波の行方(ゆくえ)

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア〜

 

秋月 涼 


 ここは南国、ミザリア国。南海に浮かぶ小さな島国の、そのまた小さな海沿いの町がこの物語の舞台である。
 静かな波音だけが響き渡る秋の浜辺。一人の少女が、寄せては返す波を眺めながら、あてもなく歩いていた。
 彼女の名はサンゴーン・グラニア。銀色の髪が風に揺れている。
「ふぅー……ですの」
 彼女はため息をついた。何となく物足りなかったからである。両親は遠い国に住んでいるし、自分を育ててくれた祖母は昨年他界した。身近な親戚は誰もいない。時々、彼女は無性に寂しくなり、こうして海辺をさまようのだった。
 ちょうど引き潮である。普段は水の中に隠れている岩が、今はむき出しになっている。ぬるぬるした岩場を注意深く歩いていくと、突然、目の前に崖が現れた。下の方に黒い穴があいている。
 サンゴーンは何かに引き寄せられるように、その洞窟へと入っていった。
 急な坂を注意深く下りると、中は鍾乳洞だった。地面は海水で湿っていて、小魚の死骸が転がっている。
 ……。
 サンゴーンは耳をすます。かすかに、何かの物音や話し声がしたからだ。
「でも、こんな洞窟で……。気のせいですの?」
 道は割と広く、天井からは細長い鍾乳石が垂れている。サンゴーンは先へ先へと急いだ。しだいに音と声は大きくなってくる。
「おーい、ザルクぅ! 早くこっち来いよお」
「待てよ。結構滑るんだ」
 すでに洞窟内の光は途絶え、辺りは闇に覆われていた。壁を伝いながら慎重に進むと、突然道幅が広がり、ランプの明かりが見えた。
「やっぱりですわ」
 そこにいたのは、町の子供たちだった。彼らは全部で五人。見た目は十歳前後で、男の子が三人、女の子が二人だった。
 彼らは一瞬、遊びをやめて黙り、サンゴーンに注目する。気まずい瞬間のあと、少年の一人が叫んだ。
「誰だよ、秘密基地を教えたのは!」
 どうやらここは、彼らの秘密基地らしい。要するに遊び場だ。
「ごめんなさいですの。私、自分で見つけたんですわ」
「こんな所にわざわざ来るなんて、暇な姉ちゃんだなあ」
 別の少年が笑った。小さな女の子はサンゴーンを睨む。
「まさか親の使いじゃないよね? 『鍾乳洞なんかで遊んだら危ないでしょ? 帰っておいで』って」
「違いますの。散歩してたら、たまたまここに気がついたんですわ。もし都合が悪いのなら、私はこれで帰りますの」
「待て」
 最初に怒鳴ったリーダー格の少年が、サンゴーンを制止する。まず、咳払いを一つ。
「オホン。今日だけ特別に、秘密基地のゲストにしてやってもいいぞ。その代わり、下っ端だけど。どう?」
 少年は彼女よりも相当年下のはずだが、秘密基地の長官を気取って、命令口調で言った。サンゴーンは別段気にしていなかった。そんな事より、ゲスト参加を真剣に考えていた。
 彼女はそこそこ子供好きである。それに、童心に帰って遊び、寂しさを紛らわせたい気持ちもあった。
「う〜ん……わかりましたの」
「本当?」
 子供たちは驚いている。リーダー格の少年はうなずいた。
「よし、了解。君を秘密基地部員ナンバー六に任命しよう」
「ありがとうございます、ですの」
 こうして、子供たちの世界を出来る限り尊重したので、サンゴーンは彼らにすぐ馴染むことが出来た。
「きゃはは、きゃはは」
 秘密基地の特訓と称する、追いかけっこ。サンゴーンも思いっきり走り回り、久々にいい汗をかいた。
 遊んだ後はみんなで大きな岩に腰掛け、一休みする。サンゴーンは、子供たちが持ってきたランプを手にした。天井の方向を照らしてみると細い穴が開いている。空気穴としてはちょうど良い。
 その時、ランプを見上げた一人の少女が驚きの声をあげた。
「残り油、ずいぶん減ったねー」
「そろそろ帰る?」
 〈長官〉が言った。
「この中にいると時間を忘れますの。久しぶりに楽しかったですわ」
 サンゴーンの表情は開放感で満ちあふれていた。身体には程良い疲労感が残る。〈長官〉はいたずらっぽく笑った。
「そう言ってもらえると嬉しいぜ、サンゴーン姉ちゃん。……母さんが待ってるから、みんな、もう帰ろうか」
「うん」
 サンゴーンと五人の子供たちは出口に向かった。赤い光が斜めに入ってくる。
「ふう〜」
 サンゴーンは洞窟を出たところで、歩みを止めた。
「あの……あたし、もう少し洞窟で休んでから帰りますの」
「え、そうなの?」
 子供たちは残念そうだった。最後に〈長官〉が言う。
「今日はありがとう。また来てね」
「はい、ですの」
「じゃあね、サンゴーンお姉ちゃん」
 サンゴーンは、彼らが見えなくなるまで手を振り続けた。
「母さんが待ってる、か……」
 再び洞窟に潜る。
 
