2001年 5月


2001年 5月の幻想断片です。

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  5月24日− 

 心に白い翼が生え、飛んでいっちゃった。
 さあ追いかけよう! 早く捕まえなきゃ。
 最果ての街への片道切符を握りしめ……。
 


  5月23日− 

 麗しき時は流れ、素晴らしき人たちは去る。
 しかし、その詩も歌も色あせることはない。
 刻み込まれた想い出は皆の心に生き続ける。
 そして語り継がれ、永遠に消えないはずだ。


 それが詩人ローディの遠大なる目標である。
 


  5月22日△ 

 北の王国では、美しき幸せの鐘が鳴り響くという。
 その音のゆくえを追って、小さな河をさかのぼり、
 静けさの森に囲まれたペンケ=ニウップへ行こう。
 誰もが失くした、過ぎ去りし時のかけらを求めて。
 


  5月21日− 

 空のかなたへ白い鳥が消えていった。

 ……あの先には何が待っているの?
 そして私は何を失い、何を得るの?

 旅立ちを前に、少女は独り、物思いに耽っていた。
 


  5月20日− 

「……お姉ちゃん、すっごーい!」
 開口一番、リンローナは姉のシェリアを褒めたたえた。両手をしっかりと組み、そのまなざしは感激、衝撃、憧れ、魅了、あるいは羨望の念であふれている。彼女はさらに付け加えた。
「ほんと、お姫様みたいだよっ!」
「そ、そうかしら……おほほほっ」
 狭苦しい宿の一室に置かれている縦長の鏡の前に立ち、シェリア自身も実は自分の変身ぶりに驚いていた。普段着のズボンを、密かに仕立て直したドレスのスカートに着替えただけなのに、雰囲気はまるで違っていた。今のシェリアなら、誰も貧乏な冒険者だとは決して思うまい。これまでファッションには陰で人一倍の努力を重ねてきたが、今回のドレスは「安価で最大限の効果を上げる」というシェリアのファッション路線の集大成ともいえた。
「ま、元がいいから飾りも映えるのよね。おほほっ」
 妹に褒められ、しだいに自信を持ち始めたシェリアは鏡に向かい、ぎこちなく微笑んで見せた。リンローナはふと我に返り、
「あたし、ルーグたち呼んでくるね!」
 と言い残し、あっという間に隣の男部屋へ駆け込む。
「あ……」
 何となく気恥ずかしく、止めようと思った姉だったが、もう妹の姿はなかった。シェリアは鏡を覗き込み、長い髪をとかしてみる。
「ま、まあ、上出来だわね……ルーグ、なんて言うかしら」
 心臓が鼓動を速める。その時、隣のドアがぎぃーっと開いた。
 
画:ふろおか200Xさん


  5月19日○ 

「はいっ、ミラーさん、来たわよ。ほい!」
 ウエイトレスの運んできた大きなビールのグラスを、シーラはドカンと置いた。相手……ミラーは赤い顔で遠回しに拒絶する。
「もうだめ、だめ、飲めないっすよぉ、勘弁してくれぇ〜」
 その様子を見て、シーラは心の奥でにんまりと笑う。
(よしっ、これで支払いはミラーにお任せね!)
 しかし不幸なことに、ミラーはその後、完全に酔いつぶれて眠ってしまい、結局はシーラが払う羽目に陥ったのであった……。
 


  5月18日△ 

「どーしよう……困ったね、困ったよねぇ」
「っるさい! 黙っとれ!」
 師匠のゼムは思い切り顔をしかめ、弟子のジャミを叱りつけた。ゼムは山に住む初老の魔術師である。人嫌いで有名だが、とあるいきさつで孫ほど年の差のある少女ジャミを魔術師として育てる羽目に陥り、彼にとっては苦難の連続であった。
「こういう時は冷静に次善の策を考えるのじゃ」
「そー言われても、思いつかないよぉ〜。しゅん……」
「この、たわけが! 少し頭でも冷やすんじゃな。フン」
 また怒られ、ジャミは泣きそうな顔で立ちつくしていた。
 


  5月17日− 

「あの景色は最高だったよ。ね、ねむ?」
 サホの問いに、リュナンは深くうなずいた。
「うん、最高だった。朝日が昇ってきてね……」
 東には地平線、西には水平線が果てしなく広がっていたこと。朝風の気持ち良かったこと。市街地のすみずみまで見渡せたこと。サホは瞳を閉じ、腕を組んで自慢げに語った。学院のクラスメートたちは興味深そうに、若干、うらやましそうに耳を傾けている。
「要はココの使いようよ、ココ!」
 と言ってサホは自分の頭を指さした。リュナンは窓から差し込む陽の光を浴びて、眠たそうに目を細め、優しく微笑んでいた。
 


