2005年12月

 
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2005年12月の幻想断片です。

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 12月31日− 


 吐き出す息が白かった。宙へ昇り、前へ進み、浮かび、霧散し――煙突を出発した頼りなげな煙のように、または細(ささ)め雪のように、世界に広がりながら薄れてゆく。一息一息が、あたかもそれぞれ一つの命の軌跡であった。淡い吐息は静かな野原の風に吸い込まれ、その裾野はかすれて消えてゆく。

「着いたね」
 若い男が呼びかけた。彼は夜から剥いだかのような漆黒の魔術師のマントに身をつつみ、髪も眼(め)も黒であった。一見すると鴉(からす)を思わせる風貌ではあったが、その眸(ひとみ)が投げかける視線は穏やかで、清々しい雰囲気が漂っていた。
 向こうに見下ろす家々の屋根、町の道は、ゆうべ積もった新しい雪で真っ白に染まっている。北国の凛とした空気は、鼻から吸えば鼻の中が、口から吸い込めば喉が痛くなるほどだった。

 二人の足跡が長く続いている。広々とした雪原の丘を、表面の雪を舞い上がらせて駆け抜けてゆく冷たい風にひとたび身をちぢこめてから、男の横に立っていた若い女がつぶやいた。
「ええ。そして、ここからね」
 魔術師のマントをひるがえしてミラーが、後ろで束ねた長い黒髪を軽く揺らしてシーラが、振り返って町を背中にした。彼らは雪解けの雫のこぼれ落ちる森の方に向かって、深い雪を掻き分け、歩いていった。その足跡は、しばらくの間、残っていた。
 


 12月30日− 


 白くて、冷たくて
 凍った空の大陸みたい

 雲が降りてきたと思った
 それは雪

 あれが大地を覆いつくしたら
 ここも空になれるのかしら

 わたしのいる白い雲の大陸を
 誰かが下から仰ぎ見るのかな
 


 12月29日− 


 空の高みには銀河の白い筋が長く伸びていた。そして眼下には、もう一つの天の川が広がっている。リンローナはこみあげる思いをそのままに、溜め息混じりのかすれた歓声を洩らした。
「うわーっ……」
 その続きは、声にならなかった。

 奥山に源を発する川に浮かべた炎の群れが、神秘的な列となって――あるいは星となって、漆黒の闇の中を流れてゆく。それは宙を舞っているようにも、泳いでいるようにさえ思えた。
「《一年》に祈りを捧げる、か。不思議な風習だよなァ」
 腕組みしたケレンスが言うと、その横のタックが返事をした。
「改めて考えると、理解できる文化だと思いますよ」
 その間にも、向こうの谷をいくつもの光の粒が流れてゆく。
「村人たちの《想い》の炎……」
 白い息をランプの光に浮かび上がらせて、ルーグが呟いた。

 ――あの谷を流れる
  光の小ささ、あたたかさ

  遠い町の灯りが
  優しくかすむ――

 


 12月28日− 


「また増えた」
 レフキルがやや早口で言う。夕焼けの空に、新たに一つの星がきらめき始めた瞬間だった。南国の陽は既に沈み、この世の全てが燃えるような赤々とした夕焼けの残照はゆっくりと溶けてゆく。今は少しずつ藍色を深めている空はどこまでも広い。

「誰もいないね」
 軽く、ほんの少しだけ寂しげにレフキルは呟く。亜熱帯の南国の砂浜は冬でも寒くはないが、夕風が出てきて涼しくはある。
「夏はあんなに盛り上がっていたのに……静かですの」
 レフキルの隣で、友のサンゴーンが言った。砂浜に人気(ひとけ)はなく、皆は浜に沿った街道を行き過ぎる。渡り鳥たちはねぐらへ急いでいた。行きつ戻りつする波の音が良く聞こえた。
 


 12月27日− 


「夜の川を、魔法の力で昼間のように明るくまばゆく輝かせたら、満足かな?」
 彼は物静かにそう言った。それは低く穏やかな呟きだった。

 私はぴくりと身を震わせ、こわばった頬、固くなった身体で、相手から目を逸らして下を見つめた。
 言い返す言葉が思いつかず、唇を噛み、唾を飲みこむ。
 軽く、速やかな川の音が響いている。夜は冷たく冴え渡り、空には雲が通り過ぎていたが、全体としては晴れていた。

