幸せの木の実

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア〜

 

秋月 涼 

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第六章 幸せの木の実


「そうだ、リンだ」
 歌会が始まると、観衆はみんなその場に立ち止まり、舞台の演奏に聴き入ったので、はぐれたリンを探し出すのはよけいに難しくなってしまった。そればかりか、情けないことに俺自身もルーグたちとはぐれてしまったのだ。
 やむを得ず、ごった返していた広場から少し遠ざかって民家の壁に身をもたれ、昨日からのことを思い出しながら歌会が一段落するのを待っていた。
「第一部は以上を持ちまして終了いたします。それでは恒例となっている敗者復活戦のくじ引きをいたします!」
 司会者が独特の抑揚をつけて言った。その声が拡声魔法によって広場全体に響き渡ると、多数の観客がどよめいた。
 歌会は第一部と第二部に分かれている。予選を勝ち進んだ気鋭の新人たちは第一部、前回の大会で入賞した実力者は第二部に登場するのだそうだ。
 その第一部と第二部との間に抽選が行われる。当選した数名は、予選なしで自らの歌声を披露することができる。
 俺は懸案となっている〈リン探し〉を再開するため、広場の方へと歩を進めたが、あまりの人混みで気分が悪くなってしまった。スリに遭わないようポケットの財布を指先で確かめながら、田舎者の俺は、右へ左へふらふらと歩いていった。広場に近づくに従って気温が上昇する。
 司会者はルールを説明していた。
「今回の敗者復活枠は三名です、抽選はきわめて公正に行われます。抽選を行って下さるのは村の領主を務めておられるアネッサ男爵、村民の代表者であるラグー村長、そして司会のわたくしです。それではよろしくお願いします!」
 男爵、村長、司会者の順番で茶色の小箱に手を差し込み、一枚ずつ番号札を引く。司会者が番号を読み上げると、舞台近くにひしめいていた抽選待ちの集団は落胆の溜め息をついて解散した。
 男爵と村長は審査員席に戻り、司会者はコップの水を軽く口に含んで小休止すると、再び小鳥のさえずりのようにひたすら喋りまくる。
「それでは幸運な三名の方、舞台横の階段から上ってきて下さい。嘘をついてもばれますからね、当選した方だけですよ。はい、どうぞどうぞ。伴奏用の譜面は楽団の方に渡して下さいね」
 そんなことに気を取られている場合ではなかった。早くリンを捜さないと……せめてルーグたちに合流しないと。俺は人波の揺れる夜の海を孤独に泳いだ。観客の主目的である第二部が始まってしまうと、たぶん動きづらくなるから、敗者復活組の演奏中が最大にして最後のチャンスだった。
「お嬢さん、今のお気持ちは?」
 司会者が、運良く当選した女の子に質問をしていた。その間、楽団の演奏家たちは音合わせに余念がない。
 舞台の少女がはつらつと答えている。
「とっても嬉しいです!」
「あ?」
 その瞬間、嫌な予感がして立ち止まった。顔から血の気が引いていく。
 まさか、な。そんなはずは……。
 司会者の声。
「お名前は?」
 直後、不安は無惨にも現実となった。
「リンローナ・ラサラと申します!」
 すぐには受け容れがたい恐るべき事実だ。あの音痴娘が、名高いアネッサの歌会に出てしまうなんて……信じられない。
 あいつ、いつの間に敗者復活の抽選名簿へ登録したんだ?
 そうか。今日の昼間、ローディが歌会へエントリーしに行ったとき一緒についていったのは、こういう魂胆だったんだな。
 そして、ゆうべローディの手伝いをしながら、きっとリン自身も歌会用の楽譜を書いていたんだろう。
 やられた!
「それではラサラさん、よろしくお願いします。曲名は『森のハーモニー』です。どうぞ!」
 司会者が右手を挙げると、二十数名の楽団員がおごそかな雰囲気で前奏を始めた。人々の注目が壇上のリンに集まる。
 あいつの歌をやめさせるべく、俺は無我夢中で走り出した――前へ。非情な竜巻のごとく、かなり強引に人波へ体当たりする。俺の後ろに細い道が開通し、すぐに埋まってゆく。
 リンが息を吸う音が会場にこだました。いよいよだ……俺は苦虫を噛みつぶしたような顔で走り続けた。
「輝くぅ〜陽の光ぃ〜」
 正真正銘、リンの声。全く悪夢だ。
「この道を〜、照らしだ〜すぅ〜」
 リズムはどうにか合っているものの、しょっぱなから音は不安定だ。観客からどよめきが沸き起こる。
「あの子、なんか変よね」
「緊張してるのかしら」
 ひそひそ喋っている四十代くらいのおばさんたちへ突っ込んでしまった俺は、
「すまねえっ」
 と短く謝って、引き続き舞台を目指した。
「何するの、あんた待ちなさい!」
「失礼よ!」
 おばさん軍団の怒りはおさまらない。申し訳なく思いつつも、無視して逃げ去った。
「今こそぉ〜、手にしよぉ〜」
 聞き慣れたリンのひどい歌が、混乱気味の頭をさらに深い混迷へと導いた。しゃがんだり飛び跳ねたり、右へ左へ避けたり、ぶつかったり足を踏んだり。俺は群衆をかき分け、謝罪しつつ前進した。
「悪い、すまねえ。通してくれ!」
「大人たちがぁ忘れた世界でぇ〜」
 リンの声が大きくなり、舞台が近づく。その時、横笛吹きの女性がわずかに首をかしげたのを俺は見逃さなかった。
「あちゃー」
 リンの音痴はしっかりばれていた。
 最前列までたどり着いたとたん、重装備の警備兵に睨まれたので、逆に睨み返してやった。しかし警備兵がいる限り、舞台へ上がるのは困難だ。
 諦めて放心し、立ちつくす俺を、周囲の連中が罵倒する。
「おい、見えねえぞ!」
「何するんだ、痛いじゃないか!」
「足、踏んだわね!」
 俺は一応、頭を下げたが、
「すいませんね……」
 このまますごすごと引き下がるのはしゃくに障ったので、舞台付近にどっかりと座り込んだ。
「嬢ちゃん、しっかりしろぃ!」
 酔っぱらいがヤジを飛ばす。それでも気持ちよさそうに歌っているリンを、俺は半ばあきれて眺めていた。
「知らない〜街までぇ〜、歩いて行こう、幸せさがしにぃ〜」
 リンの歌は盛り上がりの部分に入った。相変わらず聴くに耐えない歌だ。音程が滅茶苦茶である。昨日、シェリアと斉唱してた時はましだったのにな……。
「希望はぁ〜、き〜っと叶う〜! このぉ〜、旅路のぉ〜、果てでぇ〜!」
 歌声が途切れ、演奏のみとなった。いつしか俺の顔は夕焼けのように火照っていた。
 司会者が何か上手いこと言ってリンの音痴を誤魔化していたものの、よく覚えていない。満面の笑みを浮かべて舞台の階段を降りてきたリンの左手をつかむと、俺はやつを引きずるようにして、その場から文字通り〈退散〉した。
 弾む息、汗ばむ両手。人で混み合う広場を抜け出しても、しばらく無言で走り続けていたが、俺は小川に架けられた丸木橋の袂まで来て足を止めた。
「はぁ、はぁ……」
 リンは中腰になって苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。俺は耳まで真っ赤に染め、声を振り絞って怒鳴った。
「恥ずかしいッたら、ありゃしない!」
 これほどまでに恥ずかしい思い――しかも自分以外が元凶――は、かつて経験したことがなかった。
「てへっ」
 リンは悪びれずに舌を出す。そういう様子を見ているうちに何だか拍子抜けし、怒る気力も失せてしまった。
 無性に馬鹿馬鹿しく、
「おめえは……」
 とつぶやくのが精一杯だ。
「ねえ、あたしの歌、どうだった?」
