2008年 9月

 
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2008年 9月の幻想断片です。

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  9月30日− 


 遡れない河の上流に
 戻れない時の向こう側に
 美しい場所はあるけれど

 新しい日々に
 見えない道の果てに
 新しい希望を見つけにいく
 


  9月28日− 


[大波を越えて]

(どこまでも、どこまでも、黄金の波が続いている……と)
 あたしはその言葉をよ〜く覚えておこうと思った。こんな場合じゃ、羊皮紙に羽根ペンで書くなんて、ゼッタイ無理だからね。
 景色が上下に左右に、不規則に揺れ動いている。いやぁ、揺れ動いてるなんてもんじゃないわ。ガクン、ガコッて、乗り心地は最悪。まあ、しょうがないさ、あとで落ち着いたら書こうっと。
 ちょっと年老いてくたびれた馬の引く、刈り取った麦を満載した荷台のすみっこに、あたしは木の壁に腕を絡めて落ちないように座っている。乗っけてもらってるんだから文句は言えない。
(どこまでも、どこまでも、黄金の……わっ)
 石でも踏んだのかな、急にガクッて揺れた。こんな調子だから、頭の中であたしは喋りまくる。舌を噛むのはイヤだからね。
(でっかい農場だよね。うっわ〜、黄金の海だ!)
 遠くから秋の風が吹いてきて、丘の穂が揺れ動く。感激して、思わず目がじんわりしちゃった。風の名残がちょっと沁みた。

 空は薄曇りで、冴えない感じ。だけど青空の部分は澄んでる。さっきみたいに風が吹くと、北国の秋はちょっと寒いくらい。
 後ろを向くと、髭を生やして帽子をかぶった中年の馭者は鼻歌を唄いながら機嫌良く荷馬車を御している。前を向けば――といっても、進行方向からすると後ろだけど――緩やかな坂をかなり上り、黄金の波は視界いっぱいに広がってきていた。
「ひゃっほー!」
 あたしは、麦の中に突っこんでいた左腕を出して高く掲げた。
 


  9月26日− 


 三日月の弓が
 銀色の光の矢が
 だんだん優雅になってゆく

 夏の夜空に隠れた星たちが
 実りの大地と似たように
 しだいに豊かにあらわになる――
 


  9月25日− 


[光のしずく、水のきらめき(4)]

(前回)
 
「夕方ですか。それはですね……」
 テッテは考え込み、リュアはごくりと唾を飲み込んだ。
「教えて!」
 ジーナはもっと単刀直入だった。
 その間も見えない光の幕からは、輝く雨が音もなく降り注いでいる。しばらく黙っていた青年はふっと肩の力を抜き、微笑む。
「リュアさん、ジーナさん。答えを想像してみてください」
「えっ」
 リュアは言葉を失い、ジーナはあきれ声を出した。
「なんだぁ。テッテお兄さんの意地悪!」
 すると青年は少し顔を曇らせて言い訳をした。
「迷ったんですが、ここで僕が説明する方が意地悪な気がしたんですよ。お二人には、じかに見てもらいたいと思いました」
「ふーん」
 ジーナはあまり納得していない様子で腕組みしたが、リュアは頬を少し紅潮させ、銀色の前髪を揺らして深くうなずいた。
「うん」
 瞳はやがて遠い世界を思い描き、斜め上に向かっていた。
 黄金の霧雨は絶えることなく、森に降り注いでいた。風はそよぎ、草花が揺れていた。鳥たちはさえずり、羽ばたいていた。
「じゃ、それまで別のことして遊ぼ!」
 ジーナが話題を切り替えると、テッテは嬉しそうに言った。
「ええ、そうしましょう。ね、リュアさん」
「うん。また戻ってこようね」
 想像の中の夕暮れとの答え合わせを心待ちにして、リュアは同意した。光の雨の下、三人の影が再び動き出すのだった。

(続く?)
 