 すると彼は言った。
「どんなにかそれは滑稽なことだろう」
「滑稽」
 私は口を開けた。それは相手の単語を繰り返しただけの、意味のない反論だ。その間にも、彼は――私と対峙する魔術師は、黒い翼を少しずつ広げていた。彼は瞳を黄金に光らせた。
「鮮やかな色もいいけれど」
 私はもう、ほとんど彼の世界に取り込まれかけていた。
「この謎に満ちた闇もまた、素晴らしいものではないかな?」
 


 12月26日○ 


 不思議に不吉で
 魅惑的な下弦の月

 夜ごと、闇に浸食され
 出る時間が遅くなり
 しだいに夜の彼方へと駆逐されてゆく
 


 12月25日− 


 音の調べは波のように

「私、唄、好きだな」

 雲を見ていると、心が寄り添う
 あるいは離れていくのだろうか

「言葉で言い表せない時とか……」

 そして雲は流れていった
 


 12月24日− 


 見上げてみれば

 蒼い空の
 裂け目となった飛行機雲

 見上ろしてみれば

 かなたの飛行機より大きな
 手近の紙飛行機

 甲高く叫んで通る北風に
「身も心も洗われる」
 そんな感じがする――
 


 12月23日− 


「あったまるね〜」
 リンローナはカップを静かに置き、ほっとした安堵の微笑みを浮かべた。若く艶やかな頬は、外の冷たさと中の暖炉の炎で薄赤く火照っている。肩の辺りで切った草色の髪、それと似た色の瞳の少女は、両手をカップに沿えたり離したりして温めていた。南国伝来のお茶の上品で香ばしい匂いが漂っている。
「喉を通って、おなかに伝わって……心をぽっと温めてくれる」

(続く?)
 


 12月22日− 


[雪下ろしのあとに(1)]

「重かった〜」
 ドアを開けるなり、シルキアは細かな水滴がついた羊毛の上着を脱ぎつつ、もつれる足で部屋に飛び込んだ。彼女はそのまま酒場の手近な椅子を捕まえるかのようにして倒れ込む。家には暖炉の温もりが残っていたが、そのぶん空気は濁っていた。
「いやー、くたびれたな」
 娘のシルキアに続いて入ってきたのは父のソルディだった。外の寒さも何のその、一家の大黒柱は額の汗を手の甲で拭い、一仕事終えた男の精悍な顔でいった。彼は清潔そうなきれいな木のバケツを持っており、その中にはゆうべ積もったばかりで誰にも踏まれることがなかった真っ白な雪が詰まっていた。

「ふぅ〜っ、おやつだ〜!」
 そのあと少しふらつきながら、大きく息を吐き出したのはシルキアの姉のファルナだ。確かに彼女の顔は疲れていたし、汗の粒が浮かんではいたが、その独特の和やかな雰囲気を持つソルディの長女は笑顔だった。ファルナが重々しい木の扉を手で押さえると、最後にその後ろから母が顔を出して皆に告げた。
「そうね、お茶にしましょう」

(続く?)
 


 12月21日− 


 大粒の牡丹雪は
 真っ白の花びら

 枯草の道は
 朝になれば、きっと
 白い花が咲いていることだろう
 色のない、汚れのない
 冷たい花が

 花の命は
 冬の厳しさ

 光を受ければ
 溶けて枯れて
 あとには雫が残るだけ

 星のきらめきか
 あるいは輝ける水晶か
 この世のものでないような
 儚くも、限りなく美しい雫が――
 


 12月20日− 


 不思議な模様に、ふと足を止める
 水たまりは白く凍えていた

 斜めに降り注ぐ朝の光は
 冬至が近づき、限界まで手をのばす

 部屋の奥の方を暖かに照らして
 冷え切った三面鏡が、輝きを反射する――
 


 12月19日− 


 なだらかな黄緑色の野原は広く、森が近い。わたしの目の前から雲の行列が連なって、その先はずっと先の青空へと続いている。それぞれの雲には人が乗っていて、高く浮かんでゆく。

「ほら」
 振り向いた少女が手を引いた。あどけない顔の、青い目をした三つ編みの少女は無垢な様子で笑う。彼女は天使のように微笑みかけた。
「ここでは、信じるぶんだけ、高く飛べるのよ」

 本当に、彼らは自分の力で飛んでいるのだろうか。
 どこに連れてゆかれるのだろう?

