2002年 9月

 
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2002年 9月の幻想断片です。

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  9月30日− 


[花の咲く道(5)]

「塔ヨξйэ……私、天空の力・大いなる風を欲す……ヒュ!」
 祖母であり魔法の師でもあるカサラの前だからか、やや緊張の面もちで正確に呪文を唱えたナンナは、さすがに魔法の使いすぎで疲れを感じ、その場にぺたんと座り込んでしまった。
 渾身の力で放った〈風の刃〉はまっすぐに飛んでいき、蔓の切れる痛々しい音を響かせながら、お化け花の根を断ち切った。
 レイベルは思わず目を背け、ナンナはくちびるを噛みしめる。

(何の罪もなく生まれ、ここまで育ったのに……)

 お化け花は辛うじて立っていた。
 次の刹那。
 ナンナもレイベルもカサラも自分の目を疑う。
 消えてゆくお化け花のあちこちに、きれいなつぼみが――。
「あっ!」

 そして、花はぐらりと右に傾いて。
 瞬間、まばゆいばかりの緑の光が輝いた。
 老いた魔女と子供の魔女とその友は耐えられず瞳を閉じる。
 
 恐る恐る目を開けると、そこは花畑であった。
 地面の花畑ではなく、天に広がる花畑である。
 桃色や黄色のたくさんの花びらが舞っていたのだ……。
 ものすごく簡素で、虚無のあふれる風景だった。

 カサラは重々しく語りだそうとしたが、全く蛇足だったことに気づき、思い直して言いかけた言葉を飲み込み、ぐっと堪えた。
(植物だって、あんたらと同じ生き物なんじゃ。命を軽々しく魔法で扱ってはいかん。育てるんであれば、水をやり、肥料をまき、愛情を注いで、じっくりとな。本当に、あんたらと同じなんじゃ)

「さよなら、って言ってるのかしら」
 自分の頭にそっと舞い降りた花びらを一枚、手のひらに載せ、レイベルは呆然とした表情でかすかに呟く。その友に抱きついて、ナンナは長い間、ずっと肩を震わせて低く泣きじゃくった。
 村じゅうに降りそそいだ花びらの雨が終わっても――。
 

 その翌日の昼間のことである。
「ふーう、できたっ!」
 少なくとも見かけ上は元気を取り戻したナンナは、土で汚れたスコップを地面に投げて汗を拭った。その横で友は微笑む。二人の日焼けした顔は、心なしか昨日よりも大人びて見えた。
「芽が出る日が待ち遠しいね」
「今度は、ぜーったい、ちゃんと花を咲かせてあげるね☆」
 花園に立てた目印の小さな旗が澄み渡る風に揺れていた。
 


  9月29日− 


[花の咲く道(4)]

「あ!」
 息せき切って走っていたレイベルは、急に立ち止まると左手を膝に置き、反対の手を天に掲げて目立つように左右に振った。
「ナンナちゃんのおばあちゃん!」
 魔女のカサラはほうきに乗って空を飛んでいるところだった。レイベルに気づくと、下降気流のようにふわりと舞い降りる。
「あの花……また、孫娘じゃな」
「はいっ」
 苦しげにレイベルが頷くと、魔女はほうきの後ろを指さした。
「お乗りなさい」
 
 他方、ナンナは考えたあげく、一つの答えに至っていた。
「火炎の魔法で燃やしちゃえば……」
「そんなことをしたら大火事になるわい」
 上空からの声で、ナンナは祖母が来たことを知った。彼女と、その運転手にしがみつくレイベルは素早く地面に降り立った。
「おばあちゃん! レイベル!」
「全く困った孫娘じゃな」
 その間も、レイベルは気が気ではない。お化けのように成長した花は、すでに村で一番高い〈鐘の塔〉をも越えてしまった。
「このままじゃ、他の草花や木が死んでしまうわ……」
「孫娘よ。鋭い風を飛ばして、根を絶つんじゃ」
 カサラの助言に対し、ナンナは驚いたように声をあげる。
「えー、ナンナがやるの? 今日、かなり魔法使ったのに」
「自分の責任で後始末するんじゃ!」
 老婆が語気を強めると、さすがのナンナもしょんぼりする。
「わかったよぅ」

