すずらん日誌

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア〜

 

秋月 涼 



【補一話・光のすみか】


 森におおわれたルデリア大陸の山奥にサミスの村があります。小さな村ですから宿屋は一軒のみで、名前を〈すずらん亭〉といいます。村の誰もが知っている赤い屋根のかわいらしいお店は、二階建ての二階部分が宿屋、一階部分は酒場となっています。
 その〈すずらん亭〉に二人の女の子がいます。姉のファルナは十七才、妹のシルキアは十四才で、とても仲良しです。姉妹はお父さんとお母さんを手伝って、お店で働いています。料理を作ったり、お皿を運んだり、注文を取ったり、来てくれたお客さんと話をしたりします。二人は〈すずらん亭〉の人気者です。
 夜になると酒場は村人たちでにぎわいます。姉妹は休むひまもないほどのいそがしさですが、毎晩いろんな人が来てくれるので、すごく幸せな気分でした。
 酒場にはいくつかテーブルがあり、純白のすてきなレースカバーがかけられています。なお、それぞれのテーブルの中央には一本ずつ、小さなビンが置いてありました。ビンはすべて透明な液体で満たされ、ふたはきちんと閉じられています。調味料ともどこか違うようですし、花が生けられているわけでもありません。
 これらのビンは何のために置かれているのでしょうか。そしてビンを満たしている水とは、いったい何なのでしょう。
 じつは、ビンの中身は魔法の水なのです。ファルナとシルキアの姉妹が森の中で見つけてきたのです。二人がどのようにして魔法の水を見つけたのか、魔法の水にはどのような力があるのか、これから順を追ってお話ししましょう。
 
 それは雨月(六月)のある朝のことでした。空は晴れ太陽の光はいっしんに降りそそぎましたが、暑くはありません。それどころか涼しいくらいでした。何しろ、サミスの村は山奥にあるのです。
 くんできた冷たい井戸水で朝ごはんの食器を洗い終わると、お母さんはファルナとシルキアに一枚ずつ、おそろいの水袋(革製の水筒)を手わたしました。ひもつきのため肩にかけられますから、持ち運びに便利です。
 お母さんは言いました。
「メルブ森の清水をくんできておくれ」
 村の井戸水も充分おいしいのですが、さすがに山の新鮮なわき水にはかないません。事実、メルブ森の清水は〈すずらん亭〉の人気メニューの一つ。すぐに売り切れてしまいますので、お母さんはときどき姉妹に水くみを頼むのです。
 しかし、わざわざ森へのお使いを頼むからには、ほかに重要な意図がありました。お母さんは内心、娘たちに気分転換をはかってもらいたい、と考えていたのです。たしかにここ数日、姉妹はお店で働きづめだったので、二人とも久しぶりの遠出に大よろこびです。
 シルキアは飛びあがって言いました。
「やったぁ!」
 姉のファルナも、
「うれしいですよん!」
 と、ついつい笑みがこぼれます。
 姉妹は出がけに、お母さんからおまもりを受け取りました。手のひらサイズの、鷲をかたどった彫り物です。これは一家に代々伝わっている大切な品物で、祖先の霊が宿っているとされています。森の中の危険から、家族を守ってくれるのです。
「行ってきまーす」
 同じような水袋を同じように肩から下げ、おまもりをしっかりとにぎって、姉妹は〈すずらん亭〉をあとにしました。それからしばらくは平坦な道が続きましたが、村はずれになると急な上り坂です。
「よいしょ、よいしょ」
 体を前かがみにして、姉妹は坂を登ります。いくら気温が涼しいとはいえ、これだけ体を動かせば、ひたいにはうっすらと汗の玉が浮かんできます。
 ようやく坂を登り終えてふり返ると、すばらしい眺望です。点在する村の家々、その向こうに広がるクマザサの丘、さらに果てしなく広がる針葉樹の森。
「さあ、行くのだっ!」