 そうは思ってみても、少女はわたしの耳元で、純粋な口調でつぶやくのだった。
「ほら、すべてを委(ゆだ)ねて。心を任せて」
 早い人たちは遥か彼方(かなた)にいる。わたしはしだいに考えが霧散し、いつしか覚束(おぼつか)ない手振りでバランスを取り、少女の言う通りに心を軽くしようと努めていた。
 身体の力が抜けていって、意識が遠のき、地面から足が離れかけた。もはや、抗(あらが)う必要もないかのように思えた。

 その瞬間。
 何かがわたしを止めた。

(断るなら、今だよ……)
 と、わたしなかのわたしが、しだいに甲高い警鐘を鳴らした。

 はっと気づくと、わたしは地面に両足で立っていた。意識がはっきりしてくると、色々な物がさっきとは違う風に見えてくる。
 青空は大道具の張りぼてに――その空はうさんくさく、実際には狭いように思えた。雲の群れはくたびれた貨物列車に――さっきは飛んでいるかと思ったが、油を燃した黒ずんだ煙の間に錆び付いたレールが垣間見えた。天使の少女は、無理やりに誤魔化して若作りの化粧をしていた老婆の姿に変わった。

「なぜ?」
 今となっては皺だらけの老女の正体を現した〈かつての少女〉は、悲しそうに言った。わたしを哀れんでいるように思えた。
 だが、わたしにはもう覚悟ができていた。
「すべてはわたしが決める」
「なぜ、信じる心を持たないの?」
 老婆は皺だらけの唇を震わせ、口調だけ少女を模して言う。

 他に何の物音もない、雲に乗る人々の歓声も、風の音すらない奇妙な静寂の野原で、わたしははっきりと答えるのだった。
「あの空は信じない。別の空を信じる」
 すると、冒涜されたと思ったのだろう。老婆はうっすら涙を浮かべて、瞳を怒りと悔しさに燃やし、まっすぐに反論をしてきた。
「空は一つよ」
「わたしは、信じたいものを信じたいだけ」
「……」
 老婆は口をつぐむ。わたしは続けて言った。
「何を信じるか? と問われれば、この両足と、この道を信じる。それが街道でなく、狭い道であっても、人の歩く道であれば」

 気がつくと、私は森の入り口に立っていた。老婆の姿も、雲の列も見えない。冷ややかで賑やかな現の世界に戻っていた。
 ひっそりと静かな森の道を、わたしは歩いてゆこう。鳥の唄声を聞き、獣の遠吠えに身を震わせ、この道の先に心躍らせて。
 先人の足跡をたどり、その偉大さを感じながら。
 


 12月18日− 


 突き刺さるような北風が
 冬の空の見えない橋を
 何度も素早く越えてくる

 その橋は高速道
 風の切れ端は地面に幾度もこぼれ落ちる

 そして私の指は凍えた
 


 12月17日− 


(休載)
 


 12月16日− 


 光が集まり
 鐘が鳴って
 運命の影が広がる――

 運命とは何だろう?

