2004年 2月

 
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2004年 2月の幻想断片です。

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  2月29日− 


「あの子、どっかポーっとして、どん臭くて、何か苦手だったわ」
 あっけらかんとした口調で、ほんの少しの懐かしさを漂わせ、喋っているのはシェリアだ。話に出てくる〈あの子〉は、妹のリンローナのことではない。シェリアはもう一言だけ、付け加えた。
「まだ、あの子の妹の方が、気が合ったと思えるわね」
「でも、お姉ちゃんもファルナさんも、似てるところ、あったよ!」
 リンローナはさも面白そうな考えがあるようで、口元から笑みがこぼれていた。妹のリンローナはむしろ、話の的であるファルナと、より強く心を通わせていた。山奥で束の間、出逢った二組の姉妹だが、妹と姉、姉と妹のペアで気があったとは面白い。
 だが、リンローナは長女同士の共通点を見つけたのだった。
「お姉ちゃんもファルナさんも、お部屋の片づけが苦手だよね」
「う、うるさいわねぇ……ゴホ、オホッ」
 妹に痛いところを突かれたシェリアは、珍しく瞳を白黒させ、しきりとわざとらしい咳払いをついて誤魔化そうとするのだった。
 


  2月28日− 


 ひまわり氏の、お子さんたちのようですね。

 ということは、太陽氏の、お孫さんに当たるのですか。

 よろしければ、あなたがたのお名前を、教えてください。
 
  識りたい。→ミモザ?
 


  2月27日△ 


 闇の花園、季節の深い峡谷の
 川辺でちろちろ燃えている
 橙色の微かなつぼみは
 御霊だろうか――冬花火

 寒さに皆が寄り集まって
 風に消えかける炎を守り
 手持ち花火を続けるのは
 いったい、どんな心境だろう

 爽やかな夏とは、別物に見える
 すさまじさの含まれた、冬花火
 春を望むがあまり、脆く儚く散ってゆく

 燃えつきて、彼らの世界が閉じた
 もはや他と区別できない、夜が佇む
 凝り固まった光の花びらは何を思う
 


  2月26日− 


[いつの日か(6)]

(前回)

「争いも、憎しみも、消えないけれど……」
 リンローナは一言一言を噛みしめるように、訥々(とつとつ)と――それでいて力強く、絞りに絞った希いを込めて語り出す。
「この想いはみんな、おんなじだと思う。どの国の、どこの町の人たちも……人間族も、妖精族も、フレイド族も、みーんな!」
 痛みや悲しみ、諦めや嘆きといった種類の〈鮮明な感情〉は、時の移ろいとともに和らぎ、色褪せてゆく。けれども針のひとかけになっても完全に消えることはなく、思い焦がれる気持ちや渇望、逢いたいという願い、懐かしさは時に高まったりもする。
 それが、もはや戻ることのない幼い頃の記憶と結びついていれば、なおさらだ。どんな者も過去を取り戻すことはできない。万能に思える魔法でも、蘇生や時間操作系は極めて困難だ。

「安らかに……そして、あたしを見守っていてね、お母さん」
 言い終えると、リンローナは口をつぐみ、もう一度、両手を組んだ。今日最後の光線――西の空の低い場所から紅の炎が投げかけていた――が、ろうそくの炎を吹き消すように滅して、辺りは静けさの奥底で新しい、清らかな夜を迎えようとしている。
「安らかに」
 ケレンスも真面目な表情で、祈ることに没頭し、手荒れのひどい五本の指同士を絡めて瞳を閉じた。夕暮れの風の吹き流れる音が耳元に近い場所で聞こえ、頬の産毛を撫で、微かに薫っている。空気は乾燥しているはずなのに、口を開けると気持ちがいい。何も見えないが、風の動きは手に取るように分かる。

 草を踏む足音が聞こえ出し、二人はほとんど同じ間合いで振り返った。振り向くと、リンローナの姉のシェリアが立ち尽くしていた。二人とは少し距離を開け、やや堅い表情の顔を上げて。


  2月25日− 


[いつの日か(5)]

(前回)

 風は心のカーテンを揺らし、想い出の世界を垣間見させてくれる。記憶の扉はきしみながら開き、かけらを呼び覚ます。雲間には昔の面影が浮かぶ――どんなに地上の風景が変わっても、空は、空の彩りは、空の懐は変わらない。そして空の向こう岸には、喪(うしな)われた者が行き着く天上界があるはずだ。
 耳を澄ませば、家路についた大きな鳥たちの低い啼き声に混じって、遠く色褪せた言葉の断片がふっと聞こえたような気がした。話ではなく、それどころか意味のある単語ですらない。寄せては返す故郷の波のように、消え入りそうなほど掠れ、何度も空耳だと思ったけれど――その後には再び現れ、ほんの少しだけ近づいたりもした。本当に聞こえたのか、頭の奥で古傷が疼いただけなのか。その答えは、やはり雲の果てほども遠い。

