2010年 5月

 
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2010年 5月の幻想断片です。

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  5月29日− 


「人が集まるんだから、色んな派閥があるのよ」
 豊かな体格のカレイア夫人が小声で言うと、それはいかにも秘密めいて聞こえた。
「そうですよね……」
 王立研究所に所属するレイナは神妙にうなずきながら、考えを巡らしていた。
(どちらにもいい顔をするのは難しいから、どちらに軸足を決めざるを得ないでしょうね)
「教えて頂いてありがとうございます」
 レイナは几帳面に頭を下げるのだった。

レイナ
 


  5月28日− 


 見渡す限りのなだらかな丘には畑が連なり、茶色と黄緑が交錯している。その片隅に、橙の花が咲いている場所があった。空は晴れ渡り、日差しは夏のように強いけれど、風は涼しい。
 春の丘は、強く優しく、逞しく――。
 


  5月25日− 


 都にある広い公園には北国の針葉樹や、背の低い木々が息づいている。降り注ぐ明るさが、いくつものまばゆい光だまりを作っていた。
 濃い緑の茂みの後ろから、ひょっこりと薄緑の髪と瞳が浮き出した。隠れていたリンローナが立ち上がった。
「おわっ」
 ケレンスは驚いて後ずさる。
「びっくりした?」
「んな訳、ねーだろ!」
 ケレンスはそっぽを向いて否定したが、リンローナは何もかもお見通し、というような微笑みを浮かべるのだった。
「ふふっ」

ケレンス リンローナ
 


  5月24日− 


「これは、さながら〈月の花〉ね」
 レルアス女史が言った。夜空から降り注ぐ淡い光の下で、その牡丹に似た丸い花は、銀色にぼんやりと瞬いていた。
 クルクは呟いた。
「月の花――」
 
 異界の扉を開ける〈月光術〉の研究家が集う辺境のレルアス村に、夜空の月は良く映える。
 春の奥底に麗しく、どこか艶やかに、その銀色の花は月の輝きを静かに受け止めていた。
 


  5月23日− 


[境界線]

 弱い雨の降る夢曜日、午後は静けさにつつまれていた。
 森の町リーゼンは山の懐に生き、林業が盛んである。

 薄暗い家の中は、昼過ぎにも、夕方のようにも思える。
 春の終わり、夏の始まりのような季節が居座っている。
 時間の流れがゆったりになり、止まったようになる――。
 
 やがて漂ってくる夕食の匂いが現実に引き戻してくれる。
 こうして過ぎてゆく休日も、悪くないものだと私は思う。
 


  5月21日− 


 雨のあと、青空から強い日差しが照り付ける。
「一番の肥料ですわ〜」
 サンゴーンは手桶で庭に水を撒きながら言った。
 花の葉は緑の鮮やかさを増し、夏に備えて根を張っていた。

サンゴーン
 


  5月20日− 


 風に乗る弱い雨は
 空の吐息を教えてくれる――

 あの歌の届く先も
 そっと教えてくれるかな
 


  5月19日− 


 森を切り開いたなだらかな丘に農園が続いている。
 緩やかな道は続いている。

 あの空のかなたに。
 いつの日か、海に――。
 


  5月15日− 


[聖なる森の朝]

 鳥たちの囁きや挨拶、唄が続いている。
 速やかに森の木々を縫って、青緑の泉に朝の最初の光が差し込んだ。
 その泉のほとりに若い女性が立ち、目を閉じて祈りを捧げていた。金色の長い後ろ髪が澄んだ涼しい風に揺れる。
 祈りを終えたサミス村の賢者オーヴェルはその場にしゃがみ、足元に置いた細長い瓶を手に取った。
 それを横に倒し、ゆっくりと泉に浸してゆく。風のように透き通った水が、白い陶器の瓶に満たされていった。
 いくつかの滴が撥ねて、オーヴェルの長い指をささやかに冷たく濡らした。それは草におりた朝露のようだった。
 瓶を立てて、蓋を閉じる。後ろ髪が光を受けてきらめいた。
 そして彼女は立ち上がり、優しく目を細めて泉を見つめたあと、梢に見え隠れする青空を仰いだ。
 どこかの枝から現れた濃い緑の鳥が短く鳴いて、彼女の目の前を横切ってゆく。時の流れが強く、森の鼓動が大きくなる。
 朝が、目覚めた――。

