2005年 7月

 
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2005年 7月の幻想断片です。

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  7月31日− 


[夜風 〜森を越えて]

 夜の深まりとともに蝉の声はいつしかやんで、早くも秋の虫の声が響いています。彼らの不思議な音色の音楽は、強まったり弱まったりを繰り返しながら、しじまの夜の森に響いています。
 夏の真っ盛りでも高原の夜は涼しく、穏やかな闇につつまれて、全ては緩やかな眠りへと移ろってゆくのです。簡素な木の椅子に腰掛け、薄暗いランプの光の中で本を読んでいた私は、本を閉じて立ち上がり、歩みを進めて、窓辺に向かいました。

 会話しているかのような、鳥の唄のような夜風が、虫の声の間を縫って、まるで手招きするかのように軽やかに入り込んできます。その風には、きたるべき秋の予感がいっぱいに詰まっていました。私は眼を閉じて、その麗しの夜風を少し浴び、鼻から吸い込みます。木々から流れ着く風は、どうしてこんなに清々しく、涼しいのでしょう。夜の風は闇の中で見えないけれど、その流れ、その動き、その言葉は昼間よりむしろ鋭敏に感じ取れるようです。視力が閉ざされた分、感覚が鋭くなるのでしょう。
 瞳を開けば、窓を閉じる時間です――このままでは風邪をひいてしまうから。そして私はベッドに赴き、一日が終わります。

オーヴェル・ナルセン

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

2005/07/30
 


  7月30日△ 


[シルエット]

 白黒をつけた
 輪郭もはっきりした

 だけど、場所は曖昧になり
 雰囲気は幻想的になる
 影絵の不思議

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

2005/07/30
 


  7月28日△ 

  7月29日− 


[夏の渚の真夜中に(2)]

(前回)

 その半月の小舟は、闇夜という名の広大な海に、いま漕ぎ出したのだ。人々は息を飲み、辺りの心地よい緊張は深化する。
 そこに染み渡ってくる明かりは、まるで音を潜めた麗しの調べ、しぶきのない波のように、辺りを不思議に塗り替えてゆく。
 その流れは蚕の糸のように繊細で、雲のごとくに柔らかい。淡く優美な輝きは少しずつ膨らんでくる――幻か、満ち潮か、海の向こうのどこか遠い街角から届けられる伝言のごとくに。

 光。
 突如、それは生まれた。
「あっ」
 誰かがひそやかな歓声をあげる一瞬の間に、浜辺で何かを待っていた人々は、その微かに灯る新しい光に気づいていた。
 下弦の月の訪れこそが、全ての始まりの合図であった。

 黒い海の波打ち際に、薄桃色の明かりが灯ったのだった。
 幻覚ではない。人々の視線はその一点に注がれる。
 真昼の春の野に咲く新しい花の、意思を持ったかのようなきらめきと、華やかな中にも郷愁を誘う鮮やかさ、強い生命力だけを抽出して夜というなの花園に移し替え、夢と幻という二枚の薄い布でくるんだかのように。美しいほどに儚い灯火だった。
 

 と思うと、それはあちらでも、また別の方でも――。
 色彩も、鮮やかな黄緑、黄色、紫、濃い青など様々だ。
 それらの輝きが、まるで遥か彼方に輝く冴えた夜空の星や、あるいは心臓の鼓動ででもあるかのように、ひどくゆったりと明滅している。それは〈想い出〉がぼんやりと輝きだしたかのような、鮮やかで優しく、しかもどこか懐かしく寂しい瞬きだった。
「あっ」
 これまでは浜辺に座り込んで、落ちてくるまぶたと静かに格闘していた子供たちだったが、今度の変化にはついに歓声をあげて指を伸ばす。彼らは漆黒に沈む海をてんでに指し示した。
「ほら、あそこ」
「光った、光った!」
 銀色のようでもあり、また確かに金色も含んでいる月光が、遠浅の浜辺に寄せる波を照らし出した、まさにその瞬間に――。

「来たわ」
 うっすら瞳を潤ませて、孫の手を握った初老の女が呟いた。

(続く?)
 