 沈みゆく光の軌跡を追っていたリンローナの草色の瞳は、ごく微かな憂いを秘めていた。自身の夢だけを夢見る者とは明らかに異なる、生気に満ちた強い眼差しで、ひどく大人びていた。いつしか隣に立ち尽くす少女の双つの宝石に惹かれ、捉えられ、射抜かれて、ケレンスは吸い込まれそうな引力を感じていた。
 夕陽に照らされて赤々と燃える頬も美しい。まばたきも惜しんで覗き込んでいると、真っ直ぐ前に進んでいた相手の視線の向かう先がふと横に逸れ、僅かの時が過ぎ、重なって合わさる。

「ごめん、思い出させちゃった?」
「あ……?」
 目の前に、見慣れているようで見慣れていない、聖術師の顔がある。我に返ったケレンスは、急に恥ずかしさを覚えて、こうべをもたげた。早春の冷たい夕風が爽やかに舞いながら通り過ぎても、顔の火照りが取れていないことが分かる。一時は、亡くした母のことを完全に忘れていたことに気づいて、ケレンスは歯の隙間からゆっくりと長く息を吐き出した。肩の力みが抜ける。
「いや、別に構わねえよ。たまにはな」

 少年の話が途切れても、リンローナはすぐには答えない。決して焦らずに相手の言葉を受け止め、噛みしめ、それが魂の深井戸の底に沈んだのを確かめてから、落ち着いて語り始める。
「そうだね。たまには、振り返ってもいいはずだよね……」
 形のいい唇から、淡々と想いが湧いた。以前の彼女ならば熱い涙を流したかも知れないが、今はもう泣く兆しさえなかった。
「それぞれの物語、それぞれの昔話。とても遠い日のことを」

 草が波となり、海とは違う緑の和音を奏でる。幾筋もの雲は移動し、太陽は山の端に沈みかかっていた。夕食の準備に引き続き精を出す仲間たちはそう遠くない場所にいるはずだが、様子を察してか呼びに来ない。森の大陸に二人だけ取り残されたような、いつにも増して圧倒的な質感の巨大な薄暮だった。


  2月24日− 


[現想断片]


 帰り道、

 行きつけのスーパーで

 新米のレジ係の女の子を

 また見かけた


 先週、

 長い行列が出来ていたことを

 思い出した


 今日は誰も並んでいない

 歩み出て、カゴを差し出す

「いらっしゃいませ」


 実習生のワッペンもそのまま

 時間がかかっても、仕方ないな


 ――次の刹那、

 僕は目を見張った

 先週よりも、彼女の動きは

 格段にスピードアップしていた


 お金を払うと

「ありがとうございました」

 僕は小さく

「どうも」


〈みんな、こんな風に

 仕事に馴れていくんだ〉


 当たり前だけど――

 何だかうれしくて

 元気が出た。


 彼女を心から応援しながら

 スーパーの袋を提げて

 僕は家路を急いだ。

 


  2月23日− 


[彷徨う季節に]

「レフキル、いつもありがとうですわ」
 同い歳のサンゴーンは、前触れもなく、たまに変なことを言い出したりする。あたしは驚いて、妖精の血を引く、やや長い耳を立てた。あたしの緑みを帯びた銀の眸(ひとみ)も、大きく見開かれているんだろうな。あたしたちの間の空気が凪いでいる。
 それはとてもうららかで暖かな、南国の早春の昼下がりの出来事だった。昨日の嵐がくすんだ空気を掃除してくれたので、 空は真っ青に冴え渡り、海の向こうの大陸がはっきり見えた。
 南国の春は、斜め上から降り注ぐまぶしい日差しと、止まることを知らない若くて強い風が運んでくる。野原から春の芽の薫りを乗せて海へたどり着いた潮風は、弧状列島を越え、遠浅の青緑の海に波紋を投げかけて、遙か北の方へと飛び去っていく。
 ――あの風に触れれば、あの風が届けば、春がやってくる。あたしが見たことのない〈雪〉っていうのも、溶けるんだろうな。
 もし、あの風に乗れたら、全部の春、あらゆる草木や花や虫や動物の目覚めを見守ることが出来る――なんて思ったりもする。そんなことは現実には無理だけど、想像してみるのは楽しい。まぶたを閉じて、闇の舞台に風の絵筆の穂先を当てて動かせば、やがて心に花開いたもう一つの世界は春色に塗り替えられる。目を開ければ、あたしはずっと軽やかな気分になれる。

 頬や額は汗ばんでいた。あたしはほんのちょっぴり困惑気味に、けど心配しすぎないように注意して、サンゴーンに訊ねた。
「どうしたの? 急に」

(続く?)
 