 黄色い光はあけぼのに
 白い光はあさぼらけに

 汚れのない輝きは
 新しい一日をつくる
 


 12月15日△ 


[温かな冬の雨(1)]

 長い年月を重ねてきたモニモニ町の煉瓦の通りは、優しい冬の雨にしっとりと濡れて、その赤茶色を雅やかに深めていた。
 なだやかな登り坂の左右にはいくつもの商店が軒を並べている。通りに立ち並ぶ店の屋根の高さは揃えられていて、全体として統一感がある。パン屋や粉屋、鍛冶屋や雑貨屋、規模は小さくともこざっぱりした店が続き、顔なじみの客と店主が立ち話をしている所からは楽しげな声が流れてくる。ひときわ甲高い声が聞こえてくるのは、子供らでひしめく角の駄菓子屋だ。
 それらに混じって、学院の生徒たちの話し声や笑い声が響く。大多数は帰ってから家の商売の手伝いをしているが、学生という職業が成り立つ位、モニモニ町は恵まれた環境にある。

 夕食の買物にはまだ少しだけ早い時間、通りの空気は和やかだった。杖をついた年寄りや早足の若者、駆け足の子供たち――ちょうど人の流れが途絶えた頃には、一つの傘に入ってゆっくりと歩いてくる恋人同士の姿も見られる。世界に名だたる治安の良さと、長い歴史に培われた岬の港町は、行き交う人にも町並みにも、しっかりと根付いた上品さと誇りを感じられる。

 さて坂の下の方から、傘をさした少女が、やや早足に歩いてきた。白を基調とした学院の制服の上に、ベージュのコートを羽織っており、後ろで一つに束ねた長めの髪と瞳は茶色だった。雨模様の空の下で、それらはくすんだ色合いに見えた。
 傘を持つのと反対の手には、勉強道具が入っているらしい実用的で素朴な手提げ袋を握り締めている。学友たちとは既に別れ、間もなく自宅に着くのだろう――上り坂に差し掛かったとはいえ、彼女の足取りはいくぶん軽いようだった。

(続く?)
 


 12月14日△ 


[朝の詩]

 ふと目が醒める。旅先の部屋は冷え切っていた。
 布団に身体をうずめたまま、顔だけを起こす。部屋は薄暗かったが、カーテンの隙間から、まばゆい光がちらちらと湧き水のように流れ出している。
 吐き出す息の白さを感じながら、布団の外の空気の冷たさを予想する。かつては優美だったが今は少しくたびれた赤茶色のカーテンは、裏側から真新しい光に照らされている。
 頭は不思議なほど冴え、ゆうべの疲れは眠りのぬるま湯に浸かていたうちに、砂糖のように溶けてなくなっていた。わたしは布団を静かに押し退けた。
 朝の鋭利な空気は、一呼吸遅れてわたしの身体を捉え、つつみこんだ。だが、それは私の予想していたよりも幾らか優しいように思えた。

 しばらく清らかな空気を飲んでいるちに、身体が冷えてきた。上半身を起こし、身体をずらして両手をベッドにつき、それから立ち上がる。
 新しい一日は外から内側に向かって流れてくる。私は迷いなく、しっかりと意志を持って歩き出した――窓辺を目指して。

 カーテンを引き、窓を開ける。

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

 窓を開けよう
 まぶしさに目を細めて
 怖がらないで
 きっと、遠くまで見渡せるから

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜
 


 12月13日△ 


 水か、光か
 真白な糸を
 乙女が紡いでゐる
 森の中で

 その微笑みこそは
 永遠(とわ)なる神話の中にて
 石に刻まれ
 壁に描かれ
 生き延びてきた

 だが
 それが何だといふのだらう
 この曲がりくねつた
 曇り空の道に比ぶれば
 


 12月12日△ 


[棲家]

 どんなに光を作り出し
 あまたの丸い虹を闇の空に浮かべても

 昼間に夜を灯すことはできない

 闇は隠れ
 安らぎは十六夜のように欠けて

 やがて闇は新たな棲家を見つけた――
 


 12月11日△ 


[飛行機に]

 どこへゆくの?

