奔放店長ネミラ(1)  〜森大陸ルデリア〜

秋月 涼

【第一話・一からやり直し】

『ネミラちゃーん、お元気ぃ? おとっつぁんも元気だよー。フォーニア国は素晴らしいところだねぇ。美人が多いし、酒はうまいし。
 おとっつぁんは、この地に骨を埋(うず)めることに決めたから。もう帰らないよーん。お店のことはヨロシク! それじゃ、ごきげんようー。
 追伸。お金に余裕が出来たら、ぜひ仕送り送ってね〜』
 
「あのオヤジ……」
 ネミラはその手紙をびりびりに引き裂いた。両肩は怒りで震え、こめかみには青筋が立っている。
「行商に出るっていうのは、やっぱり嘘だったのね。本当に何考えてるのかしらっ! そーゆーいい加減なことばっかりしてるから、母さんに逃げられたんじゃないの。反省の色、全くなしね!」
 言いたいことを言ったあと、今度は頭を抱え込む。
「私、これからどうすりゃあいいの? はぁぁぁ……」
 大きなため息。しかし、がっくりしたのも束の間、彼女はぱっと顔をあげた。
「でも、やっと……やっとやっとあのオヤジから解放されたんだわ! 今日から、私がこの店の店長。店長代行じゃなくて、正真正銘(しょうしんしょうめい)の店長なのね。店長! この店は私の思い通り! なんて素敵なのかしら……」
 両手を胸の前で組み合わせ、うっとりと空を仰いだ。
 とにかく、わずか十八歳にして、ネミラは雑貨店の店長に祭りあげられたのだった。
 
 ルデリア世界の南東に浮かぶ、シャワラット島。その中心都市シャワラット。目抜き通りと平行に、細い〈南風(なんぷう)通り〉が走っている。そのうちの一軒が、ネミラ・ウェルトンの経営する〈自由奔放(ほんぽう)雑貨商会〉である。当然だが、長ったらしい正式名称を使う者など誰もいない。単に〈ウェルトン商会〉と呼ばれている。
 ここはいわゆる雑貨店であり、扱っている品物の種類は幅広い。日用品は当然のこと、綿織物や魔法薬、安っぽい武器防具の類(たぐい)までが所狭しと並べられている。
 いや、本当に〈所狭し〉なのだ。店内は歩くのがやっとで、すれ違うことさえ出来ないほどの窮屈さ。
 ところで、この店の特徴は、輸入品の割合が高いことである。多方面へ知り合いを増やし、店を盛り立ててきたのはネミラの父親で、やり手であるのは間違いないが、一方私生活は滅茶苦茶な人だった。稼いでも稼いでも、儲けた金は父の無駄遣いで水泡(すいほう)に帰す。ネミラの母が家を飛び出したきり、帰って来ないのも無理はない。
「こんにちはー」
「おっ、来たわね」
 一つ年下の友達・チェシーを、ネミラは明るく迎え入れた。
「いらっしゃーい。おつかい?」
「暇つぶしなんです〜。うち、今日はお休みなの。お客さんがいないから」
 チェシーは宿屋の娘である。ネミラはそれを聞いてふふっと笑い、そして胸を張った。
「せっかくだから、何か買ってってよ。今ならお安くしちゃう! 今日から、アタシが店長なのよ!」
「店長?」
「オヤジから手紙が来たの。もう帰ってこないんだって!」
 ネミラは心底嬉しそうに言った。
「そうなんだ……」
「これからはアタシの思い通りに出来るのよ! 早速、模様替えするつもり」
「へーえ。素敵ねぇ〜」
「仕入れ先も新しいところを開拓するし……。これからは、もっともっと便利なお店に脱皮してみせるわっ! なんたってアタシのお店だもん。便利にならないはずがない!」
「頑張って下さいね〜!」
 チェシーは手を振ると、結局何も買わずに、もと来た道をたどっていった。後ろ姿が小さくなる。
 細い路地を、ささやかな風が横切った。
 