  2月22日− 


[世界の一つの捉え方]


 指先が生き物のように、蝶のように舞い続ける

 それは音のない和音か、ひそかな夢の名残か

 手早く、軽々と、しかも芸術的に糸を紡いでいる

 天の果てから、次々と銀と金の糸が降り注いでくる


 しなやかに長く、色白の人差し指と中指を絡めて

 瞳を閉じ、楽しそうに、わずかに口元をほころばせ

 風に運ばれ、波のように揺れながら、右へ左へ

 途切れそうに細いけれど、途切れることはない

 それを編んでいる乙女らは、髪の長い月天女――


 音の糸、水の糸、風の糸、そして光の糸がある

 木々の香りの横糸に、交わるのは温かい涙だろうか


 彼女たちが精魂込めて丹念に織り上げた服を

 知らずに着ているのは、誰だろう――?
 


  2月21日△ 


妖精の島の小妖精リッピー、かく語りき]

 迷ったら、やってみる。

 たいがい、これで上手くいくのさ。
 


  2月20日○ 


[天音ヶ森の鳥籠(15)]

(前回)

「鳥は、唄って、さえずって、飛び回ってりゃァいいのさ!」
 あからさまに怒りと侮蔑とを含んだ声が、まるで夏の強い光が射るかのように降ってきた。相手が精霊だからか、その声は耳で捉えるのではなく、頭に直接響いてくるような感覚があり、シェリアは額を押さえて顔をしかめる。彼女が精神を鍛えた魔術師だと言うことも、精霊の声を敏感に捉えてしまう要因の一つなのかも知れなかった。さっきのひどい頭痛は消えたばかりなので、脇の下や背中は、重い冷や汗でじっとり湿っている。
「こら、大声を出すんじゃないよ……」
 肉体がなく、精神と魔力だけで出来ている精霊たちは、余計に仲間内の思念の波動が増幅して聞こえるようだ。叫んだのと別の精霊は、心底参ったように弱々しい声を発するのだった。
(あいつらって案外、子供っぽいのね)
 シェリアは内心、ほくそ笑むのだったが、相手に悟られぬよう精神の警戒は決して緩めない。土の地面に手の平をついた姿勢でしばらく待っていると、闇の遠くから再び精霊の声がした。
「夏祭りで、歌を披露してもらうのさ。僕らの〈鳥〉としてね」
「へぇー、あんたたちも夏祭りをやってんのね」
 シェリアはだいぶ冷静さを取り戻し、驚いたふりをして相づちを打った。交渉時の、押したり引いたりの駆け引きは、いつも渉外役のタックや、第一印象の良いリンローナに任せており、シェリアはむしろワガママを言って足を引っ張る方なのだが――真剣にやれば意外と好きなことに、今さらながら気づくのだった。
「村のやつらの方が、僕らと同じ時期に真似したんだよ。妙な儀式をしなきゃと思い込んでるおかげで、天音が森には歌の上手い小鳥が紛れ込んでくれるから、僕らにとっちゃ助かるけどね。僕らは、歌の上手な小鳥を飼うのが、とっても好きなんでね」
 今度は自信家らしい精霊がやや低い声で語った。とっさにひらめいたシェリアは、今度は敢えて相手を褒める作戦に出る。
「へーえ。魔力の強いあんたなら、村人に〈妙な儀式をしなきゃ〉と思い込ませることなんか、簡単すぎるのよね……きっと」
「そりゃそうさ。実際に、そうしてるんだか……」
 さも嬉しそうに喋りまくる声を制し、別の精霊が釘を刺した。
「こら、何を言ってるんだい!」


  2月19日− 



時間を追い越し

時間に追いつかれ――



そしてまた、春が来る

 


  2月18日− 


[いつの日か(4)]

(前回)

「お袋のこと、思い出してたんだろ?」
 壊れ物をそっとつつみ込むような話し口で、金髪の少年は言葉をかけた。互いに勘づいていたことではあったが、敢えて声に出すことで緊張が自然とほぐれ、心の距離は縮まってゆく。
「うん」
 リンローナは一呼吸置いてから応えた。彼女が返事するや否や、ケレンスは〈俺もな〉と付け加え、そして声に出さず唇の形を和らげた。視線だけは全く変わらず、真剣そのものであった。