 ファルナが元気よく言いました。シルキアは素直にうなずきます。二人は手をつなぎ、目の前の森に入りました。うっそうと茂る大きな木々、飛び回る小さな虫、足元に息づく緑色の植物、森のにおいと独特の湿った空気。そのどれもが、いそがしい日常を忘れさせてくれます。
 これからサミス村は短い夏を迎えます。高原のお花畑ではきれいな花が咲きみだれ、森の緑はさらに深まります。雪に閉ざされた長い長い冬のあとにめぐってくる春と夏は、村の人々にとって格別のよろこびです。
「たしか、ここを右だったよね?」
 シルキアがたずねました。二人は何度もメルブ森へかよっているので、目印や道順をきちんと覚えています。けっして迷うことのない、慣れた道でした。
「そうですよん。ここの白樺を右に曲がって、五本目のトド松を左なのだっ」
 ファルナが答えました。鳥たちの高らかな鳴き声が、静かな森にこだましています。鳥が歌い、たがいに呼びかけ合うと、さわやかな風が吹き始めます。
「すっごく気持ちいいね!」
 シルキアは本当にうれしそうです。
 しかし、おだやかな散歩はそう長くは続きませんでした。木洩れ日のえがいていた夢の地図がとつぜん光を失ったかと思うと、次の瞬間には完全に消えてしまったのです。
 森の中は急にうす暗くなりました。美しかった鳥の声が、なんだか悲鳴のように聞こえてきます。木々の枝の間から見え隠れする空は灰色です。さっきの青さがウソのよう、これほどまでに山の天気は変わりやすいのです。
「雨のにおいですよん……」
 ファルナは不安げにつぶやきました。雨降りの前ぶれである雨のにおいが、今や森全体をつつんでいました。さらに悪いことには霧が出てきて、どんどん視界がせばまってきたのです。シルキアは何も言わず、姉の手をぎゅっと強くにぎりました。
 ぽつり。いやな予感は的中し、にわかに雨が降り出しました。大雨というわけではなく、弱い霧雨だったのは不幸中の幸いでしたが、じつはたいへん困ったことが起きました。さっきの霧と、降り出した霧雨とが混じり合って、森はまるで牛乳の中にでも沈められたかのようにすべてが白くそまったのです。あっという間に、前も後ろも右も左もわからなくなりました。
「お姉ちゃん……」
 心細そうにシルキアが言いました。語尾はかすれて、今にも泣き出しそうです。ファルナも不安と恐怖で体じゅうの神経がはりつめていましたが、せいいっぱい勇気をふりしぼって妹を元気づけます。
「シルキア、霧はすぐに晴れますよん。大丈夫なのだっ、安心するのだっ」
 言い終わると、ファルナは手さぐり足さぐりで動き、近くの樹の根もとにすわりました。
「こういう時は、待つに限りますよん」
 のんびり屋の姉は、霧が消えるのをじっと待ち続けるつもりでした。
 腰かけは根っこで、背もたれは厚い幹……ほんのりとあったかい、ふしぎな樹のいすです。力をぬいて体をなげかけると気分が少し落ち着いてきました。足元から背中から樹のやさしさが伝わってきて、それがファルナのゆれる思いを少しずつ和らげてくれたのです。
 樹は本当にやさしいのでした。暑い夏は葉を茂らせ、日かげを作ってくれます。反対に寒い寒い冬がやってくると、葉を落として日なたを広げてくれます。こうして雨が降り出した時は、かさの代わりとなってくれるのです。
 ファルナの心はだいぶ落ち着いてきました。あやしい霧は深まる一方でしたが、根気よく待てば、いつか晴れるだろうと確信したのです。雨のにおいも、なんだかすてきに思えてきます。
 しかし心配なのはシルキアでした。にぎりしめている手は血の気がひいて冷たく、小きざみにふるえています。ふだんはしっかりしていて頭のさえる妹であっても、まだ十四才ですから、感情の起伏はそれなりにはげしかったのです。
「シルキア、安心するのだっ。ファルナがいるし、ご先祖様のおまもりもあるから、きっと大丈夫ですよん」
 ファルナはできるだけやさしい声で、もう一度妹を励ましました。するとシルキアは急に立ちあがって叫んだのです。