  7月27日△ 


[夏・蒼・空]

「お空も、水浴びがしたかったんだね」
 五歳ほどの男の子が、まるで秋のように真っ青な朝の夏空を指差してあおいだ。雲が次々と割れて、隠されていた陽がその姿を現せば、まばゆい日なたが生まれ、それとともに木々や建物の陰は通りに色濃く落ちる。やはり秋とはまったく違う種類の、力強く神々しい輝きが、どこかゆうべの雨を彷彿とさせるように、滝のごとくに町のすべてへ分け隔てなく流れ注いでゆく。
「ほら、あんなきれい」
「そうね、きれいね」
 男の子の手を引き、背中にはさらに幼い長女を背負った母は空を見上げて一瞬立ち止まりかけたが――すぐに優雅に前を向き、水たまりの残る道をやや足早に歩いてゆく。公園には折れた木の枝や落ちた葉が散らばり、ゆうべの嵐の無数の名残となって、今や静かに横たわり、穏やかな風に吹かれていた。

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

台風一過(2005/07/27)
 


  7月26日− 


[光の舞台へ(6)]

(前回)

 確かに、それは〈光の舞台〉と呼ぶにふさわしかった。
 少し遅れて、シルキアは斜め上を仰ぐ。水底の魚が水面を見上げるのときっと同じように、憧れと望みを込めたまなざしで。
「うん」
 彼女の琥珀色の髪を揺らす風が吹けば、辺りの日陰の模様や雰囲気は、一瞬にして様々な人々や遠い街角を描き出す。

 木々の梢に遮られても、輝きの雫は絶えず降り注いでくる。風が木の葉を揺らせば、太さや流れを変じる細いきらめきの糸は、河の上流の小さな滝の一筋とも重なった。それは焚火や月明かりに浮かび上がる、夏祭りの舞台をどこか彷彿とさせた。
 もちろん、あの一晩限りの情熱と、心までもが飛び出してしまいそうな歓喜に彩られた夏祭りの舞台とは趣を異にし――六月の森の外れの〈光の舞台〉は、もっと清明なものだったけれど。

「一緒にいる……みんな一緒に」
 どんな貴族でも持ち得ないほどの素晴らしい宝石となって散りばめられた木洩れ日と、風の波に揺れ動く木の枝を見上げて、母は原初の感動に浸っていたのだろう、ほとんど無意識のような口調で語った。それは飾りのない〈気持ち〉に翼が生えて喉から飛び出してきたかのような、素直で明快な感想だった。
 娘と良く似た瞳は、今や感激で少し潤んでいるかのようだ。
「ああ。私たちも、木々も、風も、光の中で」
 父も、彼らを見下ろしている木を仰ぎ、光を浴び、その向こうに広がる青空に視線を投げかけた。蝶が舞い、虫は自由に歩き、鏡のように澄んだ池はそこに在り、蚕の繭に似たシェラーベンの可愛らしい真白の花は麗しの香りを奏で、長女のファルナは安らかに寝息を立てる。全ては何の差もなく、あるがままに。

 その時、まるで何かの挨拶であるかのように、一枚の葉がひらりひらりと落ちてきた。表と裏、光と影を交互に見せながら、それは母のスザーヌの白い帽子をかすめ、父のソルディの手をすり抜け、シルキアのズボンに触れて――最後はファルナの肩の辺りにたどり着いた。夏の迷いのない光が射し込んでいて、ファルナの服の飾りとして落ち着いた葉を浮かび上がらせる。
「まぶしいね」
 シルキアがはにかむと、それは母の表情と良く似ていた。
「うーんっ」
 一度大きく伸びをすると、次女は姉が眠っている木の幹に駆け寄り、上体を屈めて膝を曲げ、あっという間に腰を下ろした。器用に布を出すと苔むした幹に敷き、横たわる。
「すっごく涼しい……」
 姉の眠りを邪魔しない声量で、しかしその中にはたくさんの感銘を込めて、シルキアは呟いた。光と影の織りなす木陰は風通しも良く、ごつごつしているのに馴れれば最高のベッドだ。少女のまぶたはあっという間に、もう半分近くまで落ちてきていた。