 二人の、それぞれ〈母〉と呼べる人は、もう地上界には現の姿をとどめていなかった。同じ種類の痛みを味わい尽くし、自分なりに乗り越えてきた彼らの、祈りの彩りはとてもよく似ていた。

 リンローナは普段の元気な少女の調子とは異なる、少し蔭のある声――暗くはないけれども、鮮やかな明るさは失われた、頭上で燃えるあの夕映えの空に似た声――で、淡々と語る。
「きれいな夕焼けだね。悲しいくらいに」
「……ああ」
 相手の言葉を噛みしめ、遅れて相づちを打ったケレンスは、瞳を堅く閉じて思いきり息を吸い込んだ。横隔膜が下がるのを感じつつ、しばらく息を止め、吐き出しながらまぶたを開いてゆく。

 遠い山並みが漆黒のシルエットになっている。近くに見える森の木々、その枝先が細かく分かれている様子は、何もかもが暮れかけた黄昏の境界線で、浅い夢のごとく浮き出して見えた。
 丈の低い草が茫々と茂る草原を、風の旅人は今日も駆け抜けてゆく。リンローナは肩をすぼめたが、その顔は澄み切っていた。このくらいの冷たさがちょうどいい――とでも言いたげに。


  2月17日− 


[一番あったかい暖炉について(3)]

(前回)
 
「ねむ、朝ご飯、ちゃんと食べてる?」
 サホが訊ねると、リュナンはどぎまぎしながら目をそらした。
「うん、ちょっとは……」
「だめだよ、この暖炉は、食べ物が一番の燃料なんだから!」
 地毛の赤みがかった髪を朝の風になびかせて、さっそうと歩きながら、サホは空いている方の手で胃の辺りを指し示した。
「サホっち、お父さんとお母さんと同じこと言ってる」
 ぼやいたリュナンは、ややうつむき、足下の石畳を見つめながら呟いた。弱い口調で、少し口を尖らせ、言い訳を始める。
「だって、朝からたくさん食べると、気持ち悪くなるから……」
「ちょい待ち。いいもんがあんの!」
 サホは肩に掛けていた布の鞄を持ち上げ、歩きながら左手で内側の留め金を外し、その中から茶色の紙袋を器用に取り出した。ほとんど消えかけた微かな香ばしさが微かに現れ、漂う。
「ハイ、これ」
 笑顔とともに、サホは友の目の前へ茶色の袋を差し出した。
「え?」
 半信半疑の様子で受け取るリュナンを、サホはすぐに促す。
「開けてみれば分かるって!」

 言い終わるや否や、十五歳の赤毛の少女の健康的な身体が、空腹を告げる低音を鳴らした。さわやかな朝の空気の中、それは一緒に歩くリュナンにも聞こえるほどの大きさだった。
「起きてから、時間なかったから、途中で買ってきた」
 さすがに恥ずかしかったのか、サホはそっぽを向く。横顔は勝ち気な普段と裏腹に、はにかんだ微笑みだった。くすんだ赤い前髪が港湾地区の方から流れてきた潮の香と混じり合い、さらさらと空気の流れに合わせ、蝶の羽のように舞い踊っていた。


  2月16日− 




桃橙にぼんやりともる

あの橋の明かりを

絶対零度で凍らせて

粉々に砕きたい




硝子の電球を叩き割れば

ほんの一瞬だけなら

僕にも見えるかな




本物は見たことがないけれど

きっと、きれいな蛍になるだろうから




息を潜めて立ち止まる、時のはざまで

 

時のはざまで
 


  2月15日− 


[いつの日か(3)]

(前回)

「届いた届いた。きっと、な!」
 確信に裏打ちされた口調でケレンスが言うと、隣でリンローナはくすっと笑い、頭一つぶん高い相手を見上げ、首をかしげる。
「へぇー、自信あるんだね」
「間違いねえ」
 太陽の赤い輝きと、それから目を離した時の残像を交互に見ながら、切なる希望を既成事実化するため、ケレンスは胸を張って断言した。彼の瞳は天の一番星のようにきらめく。戦いの際には鋭くも非情にもなる眼光には、今や心から自然と溢れてきた清らかで穏やかで澄みきった気持ちが見え隠れてしていた――夕暮れの空にいよいよ溶け出した、夜の粒子のごとくに。
 並んで夕日を見つめるリンローナも、彼の励ましを聞き、身体と魂の無駄な力みが抜けてゆく。時折強く押し寄せる故郷の波のごとく訪れた、遠い哀しみはほぐれ、しだいに彼と良く似たまなざしに変わってゆく。瑞々しく艶やかな頬は、春の野のささやかな白い花のつぼみを彷彿とさせ、優雅にほころんでいった。

