2001年 6月


2001年 6月の幻想断片です。

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  6月30日− 

 今年も雨の樹が葉を茂らせる季節になりました。地上ではアジサイが青や白、桃色や紫の花を結びます。アジサイが散っていくと、魂は空に還ります。それが夏の青空や白い雲、紫色の夕暮れを運んできてくれるのです。夏の扉は……すぐそこまで来ています。
 


  6月29日− 

「へーえ……そうなんですか〜」
 しきりにリンローナが相づちを打っている。彼女が話しているのは今夜お世話になる宿の主だ。冒険の依頼主やら危険な道やら街の見所やら、果ては美味しい店まで、地元の情報は地元の人に聞くのが一番だ。旅先の街で泊まる場所を確保したあと、次にすることは情報集めである。盗賊のタックはギルドの支部に出かけ、シェリアはルーグを連れて服屋を物色しながら情報を集める。その間、リンローナやケレンスは専ら宿の人と仲良くなっておくのである。
 


  6月28日− 

 お日様もまどろんでいる夜ふけだね。
 ゆっくりと、さあさ、ひとみをとじてみて。
 空のはて、夢の町まで行きましょう。
 


  6月27日− 

 カンテラを壁へ近づけると、薄ぼんやりと青い色が浮かび上がった。カンテラを上下左右に動かしてみても確かに青い壁だ。誰かがごくりと唾を飲み込む。これこそが求めていた宝なのだ。
 


  6月26日− 

「あーもう暑い暑い暑い暑い暑いわよーっ!」
 南の島のミザリア国は一足早く夏を迎え、気が立っているララシャ王女は大きな部屋の中をぐるぐる回っていた。
「今は近づかないようにしよう……」
 ドアの前で立ち止まり、近衛騎士のラバリートはつぶやく。
 その時……。
「誰か、そこにいるの!」
「うわっ!」
 ラバリートは悲鳴をあげ、転がるようにして一目散に逃げ去る。ドアが勢い良く開き、彼の背中へ王女の罵声が飛んだ。
「こら、逃げるなんて卑怯よ! あたしと格闘で勝負しなさい!」
 


  6月25日△ 

「いらっしゃいませ〜」
「ありがとうですよん!」
 酒場の中にシルキアとファルナの明るい声が響き渡る。二人は今夜も元気に働いている。だいぶ夏らしくなってきたサミス村の夕暮れ時、村で唯一の酒場〈すずらん亭〉は日に日に賑わいを見せていた。仕事帰りの狩人や木こり、川釣りの漁師はビールと美味しい料理に舌鼓を打ち、恋人たちはワイングラスを重ねるのだ。
 


  6月24日△ 

「わたしはぁ〜雨ぇ〜! 今日もずぶ濡れぇ〜」
 吟遊詩人メリミール女史が得意の即興曲を唄い出すと、
「うわっ!」
「ヒドい歌!」
 広場は蜂の巣のような大混乱に陥り、人々は散り散りになった。
「町の皆さん、今日も感動してくれてありがとうございますね〜」
 当人はいつもこんな調子でいるものだから、たまらない……。
 


  6月23日− 

 梅雨が明ければ、光の雪が降るんだ。
 プリズムで分ければ、確かに七色だ。

 いつもそばにいるのに、虹は見えないんだね。
 


  6月22日− 

「なんか様子が変わってきたわね」
 疲れきった声でシェリアがそう言い、紫色の長い髪を指先でとかした。今までは山地をバックに緑の牧草地が広がっていたのだが、突然、背景の山だけが消え去ったのだ。
「なんか広々してるね〜」
 ずっと黙ったまま汗だくになって最後尾を歩いていたリンローナが、がぜん元気を出す。彼女の瞳の色に似ている草っ原の薄緑と、山の代わりに勢力を拡大した青い空が天の海のように広がる。
 そう、まるで海のような……。
「おおーい! みなさーん!」
 先頭を早歩きしていたタックが最後の丘を登りきって振り返り、大声で叫んだ。その顔は驚きと喜びであふれている。
「海です! 海が見えますよ!」
 その言葉を理解したのと体が動くのはほぼ同時だった。ケレンスもルーグもシェリアもリンローナも、朝から歩き続けてきた疲れを一気に忘れ、全力で坂道を駆けだしていた。ぐんぐん空が近づく。
 そして……。
 


