2003年12月

 
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2003年12月の幻想断片です。

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 12月18日− 


窓ガラスに空が映る日、

色が変わりきれない銀杏は……
 


 12月17日− 


うちゅうのはての じぶんにあいたい
 


 12月14日− 


 三つ星のレストランという言葉がありますが、
 町にも判定があるのですよ。
 そう、そのまま夜空を見上げて……。

 いくつ星が見えます?

 そう、それがすなわち、町の空気、町の風、
 それを評価した星の数なのですよ。
 


 12月12日− 

 12月13日− 


[腐るな]

 黒いコートの襟を立てた私は、誰もいない砂浜にひとり立っていた。そこには不釣り合いな古びた鏡台がぽつんと置いてあり、三面鏡が互いを、その映った三面鏡がさらに互いを映し合い、狭い鏡の中に無限の空間を作っていて――その向こうに見え隠れする真夏の海で、水着姿の子供が母親に尋ねている。
「この前、じょうろの水をほっといたら腐っちゃったのに、なんで海は腐らないの? 海も結局は水でしょ。ねえ、どうして?」
 すると母は熱い光線に眼を細めながら、落ち着いて答えた。
「それは海が生きているからよ。波は鼓動、水は血液、白い泡は呼吸の跡、魚たちが目や口の代わり、真珠はやっぱり飾り」
「じゃあ、空とか土は?」
「もちろん空も土も生きているわ。だから腐らない」
「空も生きてるの?」

 彼らの声は聞こえるのに、私が聞く波音は冬のそれなのだ。

「そう、ほら」
 母親がしなやかな腕を掲げ、指さした方に微風が流れた。白い真砂が舞い上がり、まるで空気が呼吸しているかのようだ。
「生きているものは決して腐らない。ヨーグルトとか納豆はまた別の話だけどね。あれは発酵と言って、実際は腐っているのだけど、人間に役立つ腐り方なのよ。だから本当は死んでるの」
「微生物は増えるけど……ちょっとこの話は難しかったわね」
「うん、よくわかんないや」

 海辺の道路の横を二両編成の各停電車が駆け抜けてゆく。それは鏡の向こうも同じと見えて、おそらく五歳くらいだろう、少年がこちらを振り向いた。彼と私の視線は重なるが、それは何の発展にも繋がらず、何の意味も持たない。私は半年前を見ているのか、半年後を見ているのか。あるいはずっと昔、遠い過去なのかも知れない。今にい続ける私にはいつも分からない。
 

 三面鏡に囲まれた無限の世界で、ワンピースの水着を身につけた三十歳過ぎの母親は話を続けている。それは時折、彼女の息子であろう――五歳ほどの見ず知らずの少年を通り越し、この僕を諭しているのではないかという錯覚に陥るのだった。

「海も空も変わってゆくし、年を取るわ。もしかしたら本当はだいぶ腐っているのかも知れないけど……変わるスピードがとても遅いのね。明らかに腐っている、と気づく頃は手遅れでしょう」

 落ち葉は腐っても、土は腐らない。腐葉土はあるが……。
 海の心臓は月の満ち欠け。

「ふーん」
 息子はあまり関心を示さず、相づちを打った。夏の海に父親の姿は現れない。ややあって彼は黒い瞳を見開き、訊ねた。
「じゃあ、人間は?」

 それから、しばらく間があった。
 冬の波音と冷え切った風が、僕を現実の世界へ引き戻す。

 鏡の向こう、強い夏の光の中で、母親は腕組みしていた。
「……たまに腐っちゃけど。精神的にね」
 ぽつりと呟いてから、彼女は思い出したように付け加える。
「そう。人間の身体は、死んでしまえば他の動物と同じように腐るけれど。でも、生きている間にも腐ってしまう部分があるわ」
 同じ場所であり、なおかつ異なる場所でもある、時間のひずみを示す三面鏡の向こうの〈ここ〉から――私の方を見つめたまま、少年は眉をひそめて顔をしかめ、母親の言葉を繰り返す。
「腐ってしまう、部分?」
 すると、相手は斜め上の熱い陽射しを仰ぎ、明瞭に答えた。
「生きているうちに腐るとしたら、心だけね」
 彼女は振り返り、穏やかに諦めたような、それでいて熱く諦めきれないような微笑みを浮かべた。まるで私が〈ここ〉にいることを知っているかのような、それはとても意識的な眼差しだった。