「ЖЩЛЫЭЮ……空を照らす陽の光よ、我に力を与えたまえ! ライポール!」
 サンゴーンは妖術が得意だ。〈ライポール〉は初歩妖術で、光の玉を出現させる。まばゆく輝き続ける光球が、闇を押し戻す。
 洞窟の奥、さっきみんなで座った大岩。サンゴーンはそこに腰を下ろし、独り言をつぶやく。
「……レフキルもお仕事終わる頃かな」
 レフキルは、サンゴーンの大親友である。幼い頃から一緒に遊んできたが、最近レフキルは商人のもとで働き始め、忙しくなってあまり会えなくなった。夢曜日(日曜日)に二人でお茶会をする程度である。
「つまんないなあ」
 サンゴーンには両親からの仕送りがある。風の噂によると、どこかの国で商人として成功しているから、この田舎町に戻って来られないとのこと。しかし真相はわからない。
 サンゴーンは幼い頃、病弱だった。それで、この暖かい国に住んでいた祖母に預けられたのだ。両親は仕送りを続けてきた。
 今でも祖母と二人分の生活費が送られてくる。きっと、祖母が亡くなったことを知らないのだろう。
 祖母の死後、サンゴーンは「草木の神者」を継いだ。だが、その力も使いこなせないでいる。正直、これからどうしていいのかわからなかった。もし、仕送りが途絶えたら……。
 サンゴーンは大きく首を振った。
「大丈夫、大丈夫ですの……」
 その時だった。足下に水を感じた。ちょろちょろと、入口の方から流れてくる。
「満ち潮?」
 サンゴーンは慌てた。途中、足を滑らせて転んだ。それでも走った。
「やっぱり……」
 波が寄せる度に、洞窟の入口から海水が流れ込んでくる。外の赤い光も大分色あせたので、サンゴーンはもう帰ろうと思った。
 しかし……。
「網ですの!」
 急坂を上って洞窟から出ようとすると、入口付近に網が張られている。押しても引っ張っても、びくともしない。細かい編み目なので、出るに出られない。
「きゃっ!」
 上から波が侵入し、サンゴーンはびしょ濡れになった。さっき転んだ時の、膝の擦り傷がしみる。
 それでもあきらめず、網をいじってみたがどうしても駄目だった。火の魔法があれば焼き切ることもできるが、あいにくサンゴーンには扱えない。
 塩水で濡れた服が、身体にまとわりつく。彼女は一旦あきらめて、洞窟の奥に戻った。
「ふぅ〜、すぅ〜」
 深呼吸をし、心を落ち着かせて、何が最善の手段かを考えた。しかし、さすがに動揺を隠せない。
「どうしよう……ですの。くしゅん」
 海水を浴びたせいで、身体が冷えてくる。彼女はぽんと手を打った。
「そうだ、レフキルを呼ぶですわ!」
 足下をちょろちょろ流れる水の量はだんだん増し、流れも速くなりつつあった。
「ψ∫ιщяoaζ……音の精霊よ、私の声をあの人のもとに届けて! クィザーフ!」
 サンゴーンは呪文を詠唱する。そして、ごにょごにょとメッセージを喋った。
 その時レフキルは、仕事が終わって帰宅する途中だった。既に薄暗くなっている。突然、頭の中にSOSメッセージが響く。
「サンゴーンですの……海辺の洞窟に閉じこめられた……助けて」
「……サンゴーン! どこにいるの?」
 続いて二度目の伝言では、大体の場所を知ることが出来た。
「わかった。今すぐ行くから待っててね!」
 レフキルは歩いてきた方向とは反対の、海の方に向かって駆け出した。
 
