2008年 8月

 
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2008年 8月の幻想断片です。

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  8月29日− 


[時の休息]

 旅の宿で眠りにつく前、静けさの中に音が聞こえた。
 それは闇をゆく河の流れと、夜を翔ける風の声だった。

 草木は光と水で育ち、俺は光と水と食べ物と眠りで育つ。
 眠りとは、つまりは光と正反対の闇ということだ。
 もしかしたら、草木も眠っているんだろうか――。
 そうだとしたら草木と俺たちはごく近しい存在だ。

 けれど、水も風も異質だ。
 光でさえ休むこんな時間でも変わらずに動いている。
 やつらは一体、いつ休んでいるんだろう。
 時と寄り添うものたちは、休まずに動き続けているのかな。

 そんなことを考えている間も、水と風の子守唄は終わらない。
 俺は次第に、深い眠りへいざなわれてゆくのだった。
 


  8月27日− 


 秋の空は薄青く澄んで遠い。
 ゆうべの雨に濡れて、草原は水の宝庫だ。
 それらはみな、光にきらめく七色の宝石に見えた――。
 


  8月26日− 


[葉の染め方]

「すごい生命力だね」
 レフキルが感心してまばたきした。サンゴーンはうなずく。
「ええ。草が秘めている魔法ですわ」
 目の前の草は一時期、病気でだいぶ痛んでいた。しかしサンゴーンの世話で元気を取り戻し、今となっては新しい大きくて艶やかな葉っぱをつけていた。ふと顔を上げてレフキルが呟く。
「この緑色はどこから貰っているんだろう。不思議だね」
 かすかな潮の香りを含んだ風が通り過ぎる。
 しばらく考えてから、サンゴーンはこう答えた。
「海の水は蒼、葉っぱは緑。だから風はきっと黄色ですわ」
 


  8月23日− 


 立ちのぼる霧は、目覚めの前の森のまどろみです。白樺の木々も可憐な花も、乳白色の霧にたっぷり浸かっていました。

2008/08/14 上高地
 


  8月14日− 


 かくれんぼしていた太陽が雲から顔を出すと、くすんでいた森の翠と海の蒼の精霊たちが一斉に喜んだようでした。
「水も緑も、生き生きしてるね!」
 レイベルが言いました。ナルダ村を見下ろす遥かな空の高みで、小さな魔女ナンナの操縦する〈空飛ぶほうき〉の後ろ側に座り、落ちないように相手の背中にしがみついています。
 広い世界につつまれて、前を向いたままナンナが応えます。
「きらきらしてる。夏の魔力だね☆」
 二人は一つの風となって、果てしない空を渡っていきました。
 いよいよ光が豊かになると、森の翠はより軽やかに繊細に、海の蒼はより深く澄みきるのでした。


2008/08/14 雨晴
 


  8月13日− 


「だって、あたしだってお父さんの娘だよ」
 真面目な顔で言ってから、リンローナは優しく微笑んだ。
 彼女の父、ミシロン・ラサラは〈港町モニモニ〉出身の船長であり、ルデリア世界を股にかけて交易船を走らせている。既に亡くなった家庭的な母・リュイルの血が濃いと思われたリンローナだったが、やはり父の血を引いていたのは確かであった。
「そうか……」
 父は嬉しいような、それでいて寂しいような瞳で娘を見た。
 


  8月12日− 


 風を呼び
 風と出会い
 風と歩み
 風と別れる

 時を乗せて
 思いを遺して

 風は通り抜け
 通り越し
 羽ばたいてゆく
 


  8月11日− 


 景色を讃えた小さな石碑の前に、若い男女が立っている。
「昔の人たちも、この景色を見て……」
 シーラが言葉を飲み込み、やがて泣くような震え声で言う。
「きっと私たちと同じように感じたのよね」
 その思いを噛み締めてから、ミラーはゆっくりと深く答えた。
「そうだね」
 それからミラーは言った。
「きっと未来の人たちもね」
 
 山の傾斜と川の流れ、点在する村、細い道が集まって平野の町へ続く様子――。峠を登りきった二人の目の前には、これから降りてゆく盆地の眺望が広がっていたのだった。


2008/08/11
 


  8月10日− 


 その森の葉も、長い草も、すべては青緑だった。空気はひんやりと、ゆったりと流れていた。それは息の吸える水であり、淡い光の降り注ぐ蒼の森は、ひとつの水底であった。草の代わりに藻のような植物が揺れ、水音がとろとろと響いていた――。
 


