2001年 4月


2001年 4月の幻想断片です。

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  4月30日− 

 濃い灰色の空全体が、突如、強く光り輝いた。
 それから数秒後、地を割るような低音が響く。
「きゃあぁ!」
 リュアは小さなベッドに顔を埋めたまま悲鳴をあげ、次々と襲い来る恐怖に脅えていた。まるで神様が怒ったかのような激しい稲妻がさっきから続いている。得体の知れない巨大な怪物が暴れ回っているようだ。こんな時に限って家には誰もいない。ルデリア世界の元素とされている〈七力〉では説明不能の落雷現象は、特に子供たちを恐怖のどん底に陥れる。
 また次の稲光がし、リュアはしっかりと耳をふさいだ。
 


  4月29日△ 

「何か引っかかるんですよ」
 あごに親指を当て、タックはうつむいた。その瞳は力強い意志の光に燃えている。おそらく彼の頭の中では色々な仮説が生まれては消え、つながっては切れているのだろう。作戦会議の場と化した男爵邸の一室には沈黙が覆いかぶさり、リンもシェリアも眉を寄せて考え込んでいる。
 リーダーのルーグが口を開いた。皆が注目する。
「まずは、じっくり調査してみないか?」
 真っ先にタックが、そして俺もうなずく。リンもシェリアも賛同の意を伝えた。方針が決まり、場は少し和んだ。
 


  4月28日○ 

 闇夜の中へ、うずくまるようにして立ちはだかる洋館の裏庭。サンゴーンが小声で呪文を唱え終わると、地面から生えた蔓草が急速な勢いで伸び、緑の梯子を形作った。出来立ての梯子に手をかけ、レフキルは無言でうなずく――行って来るね――と。サンゴーンは期待と不安が入り混じった瞳を、緊張気味に瞬かせた。覚悟を決めたレフキルが館へ向き直ると、細い月光を受けた銀の髪が一瞬、光った。
 いよいよ作戦が始まる。
 


  4月27日− 

 月光の神者であるムーナメイズは、満月の夜ごと、町の中央にそびえる風見の塔に昇る。北国であるノーザリアン公国の夜風は涼しく、町を撫でて軽やかに通り過ぎる。ムーナメイズは塔の屋上に立ち、風の信託を聞き取るため、瞳を閉じて集中力を極度に高め、耳をすませる。それはモゴモゴとした呟きにしか聞こえない夜もある。だが、月の光によって増幅された精霊の声は、風向きによっては、はっきり〈コトバ〉として聞き取れる日もある……無論、精霊の言語だから何を言っているのかは分からない。しかし、風と交感するだけでも、ムーナメイズには素晴らしいことのように思えるのだった。だから彼は今晩も、塔の螺旋階段を一人で昇る。その遙か先には丸い月がたたずみ、じっと町を見下ろしていた。
 


  4月26日− 

 十六年ぶりに訪れたNの集落は、往時と殆ど変わっていなかった。山地に囲まれた偏狭な盆地に点在する家々、古びた簡易郵便局、木造の小学校、河……人通りも車の通行量も極端に少ない。唯一、変わったと言えるのは、あの十六年前に鉄道が廃止されたことである。延長工事が完成していたにも関わらず、N駅は永遠の終着駅となってしまった。
 四月も後半だというのに、今なお残雪が見受けられた。Nの集落は遠くに霞む〈春〉を切望しているように思われた。
 


  4月25日− 

「……何ですの?」
 物置を片付けていたサンゴーンは、木箱の中に入っていた一枚の黄ばんだ紙切れを見つけて、不思議そうに呟いた。道や海岸線らしき線が引かれており、どこかの地図のようだった。そして何より心を揺さぶられるのが、紙のほぼ中央に付けられている×印である。
「もしかして……宝物の地図ですの?」
 蒸し暑い物置を出て、サンゴーンは腕組みした。彼女の澄んだ青い瞳は、にわかに期待感で満ちていた。
 


  4月24日− 

 噂通り、その泉は青緑色をしていた。
「神の子が住んでいるんだ」
 途中で会った狩人の言葉を思い出す。その言葉が本当に思えるような、限りなく透明で神秘的な泉だった。
 


  4月23日○ 

「わぁ……」
 リンが感嘆の声をあげる。丘を登りきると、まぶしい光の洪水が押し寄せてきて、思わず額に手を当てた。弱々しいが穏やかだった冬の光とは根本的に異なる、躍動感に満ちあふれた春の朝日だ。山の向こうから今まさに顔を出した太陽は、季節のバトンが、沈黙を見つめる冬の神シオネスから、希望の象徴である春の女神アルミスに渡されたことを明朗に語っていた。
「さあ、行こうか」
 後ろのルーグに促され、俺は再び歩き始めた……向こうの森へ逃げていく朝もやを追って。露の溶けないうちに。
 