「私たちも座ろうか」
 父の呼びかけに、母はうなずく。そこには恋人時代に戻った、セレニア家の夫妻の姿があった。その暖かい視線に見守られて、シルキアは夢の国との境目に足を踏み入れるのだった。

 水は皆を潤し、光はすべてを照らし出す――。
 いつまでもこのままでいてほしい穏やかな優しい休符は、微かな風の歌声とともに、その時をゆっくり刻んでゆくのだった。
 野原の鏡のような澄んだ池を構えた、光の舞台の真ん中で。

「ふ……ふふっ」
 微笑みながらファルナが寝返りを打つと、肩に乗っていた緑の葉が再び音もなくこぼれ落ちて、大地に舞い降りるのだった。

(おわり)
 


  7月25日△ 


[傷跡のメッセージ]

 なかなか上手くいかないときは
 人間だから、良くあることだ

 そういう時は身を引き締めて
 謙虚な心を取り戻し
 他人を責めず
 自分も責めず
 努力だけは怠らずに
 時がくるのを待てばいい

 ばねのように
 芽のように
 あるいは、そこまでいかぬとも

 木の陰が
 赤い日差しの中で
 少しだけ伸びたように

 いつかきっと
 伸びる時が――

 伸びる時が
 くるはずだから

 悪いこともいいことも
 たくさんあるのだ

 それがこの長い道のりの
 一つの確かな掟だから――

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

 無数に付いた
  机の傷を眺めていると
   それらが動いて
    伝言のようにみえてきた

     夕暮れ時の
      教室の中で
 


  7月24日○ 


[睡魔]

 この睡魔はどこからくるの?
 まぶたを下ろして、身体を火照らせて
 肩を重くして、頭の働きを鈍らせて

 この睡魔はどこからくるの?
 私の奥の奥底に、音もなく積み上がるの?
 それとも世界の果ての果てから、絶え間なく降ってくるの?

 どちらも正しいような気がする――
 ということは、私の奥の奥底と、
 世界の果ての果ては、繋がっているのかしら?
 


  7月23日○ 


[刹那の芸術]

 永遠を求めたくはなるけれど
 本当の永遠はないのだから……

 時間に縛られた〈刹那〉は
 哀しくも美しい

 限界を知っているからこそ
 その限界を越えたいと欲するのだから


2005/07/23 自宅より
 


  7月22日− 


[古(いにしえ)の山から]

「ここには、古代の石の城壁の跡地がある」
 彼が言った。僕はうなずいた。
 縦長に立ってゆく白雲のまばゆい、ある夏の日の丘だった。
 遮るもののない風の吹き抜ける高台からは、眼下の町を遠く見下ろせる。木陰は涼しく、山登りの汗が急速に冷やされる。
「かつての王はここから全てを見下ろし、戦の指揮をとった」
「確かにそうだ」
 僕はうなずかず、斜め上を見たまま言葉だけで賛意を示す。

 日差しはとても明るく、太陽の方を見ると全てが真っ白に見えた。それは射るように熱いのだったが、不思議なことに、あの冷たく冴えた雪の日を思い起こさせるような、清廉な白さだった。
 朝日はだいぶ登り、草は蒸している。晴れた空は他のどの季節よりも目立ってまぶしく青く、男性的な力強さに溢れていた。
 遙かな下を川が流れ、来た道を目で辿ることが出来る――。
 


  7月21日− 


[夏風(1)]

 カーテンが微かにそよいでいる。
 夏の野原を越えてきた風は、丘の中腹に立つ一軒家の窓へと迷い込み、反対側から速やかに抜けてゆく。部屋のテーブルに開いて置いてある本のページが時々進んだり戻ったりした。
「ええと、緑の葉を磨り潰して……」
 窓を開け、独り言を呟きながら作業をしているのはテッテだ。

(続く?)
 