「こわいよ! あたし、もう待てない! どんどん霧は濃くなるし、雨はやまないし、それに、それに……」
 彼女が言葉につまると、いささか強い風がビュウと一吹き通りすぎました。姉妹はおどろいて心臓がどきりとしました。茶色の髪の毛がなびきます。
 風は、いつもは木の葉の楽器を静かに奏でるだけなのですが、今は雨とともに楽器をたたきつけているような感じです。木の葉は、樹から落ちないように必死でしがみついています。
 ファルナも急に心細くなりました。ここにじっとしていると、えたいの知れない悪いもの、たとえばオオカミが近づいてくるような気さえしてきたのです。
「……行く?」
 ファルナがささやき声でたずねますと、
「うん」
 シルキアも小さく答えました。その時また、風が勢いよく吹きすさびました。姉妹はついに覚悟をきめて、一歩一歩、霧の中へ足をふみ入れていったのです。
 もしも魔法があれば……。シルキアは真剣に考えました。自然をあやつる〈妖術〉系統の魔法の中には、霧を出したり溶かしたりする魔法もあるということを、彼女はうわさで知っていたのです。
 さてご存じのとおり、魔法を独学で身につけるのはとても困難です。一番てっとり早いのは、実力者の魔法使いを見つけて先生になってもらい、直接教わることですよね。魔法学院がある町なら、思いきって入学するのも良いでしょう。
 けれども辺境のサミス村には魔法学院はおろか、他人の指導ができるほどの力を持った〈先生級〉魔法使いすら、ほとんどいませんでした。
 それに魔法とは危険をともなう技術なのですから、たとえ先生が見つかったとしても、かなりの知識を得て充分な練習をつむのが必要不可欠。修得までには相当の時間と労力がかかりますよね。
 よって、幼いころから両親のお店を手伝ってきた姉妹に、魔法を勉強する余裕がなかったのは当然のことです。シルキアはそれを当然と思っていましたし、お店で働くことにやりがいを感じていたので特に不満はなかったのですが、ゆく手をいじわるな霧にはばまれて、この時ばかりは心から〈魔法を習っておけば良かった〉と悔やんだのでした。
 ファルナはだまって歩いています。こんなに濃い霧ははじめてでした。そばにいるはずの妹の顔さえ見わけがつかないのです。白い霧のほかには何も見えませんから、気をぬくと転んでしまいそう。
 それでなくとも森の地面には細かいデコボコがたくさんありますし、雨のせいでぬかるんでいる所もありますから、注意しすぎて損することはなかったのです。もし転べば、手をつないでいる妹にも迷惑をかけてしまいます。
 二人はそれぞれ色々なことを考えながら、霧の深さぶんだけ注意深く心をかまえ、あきらめずに歩きました。弱い雨は降り続いています。ただよう霧はあいかわらずです。時おり、樹の根に足をとられながらも、二人は歩き続けました。
 もう、どれくらい歩いたでしょう。足の疲労も心の緊張もそろそろ限界にたっすると感じられました。時間も場所も、何もかもわかりません。わかるのは、ここが深い森の奥ということと、霧の中にいること、そして手をつないで歩いているという三つだけです。
 風が吹き、霧雨が流れました。雨はもはや上から降っているのか下から降っているのかわからず、どちらも正しいような気がしてきました。濃い霧は森をおおっているのではなく、自分たちの心をおおっているような気さえしました。
 その時です。
「光?」
 姉妹はいっしょに言いました。向こうの方が、なんとなくぼんやりと明るい気がしたのです。もしかしたら目の錯覚かもしれない、とも思いましたが、うす暗かった森がじょじょに明るさを取り戻してきたのは間違いないようでした。
「お姉ちゃん、出口かもしれないよ!」
 霧の中で、シルキアの声がしました。
「うん。あとちょっとですよん!」
 ファルナもなんとか声をふりしぼり、力強く返事をしました。風に乗ってななめに走り去る雨も、いくぶん冷たさが和らいだようです。二人はがぜん、やる気になりました。