 洞窟の中は水浸しになっていた。サンゴーンはなるべく土の盛り上がったところを選び、壁にもたれかかって静かに待っていた。
「私の伝言、ちゃんと届いたかな……」
 レフキルの方は伝達魔法を使えないので、それは確認のしようがない。
 あれから大分時間が経ったので、サンゴーンはもう一度〈クィザーフ〉の魔法を唱え、さらに正確な場所を教えた。もし近くまで来ていれば、これで洞窟の位置が特定できるだろう。
 水かさはどんどん増えつつある。早くここから抜け出さないと危険だ。
 サンゴーンは流れに逆らい、入口の方に向かった。水音がだんだん大きくなり、勢いよく波が入り込んでくる。
 彼女は照明魔法〈ライポール〉の光球を飛ばす。玉は網をすり抜け、洞窟の上で輝いている。目印にしようと思ったのだ。
 しかし、レフキルはなかなか現れなかった。水かさは膝の辺りまで高まる。秋の海水は寂しげで冷たい。魔法の疲れもあって、精神的な疲労は限界に近い。
 その時だった。轟音の中で、かすかに少女の声が聞こえた。サンゴーンは思わず叫ぶ。
「レフキル! レフキルですの?」
 声の主はだんだん近づいてくる。それには聞き覚えがあった。
「サンゴーン、どこにいるのー?」
「レフキル!」
 サンゴーンは光の玉を大きく震わせた。
「サンゴーン!」
 心配そうなレフキルの顔が、網の向こう側に現れる。
「レフキルー! 助けて下さいの! わーん、わーん、わーん……」
 サンゴーンは緊張の糸が切れ、ついに泣き出した。水かさはさらに増している。
「サンゴーン、落ち着いて!」
 サンゴーンはしばらく泣いていたが、鼻をすすり、涙を拭いて言った。
「……ぐすん、ごめんなさいですわ……」
「あたしも、遅くなってごめんね。サンゴーンが歩いたっていう岩場は、満ち潮で水の中。別な行き方を捜したら、結構手間取って……」
「本当に来てくれて嬉しいですの」
「当たり前じゃない、友達だもん! とにかくこの網が問題なのよね」
「そうですの」
 洞窟内の水かさは、すでに腰の辺りまで上昇している。
「火炎魔法で焼き切って下さいですの!」
「でも、どんどん海水が流れてくるから、いくら私が火炎魔法を唱えても、ジュッと消えちゃうよ」
「じゃあ、ナイフか何かで網目を……」
「それが、持ち合わせてないんだ」
「どうしたらいいですのぉー?」
 サンゴーンはパニックに陥っていた。
「大丈夫、あたしが何とかするから。絶対大丈夫よ。落ち着いて!」
 レフキルは必死になだめる。
「あたし、ナイフの代わりになりそうなものを捜してくる! ちょっと待ってて」
 レフキルは浜辺へ向かい、夜の闇の中、一生懸命に捜した。だがそう簡単には見つからない。誰かから借りようとも考えたが、近場に人影はなかった。
 途方に暮れて足下を見ると、さびついたナイフが落ちている。
「これだ!」
 レフキルはばしゃばしゃ水をはねて走り、急いで洞窟の入口に戻った。
 
「サンゴーン、もう少しだからね!」
 レフキルはナイフを網目にあてがい、摩擦熱を起こすため、こする。こする。こする。
 洞窟の中からは時折、サンゴーンの叫び声が聞こえてくる。
「水が胸の辺りまで来たですわ!」
「お願い、助けて下さいの!」
「レフキル、頑張って下さいですわ!」
 金網ではなく紐の網ではあるが、錆びたナイフではなかなか切れない。かなり手間取ったあげく、ようやく一カ所が途切れた。
「やった!」
 でも、一体いくつ網目を切ればサンゴーンは脱出できるんだろう……。レフキルは虚しい作業を続けながら思った。満ち潮の影響で、今や洞窟の入口付近は完全に水の中である。作業は息継ぎをしながらだ。こんな状態では、網目を切るよりも、浸水するスピードの方が断然速い。
 もう絶体絶命。
 その時だった。
 レフキルは不意に背中を叩かれた。
「そこで何やってるんだ!」
「え?」
 振り返ると、壮年の漁師と海女さんが立っていた……。
 