 リンはいたずらっぽく微笑む。俺は大げさに溜め息をつきながら、やつの問いを復唱する。
「『どうだった』だと?」
「びっくりしたでしょ?」
 リンは追い打ちをかけてきた。精神的な疲労で打ちのめされ、体じゅうに力が入らず、俺はがっくり膝をついた。
「お前にゃ負けたよ……」
 涼しい夜風が熱くなった頬を冷ましてくれた。
 リンは動機を説明する。
「昨日の昼間、ローディさんに『負けたっていい、何度でも挑戦しろ』って言ったのは誰だっけ?」
 そう言われると思い当たる節がある。雫の谷でローディを説得する際、そんな台詞を吐いたかも知れない。
 一瞬、言葉に詰まってしまう。
「それは……」
「だから歌ってみたんだよ」
 すました顔でリンが語り終えると、またもや腸が煮えくり返ってきた。どうにか心の体勢を立て直し、怒鳴りつける。
「それとこれとは違うだろ!」
「同じだよっ」
「違う!」
「同じ!」
 俺とリンは向かい合ったまま反対のことを言い合っていたが、結局、俺の方が先に根負けして折れた。
「もういい。心配して捜し回った俺が馬鹿だったぜ」
 骨折り損のくたびれ儲けだ。どうしてあれほど真剣にリンを捜したのだろう?
 すると今まで明るかった相手の顔が曇った。人混みにもまれて皺だらけになった楽譜をいとおしそうに広げながら、リンはしんみりとつぶやく。
「やっぱりあたし、音楽は駄目みたい」
 異議なし。
 ほっとして、すぐさま応える。
「そうだな、やめといたほうがいいぜ。俺からの重要な忠告だ」
「うん、わかった」
 素直にうなずくリンヘ、とどめの一言。
「周りに迷惑だからな」
 その言葉が効いたのか、やつは穏和な微笑みをどこかへしまって急に表情を険しくし、俺のことをまっすぐ睨み上げた。
「迷惑? それ、ちょっと言い方がきついんじゃないかなあ?」
 図に乗る俺。
「迷惑……むしろ害悪か?」
「ケレンスっ!」
 怒りが爆発し、やつは俺の胸をひっぱたこうとした。が、そう易々と食らう俺ではない。むろん素早くかわした。
 リンはバランスを崩して倒れ、そのまま膝を丸め、小刻みに震え出した。
 泣いてるのか?
「おい、リン? リンローナさん?」
 不安を抱き、しゃがんで相手の顔を覗き込もうとする。華奢な肩をつかんで前後に揺らしてみた。
「うぷっ……」
 突然、変な声がしたかと思うと、
「あははははっ!」
 リンは顔を上げ、大声で笑い出した。いつものリンの無邪気な笑顔がそこにあったので非常に嬉しく思ったものの、本心は隠し、食ってかかる。
「こ、こいつ……だましたな!」
「だってケレンスがひどいこと言うんだもん。お互い様だよ」
「話が矛盾してるぞ!」
「矛盾してないもん!」
 再び口論になってしまった。俺たちは興奮する自分自身を抑えるため、小川のほとりに座り込み、さわやかなせせらぎを聴きながら星空を見つめた。
 広場の方から司会者の声が流れてくる。
「それでは第二部の始まりです!」
 ひときわ歓声が高まったけれど、この丸木橋の周辺だけは歌会の喧噪から置き去りにされて、ひっそりと静まり返る。
 リンは口元を隠し、上品にあくびをした。
 そのとき急に、今まで避けていた問いをあえて訊ねようと決めた。おっかなびっくり喋り出す。
「どうだ、姉貴と仲直りして落ち着いたか? 冒険者やめるなんて、もう言うなよ」
 頭上にちらばる光の粒が瞬く。
 リンは両腕を伸ばし、首をひねった。
「わかんない。また言うかも知れないなぁー」
「おいおい、脅かすなよ……」
 漆黒をひた走るリンが、号泣したリンが、自分を責めまくるリンが脳裏をよぎり、本気で冷や汗をかいた。
「でもね、ケレンス」
 やつはようやく真面目な顔になって俺をしっかりと見つめ、すがるような目で心の底から切なる願いを託す。
「もしもあたしが弱っているとき、そのときはあたしを支えて欲しい」
 夜風に乗って、広場から歌の破片が流れてくる。麗しい音色は天へ届く。
 お前、強くなったな……。
 しっかりとうなずいて、俺は力一杯、宣言した。
「わかった。その代わり、俺がへこたれそうな時は力を貸してくれ」
 辺りに滴る闇という液体を吸い込みながら、やつは改めて語りだした。
「もちろん、それはお互い様! あたしは本当にいい仲間に恵まれたよ。助けてくれる素晴らしい仲間たちが全部あたし自身の力だから、辛い時でも自信を持って歩いてゆける!」
 その通りだな……俺は限りない安らぎに満たされた。冬の暖炉を想起する。
 一区切りつけてから、リンは俺の耳元に唇を寄せた。吐息が生暖かい。
「これからも絶対に迷惑かけると思うけど、よろしくね」
 なぜか心臓の鼓動が高鳴った。それをごまかすため、早口で抱負を述べる。
「ああ。俺はお前を助けるための準備として、まずは本当の意味でお前を理解していきたいと思う。まだまだ分からねえことが多すぎるんだ」
 風はおさまったのに、向こうの納屋でガサゴソと何かが動く音がした。横目でちらりと確かめ、どうせ犬か猫だろうと判断して話を続けることにした。
「お前だけじゃねえ、ルーグもシェリアもタックもそうだ。俺にとってかけがえのない、まさに家族みたいな仲間だからこそ、俺はみんなの〈心〉をきちんと理解していきたい。今、痛切に思う」
 楽しいだけの少年時代はゆっくりと形を変え始めていた。言いたいことを言い終えて、深く長い呼吸をする。
 リンは俺の発言をかみしめていたが、やがてこう言った。
「ケレンスは、自分の心の中に〈幸せの木の実〉を見つけたみたいだね」
「お前もな」
 さらさらの髪へ手を伸ばし、優しく撫でてやると、リンは気持ちよさそうに目を閉じていた。
 撫でるのをやめると、やつはゆっくりとまぶたを開いて現在の心境を語った。
「あたし、今まで自分一人で頑張らなきゃ、と思い続けてきたけど、それは間違ってた。もっとみんなで助け合わないと、先へ進めない……」
 その時だった。
 さっきから気になっていた納屋の陰から、突如、若い女性のささやき声が洩れた。
「ちょ……ちょっと押さないでよ」
 リンと顔を見合わせる。
 悪寒が背中を駆け抜ける。
 次の瞬間には、疑問の解決を図るべく、二人して納屋の方へ歩き始めていた。
 驚愕。困惑。絶句。
 何とそこには、シェリア・ルーグ・タックが集結し、耳をそばだてていたのだ。
「コホン、コホン」
 シェリアは妙な咳払いを繰り返す。
「いやー、今日はいい天気だ」
 星をちりばめた夜空を見上げ、わざとらしくルーグが伸びをした。
 表情をゆがめ、俺は唖然とする。
「お前ら、いつの間に……」
 タックはにやける。
「今夜は本当に暑いですねえ、熱々ですね。お二人さん、そう思いませんか?」
 言ったそばから、冷たい夜風が流れた。ひどい皮肉だ。
「前から怪しいと思ってたのよね〜。ゆうべも出かけてたみたいだしィ」
 と、ほくそ笑むシェリア。リンは明らかに動揺し、視線が定まらない。
「違う、全くの誤解だ!」
 大声で否定しても逆効果だった。タックは針のようにつついてくる。
「むきになるところが、よけい怪しい」
 頭に来た。変な噂を徹底的に排除するため、リンの文句を並べる。
「なんで俺が、こんなちびで色気がなくて、ついでに胸もなくて、体力もなければ音感もない……」
「ケレンスの馬鹿ぁーっ!」
 リンの平手打ちが飛んできた。俺はその攻撃を、やはり素早くかわす。にわかに俺とリンとの追いかけっこが始まった。
「待ってよー、ケレンス。あたし怒ってるんだからね、本気だよっ!」
 ルーグたちは腹を抱えて爆笑していた。
 