  5月16日△ 

 あのころは、失ったものばかり、いつも求めていた。
 二度と経験できない時間、友、消えゆく町並み……。
 過去という鏡の向こうでは、すべてが優しく見えた。
 深い思い出の海の底で、夢も希望も寝静まっていた。

 この暗い深海の淵から抜け出さなきゃいけない。
 今からでも、遅くないはずだ。きっと、きっと。
 


  5月15日− 

 オタヌプリ駅を降りると……そこは空だけの世界だった。人は誰しも翼を得て空を飛ぶことが出来る。家さえも空に点在していた。どこまでも続く三次元の世界では上下左右の区別は意味を持たない。そこを水量の豊かな川が雄大に流れている。そして遙か彼方には畏怖すべき巨大な砂山がそびえ立っていた。
 


  5月14日△ 

「これなんか、あんたにどう?」
 魔術師のシェリアはその張り紙を無造作に剥がし、妹のリンローナに渡した。雪の降り積もる北国の冒険者たちは、冬場、アルバイトで食いつなぐ。そういう需要に応え、冒険者ギルドは、あらゆる種類のアルバイトを斡旋してくれるのだ。
「令嬢の家庭教師、かぁ……あたしにも何とか出来そうだね」
 リンローナは姉から受け取った紙を真剣に読み返していた。
 


  5月13日− 

 リリア皇女は塔の窓から虚ろな町を見下ろしていた。
 風前の灯火となった、かつての超大国マホジール。
 魔法文明で栄えた帝都の栄光も消え去って久しい。
「崩壊への流れを、絶対に断ち切らねばなりません」
 思慮深いリリア皇女は帝国の頼みの綱である。まだ十五歳になったばかりだが、その瞳は力強い意志の光で燃えていた。
 


  5月12日− 

 初夏の朝、光のしずくが窓から射し込んできます。
 温み出す前の空気は程良く透き通り、さわやかです。
 風と交歓し、突き抜けてゆくと、心がそれに同化します。
 そんな時、私は失くしてしまったものに、ふと気付きます。
 ――自分を卑下せず、自分であることに自信を持つこと。
 風は耳元で囁きました。それから空気は温み出します。
 


  5月11日△ 

 その小さな箱は、高らかな調べで不思議な旋律を歌った。
 ふたを閉めると音は鳴りやむ。
「どう?」
 草の上に座り、オーヴェルは訊ねた。夜風がそっと髪を撫でる。
「素敵ですよん……なんだか心が安らぐのだっ」
 ファルナは応えた。オーヴェルは言う。
「この箱はね、星の瞬きを歌うのよ」
「星の瞬き……」
 つぶやきながら、シルキアは箱のふたを開ける。
 再び、透明な音楽が野原いっぱいに広がった。
 


  5月10日− 

「おい、リン。これなんか、どーだ?」
 混み合う露店街で立ち止まり、ケレンスは金色のピアスを手に取った。横で見ていたタックは思いきり顔をしかめる。
「リンローナさんには似合いませんよ」
「耳に穴を開けるのって、怖いなあ……」
 本人も当惑する。そこへ、すかさず割り込む露天商。
「ぜんぜん痛くないですわ。ぜんっぜんですわよ」
 その小太りした中年の女性はにんまりと笑った。リンローナは余計にぞっとして、耳たぶを押さえつつ後ずさりする。
「あの、ごめんなさい……あたし、遠慮します」
 その場を離れ、歩き始めてからケレンスはぼやく。
「リンって、装飾品には本当に興味がないんだな。変な奴」
「じゃあ、あたしがお姉ちゃんみたいになってもいいの?」
 リンローナはちょっと意地悪く質問を返した。派手なリンローナの姉と、地味な本人とを比べ、ケレンスは首を振る。
「足して二で割った位がちょうどいいのにな。お前ら姉妹」
 それを聞いたタックは苦笑しつつも、小さくうなずいた。
 


  5月 9日△ 

「そういえば今朝、シーラの夢を見たな」
 話が途切れたとき、ふとミラーが言った。
「えっ? どんな夢?」
 興味津々に訊ねる相手へ、ミラーは一言。
「二人で雪合戦してた」
「何それ。変なの!」
 アップダウンの激しい海沿いの道を潮風が流れ、シーラの語尾をさらっていった。ミラーは後ろ頭をかきながら説明する。
「それで、こてんぱんにやられたんだよなぁ……」
「じゃ、やってみる? 水ならあるわよ」
 この世界には水をゼリー状に変える魔術が存在する。ミラーはその魔術を扱えるのだ。そして目の前には波打ち際。
「いや、遠慮しときます。ほんとに負けそうだからさ」
 ミラーは大げさに首を振る。シーラは朗らかに笑った。
 