オーヴェル
 


  5月13日− 


[浮き上がる緑]

 ルーグが額に手を当てて目を細める。
「緑が、浮き上がって見える」
 すると、横を歩いていたシェリアが顔を上げて応えた。
「ほんと、そうね」
 候都セラーヌからリズリー町へ南下してゆく〈リズリー森街道〉は内陸の村をつなぐ長い脇街道だ。日なたの海原に点在する無数の木陰の群島たちは、涼しい朝風と軽やかな小鳥たちの歌声に包まれていた。レンガ作りの街道の左右には背の高い木が並び、歩いてゆけば木の葉が次々と重層的に迫り来る。

 旅人の足音はしだいに遠ざかり、雨と風に足跡は失われてゆくけれど、彼らがこの国に残した種は時を経て開花する――。
 強い日差しに照らされて、入り組んだ濃い陰の描かれた大地で、その望みが誠の未来に繋がっていることを謳う朝だった。

ルーグ シェリア
 


  5月12日− 


 水の雨のあとで
  光の雨が降り注ぎ
   木の葉は白銀に輝く

 かすかな風のささやきに
  誰かの置いた赤い実が揺れる
 


  5月11日− 


[緩やかな風のように]

 木々の間には雨の残した湿り気が漂っていた。空はまだ濃い灰色と薄い灰色が交錯し、肩をぶつけ合っていた。その世界の奥底を、背が高く耳の長い男性が歩いていた。緑がかった銀色の髪、深い碧の瞳は〈森の妖精〉メルファの特徴を示していた。
 緩やかな風のようにひっそりとした足取りで進む彼の名は、エリヴァンという。見た目の年齢は若く見えるが、人間よりも遥かに長い年月を重ね、宝石のような瞳が湛えた光はにぶく深い。
 まれに靴裏で音を立てる枯れ葉が、地に足をつけている事を証明している。エリヴァンは両目で前を見据え、木の根や下草を慣れた様子で身軽に回避し、小さな薄紫色の花の群れをまたいで、霧の深まる乳白色の森の果てへと遠ざかっていった。
 


  5月10日− 


[清・健・爽]

「爽やかな朝……」
 そう呟いて、リンローナは窓の外から降り注いでくる光に目を細めた。森を越えて流れてくる澄んだ風が心地好い。それは彼女の緑色の前髪を揺らし、若い心に新鮮な潤いを運んできた。
 森のそば、川のほとりの小さな町だった。丘の上には領主のささやかな城があり、街道沿いに細長く家々が連なっている。陽射しはまぶしかったが、朝は清らかで健やかだった――。


2007/05/26

リン
 


  5月 9日− 


[記憶の言葉]

「まじめに積み重ねた事は、決して無駄にならないんじゃよ」
 水差しで花に水をやりながら、老婆が言った。庭には桃色や黄色、青や白、赤や紫の、大小のたくさんの花が咲いている。ささやかな小川のほとりには水を好む植物たちが育っていた。
「はい……」
 相手の少女は神妙な顔でうなずき、瞳の隅をきらめかせた。
「私のおばあ様も、そう言ってましたわ」
 彼女は十六歳の南国娘、サンゴーン・グラニアだった。祖母のサンローンから〈草木の神者〉を引き継いだ少女の眼に移る世界は、今は温かに湧き上がる涙の中に揺れ動いていた。


小川のほとり(2010/05/09)

サンゴーン
 


  5月 8日− 


 山道をゆけば汗が額に浮かび、背中を伝った。既に太陽は天高く昇り、梢の向こうには青い空が覗いていた。鬱蒼と繁る蒼い山並みは眺望を隠しているが、時折垣間見る景色は、確実に標高が上がっていることを示していた。
 山肌に沿って曲がりくねった細道の傾斜はついに緩やかになり、峠は頂を迎えた。誰が作ったのか、丸太で作られたベンチに腰掛けて、温くなった水袋を取り出した。
「ふぅ」
 ついに展望が開けた。拡がる大地は緑に満たされている。朝方、水を汲んだ川は遠く、大地に不思議な曲線を刻んでいる。
 背中の汗が冷えてゆくのを感じながら、まぶしい日差しに目を細めて、時と場所を越え――遥か遠くへ想いを馳せた。