(続く)
 


  9月28日− 


[花の咲く道(3)]

「あれっ。止まんないよ?」
 むしろ反抗するかのように花は育つ速度を上げた。二人の膝の丈くらいしか伸びないはずの花は、すでに二人の身長に追いつき、複雑に枝を伸ばして全部の花が絡み合いながら、さらに天の頂を目指そうとしている。レイベルは顔面蒼白になった。
「ナンナちゃん大変よっ! 地面がひび割れて、周りの草や木やお花たちが、だんだん元気を無くしてきてるみたいなの!」
「うーん……」
 さすがのナンナも首をかしげて腕組みした。危険のシグナルである。レイベルは居ても立っても居られず、町へ駆け出した。
「わたし、ナンナちゃんのおばあちゃん呼んでくる! ナンナちゃんは、どうにかして止められないか、色々やってみてね!」
「わ、わかった。お願いねっ」
「ナンナちゃんも、気を付けて!」
 レイベルの姿が町の通りに消えていく。ぐちゃぐちゃに絡み合って蔓のようになった花の枝は、家の屋根ほどの高さにまで成長していた。ナンナは巻き込まれないように現場から少し離れて、何かいい魔法がないか思い出そうと知恵を絞っていた。

(続く)
 


  9月27日− 


[花の咲く道(2)]

 ぽんっ!
 妙な破裂音がしたかと思うと、ナンナの手のひらから緑の霧が吹き出した。むせる魔女の孫娘に、レイベルは駆け寄る。
「けほっ、けほっ、けほっ……」
「ナンナちゃん!」
 レイベルよりも一回り小さいナンナは、その友達に支えられて後ずさりした。間もなく妖しい霧は空の高みに溶けていった。
 するとどうだろう。
 種を蒔いたばかりの地面から緑の芽が吹いたのだ!
「や、やったっ……なんとか成功だね☆」
「無事で良かった。心配したんだよ」
 小さな魔女が何とか普段の自信を取り戻してVサインを出すと、レイベルもほっと息をつく。花は双葉となり、本葉となった。
 その後も花は恐るべきスピードで生育し、ナンナとレイベルは観察活動に余念がなかった。あっちでもこっちでも枝分かれするたびにナンナは大はしゃぎし、そういう親友を微笑ましく思いながらレイベルは絵を描いて、観察記録作りに余念がない。
 だが、あまりにも速すぎる育ち方、しかもつぼみができず枝ばかり伸びてゆく花に、レイベルはしだいに不安になってきた。
「ねえナンナちゃん、このお花、ちょっと変じゃない? いくら何でも速すぎるし、それにいつまで経ってもお花が咲かないわ」
「そだね、じゃあ、花を咲かせる開花妖術を使ってみるよ☆」
 あくまでもナンナは軽いノリで、瞳を閉じ、魔法を唱えた。
「全てを育む草木の力よ、今ここに結実せよ。カゾフール!」
 珍しくまともに呪文を唱え終えたナンナだったが……。

(続く)
 


  9月26日− 


[花の咲く道(1)]