 私はおもむろに腕を伸ばし、鏡の永遠の果てに別の新しい一つの鏡を置いた。世界は四次元に変わり、正面には紛れもない今の私と、冬の波打ち際が映っていて、しだいに浮き上がる。

 私はそれを確かめてから、四枚の鏡を折り畳んでリュックにしまい、歩き始めた。魂の血潮がまだ脈打っている、今のうちに。

(おわり)
 


 12月11日− 


[声綴り(1) ケレンス&リンローナ]

 メラロール市、酒場を出て宿に帰る途中。星月夜。

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

「さみーっ!」

「うん。凍えそうだね……」

「……」

「……」

「冬は寒くてヤだぜ。何とかなんねぇのかなぁ」

「うーん」

「例えば、夏の暑い空気を取っといてさ。魔法で」

「魔法で?」

「そう。で、冬に送り込んで流せばいい。夏は逆でさ」

「ふふっ。面白いね」

「だろ? そしたら、いつでも過ごしやすいぜ」

「……でもケレンス、ほんとにそう思うの?」

「だって、そうだろ? 寒いのは勘弁だぜ」

「あたし、冬には冬の良さがあるかな……って思うの」

「冬の良さ?」

「うん。雪とか、氷とか、冷え切った空気とか」

「やっぱ寒いものばっかりだろ」

「うーん。でも、そういうのがないのはちょっと寂しいな」

「そうかぁ?」

「いつでも過ごしやすかったら、メリハリがなくなるよ」

「んー」

「夏も冬も、きっと楽しさを見つけられる気がするんだ」

「……」

「……」

「そうか」

「うん」

「なぁ」

「ん? なあに?」

「リンはすごいよな」

「えっ? 何が?」

「……いや、分かんなきゃ、いい」

「ふーん。変なケレンス……」

「……」
 


 12月10日− 



遠い山並みが近くに見えるのは

冬の風が澄んでいるから。

あの頂きが雪色に染まっているのは

季節の心が透き通るほど白いから。



「ふぅーっ……っ」



思いきり深呼吸すれば

あたしの内部に、張りつめた新鮮さが流れ込む。

目に見える何もかもがまぶしく光る朝、

色とりどりの花の種みたいな空の星たち。



寒さで丸めていた背中をちょっと伸ばして、

大股に、ちょっと早足で歩き出そうよ。

歩くうちに、きっと身体はポカポカしてくるから。



心配しないで。

今からでも遅くないよ。

遅いなんて有り得ないはず。

さあ、出かけよう――。

 


 12月 9日− 


[真冬のぬくもり(3)]

(前回)

 暖かな吐息は霧か煙のように漂い、北風に溶けて消えた。
 サミス村の冬はありとあらゆるものが収縮し、特徴的な色や形を失って区別が無くなる。酒場や宿の仕事で忙しかった、華やかな賑わいの夏には気づかなかったもの――この季節、全てが単純化されることで、彼女には少しずつ見え始めていた。
 例えば家の軒先から根を伸ばした氷柱が地面まで届くほど冷え切った朝、低い角度でまぶしく降り注ぐ空の光の宝石たちはきらきらと輝き、果てしなく優しい。分け隔てなく与えられる明るさと熱を浴びれば、太陽の偉大さを改めて思う。しなやかに両脚を動かして誰もいない雪原を駈ける野ウサギには張りつめた生命の躍動を感じ、ただひたすら降り積もるかに見える新雪を黒い手袋で掬い取れば、一つ一つに違った美しい彫刻が施されているのが分かる。寝る前は空気よりも遙かに冷たく感じる布団が、朝起きる頃には出るのが億劫になるほど温まっている――それを作り出すのは自分自身の体温、命の炎の暖房だ。

 日々の些細な変化を、頭で考える前に身体で直に感じ取ることが出来る。そのような直観的理解において、ファルナは妹のシルキアよりも全般に秀でている。天真爛漫で素朴で、意外と負けず嫌いな性格とともに、彼女を特徴づける一つの才能だ。
 きっと妹であれば、おそらくこんな台詞で総括したことだろう。
(寒ければ寒いほど、ぬくもりのありがたみが分かるよね!)