  4月22日○ 

 手を離れた風船は、どこまで行くのだろう。

 天空の高みへ辿り着くことが出来るのか、
 はたまた、しぼんで海のゴミと化すのか。
 鳥につつかれて弾ける可能性も有り得る。

 未来は分からない……風船自身にとってさえ。
 


  4月21日− 

「お勉強〜。急がなきゃ」
 レオン侯爵の治めるセラーヌ町の昼下がり。得意の独り言を呟きながら、十七歳のセリカは町の大通りを勇み歩きし、家路をたどっていた。手提げ袋の中にはノートや筆記用具の類が丁寧に入れられている。明日は大事な試験なのだ。
「あらっ?」
 その時、目の前に現れたのは、見たことのない藍色の体を持つ半透明の蝶だった。セリカはいったん眼鏡を外し、息を吹きかけ、それから再び掛け直した。やはり藍色の蝶である。
「待って下さい〜」
 勉強のことをすっかり忘れ、セリカは蝶を追うことに夢中になった。道のど真ん中で右へ左へ動き回ると、やって来た馬車が急停止する。若い御者は怒って罵声を浴びせるが、
「コラッ、気をつけろっ! どこ見て歩いてるんだ!」
「何か騒々しいですねぇ。それより蝶さん、待って下さい〜」
 春の陽気のごとく、どこまでもボケているセリカであった。
 


  4月20日− 

 亜熱帯に属するミザリア市は初夏の陽気である。
「いらっしゃいませー」
 雑貨屋で働いているウピは、通りのお客さんに声をかけながら、長袖を着てきたことを密かに後悔していた。腕まくりすると、大きな汗の粒が浮かんでいる。向こうに見える石造りの家のテラスで休んでいる太った婦人が羨ましかった。
「あーあ、ドバッと雨でも降らないかな〜」
 人通りが少なくなると、つい愚痴が洩れるのだった。
 


  4月19日△ 

 雨のち晴れの、虹の橋。
 夢の果てまで続いてる。
 


  4月18日○ 

 懐かしき人にめぐり会い、遙かなる日々を思い出す。
 古き良き過去の残り香は、新たなる明日を創り出す。
 


  4月17日△ 

「簡単なことほど、実は難しい……か」
 そう言うなり、分厚い本をパタンと閉じる。いつの間にか陽は沈み、黄昏時となって、ランプ無しでは本が読みづらくなった。彼女はサミス村に住むオーヴェル。二十一歳という若さながら、襟元には正真正銘の〈賢者の印〉が輝いている。
「今晩は〈すずらん亭〉で済ませようかなぁ」
 簡素な家の中で独り言を呟いてみても、応える者は誰もいない。この小さな村では唯一無二の賢者で、冷静な判断には定評のあるオーヴェルだが、それでも普通の二十一歳の娘であり、時には寂しさも感じる。それを紛らわすため、今夜も彼女は、まるで自分の妹のように可愛がっている宿屋の姉妹と話し、元気を分けてもらいに出かけるのだ。
「じゃ、行って来ます」
 鏡の前で長い髪を整え、準備の済んだオーヴェルは家を出て、夕陽の残滓を眺めつつ村の小道を歩いていった。
 


  4月16日◎ 

 月の光をひしゃくで掬い、空の花壇に蒔きましょう。
 赤い星、青い星、銀のお星にオレンジの星。
 色んな花が……素敵な星が咲くでしょう。
 


  4月15日− 

 貴族の保養地として名高いミラス町。
「大丈夫、乾いてるね」
 南向きの広い庭に干しておいたシーツを何枚か抱いて、威厳のある木造の邸に入り、レイヴァは後ろで束ねた美しい金の髪を左右に振りながら螺旋階段を登っていった。西から赤い夕陽が射し込む廊下を通り過ぎ、目的の部屋のドアを何とか開け、ようやくベッドまでたどり着くと、勢いよく荷物を下ろす。シーツには、まだ昼間の温もりが残っていた。
「太陽の匂いがする……完璧だね!」
 明日の午後、新しい客人たちがやってくる。レイヴァを始めとして、クリオス家の人々は、その準備に余念がなかった。
 


  4月14日○ 

「いいわね〜、このローブ。どう、似合うでしょ?」
 魔術師にふさわしい黒の式服を身にあてがい、シェリアは自信たっぷりに言った。妹のリンローナは素直にうなずく。
「うん。お姉ちゃん、とっても素敵だよっ!」
 それに気を良くしたシェリアは、にんまりと笑みを浮かべて後ろを振り向き、小柄な少年におねだりの視線を送る。
「ね〜え、タックぅ……」
「絶対に駄目ですよ! 今月は特に厳しいんですからね」
 仲間内で財務担当のタックは、彼女の夢を一刀両断。すねたシェリアも、やれやれと思うタックも、ふたり溜め息をつく。
「ふぅ〜、まったく……」
「またかよ。いつもと同じパターンだぜ」
 横で見ていたケレンスは、あきれたように腕組みをした。
 


  4月13日− 

「あんたはどこへ行くんだい?」
「知らないわねぇ。あんたこそ、どこ行くのさ?」
「そんなん、あたしにだって分からないよ」
「お互い様ってことだぁね。あっはは……」
 空にある見えない交差点で、春風が笑っていた。
 