 広場へ戻ると、歌会は第二部の終盤にさしかかっていた。誰が優勝しても遜色のない高レベルの争いだ。演奏者が創りあげた美しい世界に観客らは酔いしれる。
 音楽のことは良く分からないが、同じ人間の声がどうしてあんなに響き渡るのか、不思議で仕方なかった。
 リンは今ごろ恥ずかしさを感じているようだった。
「あたしの出る幕じゃなかったね……」
 王国東部で最も由緒あるアネッサ村の歌会に、恐れ多くもリンみたいな〈生粋の音痴〉が出場したのは、前代未聞かつ空前絶後だろう、と俺は思った。あいつらしいといえばあいつらしいけどな。
「次がローディさんですよ」
 タックが腕組みをしながら言った。華々しい歓声が沸き起こる中、司会者が名を呼ぶと、白いシャツと黒いズボンをはいた痩せ気味の男が特設舞台中央に現れた。ローディの声も司会者同様、拡声魔法で会場全体に届けられる。
「みなさん、ご心配をおかけしました」
 遠くからだったのでローディの表情までは詳しく読み取れないが、彼の仕草は初めて会った昨日の昼間とは別人のように見える。完全に吹っ切れたようだ。
 司会者はメモを片手に解説する。
「今回のローディさんは、かなりの冒険をなさっております。曲目は『おやすみ』。ローディさん初の世俗曲です」
 一息おいて、彼は叫んだ。
「では、どうぞ!」
 