  9月24日− 


 日差しは影を伸ばし
 森の奥まで照らし出す

 木々は枝先を伸ばし
 やがて葉は色を変える

 ふと足を止めれば
 見えてくる
 聞こえてくる
 季節の時計の道しるべ
 


  9月23日− 


[花の向こうに]

 ゆうべの雨の名残で、道端の日蔭は少し濡れていた。光の降り注ぐ空の蒼さは明るく、目に染みるほど澄みきっていた。しっとりとした爽やかな空気の中、人々はいつの間にか半袖から長袖に衣更えしていた。
「あっ」
 町を歩いていた途中でリンローナがふと足を止めた。通りに並ぶ三階建ての民家の、とある一階の出窓に、微かな風に吹かれて清楚な薄紫の花が揺れていた。
「どうしたのよ?」
 姉のシェリアが立ち止まって腕組みし、振り返ると、リンローナは軽くうなずいた。
「うん……」
 それから妹は薄紫の花を優しい眼差しで見つめた。
「もう秋だなって思ったんだ。リュラのお花が咲いてたから」
「ん?」
 シェリアは腕をほどき、焦げ茶色の模様の入った黒いロングスカートを揺らし、濃い紫の服の袖を揺らして戻ってくる。
「ふ〜ん。この国で見るのは珍しいわね」
 姉妹の故郷――大陸南部から突き出た半島にある海に臨むモニモニ町で、リュラの花は静かに秋を告げる。それが遠く離れた北国の内陸に位置するセラーヌ町で咲いていた。
「時期は早いけど、このお花の形、葉っぱの形、淡い香り……きっとリュラのお花だと思うよ!」
 薄茶色のズボンを穿き、白いブラウスを着たリンローナが頬を少し紅潮させて語ると、姉は機嫌良く答えた。
「間違いないわね」
 青空と微風が、すべてを和やかにしてくれた。
「みんな元気かなあ。ナミ、リナ先輩……」
 リンローナがつぶやく。静かに揺れ動く花の向こうに、姉妹は懐かしい町の景色と、大切な人たちの笑顔を見ていた。
 秋の陽射しは二人を――そして世界を暖かく照らしていた。
 


  9月22日− 


[収斂の始まり]

 涼しい風が、東の方角から背中を押してくる。
 ついこないだまでは、あの風に逆らって東へ進んでいた。
「帰りたくなるんだよな。海のほうへ」
 俺がつぶやくと、同じ町の出身のタックもうなずいた。
「そうだね」

 春から夏にかけて、温かい風・熱い風に乗って遠くまで来た。
 その速度はだんだん緩んで、止まり、反対方向になった。
「伸びきった紐が縮まるみたいに、これから帰っていくんだな」
 正面、遥か西の地平線の沈んでいく夕陽が橙色にまぶしい。
 木の葉が色づき、落ちる前には、水平線にたどり着くだろう。
 


  9月17日− 


 カーテンを開けても
 広がる乳白色のカーテン

 はじまりの秋を彩るのは
 薄く流れる朝もやたち
 


  9月16日− 


 流星であるかのように
 暗い夜空をゆっくりと横に流れる
 刃の消えた優しい雷を見たのは
 はて、いつの夢だったろう
 


  9月15日− 


「行ったぶんだけ帰るのが定めじゃ」
 老婆が言い、続けた。
「心は早まるがな、一歩ずつ確実に進め」
「わかってるさ」
 俺が少しいらついて言うと、老婆は含み笑いをした。
「ふふん。そうかのう」
 その態度で、俺は腕組みし、爪先を小刻みに上下させた。


2008/09/15 岩木山
 


  9月14日− 


 彼はそこにいた。
 記憶の中の〈あの時〉と変わらぬ姿で。

 彼とて、まったく変わっていないわけではない。
 だけど大きく変わってゆくのは、いつも彼の周りだった。


2008/09/14 美瑛
 


  9月13日− 


「メラロール王国のお空、とっても澄んでるね♪」
 白樺の林の向こうに広がる北国の澄みきった空をあおぎ、まぶしそうに額に手をかざして、弾む声でリンローナが言った。
「そうか? 俺はずっとこの空を見てきたからな……」
「秋は、こんな晴れの日が多いんですよ」
 仲間のケレンスとタックはこの国の出身である。彼らにとって当たり前のことでも、大陸南西部の南ルデリア共和国から父の船に乗って遙かにやってきた十五歳の少女・リンローナにとっては、初めて出逢うあらゆるものが新鮮で心躍るものだった。
「あの南の海よりも、明るくて透き通ってる」
 懐かしさと力強さのある言葉で、少女はそう呟くのだった。