  8月 9日− 


[夏の記憶]

 夕食に繰り出すんだが、まだ他の仲間たちは降りて来ていない。シェリアと俺は、宿屋の前で手持ち無沙汰に立っていた。
「夏の夕日の向こうに……」
 シェリアがつぶやいた。薄紫色の後ろ髪が、さらさらと揺れている。日焼けした頬は夕日の色に染まっていた。
 ほどよい疲れが身体を重たくさせ、気持ちを逆に軽くさせる。
「ああ」
 俺が適当に相づちを打つと、シェリアは言葉を紡ぎ続けた。
「この季節、色々な時間、さまざまな場所」
 夏の夕暮れ時、知らない町の通りを風が通りすぎてゆく。
「そして、ずいぶん長い間会ってない人たちを思い出すわ」

 あれはどこだろう?
 故郷の小川、海の水しぶき、伸びていく入道雲――。
 風にはためく舟の旗、雷雨、冷やした果物の瑞々しさ。
 匂いも感触も薄れてくけど、見たものははっきりと覚えてる。

「秋になると、また違う記憶が蘇るけど……」
 シェリアが喋り、俺はふと我に返った。
「確かに、そうだよな」
 秋の思い出は追憶。夏の記憶とは一線を画すんだよな。

「ちょっと、遅いわよ〜!」
 シェリアが急に大きな声を上げた。宿の玄関のドアを開けて、仲間のリンとルーグ、タックが出てくるところだった。俺たちはいつものように騒ぎながら、町の中心部へと繰り出していった。
 


  8月 8日− 


[オーヴェルの散策]
 
 黎明を過ぎて曙を迎え、朝一番の光が差し込む前には、森はすでに目覚めています。
 外の明るさで早く起きた朝、私は森の中にある別宅のドアを開け、静かに抜け出します。新しい空気を思いきり吸い込んで涼しい風に全身を浸し、散策を始めるのです。
 かすかに朝もやの漂う森の懐深く、斜めに光が差し込む様は、どこか異なる世界と繋がっているかのように神秘的です。露に濡れた緑の草を踏んで、鳥たちの鮮やかで軽やかな歌声を聞きながら歩いてゆきます。
 それでいて生き物たちの営みは現実的です。樹の幹を素早く器用に登り始めたリスと目が合います。
「おはよう」
 思わず声をかけると、相手はちょっと首をかしげてから、木の上の方へ登っていきました。
 その頃になると朝もやはすっかり溶けて、見上げた空には光に透けた明るい緑の木の葉たちが浮かんでいます。
 
 しゃがんで、底がはっきりと見える湧き水に手を伸ばします。心地よい冷たさを感じながら両手で掬い取り、瞳を閉じて喉を潤します。その儀式を終えると、私は来た道を辿り始めます。
 梢に覗く空のかけらたちは澄みきって真っ青でした。
 新鮮な赤や紫の実を積みながら、森の小路を歩くのでした。
 


  8月 7日− 


[夜空]

「夏の夜空はいいねぇ」
 黒い前髪をかきあげ、闘術士のセリュイーナ師匠が言った。北国マツケ町の夏の夜を涼しい風が通り過ぎる。
 星明かりの下、その場に何人かいた後輩のうちの一人、ユイランが率直に問うた。
「なんでですか?」
 するとセリュイーナはあっけらかんとした口調で答えた。
「空気が涼しくて、いつまででも見てられるや」
「それって夜空自体とは関係ないんじゃ……」
 ユイランが軽い驚きを込めて疑問を口にすると、セリュイーナは気を悪くした様子もなく、良く響く声で笑い飛ばした。
「だって、まあ、冬にこんなじっくり見てたら死んじゃうもんなぁ。アッハハ」
 マツケ町の冬は雪と氷とに覆われ、厳しい寒さが君臨する。
「んー、そうっすねぇ」
 ユイランはとりあえず納得した様子だった。

 その時、横から抑えた笑い声が聞こえてきた。
「ふふっ、ふふふ」
 横のやりとりで笑いの感覚を刺激されたのか、ユイランの先輩にあたるメイザが口元を抑えて震え始めたのだった。
「そんな面白いか?」
 師匠のセリュイーナが唖然といらつきと困惑を混ぜた口調で尋ねると、メイザの笑い声は逆に高まった。
「ふふ、ははっ」
「よく分からんね」
 師匠はそう言って肩をすくめ、ユイランは微笑んだ。
 年下の後輩のマイナは目をしばたたいて皆の様子を見回していたが、ユイランにつられて顔をほころばせた。

