった。白い花の咲き誇る野原を横切っていたのは五人の冒険者。足は疲れ、重い。
 突然、潮風を受けて大きく広がる白い帆が、リンローナの脳裏をよぎった。故郷のモニモニ町からメラロール市へ移動する時に乗った船……父が舵をとった船。
(お父さん。元気かなぁ)
 大きな背中が無性に懐かしい。船長を務める父は、海の上で、きっと今日も元気に働いているだろう。
(あたしも、もうちょっとだけ頑張ってみよう)
 熱い太陽が薄雲に隠れ、また顔を出した。
 


  7月27日× 

(休載)
 


  7月26日△ 

(休載)
 


  7月25日△ 

 海のとびら。
 波の上に、ゆら、ゆら、ゆれる。
 その向こうは、だれも知らない……。
 


  7月24日× 

 踏まれても踏まれても、じっと耐えて花を咲かせ、綿毛を飛ばす、たんぽぽのような強さがほしい……。
 サヤカは心の中でつぶやいた。
 


  7月23日− 

 夏の高原は、白きベールの奥底に……。
 サミス村も例外ではなく、毎朝、霧の精霊たちにつつまれる。手で触れられそうなほど濃い霧は、いつしか光に溶け、微風に流され、消えゆくのだった。
 


  7月22日− 

 針葉樹の森に人の姿はなく、静寂だけが全てを覆いつくしていた。そこに突如、立派なコンクリートの橋やトンネルが立ちはだかる……まるで古代の遺跡のように。今でこそ鹿や熊の通行路と化しているが、かつては鉄道用の施設であった。開通を待たずに建設中止された施設群は、静かに夢を見ながら、解体の日を待っている。
 


  7月21日− 

 駅を出て、横断歩道を渡り、丘へ進路をとる。急坂を登ってゆくと、家々の屋根が小さくなっていった。
 あの町の代わりに、海が広がっていればなあ。
 わたしは空想する。その瞬間、ひなびた田舎町は消え去り、遠い砂浜と海が開ける。風は潮の香を含み……わたしは、しばし思い出に浸る。優しい過去に溺れる。
 


  7月20日○ 

 大きな部屋には、白髭の魔法使いが立っていて、礼儀作法の講義をしている。受講生は十人ほど……メラロール王国第一王女のシルリナ・ラディアベルク、ガルア公国第一公女のレリザ・ラディアベルクを初めとして、数人の侍女たちが参加している。今は、晩餐会での自己紹介の練習をしていた。魔法使いの丁寧な指導は続く。
「それでは、レリザ様の番ですじゃ」
「こんばんはー、みんな元気ぃ? れりやんです!」
「レリザ様ぁ〜! どうして貴女は……」
 魔法使いは大げさに頭を抱え、しゃがみ込む。レリザ公女の言葉遣いの矯正が彼に課せられた使命なのだが、今のところ、目立った成果をあげられていないのだ。
 不思議そうに微笑むレリザ公女の横で、シルリナ王女は楽しげに口元を抑えていた。風が迷い入り、王女の優雅なドレスと美しい茶色の髪を揺らした。
 


  7月19日− 

「こんにちは」
 向こうから農家の娘さんがやってきた。
「よ」「どうも」「こんにちは」
 ケレンスやルーグ、リンローナも挨拶する。
 娘さんが去ってから、シェリアがぽつんと呟く。
「この村の人、みんな挨拶してくれるわね」
「気持ちがいいですねぇ」
 眼鏡をかけ直しながら、タックが応えた。
 


  7月18日△ 

 夜の坂道には人っ子一人いない。
 そこは猫の王国。夜だけの王国。
 猫の王様、お妃様、お姫様、王子様、町人……。
 彼らに会うと、夜の空気が少しだけ穏やかになる。
 


  7月17日− 

 セラーヌ町の昼時は、ゆうべの話で持ちきりだった。
 満月が欠け、消え失せる死神記念日……。
 ユラユラモヤモヤと妖しく瞬き続ける紅い望月のもと、封印を解かれた死神が冥界からやって来たはずだ。
 色々な噂の飛び交う大通りを、セリカは闊歩する。
「お弁当、お弁当〜」
 


  7月16日◎ 

「たまには休みも必要よね〜っ!」
 ずっと歩き続けてきたけれど、一つ冒険も終わって、今日は完全な休養日。魔術師のシェリアは宿屋のベッドに寝転がり、遠くて近い青空を見上げていた。
 


  7月15日− 

 町外れの〈翠の谷〉には夏の空気が漂っていた。鶯の親子が歌の練習をしている。蛇はとぐろを巻いて考え込み、池のアメンボは水の地面を飛び跳ねる。子猫の兄弟がシダ植物のジャングルをかき分け、歩いていった。
 


  7月14日○ 

「さあ、雨の時間ですわ〜」
 井戸水をじょうろに移し替え、サンゴーンは庭の草花に水をやった。注目すべきは、先週の夢曜日、魔法の雑貨屋で購入した六株の花だ。この花は、水をあげると、蔓を動かして地面に絵を描くのだ。
「不思議ですの。でも……」
 何かが足りない。足りないのは、何だろう? 
 サンゴーンはしゃがみこんで、首をひねった。
 