 みるみるうちに明るさが近づいてきます。何もかも忘れて、ひたすら足を動かします。
「やった!」
 姉妹は声をそろえて叫びました。ようやく霧が晴れて、視界が戻ったのです。これで森をぬけ出したかに思えました。
 しかし。
 残念なことに、そこはまだ森の中だったのです。たしかに霧はうすらぎ、まわりは変に明るいのですが、見わたす限りの針葉樹が姉妹を取りかこんでいました。おまけに道はここで行き止まりです。
 目の前には、明るい水をたたえた泉が立ちふさがっていました。湖と呼ぶには大げさですが、泉にしてはかなりの広さです。雨はやむ寸前のように見えて、しかしまだやまないようで、泉には時たま水滴が落ちて波紋が広がりました。
「……」
 姉妹はがっかりし、体の力がぬけて倒れそうになりました。どうにか、おたがいに支え合います。
 サミスの村はどこなのでしょう。わが家である〈すずらん亭〉はどの方角に進めばいいのでしょうか。完全に道に迷ってしまいました。
 ファルナはそれでもあきらめず、先祖から伝わる鷲のおまもりをしっかりにぎりしめると、自分のとなりで放心している妹に語りかけました。
「少し休もうですよん」
 するとシルキアは、まるでお人形さんのように力をぬいて、すとんと地べたにすわりました。彼女はまったく疲れきっていたのです。ファルナもゆっくりと腰を下ろしました。
 姉妹はしばらくだまったまま、泉を見つめて動かずにいました。高まった心臓の鼓動が、だんだん落ち着いてきます。うでを曲げると湿った服が体にまとわりつきました。
 すべては雨のせいです。ファルナは悲しそうな目で灰色の空を見あげました。
「雨……」
 空からは明るい雨が降りそそぎます。なにげなく手を伸ばすと、その雨はまるで油のようにファルナの手のひらをなでて、ゆるやかにすべり落ちていきました。
「変なの……」
 ファルナも疲れきっていたので、すぐにはその雨の異様さに気がつきませんでしたが、それからしばらくして彼女は急に立ちあがりました。
「何これ!」
「どうしたの、お姉ちゃん?」
 シルキアは心配そうに姉を見あげます。ファルナは目をつぶり、おだやかに降りそそぐ雨へ手を伸ばしました。
「やっぱり冷たくない、ですよん!」
 そして目を開き、こう言ったのです。
「これ、光の雨なのだっ!」
「光の雨?」
 頭の中まで疲れきっているシルキアは、そのことを理解するまでにしばしの時間を必要としました。彼女はようやく、ぽんと手を打ちます。
「本当だね! 雨じゃなくて、光が降ってるんだ」
 ファルナは大きくうなずくと、まっすぐ風のようにかけ出しました。泉のほとりにしゃがみこみ、まずは今までにぎっていた鷲のおまもりを地面に置きます。続いて、両手を泉にさしだします。
 思いきりすくいあげると、ほんのちょっと粘りけのある液体が、両手の内にたっぷりとたまっていました。指の間からしたたりながら、それはぼんやりと輝いています。輝きの強さは、時がたつにつれて微妙に変わるようでした。
 ファルナは納得した様子で言いました。
「この泉もそうなのだっ。光の泉!」
「えっ!」
 シルキアはびっくりして目を丸くしました。姉のそばにかけより、おそるおそる泉に手をひたします。すると液体は少しあたたかみがあり、やはり明るいのです。みるみるうちに彼女の顔に生気が戻ってきました。
「ほんとだ、光の泉だよ!」
「光の泉、光のおうち……。これはきっと、光のすみかですよん!」
 ファルナは興奮ぎみに叫びました。シルキアも姉の言葉をくり返します。
「そうだ、光のすみかなんだね!」
 泉のほとりから空を見あげると、本当にふしぎです。天のかなたから光の雨が少しずつ、少しずつ泉をめざして降りてくるように思えたのです。何すじもの細い光の雨は、まるで糸のようでした。