「ナンナちゃん……またおばあちゃんに叱られるよ」
 そう言ったのは村長の娘のレイベルだ。黒い髪を風になびかせ、心配そうに顔を曇らせて、友達のナンナを見つめている。
 一方、ナンナは少しカールのかかった黄金の髪が愛らしい魔女の孫娘で、はるばる都会の町から越してきた。明らかに悪戯をたくらんでいる青い瞳を大きく見開き、ナンナはこう言った。
「だって、育てるなんて、めんどくさいな〜」
 昨日の昼間の話し合いで、学舎の生徒たちは村での今年の役割分担を決めた。その時、レイベルは公道での花壇づくりを提案して認められ、担当者となった。そして友達のナンナを誘ったわけであるが、明らかに人選ミスと言わざるを得なかった。
「手伝ってもらえるのは嬉しいけど……」
「ヘーキだよ。ナンナにおまかせっ☆」
 翌日、二人はさっそく種と肥料とスコップとバケツを持って花壇の予定地へ向かい、方針を話し合った。おおざっぱなナンナは、主に植物を扱う〈妖術〉で花を育てようとしたのである。
 二人はまず肥料を混ぜ、それから種を蒔き、適度に水を撒いた。半ば無理矢理な論理でレイベルを説得したナンナは、いよいよ魔法の呪文を、お得意の〈うろ覚え〉で詠唱したのだった。
「草木の隠す……じゃない、草木の宿す未知の……神秘の、力の……力を? まあいいや、とにかく早く大きくなーれっ」
「大丈夫かな」
 ナンナのアバウトな呪文に、横ではレイベルが、いつもながら不安げにうつむく。心配をよそにナンナは大きく手を伸ばした。
「マギリッタ!」

(続く)
 


  9月25日△ 


 ゆっくり歩けば歩くほど、いろんなものが見えてくるね――。
 小学二年生の立花麻里は思いました。風に揺れるコスモス、青紫の名前も知らない小さな花。花園は、見る者の心に余裕があってこそ、本当の美しさを発揮するのかも知れません。
 近所で新鮮な旅をしてみませんか。いつもの半分の速さで。
 


  9月24日− 


[氷のもと]
 黒いローブに全身をつつんだ背の高い男は、袋から取り出した青っぽい粉を河の手前で撒き、風の魔法に乗せてまっすぐに飛ばした。すると粉の降りそそいだ部分が凍り付き、透き通った水の流れは堅い足場となった。当然、河は堰き止められる。
 やがて男が渡り終える頃、対岸には数多くの騎兵が現れ、怒号を上げながら馬の手綱を引いた。男は追われていたのだ。
 先陣を切るべく、一部の騎兵たちが馬を下り、川を渡ろうとした時であった。河のダムの氷はもろくも崩れ去り、指揮官を含む大勢がその渦に巻き込まれ、立派な駿馬も犠牲となった。
 追っ手はパニックとなり、男はこうして逃げおおせたのであった。その痩せこけた頬には酷薄な笑みさえ浮かべていた。
 


  9月23日△ 


「寺田さんのお宅ですか?」
「いえ、違いますが」

 ――最近、良く間違い電話がかかってくる。
 それだけなら、ただの間違い電話だったろう。
 しかし、ある夜にかけてきた男性は、どこだか分からない電話口で、背筋が凍りつくような戦慄の言葉を洩らしたのだった。
「昼は同じ番号で、寺田さんが出たんですがねェ」
(俺は平日の昼間は仕事に出ていて、部屋を空けている)

 こうして俺の「寺田さん捜し」が幕を開けたのだった。
 


  9月22日○ 


 夜と朝の間の、どちらでもないとき。
 だぁれも知らない、秘密の時間。
 ぼくたちは絵の具を持って飛び回るよ。
 木々の葉をめぐり、赤や黄色を薄く塗ってあげる。
 だんだん、その色を濃くしていって。
 いつしか茶色になって――。
 十一月頃になると、みんな絵の具はやめちゃう。
 その頃には小さな鋏で、葉っぱを切るんだよ。

 ぼくたちは今ここにいる。
 


  9月21日− 


 旅人のロフィアは夜空を見上げ、考えていた。

 私は、色々な観光地を見に、旅をしているわけではない。
 色々な土地、そしてそこに住まう人々と触れ合い、それぞれの良いところを探し出すために、山を越え、海を越えてゆく。
 住人と同じ視点で、住人と同じものを食べて、寝て……。