  7月20日− 


[夏の渚の真夜中に(1)]

「いよいよね」
「ああ……」
 人々はひそやかに囁き合った。昼間の熱気は遠く遥かに去り、今は涼しいくらいの夜風が、かすかな潮の香りを闇に塗られた浜辺へ、緩やかに涼やかに運んでいた――波音と絡み合い、溶け合って調和し、交わり、時にはぶつかり合いながら。
 空には、夏の昼間の思い出の名残の、薄いちぎれ雲が漂っていて、それは僅かな淡い星明かりに照らされていた。その銀の淡い灯火は空に留まらず、浜辺にたたずむ地上の人々の輪郭をも、極めてぼんやりと、まるで幻のように映し出していた。

 間隔をあけて、浜辺にはいくつもの人影があった。背が低いのも高いのも混じっており、彼らはみな、知り合い同士で寄り添い、恋人や夫婦であれば手をつなぎ、これから訪れるであろう〈何か〉の始まりを、固唾を飲んで見守っているようであった。

「光だ」
 声量は小さかったが良く響いたのは、若い男の声だった。すぐに変化は現れず、他には誰も気づいていない。星は瞬き、波はささやき、人々は足を組み替えたりしながら〈待って〉いた。
 まもなくざわめきが起きた。寄り添って待つまばらな人々は、浜辺を埋め尽くすほどではないため、辺りの雰囲気としては数人の音の精霊が間をあけて舞い降りてきたような感じだった。
「始まるのかしら……」
 年輩の女性の声がした。夜の浜辺には、高まる期待と、まだ早いのではないかという不安が渦巻いている。それでも東の空はほんの僅かではあったが、確実に明るさを変え始めていた。
 むろん、いくら夏の夜の夜半過ぎとはいえ、日の出にはまだずっと早い。それでも淡い銀の輝きは夢のように膨らんでゆく。

 と、その時――。
 皆は息を飲んだ。
 時の流れが留まる。

 東の空のかなたに、下弦の月の舳先が覗いた。

(続く?)
 


 7/15〜7/19 


(四国紀行のため休載)

高知城(2005/07/16)
 


  7月14日− 


[風の迷い道]

「どっち?」
 私は立ち止まり、斜め上を見上げた。緑の梢の間には、あまたの細かなサファイヤとなった青空がまぶしくきらめいている。
 私は待った。
 必要なのは忍耐力。
 それも、ほんの少しだけの――。

 その時、ふっと、空気が凪いだ。
 さっきと同じ、優しくも不思議な感覚だ。

 そして、誰かがそっと背中を触れた。
 後押しするかのように、私の右の腰のあたりを、軽く。

 すみきって涼しい空気の流れ――それはまるで見えない小川のように、速やかに軽やかに、森という名の海を渡ってゆく。
 言葉はない、けれど彼の優しさは通じる。
 もちろん、それは森を駆け抜ける風だ。

「こっちね?」
 さっと振り返って、尋ねる。
 私はそのまま歩き続ける。
 いらえはない。
 が、返事のないことが最大の返事ではないかと思えてくる。

「行くわ」
 いまさら迷いはいらない――もうここまで信じてやってきたのだから。迷い道も信じていれば、それは迷い道ではないもの。
 私は古い息を吐き出しながら、大股で左側の道に向かう。そこは森の尾根道がY字型に二股に分かれている場所だった。

 風が糸を引いて、私を誘っているかのようにも思えてくる。
 風の行き先を捜して、その果てが知りたくて――。
 私は下草の生えた、涼しい夏の細い小道を歩いていった。

 その先に、何が待っているのかは分からないけれど。
 きっと〈何か〉が待っているから。

(おわり)
 


  7月13日− 


[海の幸、山の幸]

「すごいね〜」
 リンローナは目を丸くした。良く火が通っていて独特の匂いを醸し出すフキや、さまざまな形や色をしたキノコが山盛りになっている皿は、たっぷりと重々しいほどの湯気が出ている。
 小さな酒場は貸しきり状態だ。ひっそりとして静かだった。