 雪がやみ、速い速度で雲は去り、晴れ間が覗いてきた。久しぶりの彩り――青空を見れば、おつかいの疲れも吹き飛ぶ。
 なじみの急角度の赤い屋根は降り積もった天使の贈り物で白く染まり、煙突からは暖炉の煙が上がっていた。懐かしい我が家、そして〈すずらん亭〉独自の美味しい昼食はもうすぐだ。
「お姉ちゃーん」
 やはり厚いコートとフードに身を固め、入口で待っている妹が手を振りながら姉を呼ぶ。ファルナは笑顔で手を振り返した。
「シルキアー、ただいまー。お昼は何なのだっ?」
 気持ちが和らぐと空腹を覚える。妹はすぐに答えを返した。
「お姉ちゃんの大好きなシチューだよ。早く!」
「わぁー!」
 満面の笑みになり、ファルナは思わず走り出した。慌てて転ばなければ、真冬のぬくもりに、もうすぐ手が届くだろう――。

(おわり)
 


 12月 8日− 


[真冬のぬくもり(2)]

(前回)

 それは十二月でもとびきり寒い日の午後だった。わざと外に出して置いた桶の雪解け水は凍り付き、朝から溶けていない。
 セラーヌ河の最上流に近いサミス村は山奥の小さな集落だ。森の果て、高原の谷間にある風光明媚なところで、豊かな山や河の恵みを存分に享受してきた。景色の美しさと食事の美味しさ――何より人々が醸し出す穏やかな雰囲気にすっかり入れ込んでしまう者も多く、夏場は近隣から避暑の貴族が集まり、それを目当ての行商人も多くやってきて賑やかな時を迎える。
 ざわめきは早い秋の訪れとともに過ぎ去り、収穫を祈る祭りが終われば、サミス村は長く厳しい季節を迎える。木々は葉を落とし、多くの動物は冬眠するが、村人は生業を営み続ける。
 人の行き来はほとんど途絶え、獣の遠吠えも格段に減る。雪が降れば鳥たちも姿を見せない。雪の上の移動は大変だが、平たくて底が丸い大きな靴を履いたり、そりを利用したりする。その代わり、重労働だった井戸の水くみの必要はなくなる――降り積もった雪が、あらゆる場所を井戸に代えてくれるのだ。

 冬はどうやら白や灰色が好きらしい。青い空は鉛色に塗りつぶされ、淡雪や細雪、粉雪や吹雪が大地の全てを覆い尽くす。家々の屋根はもちろん、土も池も湖も真っ白に化粧する。背の高い針葉樹は雪の帽子をかぶり、色という色が失われてゆく。
「冬は寒いから、みんな嫌いみたいだけど……」
 歩きながらつぶやいたのは、茶色の前髪をフードからこぼしている酒場の看板娘、おつかい帰りの十七歳のファルナだった。
「寒いだけじゃないと思うのだっ」


 12月 7日△ 


「今日の空って、柔らかそうだね」
 淡い橙色に暮れてゆく西の空を見上げ、リュナンが呟いた。
「ねむってさあ……時々独創的なことを言うよね」
 隣を歩いていたサホは感心したように応え、そして訊ねた。
「空の固さって、変わるの?」
「うん。ねむちゃんねぇ、そう思うよ」
 居眠りばかりして〈ねむ〉と呼ばれるに至った十六歳のリュナンは、夢見がちの瞳をまぶしそうに細め、夕暮れの天を仰ぐ。
「凍りついたように厳しそうな、真っ青な朝もあるもの」
「そうだよねー、確かに。それと、曇りも寒々しいよね」
 赤毛の同級生、親友サホの言葉に、リュナンはこう応える。
「うん。そうだね……そういえば、いくら昼間に曇っても真っ暗にならないよね。お日様の光って、きっと雲を突き抜けるんだね」
 するとサホも空を見上げて、くすっと悪戯っぽく笑うのだった。
「やっぱ、ねむの発想は面白いよ」

 建物の影は長く伸び、冬の短い昼間が暮れかかっていた。
 


 12月 6日○ 


 みちは どこにでも ある。

 すすもうと おもえば。
 


 12月 5日− 


[真冬のぬくもり(1)]