「ありがとう」
 口をほとんど動かさず、そっとつぶやいたのはリンローナだ。ケレンスは〈自分自身を励ます〉以上に、まずは〈リンローナを勇気づける〉ため、あれほど自信たっぷりの台詞を繰り返している――そのことにリンローナは何となく勘づいていたのだった。
 他方、ケレンスは聞こえないふりをして、軽く腕組みをし、まっすぐに遙かな一番星を見上げている。横顔には充実感と寛容さ、あまたの懐かしさと、ほんの僅かな陰とが含まれていた。

 悲痛と紙一重のところで、二人は穏やかな気持ちでいることができた。手が届きそうで届かない一番星に帰らぬ時間を、夕焼け色に染め上げられた雲間に昔日の面影を重ね合わせて。


  2月14日− 




 大木は、決して手抜きをしない、地道で頑固な玄人職人

 あんなに四方八方へ、繊細な枝を伸ばしているのに

 不思議とバランスが取れている



 大空は、気まぐれで放浪癖のある芸術家

 青系の絵の具だけで塗りたくる日があれば

 驚くほど透明に近い雲の吹き流しや、重ね絵を披露する



 さて、あなたは?

 

大木と大空
 


  2月13日○ 


[都に来た旅人の手記]


 おいら、冬のパンジーが好きやねん。

 色の失われた季節で、

 つつましく、しかも鮮やかに咲いとる。

 花のリレーは、清楚な村娘の白梅へ、

 そんで都会の華麗な美少女、桜へと受け渡される。


 おいらだって、花を持っとる。

 まだつぼみやけどなァ。

 誰しも、花の種を持って生まれる。


 生きている限り、この花は枯れん。

 しおれたって、心の肥料がありゃあ、また咲けるねん。


 遅いなんて、ありゃせん。

 どんなとこでも、どん時でも。どいつでも。

 花を咲かせられる。


 ほな、咲かせようじゃねェか。

 


  2月12日− 


[雲のかなた、波のはるか(18)]

(前回)

 もう一刻の猶予もなかった。激しい嵐を思わせる荒い波や水しぶきが絶え間なく散って、揺れ動き、飛び跳ね、狂い踊る。
「しっかり!」
 河の上と河の中――二人の少女を決定的に分かつ混乱の極みの渦に飲み込まれかけても、レフキルは決して最後まで諦めず、轟音を突き破る大声で呼びかけた。それは友の意識を繋ぎ止めるのに加え、結果的に自分自身をも鼓舞することとなる。

 覚悟が決まった。妖精の血を引くレフキルは、ほとんど直感の領域で判断した。次の刹那、素早く傘の上にうつぶせで寝転がる。徐々に身体を前にずらしながら、両足を傘の柄に絡める。
 さかさまになって流れる黒い傘を無理矢理、浮き板の代わりに使いながら、下着姿の上半身を腹筋の力で起こし、水に向かって仰け反らせた。そして脱いだ服をしっかりつかみ、極限まで腕を伸ばす。二つの瞳には常に、波間に消えては現れるサンゴーンの銀色の頭を捉えている。塩辛い水が叩きつけるように弾け、目や口や鼻に入ったが、もはやそんなことを気にする場合ではなかった。この水の流れを離れれば、あとは大地に叩きつけられるまで落ちるばかりだ。緊張感と集中力は極限まで高まり、視野は急速に狭まるが、そのぶん、ささいなことでも見逃さない。時間が濃縮されて、進み方が遅くなったように感じる。
 足が吊りそうになっても、腹筋や腕が痛くなっても、友達を助けたいという純粋な強い気持ちが助けてくれた。再び、叫ぶ。
「サンゴーン!」

 いよいよ水の流れは塔を取り巻くように曲がって、うねりは一層ひどくなった。遠心力が強まり、無情にも友の手が遠ざかる。普段は泳ぎの得意なレフキルでも、この荒れ狂う天の波の中ではさすがに自信がない。頭は冴えている――サンゴーンの祖母の形見である大切なこうもり傘を守りつつ、サンゴーンも助けたい。むろん大事なのは傘よりもサンゴーン当人だが、引っ張り上げた後のことを考えれば、傘がないと休むことが出来ない。今やレフキルは、とても困難で孤独な闘いを強いられていた。

 ――いや、孤独ではなかった。
「レ……ウぅ!」
 流され続けた華奢な身体のサンゴーンは、レフキルの励ましの声を確かに聞き、今にも空に振り払おうと押し寄せる水の瀬戸際で、親友のもとへ近づこうと死に物狂いで藻掻いていた。
「こっち! あと少し、頑張れ!」
 レフキルの双眸に希望の炎がともる。がぜん、やる気になった青いスパッツの南国娘は、天を駈ける海からサンゴーンを釣り上げるため、服をつかんだ腕をさらに伸ばした。血液の流れがおかしくなり、水温の影響も受けて、指先はしびれていた。