 皿は欠けているものもあり、多少みすぼらしい感じもしたが、その上に載っている料理は本物だった。
「山の幸、あまり食べたことがないから……参考にもなるし」
 料理好きのリンローナは、今度は目を輝かせて言った。
「そっちの実家はどうなんだ? やっぱ海の料理か?」
 この国の出身であるケレンスが訊ねると、遠国から来たシェリアとリンローナの姉妹は軽く目配せし、最終的には妹のリンローナが応えた。
「モニモニ町はやっぱり海だね。山の幸もあるけど、海の幸が最高だよっ」

 その時、ジュウジュウと焼け焦げる匂いが流れてきて――テーブルについていた五人は顔を上げ、それぞれに振り向いた。
「お待ちどう」
 やや伏し目がちの寡黙で朴訥そうな店主が運んできたあぶり肉は香ばしく熱い煙があがっている。それは火が奥まで通っていて美味しい、山村の剛毅で真面目な料理だった。

 海の幸、山の幸――。
 やや遅めの食事にありついた旅人たちは、炎の光を浴びつつ胃の空腹を充たし、しばし食事談義で盛り上がるのであった。
 


  7月12日− 


[地水鳴動(1)]

 薄暗くひんやりとして、湿った場所だった。密閉されていたからだろう、生き物の気配はほとんどない。ここに住まうのは、地の底で生まれ、蠢き、果ててゆく闇に生きる虫の類ばかりだ。

 そこに突如現れた一団の中の一人が、上を指差した。
「あ、落ちてそう」
「いよいよね」
 誰かが、ごくりと唾を飲み込んだ。
 しんと静まり返った地の底で、にわかに緊張感が高まる。

 その雫は、集まってくる微細な水蒸気を集めてゆっくりと膨らみ、小さな芸術的な楕円を形づくってゆく。その透明な水の鏡は刹那、銀色の〈神の眼〉となり、周りの全てを内に映し出す。
 いよいよそれは、膨らむにつれて大地の重力により下へとゆがみが生じる。完璧であった閉じた小宇宙は〈時の移り変わり〉という軸を得ることで完璧さを永久に失い――その代償としての躍動感に満たされてゆく。矛盾はやがて最高潮に達する。

(続く?)
 


  7月11日△ 


 枝先の間に隠れ月
 笛吹けば
 夜風の懐で
 淡い光の精も踊るよ
 


  7月10日△ 


[夏の花園]

 夏の花園の
 彩りが少ないのは――

 いくつもの花の魂が
 熱い空気と混ざり合って
 私の想いに溶け合って
 上昇気流に運ばれて

 そして
 空のかなたで冷やされて
 安らぎの闇の肥料を得て
 光の魔法の花園になる

 一瞬の輝きが、天を焦がす
 あの花火たちに

 私の想いとともに
 どうかきれいに弾けておくれ
 


  7月 9日− 


(休載)

 


  7月 8日− 


[かき混ぜる(6)]

(前回)

「きゃーっ」
 レイベルは口を開き、訪れる風圧に目を半分閉じて悲鳴をあげました。ですが、さっきほど真剣な叫びではなく、その顔はどこか笑っているようです。
 雲をつきぬけて落ちていく速度も、さっきナンナが全力で飛んだ時のようにただひたすら落ちていくのではなく、だいぶ緩やかでした。ナンナが、今度は魔法で歯止め(ブレーキ)をかけているからです。
 やはり目も口も開けば渇きますが、その冷たい刃のような上空の風圧にもどこか優しさが感じられます。
「がんばるよ〜☆」
 後部座席のレイベルに言うようでもあり、また自分に言い聞かせるように、ナンナはそれぞれの単語を風の切れはしに乗せて送りました。
 こぼれ落ちるまばゆい光の糸は、やはりしっぽのように長く繋がっています。
「レイっち、また昇るよ〜!」
 ナンナは正面を向いてほうきへの集中を途切れさせないようにしながら、曇り空の一番下で叫びました。
 その全てをレイベルは聞き取ることが出来ませんでしたが、相手の<昇る>という言葉と意味は不思議なほど伝わります。
「うん!」
 だいぶ上下の動きに慣れてきたレイベルは、うなずく代わりに、前のナンナの肩にのせていた手を軽く動かしました。もともとナンナのほうきに何度か乗せてもらったことのあるレイベルは、いつしか遠い鳥たちや、ナルダ村のまわりの森を見おろす余裕も生まれてきています。よくとかした金の前髪がさらさらと揺れました。
 ナンナが小声で呪文を唱えると、雲を割って降りてきたほうきの動きは引き潮のように緩やかになり、やがては再び舞い上がっていきます。
 ナンナはただ、同じ所で上下していたわけではありませんでした。まるで橙色に輝く〈ばね〉を作るかのようにめまぐるしく、ナンナはしだいに奥のほうにずれながら、幾重もの輪を描いていたのです。
 雨が降るのか降らないのか分からない灰色の雲が蜘蛛の巣のように結ばれ、捉えられていきます。それはまさに、光の糸を紡いでぐるぐる巻きにした、太陽で編んだ空に輝く巨きな糸巻きでした。 気紛れな風と仲良しの小さな魔女ナンナも、さすがに疲れたのでしょう――ようやく空の途中でほうきを止めて、自分の作った作品を見渡した時、額にいくつもの汗の珠を浮かべていました。
「中途半端な空は、雑巾絞りだよ!」
 得意の気合で、ナンナは気丈にもつとめて明るくいいました。