森の小径で(2010/05/08)
 


  5月 7日− 


[時の年輪]

 新緑を揺らす一陣の春風――。
 狩人のシフィルは弓を背負い、森を駆け抜けていった。
 木漏れ日はきらめき、木の葉はざわめいた。それらは響き渡る小鳥たちの歌に、終わりを知らない不思議な快いリズムを与えていた。
 木の幹や下草、急な上り坂や足場の悪い道に気を配りながらも、シフィルは大地を翔ける。結わえた後ろ髪が流れて、それはまるで具現化した風の尾だった。
 太古の森は、全体としては静かだったが、それでいて数々のさざめきを保っていた。虫が飛び、花は香り、獣は茂みを掻き分けた。
 月と太陽、冬と夏、夜と朝、秋と春――廻る時の年輪は今も木々の内側に刻まれ続けている。
 その間を縫って、シフィルはどこまでも駆け抜けていった。
 


  5月 6日− 


[上着が薄手に替わる頃(3)]

(前回)

「身体が軽くなったみたい♪」
 早速買ったばかりの桃色のワンピースを着たメイザは、足取り軽く通りを歩いていった。水溜まりやぬかるみを踏まないように気をつけながら、鍛えられた得意の足さばきで進んでゆく。
「師匠も気に入ってくれるといいっすね」
 気前良くメイザの上着を右に抱えているユイランが何気なく言うと、メイザは立ち止まって瞳を見開き、右手で口元を抑えた。
「師匠に怒られちゃうかも……修業に必要ないものだし」
 セリュイーナ女史は二人の闘術の師匠である。ユイランは不安げな先輩の華奢な背中を、ドンっと平手で豪快にはたいた。
「大丈夫っすよ〜。こんなに似合ってるんだから」
 するとメイザは恨めしげにユイランを見て、背中をさすった。
「ユイちゃん、力強すぎ……」
 草が芽吹き、小さな花が咲き始め、風は優しい。緩い陽射しの降り注ぐルデリア大陸の北東部、マツケ町の早春だった。

(おわり)

ユイラン メイザ
 


  5月 5日− 


[黄昏と泡珠]

「ずいぶん日が伸びたよね!」
 運んできた皿をテーブルに置いたあと、窓際に立って外の暮れゆく空を見つめ、酒場の娘のシルキアが呟いた。サミス村の空は赤紫に澄み、しだいに鮮やかさを増しているようだった。
「早ぇなあ。もう草月(五月)か」
 壮年の樵(きこり)、ドゥゾールがしみじみと呟いた。早くに妻を亡くし、子供のいない彼は、街道の果てのサミス村でただ一つの酒場〈すずらん亭〉の常連で、今宵の最初の客だった。
「いらっしゃいなのだっ!」
 冷えた葡萄酒を入れた小さなグラスを盆に載せて運びながら、元気に話を遮ったのはシルキアの姉のファルナだ。十七歳の彼女は〈すずらん亭〉の看板娘で、茶色の瞳を見開いた。
「もう。お姉ちゃんは浪漫がないんだから!」
 手を腰に当てて不満を漏らしたシルキアは、その直後、外の景色に吸い込まれる。十四歳の妹の視線は窓の外を漂った。
「あっ。泡の珠」
 誰が作ったのか、どこから来たのか――シャボン玉があてもなく風に吹かれていた。割れそうだが、壊れずに飛んでいる。
「不思議なのだっ。誰かの、命の珠ですよん」
 窓に近寄って外を眺めたファルナの言葉に、シルキアもドゥゾールもしばらく口をつぐんで、それぞれの物思いにふけった。
 まるで晩秋の夕方のような、静寂に抱かれた黄昏だった。

ファルナ シルキア
 


  5月 4日− 


[上着が薄手に替わる頃(2)]

(前回)