  6月21日− 

「夢を忘れるなよ。夢はかなえるためにあるんだぞ」
 魔法の国からやってきた小人の王子さま――ピットは胸を張りました。彼と向き合う小学五年生の女の子はうなずきます。
「うん。お父さんとお母さんも、きっとそう思って、あたしに『かなえ』っていう名前を付けてくれたんだと思うよ」
 そうです、女の子の名前は〈春日かなえ〉というのでした。ピットから大人に変身できる魔法をもらったのです。
「本当の大人になっても、覚えてるんだぞ。約束できるか?」
「うん、きっと!」
 かなえはもう一度、とびきりの笑顔でうなずきました。
 


  6月20日− 

 霧の深い山奥で、その川はひっそりと流れている。それは上へ向かって流れる川だ。時の流れに逆らって、その川をさかのぼれば、失くした過去に出会えると云う……。
 


  6月19日△ 

 森の草はしっとりと露に濡れ、斜めに差し込む陽の光にきらきらと輝いている。時折、若き賢者オーヴェルは立ち止まり、瞳を閉じて大きく深呼吸する。新鮮な空気は天然の目覚まし時計だ。彼女の柔らかな髪が涼しい風を浴びて微かに揺れた。
 こうして、まだ誰も知らない一日が始まる。
 


  6月18日△ 

 曲が終わって響きが残る、
   その瞬間の和音が好きだ。
     舞台の幕が閉じた後でも、
       響きは耳が覚えているよ。
 


  6月17日△ 

 強い風が吹き流れて緑の草穂をさあっと揺らし、右手で麦わら帽子を、左手でロングスカートの裾を押さえて少女は立ち止まった。勾配のゆるやかな丘の向こうに広がる細長い港町と青い海が見渡せて、心の底から元気が湧き出してくる。誰も知らない〈秘密の展望台〉と名付けた一本のエルムの樹まで、あとわずかだ。
 


  6月16日− 

「息子に連れられて、今は下の町に住んでるんだけどね」
 森林という意味の小さな集落で出会った老婆は語った。
「結婚してから五十年、ここで暮らしたんだよ」
「この集落の冬場の暮らしは大変だと聞きましたけど……」
 私の質問を受けて彼女は返事をする。瞳は涙ぐんでいた。
「こんな所だけどね、住めば都で、忘れられないんだよ」
 その表情が鮮烈な印象を残す。私は何も言えなかった。
 


  6月15日− 

「今日も雨だねー」
 朝食後の紅茶を飲みながらリンローナが言った。視線はさっきから窓の外に向けられている。空からの恵みの水は降り続く。
「このへんじゃね、六月は雨の日が多いんですよ」
 宿屋のおかみさんがテーブルを拭きながら相づちを打った。
「そろそろ晴れてくれないと、お金が心配ですね」
 会計担当のタックは腕組みをし、残金を計算して苦笑する。その横でケレンスも途方に暮れたような困惑気味の顔をしていた。
「もう三日、ここで足止めだもんな。そろそろ冒険してえぜ」
 雨音だけが絶え間なく演奏される静かな山の朝だった。
 


  6月14日− 

 夏に焼かれて、冬に焦がれて。
  光を見つけて、闇を見つめて。
   風に吹かれて、雨に打たれて。
 


  6月13日− 

 あじさいの花は小さな夏空を形作る。薄桃の日の出、青い午後、紫の夕暮れ……色とりどりの宇宙を見せてくれる。白い花は空を泳ぐ雲、さっぱりした味のする綿飴だ。梅雨の幻想は広がる。
 