(続く?)
 


  7月 7日× 
  
 
  
   
   


  7月 6日△ 


[雨降り]

 森にふるのは みどりの雨
 海にふるのは あおい雨
 お花畑は きいろい雨で
 夢のなかには むらさきの雨

 くつも、ズボンも、ぬれちゃうけれど
 雨もそんなに わるくない

 どろの地面を シャベルでほって
 わたしの小川を つくりたい
 かぜをひいちゃあ いけないけれど
 たまにはぬれて、あるいてみたい

 そして、いつしか――

 夏がきたなら しろい雨
 あかるいまばゆい ひかりの雨
 それが来るまで 今しかないから
 いろんな雨を たのしみたいね

 空にふるのは みずいろの雨
 夕焼け色の にわか雨
 レンガをたたくは 茶色の雨で
 雨があがって 虹色の夢
 


  7月 5日△ 


[不思議な夜の使い方(2)]

(前回)

「これ、夜の壷」
 リュナンから聞かれるまでもなく、サホは先に説明した。それほど古びてはいないが、とにかく狭い倉庫の中は、人がすれ違えないほどの通路がようやく幾つか確保されている程度だ。何脚か並んだ木のテーブルの上や下には、やや乱雑に骨董品の在庫が置かれていた。壷やら陶器やら、小箱やら怪しげな絵やら――といった類のものだ。それら骨董品だけでは店が立ち行かないのか、テーブルの片隅にはごく普通の安物らしき陶器や皿なども重ねて置いてある。
 サホとリュナンは入り口の開いたドアを背に立っていた。薄暗い倉庫はやや湿っぽく、後ろから差し込む光には、二人がいる入り口の付近だけ埃が浮かび上がって見える。締め切られていた倉庫の中にも緩やかな空気の流れはあり、やや怠惰とも言えるその動きはゆったりとした埃の流れで見分けられる。

「夜の壷?」
 壷から友に視線を移しながら、リュナンは問いかけた。そして倉庫の埃を吸ってしまい、喘息持ちの彼女は右の拳を口に当てて軽くむせた。
「けほっ、けほっ」
「ねむ、大丈夫?」
 サホはそう言うと、手近にある漆黒の〈夜の壷〉を片手でつかみ、軽々と持ち上げ、胸にかかえる。反対の手ではリュナンを制止し、じわりじわりと退いてドアを閉めた。埃っぽい倉庫に入り込む光の筋は、夕焼けを何倍もの速さで進めたかのように急激に細まると、部屋は再び妖しい沈黙につつまれるのだった。