  4月12日△ 

 ヒシカ村はトズピアン地域の中核を果たし、林業で栄える最果ての小都市だ。住民のほとんどは獣人であり、獣人族を代表するトズポ氏(大地の神者)も、この村に居を構える。冬場は厳寒の地と化し、約半年の間、雪と氷に閉ざされる。その一方、針葉樹にきらめく樹氷や、ダイヤモンドダストや、太陽柱やオーロラの見られる美しい地でもある。
 


  4月11日− 

 ふっと足取りが軽くなる。ようやく分水嶺を越え、木々に覆われた獣道を下っていくと、急に視界が開けた。
「おっ!」
 先頭を歩いていたケレンスが驚きの声をあげる。眼下には円形の湖が、まるで手鏡のように広がっていた。
「水際まで行って、休憩だな」
 リーダーのルーグが言った。冒険者たちは疲れを忘れ、湖のほとりまで、歩みを速めつつ進んでいった。
 


  4月10日○ 

「ねえ、リュア。なんで夕方になると、お日様って赤くなるんだろう。知ってる?」
 八歳のジーナは、隣にたたずむ同級生に訊ねた。デリシ町の西海岸を紅色に染め、半分くらい沈みかけた太陽は、ひときわ輝きを増している。質問を受けたリュアはまぶしそうに目を細め、しばらく考えていたが、急にパッと顔を上げた。
「ジーナちゃん……あたしも良く分からないんだけど、きっと、お日様のあいさつじゃないかなぁ?」
「お日様のあいさつ?」
 ジーナは好奇心を抑えきれず、すぐに聞き返した。リュアは静かに、だが確信に満ちた表情で答える。
「うん。あたしのこと忘れないでね、明日もまた会おうね……って、赤い光で言ってるような気がするの。お日様」
「ふうん。リュアって時々、不思議なこと言うね」
 ジーナも太陽の光に耳をすませる。と、何か暖かい声のような物音が聞こえた……ような気がした。
 


  4月 9日− 

 広場の中央にある噴水には、虹の子どもたちが架かっている。レンガ作りの街路は西日を浴び、いっそう赤みを帯びている。直方体の木箱……粗末な特設ステージの上に立った少女は、申し訳程度の拍手が鳴りやむのを待ってから、すらりと細い腕を伸ばし、丁寧に弦楽器を構える。どこか山の方で烏がわめいた後、少女は静かに音を紡ぎ始めた。
 


  4月 8日− 

 春の妖精は、光の粉を振りまいて、町を夢色に染めてゆく。浮き浮き弾むような楽しい季節が訪れ、鼓動は素敵に速まって、人々はみな、思わず笑顔になる。
 


  4月 7日○ 

 シルキアは胸を張って姉に言った。
「ねえ、お姉ちゃん。すごいでしょー。万年雪だよ!」
 いつまでも溶けることのない雪を、サミス村では万年雪という。シルキアは、それのかけらを拾ったのだった。
「きれいですよん……」
 姉のファルナは、美しく透明度が高い氷の結晶に心を奪われ、飽きることなく見つめていた。
 


  4月 6日− 

「ねむぅい……」
 リュナンは一瞬、朝の光を恨めしそうに見つめると、温もりの残る布団の中へ一気にもぐり込んだ。彼女は、友人に〈ねむ〉と愛称をつけられてしまうほどの居眠りさんである。
「春はいやだぁ……」
 と、寝言に出てくるほど、特に春の朝は天敵なのだ。こうして学院への足は遠のき、当然ながら成績は危うくなるのだった。
 


  4月 5日○ 

 桜の花びらが桃色の雪となって飛び回る。小学二年生になったばかりの麻里は、その風につつまれて、とても不思議な気分を味わった。暖かくて軽やかで、ゆったりとした春の気持ちを。
 


  4月 4日○ 

 光の雨が柔らかく降り注ぎ、その波の中を蝶がゆらゆらと舞っている。美しい森に囲まれたミグリ町は、すでに雪も消え、春の新鮮な魔力が全てを明るく鮮やかに染めていた。
 


  4月 3日− 

 天を満たす光の粒をあおぎ、リンローナは静かにつぶやく。
「星たちは一つ一つでも輝いているけど、いくつか合わさったとき、星座になって新しい意味を持つんだね」
 瞳を閉じて、リンローナは考える。
 あたしたちも、そうなのかな……と。
 


  4月 2日− 

「お花を見てると、優しい気持ちになりますわ〜」
 銀の髪を春風になびかせ、サンゴーンが言った。小さなイラッサ町の通りは、家々の庭や玄関で咲き誇る花たちに飾られて、新しい季節が来たことを幸せそうに語っている。リィメル族のレフキルも、特徴的な長い耳をすませ、つぶやいた。
「小鳥たちのささやきも、何だか嬉しそう……」
 二人は暖かい陽射しに目を細め、朗らかに笑い合った。
 


  4月 1日− 

 桜の花びらのように、夢の中で散らばってしまった夢たちのカケラを一つ一つかき集めて、人はまた、歩き始める。