「そういえば、夏になると星をよく見るっすよね」
 そのユイランが場を仕切り直す。メイザは笑いを休め、他の皆も顔をあげて宝石箱のような空を仰いだ。それからしばらくの間、闘術士たちは気まぐれな星のきらめきを見つめていた。
「星が降りてくるみたいね……」
 メイザが澄んだ声でつぶやいた、夏の日の夜だった。
 


  8月 6日− 


[夏のかけら]

 ミザリア海に臨む避暑地、貴族の集まる大陸南部のミラス町には光が群れ、今や本格的な夏を迎えていた。白い波が緩やかに寄せては返す青緑の遠浅の海岸には、特に身分の高い貴族のために区切られた〈個別の〉海があり、外からは見えないが、そばを通れば時たま子供らの歓声が聞こえる。

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

「久しぶりの雨だね」
 冷ました南国のメフマ茶を盆に載せて、貴族の別荘の廊下を歩いているのはシャンだ。いわばミラス町として〈迎える側〉〈歓待する側〉の少年である。
「うん」
 幅の広い廊下を並んで歩いていたのは彼の妹のレイヴァだ。少女は焼きたての簡素なケーキを盆に載せていた。
 今日は朝からあいにくの雨だった。訪問客にとっては当てが外れた格好で、静かに過ごすことになる。他方、迎える側は室内でもてなすためにこうして増える仕事もあるのだが、それでも普段よりは落ち着いた午前だった。
 窓の外は降り続く雨でしっとりと煙っていた。二人の足音と雨のリズムが一定の不思議に穏やかな時間を彩る。
「たまには、こんな朝もいいね」
 レイヴァがぽつりと洩らせば、兄のシャンもうなずく。
「こんな日も、夏の思い出のひとかけらに違いないんだよね」
 そしてたどり着いた書斎の前で、兄はドアをノックする――。
 


  8月 5日− 


[金の瞳、銀の眸]

 晴れた夏の午後だった。山奥の村から続く森の中を、速やかで涼やかな風に吹かれて、子供たちが一列に並んで歩いていた。
「おっ、見えたぞ」
 先頭に立って尾根の細い道を歩いていたドルケンが飄々とした口調で言う。彼の後ろをついていくシルキアが声をあげた。
「落ちないでよ〜」
「よいしょっ」
 シルキアの姉のファルナが後ろについて慎重に下り、マルアレン、パトフが続いて、しんがりはドルケンの弟のザイだった。村の遊び仲間のうち、都合のついた六人だ。

 左側の木々が途切れて、切り立った斜面の下に池が覗くと、子供たちから歓声があがった。
「あれが《金の瞳》かぁ?」
 やや太めの体型をしたパトフがおおらかに尋ねると、マルアレンは腕を組んで斜に構え、神妙な面持ちで答えた。
「いや、どうだろう。《銀の眸》かも知れないね」
「ここからだと一つしか見えないよね……」
 目を凝らしていたシルキアが、口を尖らせて呟いた。
 見下ろす池に傾き始めた太陽が映り、物語の中でしか聞いたことのない《黄金》のようにまばゆい光を放つのだった。
 


  8月 4日− 


[翼]

「絶壁に立ち、雲を数えて、空と交わる。彼らの道とは、すなわち《風》である……」
 リンローナは古びた書物を細い両手で支え、はっきりとした口調で読み上げた。学院の教授も級友たちも静かに耳を傾けていた。

「そんなの、ほんとにいるのかな〜」
 講義のあと、ほのかに潮の香の漂うモニモニ町の学院の並木道をゆったりと歩きながら、ナミリアが言った。
 白を基調とした制服に身をつつんだ、学生時代のリンローナが尋ねる。
「何の話?」
「《翼人》のこと」
 すかさずナミリアが答えた。するとリンローナは手提げ鞄を持ったまま後ろ手に組み、歩きながら空をあおいだ。
「大きな雪色の翼を広げて、空を翔る……か」
 それからくすっと笑って、少女はナミリアのほうを見た。
「あたしは居ると思うよ。翼人さん」
 その頃からすでに、リンローナは何にでも〈さん〉をつける癖があった。
「なんで分かるの?」
 少し問い詰めるような言い方で尋ねた友達に、リンローナは楽しそうに返事をする。
「分かんないよっ!」

