[運動の秋/芸術の秋]
「あしたの運動会、中止かなあ……」
「天気予報だと、雨だよ」
「大丈夫だよ、晴れるよ」
「でも重い雲だなー」
灰色の空を厄介そうな様子であおぎ見ながら、小学生たちが公園の芝生に沿って続く道を歩いている。
帽子をかぶった年老いた男が、木のそばに小さな椅子とキャンバスを置いて写生をしていたが、その皺の多い手をふと止めた。
彼は自分の描いた灰色のキャンバスを見て、それから目線をあげ、ほとんど同じ色をした空を見つめた。
彼はおもむろに立ち上がった。そして近くの木に立て掛けてあった別のキャンバスを持ち上げた。
それは木の枠だけのキャンバスだった。
彼はそれを設置し、椅子を運んで来て腰掛けた。キャンバスの向こうに重たい曇り空が覗く。今すぐに降りそうなわけではないが、雨が約束されている厚い雲の大陸だ。
老いた男は、鞄の中から一本の古びた絵筆を取り出した。それを足元の水差しに浸してから、絵の具はつけずにキャンバスへ落としていった。
男は空に向かって、ゆっくりと筆を這わせる。速やかに、ごく自然に。
その時、耳を澄ましていた者は聞いたかも知れない。どこか遠いかなたで、甲高い突風の音がしたのを。
額に深い皺を刻み、彼は慎重に筆を運んだ。何回か同じ場所をなぞるように。その都度、公園の歓声にかき消されてほとんど聞こえないくらいの、だが鋭い風の歌が響いていたようだった。
再び筆を水差しにつけてから、彼はキャンバスの中の曇り空をなぞる。
ついに変化は現れた。
さっきから筆で塗っていた場所の、現実の雲が少し薄くなったのだ。
男は額の汗を布で拭いながら、作業に没頭した。
「あ、光が出て来たわね」
公園の脇を通り掛かった母親が、二人の子供に言った。家族が空をあおぐと、雲間から降り注ぐ光の線が神々しかった。雲の向こうには秋らしい薄い青空が見える。
絵かきの老人は水筒の水を口に含み、手の甲で唇をふいてからつぶやいた。
「何とか、夕方までには片付くだろうな」
そして彼は、古びた〈風の絵筆〉を手に取った――。
翌日は朝から澄み切った青空に恵まれ、近くの小学校から笑い声の絶えることはなかった。
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