 そんなに速く
  そんなに高く
   そんなに遠く――

(大空のかなたへ)

 二本のレールのような
 飛行機雲は消えていった

(虚空の果てへ)

 ――行ってきてもいいよ
 どんなに遠いところだって

 だけどまた
 約束の時がきたら
 帰ってきてね

 きっとだよ


飛行機雲(2005/12/10)
 


 12月10日△ 


[小石(1)]

 不思議な明るさと暖かさを内に秘めたような、暗い夜でした。昼間から降り続く雪は、いつしか淡くなっていました。
「来たっ!」
 師匠が身を乗り出し、短く叫びました。厚く垂れ込めた雲が切れて、今宵の半月が姿を現したのです。冷えきった木々の間に、限りなく細く聖(きよ)らかな一条の光が差しこんできます。
「何をしとる、早く漬けるんじゃ!」
 師匠は声を潜めて叱り、僕は驚いて飛び上がりそうになりました。慌てて見ると、僕の手の中で小石が鈍く光っています。
「は、はい!」
 僕はその小石を、夜の空遠くにかざして〈漬け〉たのです。

(続く?)
 


 12月 9日− 


[真実の時]

 ミグリの町にも、真実を司る知識の神〈シオネス〉様の季節がやってきました。外の風は冷たいですが、この時期、家を出てみれば、色々なものがよりはっきり、くっきりと見えてきます。
 平原の遠くに見える山並みもそうですし、寂しくなった落葉樹の梢の間から空が覗けます。夜もまた格別です――雲のない晩、凍った空では、数え切れないほどの星たちがささやき合います。私の身が凍てつくほどに、それは美しくきらめくのです。
 突き刺さる寒さの中で無駄な飾りは剥がれ落ち、まさにそのものの<そのもの>としての真実や正体が顕わになります。

 けさ、私は家のドアを開けて新雪を踏みました。柔らかな白いじゅうたんに、きゅっと音を立てて、私の足跡が押されます。
 屋根はうっすらと染まっていることでしょう。
 期待して、振り向くと――。
 そこはまさに、出来たての冬の神殿でした。

(続く?)
 


 12月 8日△ 


 溶けない雪の花が咲く、雪野原の雪の樹を求めて、僕と相棒は峠を目指していた。水量の多い河の上流の左右には、長い年月をかけて運ばれてきた小石が敷き詰められ、ところどころには岩もある。河は曲がりながら、岩場をすり抜けて流れる。
 僕は自分に言い聞かせるように、確認するかのように呟く。
「道はいろいろ、峠は一つ。最初に尾根まで登っても、最後に一気に登っても……」
 そこで僕は立ち止まった。今はまだ、川沿いには平地が残されているが、この先は徐々に崖が左右に迫り、地形が急峻になるだろう。河の流れも、しだいに軽やかに速まっている。
「道程(みちのり)はともあれ、峠の向こう側に行ければいい」
 額に手をかざし、斜めに降り注ぐ明るい光に目を細めて、僕は言った。空は青く、透き通っていて、白い雲が上空の冷たい風に乗って流れている。
 けどさ、いくら空が澄んでいても、空の向こう側が覗けるわけじゃない。ましてや僕らが向かう道のゆく先は判らない。

「ああ……その通りだ」
 遠くを見やって、低い野太い声で相棒が応じる。
 冷たい風が高く叫びながら流れ、耳元をかすめる。
「どれがいいと思うかい?」
 僕は相棒に意見を求めた。

 河の水は速やかに流れ、それが奏でる不思議に変化する音楽は耳に心地よい。岩場を抜ける水の上で、空から降りてきた光はちらちらと遊び、

 彼は目を細めて先を見つめ、ちょっと考えてから応えた。
「まず、登ってみよう。そうすれば道の傾斜もわかるだろうし、先の様子も分かるかもしれない」
「山肌に沿って、だんだん距離を稼ぐのがいいかと思ったけど」
 僕は率直に意見をぶつける。すると彼の説明はこうだった。
「無難ではあるし、正攻法だが……その道が駄目なとき、あきらめて引き返し、改めて困難に向かうのは辛いだろう。俺は〈最初に困難を味わったほうがいい〉と思う。また、さっきも言ったが、登れば下の様子が分かるかも知れない。考えようだがな」
「ふーん」
 僕は相棒の考えを吟味し、実行した時を想像し、納得した。
「確かにそうだ。ではそうしよう」

 僕らは河を離れ、急な山道に向いて歩き出したのだった。
 


 12月 7日− 


ムーナメイズの星捜し]