 静まり返る会場をつつみ込むように、鍵盤楽器のみの簡素な前奏が夢のように始まった。喋る者は誰もいない、唯一どこかで幼子が泣いているだけだ。
 
「真っ赤な夕焼けが
 あまりにもきれいで……」
 
 突然、夜空の彼方から流れ星のように歌声が降り注いだ。俺はしきりに首を動かし、ありとあらゆる方向を捜した……声の主はどこに居るんだ。この声はどこから降って来るんだ。天界の神か?
 
「ふと、立ち止まってみたら
 僕の影が長く延びてた……」
 
 そして俺の視線はやがて舞台上の一点に集約された。
 やっぱりローディだ。
 あいつの声が、空から落ちて来るんだ!
 
「ひとつひとつ増えてく
 星を眺めていた……」
 
 俺の頭の中に、故郷ミグリ町へ舞い降りる粉雪たちの風景が浮かんでは消えた。
 冬空を砕いた粉雪のようなローディの声。
 
「たくさんの思い出ありがとう
 今日よ、おやすみ……」
 
 全身に鳥肌が立った。ローディの声は再び夜空へと還り、小さな楽団はごく繊細な調べで音を奏でた。
 再びローディが歌い始める。
 
「さみしい帰り道
 心は沈んでた
 でも風がそよぎ出せば
 涙なんか溶けて消えるよ」
 
 二番になると鍵盤楽器に加えて、人の背丈ほどもある巨大な弦楽器による通奏低音や、横笛による新たな和音が入り、曲調は少し元気になった。それに伴ってローディの声質も微妙に変化した。
 
