[雲のかなた、波のはるか(4)]
(前回)
「実は、そうなんだよね」
レフキルは驚いた顔もせず、腕組みして空を仰いだ。南国の遠浅の海に似た深緑の瞳に、低く垂れ込めた灰色の雲が映っている。つられてサンゴーンも上を向き、思いきり首を後ろに倒した。天は一続きの雲の河となって流れ出すように見え、自分の身体の平衡感覚はだんだん麻痺してゆくように思われた。軽い目眩を覚えたサンゴーンが思わず黒い傘を突き立てて地面を支えると、チェックのワンピースの裾が風にはためくのだった。
レフキルはしっかりと両眼を見開いたまま、正面に向き直る。
「何だか潮の匂いはするし、変な雰囲気だからサンゴーンに聞こうと思ったんだ。これ、たぶん……普通の雲じゃないよね?」
妖精族の血を引くレフキルは勘の鋭い方ではあるが、魔法には詳しくない。そもそもこの町には魔法学院がなく、誰かに弟子入りするか王都のミザリア市に行かぬ限り、魔法に関する専門知識も技術も身につけられない。科学のはびこる世界に置き換えるなら、魔法とはすなわち〈医学〉の位置づけに近いだろう。
魔法に関する知識で言えばレフキルもサンゴーンも大差はない。ただ、世界を形作る〈七力〉の一つ――自然と生命を司る〈草木の神者〉のサンゴーンは、まれに不思議な直感を発揮する。それは彼女自身を驚かすほどの計り知れぬ神秘の力だ。
焼魚の骨が喉の奥に引っかかっているような、どうも腑に落ちない顔でたたずむレフキルは、鼻の穴を動かしながら呟いた。
「そういえば、気のせいかも知れないけど……ずっと前にも、こんなことがあったような気がするんだよね。海の香りと低い雲」
「ずっと前、ですの?」
親友の言葉が、サンゴーンの中に眠っていた遠い記憶の断片を甦らせる。懐かしい情景はおぼろに組み合わさってゆく。
しばしの間、彼女は心の底に沈み、物思いに耽るのだった。
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「おばあさま。あの雲、なんですの?」
「サンゴーンや。あれが何か分かるのかい?」
「ううん。わかんないけど、へんな感じがするの」
「そうか……気になるのかい?」
「うん」
「……今は無理じゃろが、大きくなったら、行ってみるといい」
「おっきくなったら? あの雲のむこうにいけるんですの?」
「ああ。サンゴーンなら、きっと行けるじゃろう」
「うん、おばあさま。サンゴーン、いけるといいですわね」
「行けるさ。あと十年経てば、な……」
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