「はぁーっ」
 雪で湿った手袋の両手を掬うように組み合わせ、思い切り息を吐き出すと、風の溜め池となった掌はすぐに溢れて暖かな空気をこぼし、顔の周りだけに小春日和を振りまいてくれた。冷え切った頬は適度な湿り気で滑らかになっている。厚手のコートはもちろん、頭には毛糸で編んだ簡素なフードをかぶっており、その厳重装備の後ろ姿は大きくなった精霊のようにも見えた。
 また少し降り始めた雪が折り重なる微かな音は、彼女が足を振り下ろすたび、地面が固められるキュッキュという鳴き声にかき消される。薄暗い空の下、やや深い足跡が長く続いていた。


 12月 4日○ 


[雲のかなた、波のはるか(17)]

(前回)

「わかりましたわ」
 特別の緊張を孕んだ表情で、サンゴーンは改めて同意した。飛び交う強風と、細かな潮の香りを含んだ水しぶきが勇気と決断を迫った。不安でも〈やるしかない〉という信念が湧いてくる。
 顔を上げれば無限の青空、そして目線を下ろせば灰色の雲の大陸――その間に解放された横長の世界を、海神アゾマールを彷彿とさせる白波を集めた激しい流れが駆け抜けている。普段は決して同時に見られない快晴と曇り空が共存し、二人の少女たちを挟んでいた。もしも逆立ちすれば、おそらく空は足元に拡がる碧の海になり、灰色の雲が天に思えてくるはずだ。
 さっきの老婆は誰なのだろう、という疑問は尽きないが、それをいま考えても仕方がなかった。答えはこの飛龍の河の下流、海に還る注ぎ口で待っている、という確信に近い予感がある。

 レフキルは大きく息を吸い込み、翠の瞳を開いて凝視した。
 河の勢いを見極め、ほんの少し弱まった瞬間を狙って――。
「行くよっ!」
 空気を切り裂く風の刃のごとき鋭い声とともに、レフキルは河の上流側へ黒いこうもり傘を放り投げた。良く似合っている青いスパッツの裾がはためき、銀の前髪も激しく揺れ動いていた。
 傘が左右に煽られつつ落ちてゆく軌跡を視線の隅で確認しながら、怪盗と揶揄されたほどの敏捷性としなやかな身体を持つ商人の卵、十六歳のレフキルは、妖精の血を引くリィメル族らしい長めの耳を立て、隣のサンゴーンの腰に素早く手を回した。
 そして掬うように友の身体を押し出し、自らも飛び込む。サンゴーンは目をつぶり、咲き出したロングスカートを手で抑えた。

「ひゃーっ」
 落ちてゆく際に特有の、身体の支えが無くフワリと浮かぶような、これまで味わったことのない恐怖の感覚が全身に襲いかかった。懸命に目を開けていたレフキルは、ゆったりと降下した黒い傘が上手い具合に着水して河に乗るのを、辛うじて捉えた。
 その直後――水が轟き、弾けたかと思うと視界がゆがんだ。
 服が濡れて重くなるのも気にせず、絶えず押してくる水に無我夢中で抵抗する。わけがわからぬまま、生きたいという強い思いを燃やし、レフキルは両手で藻掻いた。河はうなり、塩辛い海の水が口に入り、鼻に潜り込んで喉を痛くする。そんなことには構っていられない――レフキルは半ば無意識のうちに、こうもり傘へ手を伸ばした。龍のような河は尖塔をぐるりと旋回し、いよいよ空へ向かって羽ばたこうとしている。速度も増してきた。
「くうっ!」
 伸ばした指先が傘の幕に届き、引き寄せて柄をつかみ、レフキルはほうほうの体で這い上がった。服から靴から髪までびしょ濡れ、耳に水が入って音が変に聞こえるが、休む暇はない。
「サンゴーン!」
 水の勢いに飲まれ、腕を出したまま溺れかけていた友の頭を見つけると、レフキルは恥も外聞もなく、迷わずとっさの判断で重くなった服を脱ぎにかかる。水を吸ってまとわりつくが、何とか最難関の首を抜くと、機敏に黒い傘の縁に移動した。こうもり傘の船が転覆しないように足を後ろに伸ばしつつ、今や唯一の命綱となったシャツを固くつかんだ手は限界まで前へ伸ばす。
 レフキルは悲痛にゆがんだ顔で、心の底から叫ぶのだった。
「サンゴーン、つかまって!」