「長い冬のあとには
 きっと春が来る
 新しい明日を夢見て
 今日におやすみ……」
 
 いつしか赤子も泣きやみ、会場にいる全ての人の心が同じ音楽を共有することで強固に結ばれてゆくのが分かった。
 
「心の小箱を解き放って
 さあ、懐かしい場所へ
 旅に出よう!」
 
 夜から曙、黎明、そして日の出へと時間が経過するような、すごく広がりのある曲想だ。歌詞も難しくないので音楽に無知な俺たちでも素朴に共感できる。
 
「ひとつひとつ増えてく
 星を眺めていた
 たくさんの思い出ありがとう!
 今日よ、おやすみ……」
 
 浄化された俺の心に、次々と平穏の樹が根づく。その枝の先には、淡く光を放つ〈幸せの木の実〉がなっている。
 
「思い出いっぱい、ありがとう!」
 
 刹那、ローディの声が、伴奏が、ふっと止まった。広場に静寂という音が響く。
 それから再び音楽が動き出す。
 
「今日よ、おやすみ……」
 
 ローディは一歩下がり、楽団の伴奏はまたもや鍵盤楽器のみとなる。暖かな拍手がどこからともなく生まれ、それは巨大な渦となってアネッサ村を越え、森の遠くまでこだました。
 俺は長い間、両手が痛くなるほど叩き続けた。うっすらと涙を浮かべる者もいる。俺の隣に立っていたリンの横顔も感動で紅潮していた。ローディは驚くほど冷静で、一礼すると清らかに舞台を去った。
 そして今回の歌会の真打ちは春に優勝したサバラ。俺たちに〈ローディ説得〉を依頼した張本人であり、ローディの永遠のライバルだ。
 司会者が彼を紹介すると、観衆は地が割れんばかりの盛り上がりをみせた。サバラは肩を上下に揺らして自ら緊張を解きほぐしながら定位置に着く。
 司会者が叫ぶと、
「曲目は『悲しみの大地』です。ではサバラさん、よろしくお願いします!」
 聴衆は急速に黙り込んだ。
 透明な一つの〈緊張感〉と化した会場の中で、楽団による神秘的な前奏だけがかすかに灯り続けた……希望の残照のように。その上へサバラの美しい旋律が加わる。努力家のサバラらしく、とてもこなれている印象を受けた。
 彼の歌は、この地域に伝わるミミナガ伝説について歌った難解な叙事詩だ。あとからリンに聞いたところによると、こういう古来からの伝承に曲をつけたものを一般的に〈伝承歌〉と呼び、庶民に慕われる〈世俗曲〉とは区別されるそうだ。
 さて、ミミナガとは一見ウサギに似た小さな獣で、体は木々の保護色である緑色をしている。そして驚くべきことに、長い耳を素早く回転させることによって空を飛べるのだ、と伝えられている。
 そのか弱き動物は人間の手によって殺され続けた。強い魔力を含んでいるミミナガの生肉は、延命薬の調合に欠かせないからだ。
 長い間、乱獲されたミミナガは絶滅の危機に瀕している。今でこそ保護の対象になっているが、それでも密猟者は絶えないという。
 サバラの歌が終わり、会場は重苦しい雰囲気につつまれた。終わりのない泥土に引きずり込まれたような感覚だ。盛大な拍手の音さえ、どことなく悲痛に響いた。
「これより審査に入ります」
 司会者の言葉をきっかけとして観客の緊張が緩んだ。今回の歌会を総括して出演者に個人的な評価をつける老婆、我慢していた用を足すために駆けだした中年男、感懐冷めやらぬ若い娘、母の胸で安らかに眠る赤ん坊。
 シェリアがぼんやりした表情で語る。
「悲しいミミナガの運命を嘆いた昔の詩に〈ふし〉をつけ、伝承歌として発表する……この歌会ではありがちなことらしいわよ。毎年、何人かいるみたいね」
「そうです」
 振り向くと、徹夜のせいで目に隈ができてしまったローディが立っていた。
「ミミナガについての伝承歌は、もともと僕の必勝パターンでしたから。伝承歌は審査員連中の受けがいいんですよ。僕はそういう風潮を壊したくて、あえて芸術的評価の低い世俗曲を書いたんです」
 ローディと話し込んでいたら、周りの人々が彼を囲んだ。歌を誉めちぎったり、なぜ世俗曲を発表したのかと質問したり、孤独な挑戦に不安がったり。
「応援してくれて、ありがとう」
 ローディは全ての感想に対し、平等に礼を述べていた。
 中にはこういう指摘も。
「半年見ないうちに、ずいぶん謙虚になったんだな」
 するとローディは俺ら五人を指さし、
「この人たちのお陰で目が醒めました」
 なんて言ったものだから、今度は俺たちが恐縮してしまった。ローディを取り囲む人々は絶えない……この村では音楽家が本当に尊敬を受けている、ということを改めて感じた。
「それでは、まもなく審査結果を発表します。出場者は舞台へ集まって下さい」
 涸れ気味の声を振り絞って司会の男が叫ぶと、ローディはポケットから数枚の金貨を取り出し、ルーグに渡した。
「どうぞ」
 ルーグは困ってしまい、受け取った金貨をローディへ返そうとする。
「我々は、サバラさんから手付け金と成功報酬とをしっかり受け取りました。この件の契約は済んでいるんです。貴方からお金を頂くわけにはいきませんよ」
「これはほんの気持ちなんです。食費の足しにでもして下さい」
 しまいには押しつけるようにして金貨を手渡すと、ローディは舞台へ上るため人混みの中へ消えていった。
「ありがとう」
 その華奢な背へ、ルーグが俺たちを代表して感謝の辞を述べた。ローディの後ろ姿が笑っていたように、俺には見えた。
 次の瞬間、何かを思い出して〈はっ〉と息を飲んだのは、隣のリンだった。
「あたしも一応、出場者だった!」
 やつは人の群れに押しつぶされながらも、照明魔法のお陰で闇の中に明るく映える特設ステージを目指して駆けだした。
 楽観的に声をかける。
「気をつけろよー」
 一方、ルーグのこぶしに眠る幾枚かの金貨をにやけながら覗き込んでいたシェリアは、彼の肩に頬をすり寄せ、不気味な猫なで声をあげる。
「ね〜えルーグぅ。その臨時収入で、新しいお洋服、買いましょっ!」
 彼はあからさまに嫌そうな表情をした。そこへ横やりを入れ、リーダーを救うのは会計担当のタックだ。
「金貨は僕が預かります。ローディさんがおっしゃった通り、食費の足しにでも使わせていただきます」
 冷徹な言葉が、浮かれたシェリアを完膚無きまで叩きのめした。
「ああ……お洋服……」
 そのとき司会者の高らかな声が響き渡り、シェリアの嘆きを消し去った。
「歌い手の方々が出揃いました。いよいよ審査結果の発表に移ります」
 ざわめく観衆。よくよく目を凝らすと、舞台の一番左端には背の低い見慣れた聖術師がちゃっかりと立っていた……。
 