 光の糸はからみ合い、離れあい、もつれあい、時に混じり合いながら、ゆっくりと降りてきます。水の絶えない滝に似て流れがすみやかな瞬間もあれば、花びらをうるおすしずくのようにやさしくこぼれたり、次のせつなは虹のかけらのように色とりどり輝いたかと思うと、ふたたび色を失って永遠の透明さを取り戻します。
 変幻自在の光の糸は、ずっと見ているうちに妖精たちの歌の楽譜に思えたり、しまいには人間の一生をあらわしているようにも感じられました。
 このように、降りそそぐ光の雨は限りなく神秘的で、いつまで見ても見あきることはありません。
「そうだ」
 ふいにシルキアが言いました。何やら良い考えが浮かんだようです。彼女は肩からぶら下げている水袋に手をかけると、袋の口をしばっているひもをほどき、そっと光の泉に沈めました。ブクブクブク……水袋が光を吸いこんでいきます。
「ファルナも!」
 姉も妹のまねをして、袋を美しい光でいっぱいにしました。最後に袋の口をきつめにしばります。同じ量の水よりもだんぜん重いので、村まで運ぶのはひと苦労でしょうが、とてもすてきな光のおみやげができました。
「森の奥には、こんなすばらしい場所があったんだね!」
 と、シルキア。
「ずっと居たいですよん」
 ファルナがそう言い終わるやいなや、彼女のおなかがぐぅーっと鳴りました。さっきまでは緊張のため忘れていましたが、じつはもう、おなかがぺこぺこだったのです。無理もありません、けさの朝ごはんからはずいぶん時間がたっています。
 ファルナはうつむき、真っ赤な顔で言いました。
「そろそろ……帰ろうですよん」
 すると元気を取り戻したシルキアは、
「お姉ちゃん、はっずかしーい!」
 とはやしましたが、その直後、彼女のおなかも姉と同様、もしくはそれ以上の大きな音で自己主張したのです。
 顔がぽおっと赤くそまったシルキアは急に弱々しい声になり、
「帰れるんなら、帰りたいけど……」
 と、もじもじしながらつぶやきました。あいまいな口調で、ファルナも聞き取れないほどです。すると今度は、二人のおなかが同時に鳴りました。音は、静かな森にひびきわたります。
「帰ろう!」
 姉妹は光の泉に背を向け、忘れずに鷲のおまもりを拾うと、大股で歩き出しました。心の中では色々な気持ちが渦をまき、わけのわからない状態でした。
 それから二人は、森の中を適当に歩きました。雨はすでにあがっており、霧も消え始めていました。雨のにおいと独特の湿り気だけが、あいかわらず辺りにただよっていました。葉っぱは時おり、ためておいた水滴をぽたりと落としました。
「あれっ?」
 とつぜんファルナは目を見はりました。行く先になんとなく見覚えのあるトド松が現れたのです。そこを右に曲がり、けもの道をしばらく進んで行くと、きれいな白樺の樹が現れました。
「ここを左……」
 姉妹はあてずっぽうに歩いたはずなのに、いつしか行き慣れた道へ通じていたのです。ここまでくればサミスの村は目と鼻の先でした。姉妹はいよいよ気分が高まり、思いきり森の小道をかけぬけました。しだいにまわりが明るくなります。
 木々がとぎれ視界が広がると、生まれ育った懐かしい村が見えました。村のうしろはクマザサの丘で、さらに向こう側は果てしない森です。いつもと変わらぬ景色ですが、二人は妙に感動しました。
 というのも、それらのすべてが夕日に照らされて、あかあかと燃えあがっていたからです。草も木も、どこもかしこも……姉妹のほっぺたまでもが真っ赤です。雨あがりの空には、うっすらと虹の橋が架かっていました。
「帰ってきたんだ……」
 シルキアがふるえる声で言いました。長い霧をこえて体も心もくたくたなのに、彼女の心は本当に安らかでした。そして、きれいな黒い瞳はうれし涙でかすかにうるんでいました。
「あとちょっとなのだっ!」
 ファルナは大声をはりあげました。妹を元気づけ、自分自身をも励ますためです。遠くの山へ飛んでいった語尾が、こだまとなって返ってきます。
「……なのだっ……だっ……っ……」