  7月13日○ 

 その日、風の森には太陽の光の粉が滴っていた。
 小鳥たちの歌声が高らかに響き渡っている。今年で二十歳になる狩人のシフィルは、大きな木の幹に身体を任せ、うつらうつらしていた。木陰から顔を出したリスの母さんが、シフィルの足元に置いてある弓を不思議そうに眺めていたが、風が吹くと静かに帰っていた。
 シフィルの長い髪が揺れ、かすかな音をたてた。
 


  7月12日− 

 よく晴れた夏の坂道。麦わら帽子をかぶって白いワンピースを着た小学二年生の麻里は、母へ訊ねた。
「お母さん。どうして、お空はあんなに青いの?」
 空を仰ぎ、風を吸い込んで、母は静かに応えた。
「それはね……きっと、青い海が大好きだからよ」
「ふうん。じゃあ、海は空が大好きなんだ」
 麻里がつぶやくと、母は嬉しそうにうなずいた。
 


  7月11日− 

 雨音。激しい通り雨が、丸太作りの屋根を打った。
 森も高原も湿ってゆく。気持ちのいい涼しさの奥底で、賢者のオーヴェルは本を読みふけっていた。
 そのうち雨が去り、陽が出て、滴は蒸気になる。
 オーヴェルはふっと顔を上げて、遠くを見つめる。
「きれいね……」
 向こうの森をまたぎ、虹の橋がかかっていた。
 


  7月10日− 

「お姉ちゃん……大丈夫かな」
 シルキアが呟いた。部屋は夏の夕陽で満ちている。
 彼女の姉のファルナは、五人の冒険者とともに、紫の草の事件を調査していた。広大な森は自分たちの味方だけど、もしも悪いやつらに捕まったりしたら……。
 その時、窓の遠くに数人の黒いシルエットが見えた。彼女は思わず部屋を飛び出し、階段を駆け下りる。
 


  7月 9日◎ 

 夏の暑い太陽が元気をくれる。
 風が止まらないように、夢だって果てしない。
 さあ、赤い風船に夢を詰め込んで、空へ飛ばそう。
 大切に育てていけば……夢はきっと叶うから。
 


  7月 8日− 

 栞を挟み、文庫本を閉じて、朱音(あかね)は顔をあげた。潮騒は優雅に響き、波をすべる陽はゆらゆら。
 朱音はまた栞を抜き、物語と戯れる。いつしか夕凪となって、風は止み、秋の海は一片の紅葉と化した。
 


  7月 7日× 

(あーあ。指揮者なんて断れば良かった!)
 咲子は腕を組み、恨めしそうに夜空を仰いだ。
 お月様も、大好きな星座も、今はくすんで見えた。
 と、その時。
「あっ!」
 暗闇を貫く、鮮やかな銀の線が駆け抜けて……。
 


  7月 6日△ 

「さーてと……」
 南海に浮かぶ〈妖精の島〉を自由に飛び回るリッピーは、小妖精族のいたずら者だ。今日も空を駆け巡る。
「どっかに面白いもんはねえかなぁ?」
 


  7月 5日△ 

「うまくいったですわ〜」
 銀の髪を揺らし、大皿を持って、サンゴーンが歩いてくる。皿の上には丸いケーキが乗っていた。炎の魔石の火力を上手く調整し、焼け具合は上出来だった。
「久しぶりに成功しましたの」
「どれどれ」
 と、友人のレフキルが覗こうとした瞬間だった。
「きゃあっ?」
 ドシン。ぐちゃっ。
 つまづいて転んだサンゴーンはケーキまみれ、床はケーキだらけ。無論、ケーキは原形をとどめていない。
 けれど、
「あららぁ……また作り直しますの〜!」
 と、あわてず、めげずに微笑んだ。
 


  7月 4日− 

「丘の上って、気持ちいいわねー」
 シーラの笑顔がはじけた。
「すぅー……はぁー」
 胸を広げ、ミラーは深呼吸した。
 


  7月 3日− 

 依頼人ジェイクは空を見上げ、呟いた。
「あの鏡のせいで、妹の様子は一変してしまった……」
 女性を虜にする呪いの秘められた鏡が、この街に出回っているらしい。新しい冒険の予感で鼓動が高鳴る。
「概要は分かりました。さっそく調査しましょう」
 ルーグが言い、俺たちはうなずいた。
 


  7月 2日△ 

「ふっ……ふわぁぁ〜っんっ?」
 リュナンは大あくびをし、ベッドを這いだした。
(充分、眠ったね。さっ、学院に行かなくちゃ)
 けれど。
 カーテンを開けると、予想以上にまぶしい太陽。
 昼の光。
「……ま、いいかっ」
 そうつぶやき、彼女は再びベッドに潜り込んだ。
 


  7月 1日× 

 彼の脳裏に、一つのイメージが浮かぶ……。
 壊れた積み木を何度も重ねようとしている彼の姿。
「これじゃ、三途の川じゃないか!」
 馬鹿馬鹿しいと思いつつも、妙に納得してみたり。
 ……そして彼は暑い太陽を背に、再び歩き始めた。