2009年 4月

 
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2009年 4月の幻想断片です。

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  4月30日− 


 その時、確かに私は見たのだ。
 日の光が深く差し込んだ山迫る峡谷で、河の流れの中程を速やかにさかのぼる、ひときわ細く青い流れを。魚だろうか、水の精霊か、それとも〈河〉自身の意識だろうか――。

 その青い流れを見ることはなかったが、上流の河を見るとき、私は今でもあの日のことを思い出す。
 


  4月25日△ 


「つぼみ雨」
 黒や紺、白や模様入りの傘の列びが通り過ぎる街角で、誰かが小さく呟いた。思ったより冷たい春の雨は、何かが終わって何かが始まるかのような、不思議な感慨を抱かせる――。
 


  4月24日− 


 まだ若い朝日が、これから続いていく道を照らし出してゆく。
「いったい、どれくらいの人たちと出会い、別れてきたのかしら」
 旅先で印象的な人と会い、別れを告げてきたとき、シェリアがよく溜め息混じり口にする。そんな時、ルーグは少し考えてから、慎重に言葉を選んでこんな風に答える。
「それは分からない。けれど……運命が再び私たちを結び付ければ、一度別れた人と、いつかまた出会うこともあるだろう」
 するとシェリアは少し感傷的なしんみりした様子でうなずく。
「ええ、そうよね。あの、サミス村の姉妹みたいに」
「そうだ」
 ルーグが同意する。二人の記憶には、遠い夏の高原で出会った村娘、ファルナとシルキアの笑顔が刻み込まれていた。
 


  4月23日− 


 ラーヌ河がゆったりと流れ、水音が深く爽やかに響いている。
「風に乗って、水に乗って……」
 リンローナが後ろ手に組み、少し背伸びをする。

 川面を小さな白い花びらが流れている。川辺の樹から花が散っているのだ。その様子は、白い雪が象徴する冬が溶け出して、水となって流れるような思いを彼女に抱かせた。
 軽くまぶたを閉じる。少し冷たい風が、今は心地良かった。


2007/05/26 独逸
 


  4月22日− 


 濃い緑と淡い碧の混じる丘に、朝日が差し込んだ。ゆうべの嵐が過ぎ去り、空の青はこの季節には珍しく澄み切っていた。
「気持ちいいね〜」
 リンローナが元気に言うと、前にいたルーグが半分振り向く。
「そうだな」
 小さな村の古びた宿で温かい食事を摂ってから、旅人たちは出発した。日の光は強く、昨日の雨の余韻で湿気が多いため、少し歩くと汗が出る。だが日陰の森に入れば涼しく、きらびやかな木漏れ日が出迎えてくれた。丘陵地帯を縫うように進む東メラロール街道は、森に出入りしながら穏やかに続いていた。


2007/05/26 Rothenburg ob der Tauber
 


  4月21日− 


 微かな風には潮の香りが含まれている。人影の少ない小道をレフキルは歩いていた。白い石で作られた家々では魚を焼いているのだろう、香ばしくて食欲をそそる匂いが漂って来る。
 黄昏時、すでに日は落ちた。天の東は青から深い藍色に、陽の光が残る西の空は橙から紅に、ゆったり移り変わってゆく。
「あっ」
 ふと見上げたレフキルが短く叫んだ。
 一筋の星の流れが、まるで空の零した涙のように、明るい一瞬の軌跡を残し、銀色にきらめく尾を長く引いて落ちていった。澄んだ空、南国の島に、今宵も夜の帳がおりようとしていた。
 


  4月12日− 


 落ち葉の上に
 花びらが落ちている

 秋も冬も春も過ぎ去り
 また次の夏がくる
 


  4月10日− 


[花びらの栞]

「これが今日の栞だね」
 麻里が桃色の花びらをつまんで見せた。
「栞?」
 母が興味深そうに尋ねると、娘の麻里ははにかんで答えた。
「そう。この前は四つ葉のクローバーだったし、きっともうすぐ緑の葉っぱだよ」
 公園の坂道を爽やかな春風が流れる。桜の花びらが桃色の光のきらめきとなって、町じゅうに散りばめられてゆく。
「その栞は、麻里ちゃんのここにあるの?」
 不意に、母は娘の胸を指さした。小学二年年の麻里は驚きと喜びで瞳をまばたきさせ、笑顔でうなずくのだった。
「うん!」
 


  4月 8日− 


[西を望む町]

 西の空に橙色の日が隠れたあとで、町からゆっくりと明るさが失われてゆく。隠れた光たちは家の中に灯りはじめる。
「でも……」
 鮮やかさは増してゆくかのようだ。リナは考えた。
「え、何か言いましたか?」
 後輩のナミリアが尋ねると、リナは小さく返事をした。
「いいえ。独り言」

 西海に突き出た半島、その先にある天然の良港――。
「きれいな夕焼けの名残ですね〜」
 ナミリアが言い、リナはうなずく。
「ええ」
 港に帆船がもやい、その影がしだいに黒くなる。空の藍色が、煙突から上がる夕餉の白煙を見下ろしている。星たちが一人、また一人と姿を現し始めている。
 モニモニ町は夕暮れとともに生まれ、育ってきた。
 潮の匂いに混じって、かすかに花の香りがする。
「明日もきっと晴れますように」
 ナミリアはしだいに闇に沈みゆく海に祈り、リナは軽く手を組んで瞳を閉じた。
 


  4月 2日− 


 冷たい風が吹いて
〈春〉を舞い上がらせる
 次の季節が根を張らないように、って

 それでも日は優しくて――
〈冬〉はしだいに小さくなり
 溶けて、枯れてゆくんだね
 


  4月 1日− 


「これがリースの町の露店ね」
 光り輝く黄金の髪を揺らし、姫君らしからぬ地味な薄茶色の庶民的なズボン姿で足早に古都を歩くのは、南国ミザリアからやってきたララシャ王女である。
 広場には肉、野菜の焼く匂いが漂っている。気候が温暖で収穫高も多く、豊かなリース公国には、パンや菓子の種類も多い。
「ミザリアの露店とは匂いが違うわね」
 ララシャ王女が言うと、同い年の友人のウピがうなずく。
「うん。それに、露店に日よけの屋根があるね」
 ミザリアの方が日光は強いが、屋根よりは日傘や日笠を使うことが多い。
 噴水からは虹が立ちのぼっている、穏やかな午後だ。
「ララシャ様、お気をつけ下さい」
 商人の格好に化けた護衛の戦士が言うと、王女は王族とは思えない返事をした。
「こういう所に来ないと、ほんとの町の味はわからないわよ」
 そう言って歩く速さをあげると、戦士は困惑気味に駆け足する。
「お待ち下さい」
「あたしに護衛なんて要らないわよ。サンゴーンにつけるのはいいけど、あたしにつける分はレイナにつけなさいよ」
 ララシャ王女はそう言って、ウピの後ろからついてくる真面目そうな少女を指さした。
「はい?」
 レイナは不思議そうに首をかしげるのだった。
 




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