「やっぱり、各地で旧体制が崩壊してるこの現代、未来を切り開くのはアタシたちみたいな若い乙女だわ。そこにターゲットを絞らなきゃ」
 薄汚い〈ウェルトン商会〉の奥、ボロボロのカウンターに腕をのせ、ネミラは独り戦略を練っている。
「……駄目だわ。考えるのは性に合わない!」
 カウンターをドンと叩くと、彼女は立ち上がった。行動力があると言うべきか、単に飽きっぽいだけなのか。〈本日休業〉という札を掲げ、店を飛び出す。
「えい、えい!」
 立て付けの悪いドアを蹴飛ばし、やっとのことで鍵をかける。
「さーあ、行くわよ」
 ネミラは通りを歩きだした。太陽が薄雲に隠れては姿を現す。その度に、町並みが色を失ったり輝きだしたりする。
 半袖の白いブラウスに、薄い空色のスカート。長い銀髪を揺らしながら、ネミラは足早に歩いていた。今から回るのは仕入れの得意先である。
 棚の引き出しから、父の残したメモが見つかったのだ。お得意先リスト。
「まず、あの店へ行って、値切って、次にあそこの店で……」
 独り言も思わず弾んでしまう。ニヤニヤしながら歩いているネミラは、傍(はた)から見ればかなり怪しい存在だったろう。
「えーと、このあたりかしら」
 リストの店名・住所と照らし合わせる。
「あった!」
 〈東方輸送(とうほうゆそう)〉の看板。リストの備考欄には〈掘り出し物を安価で卸してくれる都合のいい店〉と書かれている。
 外装はネミラの店以上にボロボロだった。少なくとも繁盛しているようには見えない。期待はずれで少々がっかりした。
「こんにちはー、〈ウェルトン商会〉ですけど」
 ネミラが声をかけると、
「やあ、いらっしゃい」
 髭を生やした中年の男が現れた。店と同じくらい薄汚い服を着ている。店長だろうか。ネミラは構わず言った。
「父の代わりに来ました」
「そうかい」
「あのー。何かいい品物ありませんか?」
 はやるネミラに、男は素っ気ない返事。
「ないよ。帰んな」
 ネミラはちょっと不機嫌になる。
「父の代からお世話になっている〈ウェルトン商会〉ですよ? アタシは、これからもいい関係を続けていきたいと思ってるの」
 しかし、男は相変わらずしかめっ面(つら)。
「俺はそんなこと知っちゃいない」
「何ですって!」
 ネミラはかなりいらついていた。男は低い声で続ける。口調が、疲れていた。
「あんたの父親が来ると、何故だか知らんが掘り出し物を安い値段で売りたい気分にさせられてしまう。毎回そうだった。おかげでこの店は赤字に苦しむ毎日。さっさと縁を切りたいと思っていたところだ」
「ええーっ! そんなぁ……」
 人目をはばからず、ネミラは大声で叫んだ。
「嬢ちゃんに非はないが、これ以上あんたのとこと付き合う気はさらさらない。今日を限りに絶交だ」
「……」
 呆然と立ち尽くすネミラ。
「ほらほら、そんなところに立ってると商売の邪魔だよ」
 男は嫌みったらしく言った。よほどの恨みがあるようだ。
「ふん! あんなみたいな店は、さっさと借金抱えて潰れちゃえばいいのよ! こっちからお断りだわ。仕入れ先は他にもあるんだから。あんたなんか最低よ!」
 きつい言葉とは裏腹に、ネミラの表情は悔しさに満ちている。胸を張って歩いていたが〈東方輸送〉の建物が見えなくなると、急にしおれた。
「はぁぁ。まいったわね。いい店を失ったわ」
 頭を抱え、リストの次の店に向かう。
「〈ウェルトン商会〉ですけど……」
「帰って下さい」
「はぁ?」
 開いた口がふさがらない。
「もう、あなた方に用はありません」
 と、店のおばさんは目を光らせた。
「ちょ、ちょっと待って! 話せばわかるわ」
「問答無用!」
「うわあぁ」
 ほうきでつつかれ、退却を余儀なくされた。
 
 ネミラは赤い夕焼けを見上げる。さすがに疲れた表情(かお)だ。当然だろう。あれから四、五軒回ったが、どの店からも冷たくあしらわれたのだから。
「オヤジ……。私の知らないところで、よっぽどひどい経営をしてたのね。あんなに他人(ひと)の恨みを買うなんて……。これじゃ、再出発も楽じゃないわ。まずはお店の信用を回復させないと」
 いつもの元気を失い、ふらふらしながら自分の店に帰り着くと、なんだか人だかりが出来ている。
「何かしら」
「おい、新しい店長はおめえか!」
 中年男が怒鳴った。
「そうです……。お客様ですか? 今日は閉店よ」
 ネミラは出来るだけ優しく言った。が、その返事は……。
「馬鹿野郎! うちの品物を取り返しに来たんだ!」
「私もよ!」
 商人風の人々は、男も女も、老いも若きも、口々に叫んでいる。
「どうなってるの? アタシ、わけわかんない」
 ネミラは、ぺたんとその場に座り込んだ。頭の中は真っ白。すでに思考回路は停止していた。
 店のドアの辺りで、何やら作業していた男が、
「……よし、開いたぞ」
 と言った。鍵が壊されたらしい。商人たちは店の中に入り込み、次々と品物を持ち出していった。
「あ……あははは。こんなの嘘よ。嘘に決まってるわ」
 ネミラは乾いた笑い声を発した。さすがの彼女も両眼に涙をためていた。
 人々が去ったあと、重い手足を引きずって店内に入る。不気味なほど、がらんとしていた。カウンターの上に置いてある、今朝(けさ)届いた父親からの手紙だけが妙に目についた。
「悪夢はここから始まったのね……」
 封筒の中を覗くと、もう一枚、別の便箋(びんせん)が入っていた。
 
『追伸の追伸。
 今まであの店が繁盛してきたのも、おとっつぁんが持っている〈商売繁盛の魔法腕輪〉が効果を発揮したからだよーん。これを身につけると、商談相手は金銭感覚を失い、無料(ただ)同然で卸してくれるんだ。若い頃、古代遺跡の宝物庫に潜入して盗んだ。危険を冒した甲斐があったねー。
 でも、残念なことに腕輪の効果は切れかかっているようだ。そろそろお馬鹿な皆さんが怒りだす頃だから、くれぐれもご用心してちょうだいな。
 そんじゃ、お元気でー!』
 
「……そういうことだったのね」
 ネミラの疲労は限界点に達し、そのまま店の中に倒れ込んで、気を失った。

(つづく)


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