 表彰式が終了し、村長と男爵が終わりの挨拶をした。熱気が冷め、一部の人々は帰り支度を始めた。広場の気温がしだいに低下し、心地よい疲労感と空虚さとがゆったり辺りに染み込んでいく……祭りの最後はいつもこうなのだ。
 全員による斉唱がアネッサ村の秋の歌会を締める。その曲目は、旅の吟遊詩人が作った〈メラロール王国歌〉だ。
 楽団の奏でる力強い音楽が、澄みきった空気を伝わって外へ外へと拡散していく。ノエラ河が雫の谷を越えるように、音の調べはアネッサ村を、丘を、そして森をも凌駕し、果てしなく流れた。
 会場にいる全員が王国歌を口ずさむ。
 
「長い冬が明け
 新しい春が来て
 小鳥たちの歌がひびく
 森に空に町に
 
 ひかり満ちあふれて
 全てが動き始める
 偉大な王、優しい王妃、暖かい人々
 
 ああメラロール
 雪も溶けて、うるおう河
 ああメラロール
 いつまでも永遠に……」
 
 一番が終わり、短い間奏に入った。俺は目を閉じ、さきほど発表された歌会の審査結果を思い出してみる。
 最優秀新人賞から始まった各賞発表は、入賞・優良賞・優秀賞と、休むことなく進められた。一つの賞が発表されるごと、舞台上では歓喜の叫びが弾けた。
 気がつくと、残るは準優勝と優勝のみ。この二賞をサバラとローディが分け合うのは、ほぼ間違いなかった。あとはどちらかが優勝か、という問題だ。
 しかし司会者は大多数の聴衆の予想を裏切り、驚くべき発表をした。
「今回、厳選なる審査の結果、残念ながら準優勝は該当者なし、となりました」
 どこからともなく溜め息が洩れる。舞台上のサバラとローディは明らかに狼狽していた……どちらかが優勝で、どちらかは落選なのだ。
 中年の司会者は、すでに涸れてしまった喉をさらに酷使して会場を盛り上げた。
「いよいよ、秋の歌会を征した優勝者を発表いたします!」
 時間が止まる。
 夜風も凪いだ。
 人々の息づかいも、一時的に停まった。
「優勝者は!」
 俺はサバラとローディ、二人とも優勝させてあげたいと切に願ったが、どうやらそういうわけにはいかないようだ。
 司会者は一人の名前を連呼した。
「優勝はサバラさん。前回に引き続きサバラさん、サバラさんです!」
 サバラが前に出る。鳴り響く拍手を一身に受け、彼は色々な方角へ向かって何度も礼を繰り返した。
 ローディは負けた。やはり世俗曲での挑戦は無謀だったのだろうか。俺はサバラを祝福すると共に、ローディへ正当な評価を与えなかった審査委員会を恨んだ。
 審査委員長である男爵は講評を述べた。
「サバラ君の歌はとても練習をしたのだな、という印象を受けた。一分の狂いもない演奏は、まさに珠玉の芸術作品であった。これからも精進してもらいたい」
「ありがとうございます!」
 サバラは感激の面もちで賞状と賞金を受け取り、男爵と固い握手を交わした。その間ずっと拍手は鳴り響いていた。
 頃合いを見計らって司会者はゆっくりと手を振り下ろし、観客を沈めさせる。
 そして突然こんなことを言い出したのだ。
「今回は審査員特別賞が出ております」
 俺は胸が高鳴った。その賞はローディであって欲しい、と祈る。観客が騒がしくなると、司会者はそれがおさまるのを待ち、じっと発表の機会を伺っている。
 群衆の中から自発的に、
「静かにしろ!」
 と怒鳴る男が出始めると、うるさかった私語は夜の闇に溶けていった。
「審査員特別賞は!」
 司会者へ視線が集まる、そして緊張感。
「ローディさんです!」
「やったぜ!」
 俺は聴衆に混じって、思わず右腕を振り上げた。他人事とは思えないほど感激し、心の底から嬉しく思う。長雨が去ったような晴れ晴れした気持ちだ。
 今度は村長が受賞理由を説明する。
「ローディ君は世俗曲という扱いの難しいジャンルに、あえて立ち向かってくれました。やや練習不足のような気がしたが、それを感じさせないほど心がこもっていたので私は好感を抱きました。世俗曲の良さを生かした名演で、まさに彼の新境地です。彼の勇気に栄光あれ!」
 大きな拍手が沸いた。むろん俺も手が赤くなるほど喝采した。タックもルーグもシェリアも口々にローディを誉め称え、そして全ての出演者を賞賛した。
 ローディの一言が俺の胸を火照らせる。
「僕はここから新しいスタートを切ります。一夜漬けの曲で勝てるほど、この歌会は甘くはないのです。今後は調子に乗らず、練習に励むことを約束します」
 ローディはサバラのもとへ進んで、右手を差し出す。サバラはそれを握りしめる。
 ライバルは、今や親友になった。
「次回も切磋琢磨しようじゃないか」
 と、ローディ。
「ああ、もう逃げないでくれよ」
 応戦するサバラ。ローディはしっかりとうなずき、暖かい拍手は高鳴った。
 