  5月 8日− 

 冷たき炎が真白き火焔をあげてゐる。
 非情な視線の中に優しさが見られる。
 その聖魔なる飛獣は雪崖の奥に眠る。
 


  5月 7日△ 

「あ、まんまるだ」
 そう言った麻里のはるかかなたに、白い満月がぽっかりと浮かんでいる。そこだけ夜空をくりぬいたかのようだ。
「お月さまって、ふしぎだなぁ」
 月が雲にかくれるまで、ずっと見つめていた麻里だった。
 


  5月 6日− 

 それは目眩がするほどの急坂だった。
 ――見る者には畏敬と絶望。
 その坂を越え、潮の香が流れてくる。
 ――間違いない。この先だ。
 自転車を降りて押し、重力に逆らう。
 ――最後の峠になるだろう。
 息を切らし、ひたすら一歩ずつ進む。
 ――海。
 追い求めた海がこの先で待っている。
 


  5月 5日− 

「春ですよん……」
 今日は〈すずらん亭〉の定休日。長袖にロングスカート姿のファルナは、道端にしゃがみこみ、小さな赤い花を覗き込んで夢中になっていた。軽やかな風が、見えないスキップをしながら、彼女の茶色の髪を揺らして通り過ぎる。鳥たちの唄は安らぎの輪唱となって、森の中に響き渡っている。その時だった。
「おねーちゃーん、お先っ!」
 ファルナの脇を妹が駆けてゆく。その後ろ姿が遠ざかる。
「あ、シルキアっ、待って欲しいのだっ!」
 ファルナはようやく顔を上げ、ゆっくりと立ち上がった。
 


  5月 4日− 

 青空へ手を伸ばし、大地を踏みしめて。
 息を思いきり吸い込み、前を見つめて。
 叫びながら……好きな歌を唄いながら。

 そんな風に歩いていこうよ、と思ってみた。
 


  5月 3日○ 

「ケレンスって、確か兄弟はいないんだよね?」
 宿屋で夕食待ちの時間、リンローナが訊いた。ケレンスは腕を頭の後ろで組み、気楽に答える。
「おうよ。だけど従姉妹(いとこ)ならいるぜ」
 するとリンローナは意外そうに応じた。
「へぇー。でも、ケレンスの従姉妹なんて想像できないなぁ」
「とんでもねえオテンバでよぉ。俺でも手を焼くんだぜ……」
 苦笑しながら、けれど懐かしそうに目を細めてケレンスが言うと、リンローナは口元を押さえる。
「えへっ……何となく想像できちゃった♪」
「私も、何となく想像できたわ」
 黙って聞いていたシェリアが口を挟んだ。当のケレンスはちょっと恥ずかしそうに後ろ頭をかいた。
 


  5月 2日− 

 南ルデリア共和国は新興商業国である。元々はマホジール帝国の支配下であるウエスタリア自治領であったが、香辛料の貿易で巨万の富を得たズィートスン家が実権を握るようになった。弱体化したマホジール帝国は資金面での援助を見込み、筆頭の政務大臣にズィートスン家の若き当主であるクラウベルトを充てた。しかし帝国の最後の切り札は裏目に出る。クラウベルト・ズィートスンはマホジール帝国の政務大臣という肩書きを最大限に利用し、自分の勢力範囲であるウエスタリア自治領の拡大を行ったのだ。これにより、商業だけでなく農業の基盤をも堅め、軍事的にも強力になったウエスタリア自治領は、ついに南ルデリア共和国として独立を果たす。政治形態としては共和制を採用しているが、実際にはズィートオーブ市やモニモニ町の富裕な商人たちによる合議で政策を決めている。ズィートスン家の発言力は大きいのは言うまでもない。マホジール帝国や属領には衝撃が走り、とりわけ南ルデリア共和国と国境を接するマホジール領リース公国では、帝国に付くべきか共和国に付くべきかで世論が揺れている。以上が南ルデリア共和国の独立のあらましと周辺諸国の現状である。
 


  5月 1日− 

「あーあ。退屈でやんなっちゃう!」
 美しく整えられた黄金色の長い髪を無雑作に掻きむしりながら、ララシャ王女は恨めしそうに窓の外を眺めた。曇り空は重苦しい灰色で、今にも雨が降り出しそうである。
「……あいつら、どうしてるかなー」
 窓枠を指の先で弾きながら、王女は懐かしそうに、ちょっとだけ寂しそうに呟いた。城を飛び出した日に街で出会った二人の友を思い出していたのである。ついミザリア市街の方に視線を送るが、城の塔に邪魔されて見えない。王女はくるりと窓に背を向け、肩を落として小さく溜め息をついた。