 冒険者としてではなく、ルデリア世界を旅をする者は少なくない。彼らは旅先で稼ぎ、次の町への資金とする。彼らの目的は冒険者以上に個性的で、ミラーやシーラもその一員といえる。
 


  9月20日− 


「山の幸セット、羊のミルクと山菜付きだって。どうかしら?」
 酒場のメニューを指さし、それから薄紫の前髪を軽く掻き上げ、魔術師シェリアが言った。味にはかなりうるさい方である。
 彼女らはルデリア世界をゆく冒険者稼業で、今はセラーヌ町に来ていた。羊の放牧頭数が非常に多い、草原の中の町だ。
「熊の肝はねえのかよ?」
 ケレンスが冗談交じりに言うと、タックは真面目に応える。
「もう少し山の方、サミス村の方では出没するらしいですよ」
「ふーん、クマさんが出るんだ。怖いねー」
 シェリアの妹のリンローナは瞳を閉じて、小さく首を振った。
「試しに、その〈山の幸セット〉を頼んでみようか?」
 ルーグが喋ると、話はまとまり、ケレンスは店の娘を呼んだ。
 


  9月19日− 


[ある朝]

 冷たい雨粒が
  一面に漂っていました

  それは朝霧でした

   朝霧は地上の雲となって
    太陽の光を拒みました

    やがて刻が充ちると
     朝霧は静かに
      大地を離れてゆきます

     人間の呼吸のような
      大地の息吹の証拠です

      ふわあり、ふわり、と分かれ、
       手の届きそうで届かない綿雲――

       その残り香が地上から見えなくなると
        まぶしいくらいの朝の光が到達しました
 


  9月18日− 


「一人一本ずつなら、構いませんよ」
「やったぁ!」
 テッテの承諾を聞くや否や、ジーナとリュアは両手を合わせて歓喜に沸き返りました。少女らは、テッテ青年の魔法の畑で育てている〈空切り鋏〉を貰おうとして、彼のもとを訊ねたのです。
「そのかわり、森の神様へのお祈りを忘れずにね」
「うんっ!」

 やがて美しい黄緑の草原から、小さな二人の天女が、青空の上着を羽織って緩やかに飛んでいく姿が見受けられました。それを知っていたのは丘の木々と野原の草花、色とりどりの鳥や蝶、無数のとんぼ、ささやかな風――そしてテッテだけです。
 空は蒼く高く、白い雲はススキの穂のように細く伸びます。

 今年も秋がやってきたのです。
 デリシ町に、皆の心に、麗しの秋が――。
 


(森の国への旅立ちと、旅の準備等により休載)


  9月11日△ 


 小高い丘の上に町を見下ろす一軒の古びた洋館がある。
 ――いや、あった、というべきだろうか。

 四角い石を積み重ねた壁は、棘の生えた蔦に覆われ、二階建ての割には低く感じた。獲物を前にした猫のよに、緊迫感と威圧感とが交錯し、見る者には何とも言えぬ不安感を与えた。
「そこに、なんか昔の服を着た女の子? が立っててさぁ。なぁんにも喋んねえで、かすかーに笑うだけ。薄気味悪かったぜ」
 町の居酒屋のカウンターで、酒の勢いもあって喋っていると、急に肩の辺りへ誰かが手を載せてくる感覚があって、振り返る。
「見えたんだね……」
 皺の深い老婆は開口一番、そう語った。キヌという名のその女性は、屋敷で女中をしていたと説明した。俺は不気味さで鳥肌が立った、それと同時に好奇心も抑え難く膨らむのだった。
 