 二人にとって幸運だったのは、尖塔を離れようとする空の河がゆるやかな曲線を描いていたことだった。速度がやや落ちて、青ざめたサンゴーンの顔が見えるようになる。やっと体勢を立て直した草木の神者は腕を伸ばすが、なかなか届かない。
 カーブが終わりに近づき、急激に轟音が高まってきた――。


 12月 3日− 


同い年の松の木銀杏の木が、北風の電話で話している。

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

「銀杏さん、今年は黄葉が遅いみたいですな」

「ええ、松君。先月、ずいぶんと暖かかったから」

「気温によって変わるのですかな?」

「そう。急に寒くなれば、一斉に黄色の服を出してくるけど」

「ふむ」

「暖かな日が続いたり、寒くなるのが少しずつだったりすると、
そのぶん、私の服の準備もゆっくりになるわけ」


「ふぅむ」

「だから夏服の緑の部分が残ったり、
まだらの模様になったりするわけよ」


「成程」

「最後は全部脱いじゃうけど……」

「ほう。寒くないのですかな?」

「春まで幹の中で寝てるから関係ないわ。
寝てる時に色々着たり飾り付けるのは、
私の性分じゃないし。だって疲れるのよ」


「緑の着た切り雀の私からすれば、うらやましい限りですぞ」

「あら、でも松君には、松毬(まつぼっくり)っていう
強くて立派なお子さんがたくさんいるじゃない」


「銀杏さんにも、ぎんなんっていう……」

「まあ、かなり臭うけれど、可愛い子供だから……」

「そうだね」

「……」

「……ん? もしもし?」

「……」

「おや、電波の具合が悪いようだな」

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

北風の向きが変わって、会話が途切れた。
 


 12月 2日− 


[天音ヶ森の鳥籠(13)]

(前回) (初回)

 蒐集した単語をかき混ぜて答えを導き出すため、腋と背中が緊張の汗に湿るのを感じつつ、シェリアは再び座ることに決めた。薄暗い閉鎖空間に囚われ、命の行方さえ〈見えない相手〉に握られている状況に代わりはないが、地面に腰を下ろすだけでも僅かに気分が和らぐ。大地魔術を使うか、モグラにでもならない限り、少なくとも下側から攻撃される恐れはないはずだ。
(天音ヶ森の、鳥籠)
 シェリアの頭の中に、どこかで聞いたことのある一つの言葉がひらめく。それは次々と連鎖し、おぼろげな事実を形作った。

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

 天音ヶ森の精霊は
  素敵な唄がとってもお好き
   気に入られちゃあ かなわない
    澄んだ声には気を付けな

     夜風を浴びて 広場を囲み
      小鳥となって夏祭り――ったら夏祭り

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

 木の枝の香りに充ちた薄暗い〈鳥籠〉の内側にしゃがみ込んだ彼女は、ふもとの村で聞いた子供らの唄を思い出していた。
 がなり声の、甲高く元気だが耳障りな合唱が繰り返される。
(そうだ、あの村で……)
 さすがに憔悴気味の十九歳の女魔術師は慎重につぶやく。
「これが天音ヶ森の、鳥籠?」

 やがて隙間風が吹いて、部屋の上の方から視線を感じる。
「へーえ、勘は悪くないみたいだね」
 例の、さきほど火炎魔術を唱えることに警告したのと同じ種類の、シェリアを小馬鹿にするような幼い声の一人が感心したように言った。すぐに他の仲間らが、輪をかけて彼女をおとしめる。
「ずいぶん時間はかかったけどさ」
「鳥にしてはね」

 村の子供の唄から推察するに、ここは堅い木で編んだ壁の内側で〈鳥籠〉と名づけられた場所、話している相手は〈精霊〉となる。とりあえずシェリアは何もかもが分からないという根元的な不安からは解放された。すると今度は怒りがこみ上げてくる。
「鳥って何よ。そもそも、あんたたち誰なのよ? 精霊? 私をどうするつもり? 姿を見せて、さっさと私を外に出して頂戴!」


 12月 1日△ 


[師走]

 背伸びしても手の届かなかった最後の月は

 驚くほど速やかに幕を開き、人々を招く

 空一面に垂れ込めた灰色の世界は

 叩くと粉々に砕ける凍てついた曇り硝子

 あらゆる魂よりも純なる白雪を隠している

 澄み渡った心で、新たな夜明けを厳粛に祈る――
 






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