 と、その時――。
「あああっ!」


  2月11日− 


[一番あったかい暖炉について(2)]

(前回)

「それはね、あたいだよ」
 サホはいたずらっぽく笑うと、自分の心臓の辺りを指さす。
 その時、北風が通りを駆け抜け、話は途切れた。さすがのサホも背中を丸めるほどの底冷えの流れで、リュナンの方はうめき声をあげながら斜め下を向いた。顔だけはどうしようもない。
「うぅぅ〜」
 それが済んで一段落すると、リュナンは歯の隙間から溜めていた息を吐き出し、半信半疑の口調で友に訊ねるのだった。
「あの……サホっちって、暖炉だったの?」
「へぇ?」
 思わず、サホがすっとんきょうな声をあげると、取れたての新鮮な野菜を売っている八百屋の中年男が驚いて振り向いた。
 混乱した頭の中を片づけながら、サホは笑うような怒るような、呆れるような情けないような顔で、こう説明するのだった。
「違う違う、ほんとに暖炉じゃなくて……うーん、例えだよ。つまり、自分の身体(からだ)が、暖炉の代わりなんだってこと!」

 リュナンはしばらく瞳を瞬きつつ、友の言葉を噛みしめ、理解しようと努めていた。その間、サホは色々なことを補足説明したくてウズウズしていたが、相手の答えを我慢して待っていた。
「そうなの?」
 ようやくリュナンは簡素で曖昧な返事をした。が、たったそれだけでは悪いと思ったのだろうか、すぐに質問を重ねてみる。
「ねむちゃんの身体の中にも?」
「そう。誰の身体の中にも、暖炉はあるんだから。部屋をあっためるのも一つの手だけどさァ、内側からが一番、効くんだよ!」
 サホはしだいに、普段通りの冷静さを取り戻し始めていた。


  2月10日− 


[一番あったかい暖炉について(1)]

 子供たちが割って歩いたのか、水たまりの氷は粉々に砕かれていた。その破片が朝の光に瞬いている。ひときわ背が高くて目立つ一本松の影が小さな広場に長く落ち、伸びている。
 古いけれども歴史を感じさせ、がっしりと無骨に、三階建ての木造の商店が並んでいる。塀も庭もなく、通りに面してすぐに両開きのドアが見え、パン屋や八百屋など、いくつかは開いていて活気があったが、乾物屋や雑貨屋などは閉まっていた。どの店も正面の窓は広く、営業中は中の様子が伺えるようになっていた。店と店の間には狭い路地があり、その背中に囲まれたささやかな共同庭園へと続いている。看板には、それぞれの店を端的に示す絵入りのマークが描かれ、意匠が凝らしてあった。

「寒いよぉ」
 もやの消えかかったズィートオーブ市の旧市街を歩きながら、しきりに身を縮めているのは、十六歳のリュナン・ユネールだ。やや痩せて、貧弱なリュナンの身体は、今やコートやマフラー、帽子や手袋の厳重装備で着ぶくれしていた。顔色は白っぽく、金の髪はきちんと結ばれているものの、あまり艶がなかった。
「大きな暖炉で、町中を暖められればいいのになぁ」
 居眠りが多く、いつしか〈ねむ〉という愛称をつけられたリュナンの浅葱色の瞳は、とろんとして夢から醒めきっていない。ぬくもりの残っていたベッドを恋しげに思い出しているのだろうか。

「ならさぁ、ねむ、一番あったかい暖炉、知ってる?」
 肩から布製の鞄を提げ、歩きながら胸の辺りをドンと叩いたのは、赤毛の同級生サホ・オッグレイムだ。長袖に長ズボン、コートという冬らしい格好はしているが、生地はどれも薄手だった。肌はうっすら日焼けし、手足の肉付きも良く、健康そのものだ。


  2月 9日△ 


[いつの日か(2)]

(前回)

 二人の視線が寄り添い、一瞬ののちにしっかりと重なり合う。少女の穏やかな表情を捉えたケレンスの顔も、自然と和らぐ。
 ケレンスはまぶしそうに額へ手をかざし、斜めに夕焼け空を仰いだ。虹の橋のように細く連なる雲は赤々と染まり、山は燃えている。枯れ木の広葉樹の森は、遙かに遠ざかった秋の記憶をたどるかのように、鮮やかな紅葉を確かに繰り広げていた。
 家路を急ぐ鳥の声が、天空から大地に渡って、蕭々(しょうしょう)と響いている。リンローナは光の降り注いでくる方へ振り向いた。そしてしばらく二人は並んで今日の夕日を眺めていた。