 俺が色々なことを回想しているうちに、メラロール王国歌は終わってしまった。大きな叫びがあちこちから起こる中、名残り惜しくも秋の歌会は無事に終了した。
 アネッサ村の夜は更けてゆく。ローディとサバラの両名は村人有志による祝勝会に招かれたので、俺たち五人は先に失礼してローディ宅へ戻り、次の朝日が昇るころまで死んだように眠り続けた。
 薄暗い中、何かが動き出した音で夢が寸断される。重い体を無理に起こすと、ルーグが置き手紙を書いていた。
「これをローディに残していく。私たちは彼が寝ているうちに村を発とう」
 依頼が解決したら長居は無用だ。留まれば留まるほど人情が積もり、移動しにくくなってしまうからだ。辛いけれど、これが冒険者の宿命。俺は思いきり伸びをして出発の準備を始めた。タックも飛び起きて着替え出す。
 女性部屋となっている客間へ行くと、リンとシェリアはあらかた用意を済ませ、髪をとかしたり爪を磨いたりしていた。これから森の中を歩くんだから、おめかししても意味ねえのに、と思いつつも、朝っぱらから姉妹を敵に回すのは面倒なので黙っていた。
 俺たちは玄関で落ち合い、そっとローディの家をあとにした。その後ろから真っ赤な太陽が顔を出す。黄金色の空に浮かぶ雲の群れが実に美しい。
 逆光を浴びて黒い影となっているアネッサ村の家々。丘の上から、つかの間の親友たちに別れを告げる。
 ローディ、サバラ。元気でな……。
 アネッサ村や雫の谷で経験した色々な思い出を心の小箱へ大切にしまうと、俺は静かにふたを閉じ、鍵をかけた。
 