 星を数えているうちに、やがて空が白んできました。東の低いところには、老いて細くなった二十五日の月が、やがて来る太陽の先ぶれとなって、ゆっくりと登ってゆきます。
 凍えた身体で、歯を堅く噛み合わせ、私はまだ空を仰いでいます。森林とフィヨルドの、麗しき北の大地――ノーザリアン公国は氷点下に冷えていました。遠く連なり、ヘンノオ町を流れる河からは、柔らかな湯気が立っていましたから。

 ゆっくりとした、しかも確実な変化に彩られた黎明(れいめい)の刻(とき)は、清らかで安らぐ夜が去り際にくれた贈り物です。夏の雷雨が涼しさを残してゆくのに似て、過ぎ去りし夜は、私の心の中もより単純に、からっぽにしてくれます。

 私はとても穏やかな気持ちで、ほとんど一晩中、星を捜していました。雲と雲の間の、ひときわ明るい金の星。あるいは天の川に浮かぶ、優しく切ない銀の星。東の空の闇が溶けてゆくのに従って、ほとんど見えなくなってきましたが、確かに夜中、星たちは全天にちらばり、またたきの唄を奏でていたのでした。

 この夜、私は幾つの星と出遭ったのでしょう。そして、この夜に出遭って別れたのと同じ微かな星たちに、私の視線が再び吸い込まれる日は来るのでしょうか。

 来るかも知れないし、来ないかも知れない――。
 それは誰にも分かりません。

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

 いつ果てるとも知らない
 時間と空間の砂漠を――
 埋めつくす砂の粒は
 きっと星の数と遠くないだろう

 その中で
 ほんのひとつまみの星を
 今夜見つけて
 手のひらに掬って――

 けれど
 あの小さな星のきらめきが
 どうしてこんなに
 心に刻まれているのだろう

 


 12月 6日− 


[灰色の狼]

 うねりは巨岩を叩きつけ
 潮(うしお)は繰り返し吠えたてる

 途切れ途切れの突風が叫び
 とぐろを巻いて渦は激しく
 その都度、しぶきは高く舞い
 轟(とどろき)は地響きとなって弾ける

 濃灰色の鋭利な波は
 獣の牙を剥き出しにして
 狂ったように襲いかかり
 果てなく幾度も掴みかかった

 飛び交うは雪の粉か
 それとも波の花か
 どちらも決して積もることなく
 海に食われて引きちぎられる

 岩の群れは荒々しくも雄々しい
 身を削られ、穴があき、じっと耐えている
 それでも岩の上では
 残された松の木が誇らしげにそそり立つ

 黒ずんだ曇天の下
 長い年月をかけて
 冷たい荒波が作り上げてきた

 これがシャムル島の西北部
 北シャムル地方の冬なのだ

 海はこの地で狼と化す――
 


 12月 5日− 


[氷の架け橋(2)]

(前回)

 鈴を鳴らしながら、お姉ちゃんと森の道を歩いていったよ。
 森の中はまだ、村の平地ほどは雪は積もってなくて……枝とか葉っぱがが雪をつかまえてるからかな。でも土はぬかるんでて、枝に隙間があるところの下は、うっすら白く染まってたよ。


 ――そこでシルキアは一息つく。芯から冷え込む夜、酒場を営む家族は次女の話に耳を傾けていた。声が休まると、暖炉の炎の弾ける不思議な唄が、ことのほか大きく聞こえてくる。
 家族の皆の柔らかな注目を受け、シルキアは由緒ある国の姫君であるかのように、自然と清楚に口元を緩めるのだった。
 それから彼女は話を続けた――。

 目印の樹を過ぎるとすぐ、短いけど急な上り坂になる。滑る落ち葉と複雑な根に気をつけて、坂を登った。あたしは後ろから登って、お姉ちゃんが転ばないように、気を付けたんだけど……。


 シルキアは舌の先をちょっと出し(それは黄色のランプの明かりを浴びて赤っぽく見えた)、すぐに引っ込め、バツが悪そうに――それでいてどこか調子良く、横目で姉の表情を盗み見る。
 その視線に気づかない姉のファルナは、妹が話をしないので不思議そうにしばらく首をかしげていたのだが、やがて頬が緩んでゆき、その時のことを思い出し、妹の代わりに説明した。
「シルキアのほうが滑っちゃったのだっ」
 ファルナが、裏のない屈託ない言葉で告げる。妹と良く似た琥珀色の瞳を、より素直に、より素朴にきらめかせて。すると場は穏やかな微笑みにつつまれ、シルキアも一緒になって笑った。

(続く?)
 