  9月10日− 


「きゃあぁ! 追ってくるよー」
 逃げまどうレフキルの顔はどことなく真剣みに欠けている。
 その後ろから、巨大な昆布のお化けがうにょにょ追ってくる。
「これは、ほんとに昆布のお化けとしか言えないですわ……」
 突如として町外れの岩場に現れ、小さな家ほどの大きさがあり、短時間だが自力で海から這い出ることの出来る謎の昆布は近ごろ噂になっていた。お化けとは言っても特に害はない。
「帰り道が解らなくなって、だんだん巨大化したんですの?」
 大勢の見物者に混じり、サンゴーンがぽつりと洩らすと、何を思ったのか昆布はぴくりと静止し――やがてサンゴーンの方を目指してゆっくり動き始めた。相手にされなくなったレフキルはつまらなそうに空をあおぎ、サンゴーンは苦笑しつつ後ずさる。
「あら、あららっ……サンゴーンに何か用ですの?」
「ワオ! 昆布の一目惚れか?」
 観衆の中から囃し立てる声が生まれた。サンゴーンは人ごとではなく、近づく昆布のお化けに、冷や汗が出るほどだった。
 


  9月 9日− 


[パイプライン]

 突然に、あるいはいつもと変わらぬ風に、その旧友に招かれた秋の日は、鮮やかにくすんだ青空だったと記憶している。

 洋間のテーブルの上に透明なグラスのようなものがあった。
 これは何だろう、と私は呟いた。
 彼は言った。透明なグラスだよ、と。

 それは確かに、冷たいコーヒーに良く似合うグラスに見えた。周囲の装飾といい直径といい、グラスに良く似た代物だった。

 しかし、そのグラスには底がない
 底がないということは上も下もない。
 同じ幅の入口が二つ、もしくは出口が二つあるだけの筒だ。

 旧友はその筒に黒ずんだアイスコーヒーを注いだ。
 持ち上げても、それは決して零(こぼ)れなかった。

 彼はグラスを逆さまにし、美味しそうにコーヒーを飲んだ。
 いつの間にか入口は底になり、底は入口になっていた。

 薄く微笑む彼から、私はグラスを受け取った。
 それは、ただのガラスの筒であった。
 そしてある意味では完璧なグラスの御霊でもあったのだ。

 私もそのグラスで冷えたブラックコーヒーを飲んだ。
 


  9月 8日− 


 ランプの炎がゆらめき、少女の影をお化けのように動かした。部屋の窓をぱたんと閉めて、シルキアは半分だけ振り向く。
「楽しみだね、明日。どこ行こうか?」
 避暑のシーズンもついに去り、早くも秋を迎えるサミス村。唯一の宿の〈すずらん亭〉は、夏の間、ほとんど休まずに営業を続けていたが、さすがにこの頃は落ち着きを取り戻しつつあった。貴族の一家や放浪の旅人、冒険者たちは、まるで咲き誇る花に集まる蝶のようにサミス村と〈すずらん亭〉を賑わせたが、夏が散ってゆくのに合わせてそれぞれの場所へ帰っていった。
 宿の娘のシルキアと、その姉のファルナにとっては、明日は一ヶ月遅れの夏休みだ。行ってみたい場所が山ほどある。
「お姉ちゃん?」
 シルキアはベッドに戻りながら小さく呼びかけた。姉の返事は、しかし、かすかな寝息だけであった。シルキア自身も疲れと眠気であくびが出そうになり、緩慢とした動作で口を覆った。
 ランプの炎を一吹きする。白い煙の残りは天井に消えゆく。
「おやすみ、お姉ちゃん……」
 シルキアもベッドに潜り込み、夢の世界へ墜ちていった。
 