 ……ズズズズズ。
 サンゴーンとレフキルはぶるぶる震えながら、熱いお茶を口にする。
「とにかく、身体を暖めるんだ」
 漁師が厳しい声で言った。
「はい」
 二人とも頷く。びしょぬれた服は脱ぎ、代わりにタオルを巻いている。
「でも、本当に助かって良かったわ」
 海女さんが優しく声をかけた。
「……ごめんなさい」
 サンゴーンは泣き崩れた。レフキルも自然と涙が溢れる。
 二人は今、サンゴーンを助けてくれた漁師の家にいる。夜は大分更けていた。
 漁師と海女さんは黙っていた。レフキルの方が先に落ち着き、泣きやむ。漁師たちの方を向いて、深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
「いいのよ。元はと言えば私たちが悪いんですもの」
 海女さんは続ける。
「あれはね、『わかめ穴』なのよ」
「わかめあな?」
 レフキルには何のことだかさっぱりわからない。海女さんが説明する。
「私はね、普段は海に潜ってわかめや貝を採っているの。ある日、もっと楽に採れる、あの鍾乳洞を見つけたのよ」
 ようやくサンゴーンも平静を取り戻し、話に耳を傾ける。漁師は静かに語り始めた。
「あの〈わかめ穴〉は、波が一番大地に近づく日……つまり、新月と満月の〈大潮〉の日だけ、静かに水を飲み込む。波はわかめや貝を運んでくる」
 ようやく二人も事態を理解した。
「つまり〈大潮〉の日、あの洞窟の入口に網を張り、満潮を待つ。波が洞窟内に入り込む。わかめなどは網に掛かる。それを採って、持ち帰る……ということですか?」
 レフキルが一つ一つ確認しながら言った。顔色は大分良くなっている。
「でも子供たちの遊び場になっているのなら、考えなければいけないな」
 漁師が言った。
「閉じこめられたのが私なのは不幸中の幸いですわ。もしも子供たちだったら……」
 サンゴーンは下を向いた。
「波で流されないようにと厳重に網を張ったのも、まずかったかしら」
 海女さんは考え込んだ。しばらくの静寂。
「残念だが、仕方あるまい……」
 苦悩に満ちた顔で、漁師は自らの決意を語った。
 
「わーい、わーい」
「あははは」
「ザルク、波が来てる!」
「うわっ! 冷たいぞ」
 子供たちは無邪気に遊んでいる。それを遠巻きに見つめる、サンゴーンとレフキル。
「みんな、楽しそうですの!」
 サンゴーンが嬉しそうに笑った。
「うん、本当によかったね!」
 あれから一週間。二人は砂浜で、再びあの子供たちに出会った。
「あ、サンゴーン姉ちゃん!」
「〈長官〉さん、お元気ですの?」
「いや、もう〈長官〉じゃない。秘密基地は何者かに存在を知られ、封鎖された。今は探検隊の〈隊長〉さ」
 思い切り格好つけて言う〈隊長〉のもとにザルクという少年が駆けつけ、報告をする。
「隊長ー、錆びたナイフを発見しましたあ」
「異国からの宝物かもしれない。預かっておいてくれ」
「へーい」
 サンゴーンとレフキルはその場から離れ、砂浜に腰を下ろす。
「子供たちは、いつの世でも、どこの国でも遊びの天才ね」
 レフキルの言葉には、もう戻れない子供時代へのあこがれが含まれていた。
「網を張りっぱなしにして、洞窟に入れないようにしたけど……。元気そうで本当に良かったですわ」
 サンゴーンもほっと胸をなで下ろす。
「ところで、あのナイフ……」
 レフキルはうなずく。
「そう。この前、網を切るのに使ったやつだよ」
 二人はしばらく黙った。
 秋の波音は静かに響き。
 青空はどこまでも深く。
 
 サンゴーンが、遠い水平線を見ながらつぶやく。
「レフキル、これからも仲良くして下さいの」
「何よ、急に。どうしたの?」
「頼りにしてますの」
「それは、あたしも同じだよ」
「……レフキル」
「なあに?」
「今度、近いうちにお茶会しようですわ!」
「うん」
「絶対ですの!」
「約束する!」
 やっと岸にたどり着いた秋の波。それと同じように、二人の瞳もきらきらと輝いていた。

(了)



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