  6月12日− 

 メラロール城の奥深く……石造りの隠れ通路はひんやりとして重い闇につつまれ、動きが無く固まってしまった空気特有のカビ臭さが鼻をついた。怖いもの知らずのレリザ公女でさえ、真の闇の中で一瞬、ぶるっと震えたものの、気を取り直してカンテラを掲げ、後ろからついてくるシルリナ王女を先導してゆっくりと歩き始めた。二人の足音だけが四角い通路の壁に反響する。
 


  6月11日△ 

「暑いですの〜」
 時々立ち止まって額の汗を丁寧にハンカチで拭いながら、サンゴーンは町の表通りを日陰に沿って歩いていた。
「もう夏ですわ」
 晴れた南国の午後、気温はぐんぐん上昇していた。日光の雨が痛いほど降り注ぎ、地面の水分を大量に蒸発させる。それらは灰色の雲となり、最後に本当の大雨を降らすのである。
「お天気のうちに帰らなきゃ、ですの〜」
 


  6月10日− 

 シャムル島の北部、通称「北シャムル」と呼ばれている地域は未だに交通の便が悪く、人々は自給自足的な暮らしを続けている。しっとりと霧雨に塗れた緑の緩やかな丘はことさら美しく、雲の切れ間から現れた陽の光を浴びて水滴はダイヤモンドのような輝きを秘める。ゆったりと流れる時の中で、虹の橋は朧気に夢をつなぎ、獣も人も草も木も思いを新たにするのである。
 


  6月 9日− 

 ゴウという深みのある軽やかな音が響き渡る……山の水源から滝となって流れ落ちてきた沢が清らかな川へ注いでいる。水辺の岩場に腰掛けている少年や少女たちは期待に胸を膨らませて釣り糸を垂らす。この川は驚くほど多くの魚が獲れるのだ。
 今日は若い村娘が隣の集落の青年と結婚するので、子供たちも慣例に従い、お祝いに新鮮な魚を捧げるのである。喜びと寂しさが入り混じった空は青く澄み、風は優しいフォトス村の春である。
 


  6月 8日− 

「うーん、いい風だねっ! すごく美味しい」
 丘の上に立ち、リンローナはそう言って大きく深呼吸した。
「何の不純物もない、澄んだ風だな」
 ルーグも清々しそうに語り、静かに瞳を閉じる。
「セルファ族……空の妖精は風を食べるそうですよ」
 タックの言葉に、横のシェリアが大きくうなずいた。
「こんな場所ならセルファ族も好んで住みそうね」
 眼下にはクマザサの斜面と針葉樹が果てしなく広がっていた。
 


  6月 7日− 

 青い雨の向こうに、夏の青空が見えてくる。
 


  6月 6日○ 

 ふくろうの声が静寂の森に響き渡った。時折、獣の遠吠えも聞こえる。空は信じられないほど多くの星たちで賑わい、透き通った夜風が枝先を縫って通り過ぎる。本物の夜がやって来たのだった。
 


  6月 5日○ 

 夜更けのサミス村は漆黒の闇につつまれ、星たちが瞬いていた。小さな部屋の布団から顔を出し、シルキアが呼びかける。
「ねえ、お姉ちゃん」
「……なあにぃ?」
 姉のファルナはいかにも眠そうな声で返事をした。妹は続ける。
「今度のお休み、丘へ行こうよ。お花がきれいなんだって」
「うん、いっしょに行こうですよんっ……」
「やったぁ! 約束だよ」
「晴れるといいのだっ。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ!」
 シルキアは眠ろうとしたが、緩やかな緑の丘の上に揺れる可憐な白い花、黄色の花、紫の花を想像すると、楽しみで少し頭が冴えてしまった。すでに横の姉は静かな寝息を立てている。やがてはシルキアも眠りの底へ堕ちてゆき、一足早く涼しい風に吹かれ、夢の丘を姉と二人でどこまでも歩いてゆくのだった。