  9月 7日○ 


「これなんて、いいんじゃねーの?」
「きゃっ!」
 メレーム町の露店市をぶらぶら歩いているとき、冒険者で剣術士のケレンスは、適当に選んだ麦わら帽子を仲間のリンローナの頭に載せた。派手すぎず地味すぎず、爽やかで清楚なデザインの麦わら帽子は十五歳のリンローナに良く似合った。
「急にやめてよぉ、ケレンスぅ!」
 可愛らしく頬を膨らまして、露店の商品である麦わら帽子を脱ごうとしたリンローナは、やはり一緒に町めぐりをしていた盗賊専門のタックに待ったをかけられる。タックは左手を挙げた。
「待ってください!」
「えっ?」
 リンローナは持ち上げかけた帽子を頭に落とす。タックは横のケレンスに目配せしつつ説明した。その間も人通りは激しい。
「良く似合ってますよね、その麦わら帽子。ねえ、ケレンス?」
 一瞬の空白のあと。彼としては珍しく、ケレンスは恥ずかしそうに顔を背けながら、それでもリンローナから視線を逸らさずにぼそりと応えた。長年の親友であるタックにはすぐに分かったが、ケレンスは帽子姿のリンローナを気に入った様子だった。
「ま、まあな……」
「ほんと?」
 リンローナは単純に驚いた声をあげる。すかさず母の形見という古びた手鏡を取り出すと、角度を変えて微笑みかけた。
「似合うかなぁ? あたし、お姉ちゃんみたいに服のセンスないから、自分に何が似合うとか、あんまり分かんないんだ……」
 深刻そうにリンローナが腕組みして首をかしげると、麦わら帽子も同じだけ傾いた。その時、ぽんと手を叩いたのはタックだ。
「僕、いいこと思いつきましたよ。せっかくケレンスが選んだんだから、たまにはケレンスがプレゼントするのはどうでしょう?」
「え?」「は?」
 リンローナとケレンスの疑問符が交錯する。それから二人が同じようにはにかみ笑顔をしたのが、タックにはおかしかった。
「何で俺が買わなきゃいけねえんだ?」
「でも、ほんとに似合うのかなぁ?」
 意見を求めてリンローナが帽子の中からケレンスを上目遣いに仰ぐと、彼は一瞬、心臓がどきりと高鳴って立ちすくんだ。
 ここぞとばかりにタックは攻勢をかける。
「すごく、リンローナさんにピッタリですよね?」
「似合わねえことはねえな……しょうがねえ、買ってやるよ」
「これ、買ってくれるの?」
 ついにケレンスが折れた。リンローナは帽子の位置を右手で直しつつ、日焼けした頬をうっすら赤らめて礼を言う。タックも幸せな気持ちになり、親友の背中を押して会計をうながした。
 
 楽しい時間は急に終わりを告げる。会計が終わったとき、事件は起きた。若い女性らしき悲鳴が市場に響いたのである。
 


  9月 6日△ 


「ねむ。面白そうな品が来たんよぉ!」
 親友の言葉を鵜呑みにし、学院帰りにサホの家の〈オッグレイム骨董店〉に寄ったリュナン・ユネールは、のちほど後悔することになる。サホが持ってきた年季の入ったオルゴールは木目の美しい焦げ茶色で、角には傷が付いていたが、ほど良い重みで、箱の横に彫られた不思議な模様は見る者を虜にした。
 オルゴールの箱を開けると、少しきしんだ音がし、それから古ぼけた和音が響き始めた。ありきたりの静かな曲だが、居眠りの多さで友になったサホとリュナンにはひとたまりもなかった。

「はっ!」
 がっくりと崩れ落ちそうになったリュナンは、すんでの所で意識を取り戻した。その間に、サホの姿は全く消え失せていた。
 


  9月 5日△ 


 シャムル島はルデリア世界で最大の島である。島を縦断するソルディス山地により、北西側の〈北シャムル〉と南西側の〈南シャムル〉に分かれ、民族も気候も大きく異なる。南シャムルは海流の影響で穏やかな気候を享受し、文化も発展しており、悪魔の蹂躙による亡国の危機からも復興を果たした。翻って北シャムルは風が強く、トケラセス町を離れれば緑の丘が続いているだけの原始の風景となる。そこでは誰もが自分と自然との境界を失い、全くの孤独と全くの一体感とを同時に覚えずにはいられない。そこを訪れる旅人は病みつきになってしまうという。
 