 南の太陽がきらめき、二人の少女を光の中に抱いた。
 思わぬ答えにあっけに取られ、きょとんとした表情で立ち尽くすナミリアに、リンローナは力強く語りかける。
「だって世界は広いし、その果てはまだ誰も知らないから。どんな可能性だって、そこに待ってるよ。きっと!」
 聞き手のナミリアはしばらく目を大きく見開いていたが、緩やかに相好を崩して微笑む。
「そうだよね、リン!」
 それから若い二人は果てしない空を見上げ、心の奥にそれぞれの《翼》を思い浮かべるのだった。
 


  8月 3日− 


[美しきものたち]

「きれいな花園を見るたびに、思い出す言葉があるんだ」
 リース町の宮殿にある花園で、レフキルがぽつりと言った。
「何?」
 すかさず問うたのは、ミザリア国から外交の使者としてやってきたララシャ王女だ。二つ年下のレフキルは親しげに答えた。
「きれいな花壇を見ていると、世話する人の姿が思い浮かぶ。お花の笑顔が、その人の笑顔に重なるんだ、って……」
「それ、何、どっかの偉い人の言葉?」
 単刀直入に王女が尋ねる。
 その時、一緒に歩いていたウピは斜め後ろをちらりと見た。
 そしてレフキルはその小さな仕草を見逃さなかった。
「ウピ、勘がいいね。正解だよ」
「えっ、本当に?」
 ややわざとらしく、意外そうに言ったウピだったが、その瞳は確信の光に彩られていた。
「はぁ? 何よ、教えなさいよ〜!」
 ララシャ王女はレフキルの肩を飛ぶような速さでつかみ、揺らした。それは格闘家としても世界に名を馳せる王女の全力ではなく、あくまでも年の近い少女同士のじゃれ合いだった。
「痛っ、もう、ララシャ、力強すぎるよ〜」
 レフキルも本心ではなく、笑いながら抵抗を試みる。
 その横にいたウピの視線は、三人の後ろからだいぶ離れてついてくる〈草木の神者〉サンゴーンの方に向けられていた。サンゴーンは、ウピと数年来の付き合いのあるレイナと一緒に、花の香りを楽しんだり、色や形を見つめたりしながら、ゆっくりと歩いてきていた。

 ララシャ王女の手を丁寧に振り解いて、レフキルは澄んだ碧の瞳で相手の視線を真面目に見据え、こう語りかけた。
「その人は言ったよ。整備されてるだけじゃ駄目なんだって。きれいな花が美しいんじゃなくて、その後ろにある人の……」
 半妖精リィメル族の少女の言葉の続きは、当のサンゴーンに遮られた。
「レフキル〜! アルアザンのお花ですわ〜」
 サンゴーンは両手を口に当てて、彼女なりの大きな声を発したのだ。レフキルはすぐに手を挙げて元の道を駆けてゆく。
「わかった! いま行く」
「何よ、あたしのことをほったらかして」
 腕組みして少し寂しげな王女を促すのは、ウピの役目だ。
「ララシャ、あたしたちも行こうよ。きっと答えが分かるから」
「行って分からなかったら、ぶっ飛ばすわよっ?」
 不敵に笑うララシャ王女に、ウピは自信たっぷりに言った。
「大丈夫、いまのララシャなら答えが分かるよ。きっと」
 そう言ったウピの笑顔は、優しく朗らかで、美しかった。
「分かった。行くわよっ!」
 ララシャ王女が全力で駆け出し、ウピも軽快に走った。青空と太陽の下、舞い飛ぶ汗の粒が増えるごとにアルアザンの花の香りがしだいに強まり、王女は正解に近づいていくのだった。

(8/5完成 ホームページ11周年記念作品)


2008/08/03
 


  8月 2日− 


「昨日の夜さぁ、太鼓の音が聞こえなかった?」
「聞こえた、聞こえた」
 麦わら帽子をかぶった村の少年たちが、干し草を満載した小さな木の車を引きながら、雑草の生えた広い土の道を歩いていた。陽は正面から高く照りつけ、道に濃い影を映している。

 夏の夜は
 遠くから音を運んでくる
 涼しい風に乗せて
 山に跳ね返って――


「あれ、隣町なんだろ?」
「うん。祭りだったみだいだね」
 草の匂いと汗の匂いが熱気とともに混じった夏の道は、緩やかに下りながら、村の中心部の方へ真っ直ぐに続いていた。
 


  8月 1日− 


(休載)
 




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