「あっ」
 突如、叫んで空の高みを指さしたのは、リンローナだった。
「一番星」
「どこに?」
 ケレンスは即座に訊ねた。他方、リンローナは場所を詳しく説明しようと思い、目標になるものを探し始める。だだっ広い空の住所を決めてゆく作業は難しいけれど、とても優雅で楽しい。
「ええとね、あの平たい雲の……」
 だが、たいがいの場合、目のいいケレンスはリンローナが説明し終える前に、お目当てのものを自ずから見つけてしまう。
「あったぜ。あれだろ」
「なーんだ」
 けがれを知らぬ十五歳の少女は、ウエスタル族に独特の音調で、あっけない幕切れを受け容れて――ぽつりとつぶやく。
「お祈り、届いたのかなぁ?」


  2月 8日△ 


[空はみている]

街に電気の明かりがともり

空には星の明かりがともる


空のかなたの一番星(写真の右上)
 


  2月 7日○ 


[いつの日か(1)]

「あ……」
 振り向いたリンローナは小さく驚きの声を発したが、次の刹那、慌てて手で口を押さえた。自分のすぐ後ろに、いつの間に現れたのか、二つ年上の十七歳のケレンスが立っていたからだ。彼は、さっきリンローナがやっていたのと同じように、軽くうつむいて瞳を閉じ――声に出さず、祈りの言葉を呟いていた。
 長旅でやや日焼けしたリンローナの横顔は、正面の山裾から降り注いでくる西日を受けて橙色に染まっている。ケレンスの金の髪も、光の糸で編んだかのように、きらきらと輝いていた。
 祈りを捧げるケレンスを見ていたリンローナの、頬に現れていた真剣さがふっと緩んで、和やかになった。草色の瞳は慈悲の心に満ち、優しく細められた。光の当たっている背中が温かそうだが、冬から春にかけての黄昏は昼間とは打って変わって肌寒い。風も出始め、少女の薄緑の前髪が微かに揺れていた。
 やがて祈りを終え、ケレンスは顔を上げてまぶたを開いた。


  2月 6日○ 


[天球と地平線]


 空が落ちてきました。

 くだけた灰色の粒が、

 音もなく、淑やかに。



 温かいものは軽く、

 冷たいものは重いのです。



 真冬になり、目方を増して、

 支えきれなくなった雲の大陸は、

 壊れながら雪を降らせます。



 重くたれ込めた空から、

 重すぎた雪が、次々と舞い降ります。



 あんなに軽そうに見える粉雪でも、

 雲に比べれば、うんと重いんでしょうね。



 そして無数に降り積もり、

 地上に、雲の大陸の似姿を形作るのです。



 自由を失い、踏みにじられ、黒ずんで。

 彼らは、どんな気持ちで、

 遠く離れた故郷を見上げるのでしょう――。



「もうすぐ、春が来るから」



 そして迎えた次の季節、

 雪は軽くなって空に還ります。

 苦しみも、想い出も、清く蒸発させて。



 あなたも。

 寒い場所から温かい場所へ来た時、

 身体が軽くなったような気がしませんか。



 もうすぐ、春が来ます。

 そして必ず、いつの日か、最後の春も――。

 


  2月 5日− 


[時の河原で(4)]

(前回)

「えっ? ぎゃあっ!」
 と答えた時、彼は藪の中に突っ込んでいた。立ちはだかる木を避けるため、頼りない脇街道は右へ急激に舵を取っていた。

 腰と尻を突き上げた情けない格好で、ミラーはもがいた。手の平には幸い、厚い手袋をはめていたので、怪我はないようだ。
「大丈夫? やりすぎちゃった?」
 シーラがやってくるが、言葉とは裏腹に、口調はあまり心配そうではなく――それどころか、あきれた感じさえ含まれていた。
 他方、ミラーはようやく足に力を込め、手で藪を押し返し、勢いを付けて立ち上がりかけていた。のしかかり、下へ押しつけようとする背中のサックの重みに抗い、身体は徐々に起きていく。
 それを見ていたシーラのいたずら心が、大きく揺さぶられる。

 そして、もう次の瞬間には――。
「大丈夫?」
 と聞きながら、再び魔術師の黒いマントを押し出していた。
「うひゃ……」
 ミラーは怒るよりも苦笑いの表情で、もう一度、藪へ前のめりに倒れてゆく。曲がった堅い草が痛々しい音を立てて折れた。