  9月 4日△ 


「ナンナちゃん!」
 レイベルは苦痛に顔を歪ませながらも、必死の声をあげた。しかしナンナの方は決意を固めており、腕まくりをして叫んだ。
「だって、これは、ナンナにしかできないもん!」
「そんなのって……そしたらナンナちゃんが……」
 絶句する親友に、小さな魔女は思いきりVサインをした。
「だいじょぶ。これくらいでやられるナンナじゃないもん!」
 そうは言ったものの肩は小刻みに震えていた。彼女は強く瞳を閉じ、いよいよ精神を集中させて呪文の詠唱を始める――。
 


  9月 3日× 


[サーレア町の酒場で聞いた伝承歌]

 あの夕焼けの真下へ行きたい
 そして夕陽を見上げたい

 いったい、どんな景色が見えるの?

 たとえ身体が燃えつきようと
 一度だけ――そう、一度でいいから
 空の夕陽をくぐってみたい

 夕陽の向こうを旅したい
 


  9月 2日× 


 四季の夜想曲は、蝉たちによる夏の第二楽章がフェードアウトしていくのに従い、秋の虫による第三楽章が重層的に、そして優雅に響き始めた頃だ。その後ろでは、淡雪色の帽子と黒い服の、冬の無音楽団が終楽章に備えてじっと控えている。
 


  9月 1日− 


[七力研究所、ふたたび]

「どうじゃ!」
 五十過ぎのカーダ博士は絶叫した。小さな畑には一面にススキが植えられており、既に穂となって朝日に優しく輝いていた。しかし、その穂の色は良く見かける銀色ではなく、ルビーの如く情熱的な赤で――そして畑には無数の水路が掘られていた。
「ごく普通のススキは、草木の属性が八割強で、残りの二割弱は大地の属性を持っておる。じゃが、わしの作り出した新種のススキの穂には、大地の属性の代わりに〈火炎の属性〉を与えておる。これでどうなるか。わしの推論が正しければ、普通のススキは風が吹くと大地の属性と反発して揺れるが、この特製のススキは、水を循環させることによって穂が揺れるはずじゃ。何と画期的なのじゃ! わしの研究は素晴らしすぎるわい!」
「師匠。お取り込み中、すいませんが……」
 いつの間にか弟子のテッテが横に来ていた。カーダは自分の世界から引き戻され、しかめっ面をして不機嫌そうに応えた。
「何じゃ。せっかく、考えをまとめなおし、さらなる確証を得ていたところで。水路に流す水の準備は出来たんじゃろうな?」
「はあ、出来たは出来たんですが」
「はっきりせん奴じゃな。出来たなら実験を開始するぞい!」
「はい、そろそろ水を流した方がいいと思うのですが……」
「当たり前じゃ。その実験をするんじゃろうが。このススキが完成すれば、風のない日でも、風の来ない地下室でも、ゆるやかに首を揺らしてくれるススキを楽しめるようになるんじゃぞ!」
「ええ、あの、それは理解しているつもりなのですが」
「こら! お前は何が言いたいんじゃ、はっきり言うてみい!」
「気のせいかも知れませんが。煙が見えるようです」
 火炎の属性を無理に付けられたススキの穂は、折からの日光を浴びて自然発火してしまったのだった。赤い炎が、ちろちろと蛇の舌のように広がり始めている。カーダ氏は目を丸くした。
「たっ……大変じゃ!」
「山火事になりますねぇ」
 腕組みして困惑気味に呟いたテッテを、師匠のカーダ博士は地団駄を踏みつつも腕を振り回し、得意の大声で一喝する。
「馬鹿もんが! 早く、早く、用意した水を撒かんか!」
 それからは、てんやわんやの大騒ぎであった。何とかボヤで済んだが、せっかく育てた魔法のススキは水浸しで全滅だ。
「わしは絶対にくじけんぞ。覚えとれ……」
 カーダ氏の恨みがましい声が今日も森に響くのであった。
 






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