 12月 4日△ 


[雨が町を灰色に]

 雨が町を灰色に

 霧や霞は、冷たいヴェール

 今頃はきっと
 雪が村を真っ白に――

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

「うう、さむーっ」
 薄暗いメラロール市の尖塔を、商店や家々を、港や橋を、弱く冷たい雨が打つ。レンガ作りの幅の広い道の両側には街路樹が並んでおり、いちょうの葉が地面のレンガに張り付いて濡れている。傘のない少女は腕組みし、足早に駆け抜けていった。

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

 ラーヌ河の中流、セラーヌ町。
 草原に続く街道は、淡い白に霞んでいた。
 その遠くに、何か茶色いものがおぼろに見えてくる。
 見ていると、しだいに動物と人の形を取り始めた。
「やれやれ、やっと着いたか」
 背中に荷物を乗せたロバを引き、若い男は溜め息をつく。
 その吐息は辺りに混ざり、霞の中へ溶けていった。

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

 そしてラーヌ河の最奥部、サミス村。
 小さな村の家々は、身を寄せ合うようにして建っている。
 三角の屋根は降り続く粉雪でうっすら白く染まっている。
 明日の朝には、大地は白銀になっていることだろう――。
 


 12月 3日− 


[氷の架け橋(1)]

「でね、湖で、赤や黄色の氷を見つけたんだ」
 家族で夕食を囲み、湯気の立つスープで胃の中を――心の底までをじっくり温めながら、茶色の瞳のシルキアが言った。
 暖炉の炎がはぜて、時折、薪はパチパチと音を立てる。薄暗い酒場は家族四人には広すぎて、片隅のテーブルに集い、料理を囲んでいる。辺りには一日の疲れと安らぎが漂っていた。

「赤や黄色の、氷?」
 スプーンを置いて、父が尋ねる。シルキアの姉のファルナは羊肉のかけらを幸せそうに噛みながら、妹と良く似た優しい瞳で笑い、うなずいた。その横で、母も興味深そうに聞いている。
 夏の間は旅人や商人で賑わったサミス村の酒場は、今晩は顔見知りの樵(きこり)が二人来ただけで、彼らが帰ってしまうと父は早々に店じまいした。外の風は穏やかで静かだが、時に冷たい木枯らしの吹く、底冷えのする辺境の初冬の夜である。

「うん。湖、朝はかなり凍ったみたいで。あたしたちが着いたときも、日陰には、まだ薄い氷のかけらがが浮かんでてね……」
 シルキアはいたずらっぽく笑い、一緒に行った姉を見、それから父と母を見て、事の真相を最初から順を追って語り出した。


 12月 2日△ 


 季節はずれの白い花びらかと思ったら、
 生まれたての粉雪でした。

 はかなく澄んだ銀のインクをつまみ、
 夜空に文字を書こうとしました。

 けれど、まばたきする間にも、
 私の吐息のかけらを受けて、
 あまりにも何の抵抗も見せず、
 とろけて消えてしまいます。

 ほんの少しだけの痛みの記憶を、
 私の心のどこかに刻んで。

 それは今年始めての、雪がよぎった夜でした。
 


 12月 1日− 


 この大都会の真ん中に
 高くそびえるビルの頂きから
 遠くの山並みが見渡せる

 車と人の多すぎる<ここ>だって
 美しい夕暮れはやってきて

 やっぱり赤い日は
 山の後ろに沈むんだぜ
 よく見ておけよ

 俺はかつて、あの山まで飛んでいったことがある
 黒い翼をはためかせてな

 あの山の頂きからは
 このビルは見えなかったぜ
 




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