「むしろ闇の壷かなァ」
 薄暗い居間のテーブルに壷を置き、サホはあっけらかんとした口調で言った。二階でサホの幼い兄弟姉妹たちが騒いで走り回る物音が、彼女たちのいる一階にも良く響いて聞こえる。
 さてリュナンは、今度は明らかに怪訝そうに訊ねた。
「闇の壷?」
 ちょうど二階が静かになった時、リュナンの語尾が、妙にいんいんと響きわたる。以前、やはりサホの実家の骨董店の壷でとんだ目に遭ったリュナンは、そのことを思い出していたようだった。最後こそ良かったが、、その結末にたどり着くまでは割れた壷を直したり、本当に大変だったのだ。彼女の少し疑わしそうな反応も、ある意味ではやむを得なかっただろう。 いち早く気付いた赤茶の髪のサホは、右手を振って相手の疑念を打ち消す。
「平気だよ。これは問題ないから。この前とは違うサぁ」
 だからといって、特にこれといって説得力のあることを言うわけではない。それは非常にサホらしいフォローであるといえた。
「でも……」
 リュナンの好奇心は疼いているようで、目を背けようとしたり、逆に注意深く覗き込んだり――相反する反応を繰り返していたが、信用できる友の言葉に背中を押されて幾分顔を近づける。
 そこでサホは、その壷の謎めいた力を、まるでゆうべの夕食のおかずについて話すかのように、ごく自然に語るのだった。
「ただ、雨を溜めるのと同じようにさぁ……」
 いとも簡単に、気楽な口調で、全く構えることなく。
「夜を溜めておけるんだ」

(続く?)
 


  7月 4日△ 


[海の鼓動]


 あたしは、潮風の吹く町の

 最後の坂の途中に生を授かった



 登り切った坂の向こうは

 とても静かな、波のやや荒い砂浜で

 その頃、浜辺はまだ、あまり削られていなかった

(今でこそ、テトラポットの墓場だけれど――)



 でも、水平線に沈む夕陽だけはあの頃のまま

 泣きたくなるような朱(あか)も

 はるか遠くをゆく船も変わらない

 それらは、時の道しるべにはならない



 そして再び、海の外に立つあたしは

 海の鼓動を聞くだろう

 寄せては返す波の響きを



「山も好きだけれど、やっぱり海は落ち着くの」



 そして海に潜れば――

 深い、冷たい水につつまれれば

 あたしは、あたしの鼓動を聞けるんだ



 その浜辺がどんなに変わってしまっても

 いつかまた、あたしはたどり着くだろう

 潮風の流れる、あの故郷の海に
 


  7月 3日− 


(休載)

季節はめぐる 〜近所の稲作と畑作〜(2005/06/26)
 


  7月 2日△ 


[星明かりが]

 ほのかな星明かりが分かるなんて

 なんて素敵なことなのかしら

 夜は闇の時間

 光はなるべく遠慮して

 聴覚を高めて、じっとしていたい

 軽やかな、かすかな夜風に吹かれて
 


  7月 1日− 


[あの満月を]

 あの満月を
 今すぐ折ってしまいなさい

 ――ええ、もちろん

 黄金の輝きを潜めた
 空のあの満月ですよ

 分かりませんか?

 こうして、こう――
 色褪せた折り紙のように

 折るのです
 半分に折ってしまいなさい
 重ねるのです
 円の縁を合わせて
 熱くはありません
 冷たい光などは
 決して怖くないはずです
 冒涜ではありません
 死でもありません
 折りなさい
 今すぐに
 ほら
 あ!

 ――まだ
 分かりませんか?

 重ねるのです
 重ねるのですよ
 折るのです
 満月を、半月にするのです

 その半月を、それまた折ってしまいなさい
 そうすれば四分の一の月です
 どこにもない、立派な四分の一の月です
 四分の一の、光は四倍の月なのです

 折りなさい、だから折りなさい
 折りなさい、それでも折りなさい
 そして祈りなさい、空に祈りなさい
 さらに祈りなさい
 とにかく折りなさい
 祈りなさい

 分かりませんか?

 それはもはや
 月ではなくなります

 ――そうですか
 私の目的に勘づいたつもりですか
 四分の一の月を、作れないと?
 半分の半分は、偽物であると?
 半月は、本物扱いなのに?

 手を合わせて
 祈るのです
 手を合わせて
 折るのです

 それはもはや
 手ではなくなります

 分かりませんか?
 今すぐ折ってしまいなさい

 それはもはや
 人ではなくなります
 




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