2008/09/13 層雲峡
 


  9月12日− 


「あーっ、消えてく!」
「あっという間だ」
 少年たちが西の空を見上げて口々に叫んだ。
 
 夕陽が雲の間にいったん身を沈めてゆく。
 丸みを帯びた水平線に触れる前に――。
 
 それはまさに、今日の最初の日没であった。


2008/09/12 雲間への日没
 


  9月11日− 


 幾つもの峠を越えて
 人はそれぞれの海に出る

 大切な町の大切な人も
 見知らぬ者も、己自身も

 旅程が長く続きますように
 幸多くありますように

 記憶の温もりを刻み込むために
 いま、そっと手をつなごう


2008/09/11 粟島
 


  9月10日− 


 銀色の星の粒のような
 夜の町の灯たちは

 昼間に焦がれる墓碑銘か
 生き抜く存在証明か

 つめたく
 あたたかく

 そしてはかなく
 冴え渡っている
 


  9月 5日− 


[水変化]

 時間は正午過ぎで、森には上から日が差し込んでいた。
 闇色のフードをかぶり、夜の彩りのズボンを履き、漆黒のマントを羽織り、深海で梳いたような髪をなびかせて――年齢不詳の魔術師が呪文を唱え終わり、伸ばしていた右手を少し持ち上げる。やや離れて見守る子供たちの一人が、期待と緊張でごくりと唾を飲み込んだ。
 変化は早速始まった。池の水面が僅かに波立ち始め、最初は泡が動き出したように見えた。
 それは切り離された水だった。当たり前の法則、自然の摂理、極めて厳格な縛りから開放された小さな水の玉たちが、おっかなびっくりと、いくつも宙に浮かび上がった。うごめく池と、子供たちの間から、二つのざわめきの渦が生まれる。
 水の雫たちは一つ一つが異なる方に廻りながら、しだいに合わさってシャボン玉くらいの大きさになった。天の高みから降り注ぐ光を浴びて、七色にきらめく。
 とりこになった子供たちの目も宝石のように輝いていた。しばらく見とれて忘れていたのだが、急に歓声が上がり始める。
「わ〜っ!」
「すげえ!」
 魔術師の口元がわずかに動いた。それから彼は再び右手を持ち上げていく。何かを小さくつぶやくと、色とりどりの虹の水が手を取り合い、数珠繋ぎになっていった――。
 


  9月 4日− 


[光の幕]

 朝の太陽が休まずに送り出しているのは、次々と押し寄せ、触れては消える光の幕です。家々の壁も、街路樹も、町の人たちの横顔も黄色に照らし出します。池に広がる波紋のように、風に揺れるレースのカーテンのように光は繰り返し寄せます。
 そうして新しい一日が映し出され、刻み込まれてゆくのです。
 


  9月 1日− 


[空の物差し]

「空が、高くなったね」
 リュアがつぶやくと、ジーナは聞き返した。
「空?」
 金の髪を後ろで結わえた八歳の小柄な少女は天を仰いだ。
 見上げた空から降り注ぐ光はまだ強かったが、その色は薄い青に澄み、白い柔らかな雲が浮かんでいた。風が僅かに潮の香を運んでくる湊町デリシの秋の始まりだ。
「空って、近づいたり遠ざかったりするの?」
「う〜ん……」
 ジーナが率直に尋ねると、同級生のリュアは少し困惑して言葉に詰まった。その答えを探すようにリュアも空を仰ぎ見た。
 東の方に白い三日月が掛かっている。夕暮れになると光を放つ細い月を見ているうちに、リュアの顔がぱっと明るくなった。
「あのお月様が真ん丸に膨らむ頃には、夜空の高さが分かると思う……。去年、確かそうだったから」
 涼しい微風が木立の葉を揺らしていた。夏の間じゅう賑やかだったジーナは、少し大人っぽくなった横顔で神妙にうなずく。
「わかった、リュア。忘れずに見てるよ」
 そう聞いた親友は、安心した様子で顔をほころばせた。
「うん。お月様は空の物差しだから」
「よし、行こっ」
 ジーナがその話を終わりにさせ、道の向こうを指差す。早くも黄昏の気配が漂うデリシ町を、少女らは並んで歩いていった。
 




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