 右へ左へと続いてゆく獣道を、俺たちは今日も歩いている。森を渡る風は涼しく、木々の匂いは限りなく優しい。
 俺たち五人の規則的な足音がいつしかリズムとなり、高らかな鳥の鳴き声のメロディーが重なって、最後に風のハーモニーが混じりあい、森の交響曲が完成する。背中にしょっている重い荷物のことをしばし忘れて、俺は得意な口笛を吹き、森の音楽会に参加しようとした。
 上手くいっていた曲をぶち壊してしまう恐るべき雑音が入り始めたのは、ちょうどその時だった。音階を全く無視した調子っぱずれのひどい歌。せっかくの即興演奏会の邪魔をするのは誰だ?
 それは、あいつに決まってる。俺の前を歩いている、背の低い聖術師。音感がないくせに、ひょんなことから由緒あるアネッサ村の歌会へ出場してしまった、とてつもなく偉大な人物。
 その名はリンローナ・ラサラ。
 俺はせっかくの森の音楽会をぶち壊しにされて腹が立ち、文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、
「ん?」
 その瞬間、あまりにもすがすがしい風が森の中を駆け抜けると、注意する気が失せてしまった。
 こんなに気持ちのいい朝だから、たまには見逃してやるか……。
 そう思ってしばらく何も言わずに歩いていると、いきなり鼻歌をやめたリンは、立ち止まって振り返った。
「ねえ、今日は怒らないの?」
「ちゃんと心がこもっているからな」
 俺は胸を張って背筋を伸ばし、本気半分冗談半分で言った。
 するとリンは大げさに首をかしげ、とぼけてみせた。
「おかしいなあ……いつもより心をこめていなかったのに」
「こいつめ!」
 笑いながら後ろ頭をこづくと、リンはぺろりと舌を出した。
「えへ」
 俺たちが小競り合いを始めたとたん、前を歩いていたタックが〈やれやれ〉とつぶやきながら振り向いた。
「お二人さん、じゃれ合うのもいいですけど、先に行っちゃいますよぉ!」
「はいはいはい、ほら行けよ」
 リンの背中を押し出しつつ、自分自身も歩き始める。草が風になびくような軽い音がどこからか流れてきた。
 まもなく薄暗い森は途切れ、広々とした草原が姿を現した。緩やかな緑の下り坂は雫の谷を彷彿とさせる。背の低い樹が所々に生えているのも似ていた。
 リンは前を向いたまま訊ねる。
「でも、ちょっとはましになったよね? あたしの歌」
 急に明るい場所へ出たので、両眼を細めながら、俺はのんびりと応えた。
「まあ、そうかもな」
「そうだよね、あたしもそう思うんだ」
 リンが図に乗ったので、あきれ果てて溜め息をつく。
 ひたすら穏やかな日光が降り注ぎ、しだいに目が慣れてくる。俺は話題を変えた。
「この森のどこかに〈幸せの木の実〉が眠っているんだろうか?」
 草原では結局、隊列が崩れる。リンはいつの間にか真横にいた。
「伝説の実なんてなかなか見つからないよ。簡単に見つからないからこそ伝説なんから。例えば、あの鳥がくわえている実が〈幸せの木の実〉だったら……」
 やつは頭上を通過する鳥を指さして言った。手を伸ばせば届きそうなほどの低い空を、茶色の毛並みをした鳥が羽を広げたまま滑っていく。確かにその鳥はくちばしに何かの実をくわえていた。
 その実は、形や大きさはりんごに似ているものの、色は透明感のある青で、薄ぼんやり光を放っている。
 リンは話の途中で絶句し、呆然とした。俺も自分の目を疑ったが、無我夢中でとっさに鋭い叫び声をあげた。
「伝説の実が飛んでる!」
 タックが、そしてかなり前を歩いていたはずのシェリアが耳ざとく振り返った。シェリア姉さんお得意の地獄耳だ。
「伝説の実?」
 そう言いかけたシェリアのすぐ上を、混乱の原因である野鳥が飛び去っていく。
 みるみるうちに彼女の顔色が変わった。
「何の騒ぎだ?」
 と立ち止まったルーグを突き飛ばし、まるで転がるように、シェリアはすさまじい勢いで駆けだした。
「待ちなさい、待ちなさーいっ!」
 彼女の声が遠くなり、受難のルーグはうめきながら立ち上がった。タックも突然のことに驚いている。
 伝説の実をくわえた渦中の鳥は、その先で上手い具合に背の低い樹の枝へとまった。荒い息のシェリアが追いつく。
「動いたら、ただじゃおかないわよ」
 そっと、そおっと手を伸ばす魔術師。
「その調子……」
 しかし、シェリアが木の実をつかもうとした刹那、鳥は彼女を馬鹿にするかのように天高く飛び立った。
 俺とリン、タック、ルーグの四人はぽかんと空を仰いだ。一人息巻くシェリアはその場で地団駄を踏む。
「こ、こらっ! 卑怯じゃないの、降りてきなさいよ〜!」
 鳥は上空で数度、輪を描きながら飛び回ると、あさっての方向へ舵をとった。
 シェリアは腕を振りつつ鳥の影を追う。
「待ちなさい、そこの鳥! 鳥!」
 そう言われて待つ鳥はいない。伝説の〈幸せの木の実〉は見る見るうちに遠ざかった。
 が、シェリアは粘り、わき目もふらずに走り続ける。
 残された俺たち四人はシェリアの動作があまりにこっけいで、久しぶりに心の底から笑った。おかしくて仕方がない。
「ぎゃはははははっ!」
「鳥、鳥、鳥ぃ〜っ!」
 シェリアはしつこく〈鳥〉を連呼していた。
 透明感のある青い実は、夜空に輝く星のように淡い光を秘め、俺たちの前へまっすぐに続く長い道のりを優しく見下ろしながら、永遠にその光をたたえていた。
「きゃっ」
 上ばかり見ていたシェリアは石につまづいて派手に転倒し、ついに諦めたのか、恨めしそうに鳥の尾を見据えた。
「あーん、食べたかったわよォー」
 その一言が、さらに俺たちを爆笑の沼へと引きずり込む。俺はリンと顔を見合わせたまま、いつまでも笑っていた。
 ひらひらと舞い降りてきた黄色の葉が、秋の深まりを静かに告げた。

(続)



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