 それから二人は疲れも忘れて、大好きな歌を口ずさみながら、雨にぬれた草をふみしめ夕日のあたる坂道を下って〈すずらん亭〉へたどり着いたのでした。
 お店の前で姉妹の帰りを心配そうに待っていたお母さんは、二人の無事な姿を見て大よろこびです。シルキアが水袋を開けて光のおみやげを見せると、お母さんはにっこり笑い、
「メルブ森の清水よりも、もっともっとすばらしいものをくんできたのね」
 と言って、姉妹の頭をかわるがわるなでました。すると、今まではお姉さんらしくふるまっていたファルナも一気にあどけなさを取り戻し、はにかみました。
 夜になって、お父さんが言いました。
「間違いない。それは伝説となって語りつがれている〈光の涙〉だ」
「ひかりのなみだ?」
 姉妹は聞き慣れない地名にとまどいました。うす暗い室内では、二つ並んだ革製の水袋がぼんやり灯っています。それはランプの炎よりも夢と希望とに満ちあふれていました。
 お父さんは、森の伝説についてくわしく話してくれました。
「善良な村人が道に迷ったとき、森の精霊は隠しておいた魔法の泉を出現させて、村人を救うことがあると伝えられている。泉にたまっているのは水ではなく光で、それは天から降りそそいだ聖守護神ユニラーダ様のご慈悲の涙なのだ。その泉を見つけた者は、必ず助かるといわれる」
「ふうん……」
 姉妹は興味しんしん、真剣に話を聞いています。お母さんはだまってあいづちを打っていました。お父さんはコホンとせきばらいしてから、話を続けます。
「伝説では、森を心から素直に信頼した結果、森の方からも愛された人物……つまり森と真の信頼関係を結んだ者だけが〈光の涙〉にたどり着ける、とされている。ファルナ、シルキア、お前たちは本当に運が良かった」
 これからも、聖守護神様と森に感謝するんだよ……。お父さんは最後に念を押しました。神妙にうなずいて姉妹が目をつぶりますと、まぶたの裏によみがえった朝の森の風景はあざやかです。二人はこの瞬間、偉大な森を前よりずっと好きになっていたのです。
 ふいに入口のドアの鈴が、ちりん、ちりんと軽やかに高らかに鳴りました。
「おう、来たぜー」
 今夜はじめてのお客さんです。伝説の話はひとまず打ち切って〈すずらん亭〉の面々はそれぞれの持ち場につきました。お店はしだいに活気づきます、今夜もいそがしくなりそうです。
 
 さて、ここで話を元に戻しましょう。私ははじめに〈すずらん亭〉のテーブルに置いてあるビンの中身について、質問をなげかけました。
 私の話を聞いて下さった貴方ならばすでにおわかりとは思いますが、そうです、あれはファルナとシルキアの姉妹が〈光のすみか〉でくんできた光り輝く魔法の水、聖守護神様のご慈悲の涙なのです。
 二人は、くんできた光を自分たちだけの宝物にしておくのはもったいないと考えました。結局、いらなくなった透明の小さなビンに光を等しく分配し、それをテーブルにつき一本ずつ並べたのです……ランプの代わりとして、夜の酒場をあたたかく照らすために。
 昼間はなんてことのない、ただの水のように見えますが、夕方から夜にかけてビンはしだいに明るさを強めます。ぼんやりと輝く液体の光は〈ムードがある〉〈きれいだ〉〈ふしぎだ〉と、お客さんから大好評でした。
 以来、光のビンは夜ごと活躍しています。村を訪れる旅人は光るビンを見ておどろき、きまって中身をたずねます。すると姉妹は自分たちの思い出話をよろこんで語るのです。じつをいうと私自身も、かつてサミスの村を訪れた際に、彼女たち本人からこの物語を聞いたのです。
 こうして〈すずらん亭〉は人々の記憶に残り、さらに繁盛するのでした。ファルナとシルキアの姉妹は、今夜もきっと元気いっぱい働いていることでしょう。
 私はそう信じているのです。

(了)



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