 厚手の茶色の上着を脱いで、薄桃色に着替えた二十一歳のメイザは、移りゆく季節の天使そのものであるかのようだった。
「お似合いですよ〜、さすが〈お嬢さん〉」
 ユイランが素直に褒めると、先輩は少しだけ顔を赤らめた。
「ほんと……?」
 仕草や物腰から〈お嬢〉さんと呼ばれているメイザは、闘術士には似合わない淑やかな外見を持つ。普段はあまり目立たない彼女であるが、春めいた服は彼女の魅力を十二分に引き出していた。
「また悪い男に絡まれるっすよ〜」
 ユイランは先輩の姿――整えた髪、綺麗な瞳、小さな胸、すらりとした両脚――を上から下まで検分し、あっけらかんと言った。以前、絡まれたメイザは、格闘で相手を駆逐したのだ。
「ええ〜。せっかくの服が破れちゃうかも知れないし……」
 呟いてうつむいたメイザは、もう購入する前提のようだった。機を逃さずに、店主は薄暗く狭苦しい廊下で手鏡を差し出した。
「よろしければ」
 メイザはほんの少しだけ確認すると、即決したのだった。
「あっ、はい。じゃ、これで」


  5月 3日− 


[上着が薄手に替わる頃(1)]

 雪が去り、北国のマツケ町は遅い早春を迎えた。ぬかるんだ町の道を、黒と茶色の上着を羽織った二人の女性が並んで歩いていた。闘術士たちが修行をする対岸のメロウ島から、試合のためにやってきたユイランとメイザの二人である。
「〈お嬢〉さん、これ似合いそうっすね〜」
 商店の並ぶ通りで、黒髪を後ろで一つに縛った女性――ユイランが立ち止まり、店の入口に飾られている服を指差した。
「ええ〜、そう?」
 メイザは謙遜しつつも、まんざらではないようで、その服をじっと見た。薄桃色のワンピースに花柄の模様が描かれている。
「いらっしゃい」
 狭い間口から小柄な中年の店主が顔を出した。目がやや細い真面目そうな男で、黒い髪には白髪が混じり始めている。
「試着できます?」
 ユイランが素早く尋ねると、店主はうなずいた。
「どうぞどうぞ」
 彼は人の良さそうな微笑みを浮かべ、二人を中へ招いた。
「ほらほら!」
「ユイちゃん、ちょっと……」
 半ば強引に、後輩のユイランに押し込まれたメイザは、店の狭く急な木の階段を登って二階の小部屋に案内された。
「じゃあ待ってますから」
 服を渡すと、ユイランは部屋の扉を閉めた。一人で部屋に残されたメイザは、薄桃色の春めいたワンピースを手に、困ったとも嬉しいとも取れる、甘く小さな溜め息をついたのだった。


  5月 2日− 


 春の夜
 淡く広がる霧の中
 山の奥での妖しの儀式

 うら若い魔女がたたずむ
 河のそば
 真っ赤に浮かぶ濡れた唇

 銀色の月の光を掬い取り
 山の早瀬に
 溶かして流す

 河を這う
 光を帯びた水蛇で
 短き滝が白に輝く
 


  5月 1日− 


[緑の光]

 南ルデリア共和国の都、ズィートオーブ市の旧市街――木々の日陰になっている広場の片隅のベンチに腰掛けて、年頃の二人の娘が焦げのついた丸い固焼きパンを頬張っている。
「明るい緑だねぇ」
 リュナンが広場の木々に見とれて言った。光と風によって育まれた木漏れ日たちは、まるで昼間の星空のようだった。
「緑じゃない緑……この季節独特さぁ」
 一瞬、木々を見上げて言ったサホは、ごくりと一つ目のパンを飲み込むと、二つ目を素早く袋から取り出してかぶりついた。
 揺れる木の葉たちは、光に照らし出された白っぽい緑だ。
「ひかりみどり色」
 そう呟いてリュナンは穏和に微笑み、想いを風に乗せた。
「お花の匂いは薄まって、夏の匂いを強く感じるね」
「うん」
 頬をパンで膨らませ、希望で胸を膨らませたサホは、赤茶色の短い髪を微かにそよぐ春風の精霊になびかせるのだった。

リュナンサホ
 




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