[想い遙かに]
雨模様の街は淑やかに濡れ、通りの石畳の隙間を黒ずんだ水で充たしていった。道は左右に向かって緩やかな傾斜がつけられており、溢れた分の雨は樋に流れ込み、集められ、やがては深い穴に落ち――地下に造られた下水道へ注いでゆく。
メラロール王国は世界で最も下水道が整備された国であり、妙な疫病や伝染病は驚くほど少なく、清潔を保ち続けている。
下町の小さくて瀟洒な宿の二階では、簡素な木の机に頬杖をつき、反対の手には羽根ペンを握りしめたまま、リンローナが薄暗い灰色の空を映し出す窓の向こうをぼんやりと眺めていた。
その時突然、思考の中に聞き慣れた声が紛れ込んでくる。
「何書いてんだ?」
振り向くと、予想通りケレンスが覗き込むように立っている。
「お手紙だよ」
草色の瞳を瞬かせ、リンローナは相手を見上げて言った。
「誰に?」
すかざす剣術士は訊ねた。他方、少女は羽根ペンを手元に置いて懐かしそうに眼を細め、柔らかな頬を緩めて優しく微笑む。
「……お父さんに」
万感の思いを込め、囁くように手紙の宛先を伝える。
「私のぶんの便箋も残しといてよ」
ドアのそばの壁に寄りかかり、古本街で見つけた魔術書を読みふけっていたシェリアが、薄紫色の長い前髪を掻き上げる。
「うん。お姉ちゃん」
妹は窓際から応えたものの、既に姉のシェリアの視線は再び魔術書の上に戻っていたので、行き場を失くした視線を再び目の前で所在無げに立ち尽くしている金の髪の少年に戻した。
「ケレンスも何か書く?」
「はぁ? お、俺が何を書くってんだ?」
剣術士は動揺を露わにし、予想外の提案に目を丸くした。
「うん……そっか」
リンローナはちょっとつまらなそうに視線を下ろした。
静寂の合間、強まった風に乗って雨が窓を打つ音が響く。
「船に乗ってるんじゃなかったっけか? リンのおやじさん」
ケレンスは雰囲気が変わったことを察知し、別の話題を引っ張り出した。功を奏し、少女は碧の髪を揺らして顔をもたげる。
「うん。でも、とりあえずモニモニ町の実家に送ろうと思って」
「そうか」
「話の途中に済まないが」
丁寧に断りを入れたのは、リーダーのルーグである。
「ナホトメにも書いておきたいのだが、いいだろうか?」
リンローナの父の船で働く旧友の精悍な顔をまぶたの裏に浮かべ、ひそやかに――と同時に力強く、青年戦士は頼んだ。
「もちろん!」
大きくうなずき、リンローナは喜びの表情を素直に表した。
「やはりケレンスにも書いてもらったらどうですか?」
そこで口を挟んできたのは、街の地図を眺めていたタックだ。
「ケレンスは字を書くのがたいへん上手ですからね。言葉もたくさん知っていますし。学舎でいつも怒られていたほどですよ」
「タック、このやろ……」
昔話を暴露されたケレンスは顔を赤くして拳を握りしめ、タックの方に早歩きで向かっていく。タックは馴れた手つきで地図を折り畳んでズボンの後ろポケットに入れ、服のほこりをはたいて面倒くさそうに立ち上がり、身構える。リンローナは心配顔だ。
「あんたら、騒いだら承知しないわよ」
明白な苛立ちを押し殺したシェリアの低い声が、ケレンスとタックの間に勃発しかけた争いをすんでの所で止めるのだった。
外は雨が降り続いている。静かな午後であった。
※ルデリアの郵便事情は、また今度書かせて頂きます。
|