 じゃれ合ったり、口論すること――それはお互いに疲れると分かってはいたが、長い道のりで滅入りそうになっていた気分転換の役には立つ。ミラーにはそれを知っていたので、本気で怒る気は毛頭なかった。暗黙の了解で、けんかを楽しもうとする。
「シーラ、ちょっとひどくないかい?」
 身を藪に任せたまま、起きているとも倒れているともつかない情けない姿勢のミラーは、同い年の恋人を見上げ、少し恨めしげに呟いた。相手の命運を握ったシーラは斜に構えてさっそうと腕組みし、あくまでも強気に、威圧的に――それでいて、どこかしら嬉しそうに、おちゃらけて、しかも色っぽく訊ねるのだった。
「起こしてあげよっか〜?」
「起こす代金を取ろうとするんだろう?」
 ミラーはぽつりと答え、自力で起き上がろうとした。引き際をわきまえているシーラは、しつこく邪魔することはない。今度は驚くほど素直に手を貸し、ミラーを引っ張りながら独りごちた。
「なんだ、バレてたんだ」

 空は相変わらず曇っていて、底冷えがした。風が強く。川は果てしないほど長く続いて、大きく曲がり、先は見えなかった。
 それでも確実に川幅は狭まってきている。地元で買った地図によれば、もうすぐゼム河はガルア河に合流し、その付近に物資の中継地点となる村があるはずなのだ。船着き場で乗せてもらえば、河口の大都市、センティリーバは遠くない。特に冬の船は、風さえ荒れなければ陸を行くよりも断然速いし確実だ。

(時間が進んで、しだいに距離は近づいてくる……)
 ミラーは歩みを止めぬまま、ひそかに考えていた。
(僕らもまた、時の川に寄り沿って進む旅人かも知れない)

 雪がひとひら、はらりとこぼれ落ち、地面に溶けて消えた。

(おわり)
 


  2月 4日− 


[誰かが]

或る朝

誰かが

〈翼の生えた白いクレヨン〉

を手に

夢中で

青いキャンバス

に 

斜めの線を引いてゐた。

飛行機雲
 


  2月 3日△ 


 電灯がチカチカ瞬く、宵の道を歩いていると、

 白っぽい猫が、路地裏から顔を出した。

 驚いて腰を引き、恐怖に凍りついた瞳を見開いて。

 ――その哀れな眼差しから、そっと視線を背ける。

 懇願するような双眸を忘れたくて、早足で立ち去る。

 伏し目がちに進んでも、闇の中で猫の彩りは深化する。

 だって、あの猫が私じゃないって、どうして言えるの?
 


  2月 2日− 


[立春]

 天気予報士は口を揃える

「暦の上では春が来た」

 ――けれど、二番目の月は、とてもいたずら

 暖かい日を続け、油断させたかと思えば

 時間を逆回し、雨雪を降らせ、冷たくあしらう

 気圧配置は西高東低、雨水、如月、三寒四温――
 


  2月 1日− 


[誕生日]

 あたし、また旅先の町で誕生日を迎えたんだ。

 あんまり成長してない気がするけど……背丈だって、ほとんど止まっちゃったしね。でも、ちょっとは新しいことに気づいたよ。

 こうして、また無事に誕生日を迎えられたのって。
 ほんとに、ほんとにほんとに……。
 周りのみんなのお陰なんだってこと。

 だから、あたしの方でもプレゼントを用意してみたんだ。

 お姉ちゃんは「そんなことするの、あんたぐらいよ」って。

 でもね……。

 お姉ちゃんには数えきれないくらい助けてもらったし。

 ケレンスも、ルーグも、タックも……。

 誕生日を迎えられたのは、みんなの支えがあったからだよ。

 もちろん、近くの人たちだけじゃなくて……。

 あたしが生まれたのは、お父さんとお母さんが結婚したからだし、生きてこられたのは食べ物を作ってくれた農家の方々のお陰だよね。相談に乗ってくれた友達とか、先輩たち、先生方。近所の人たちとか。モニモニ町からメラロールまで運んでくれた船乗りの人たち、街道や橋を整備してくれた人たちまで……。

 例えば橋にしたって、通る人の歓声の陰で、新しい橋を架けてくれた人たちの力があったことを忘れちゃだめだと思うんだ。ずっと覚え続ける必要はないけど、何かの機会に思い出せたら。あたしはもっと、穏やかな気持ちになれるような気がする。

 今日。

 みんなは誕生日を祝ってくれたけど……。

「おめでとう」

 でも、あたしは、心からお礼を言いたいな。

 こういう機会だからこそ、みんなに。

「ありがとう!」
 
「……そして、これからも、よろしくねっ」
 






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