帝都マホジール

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


 関連作品→「幻想断片・2002年 8月14日」

 日が昇る直前の、黒いシルエットとなって嶮しくそびえる東の中央山脈を遠くに眺め、十五歳のリリア皇女は厳しい寒さの中で独りごちた。とっくに暖炉の炎を消してある部屋の中では、頬や耳も痛いほどである。彼女がいるのは最高級の長い毛皮の上着で、胸元にマホイシュタット皇帝家の紋章が縫いつけられているが、肩の部分が広く、古さの甚だしいデザインだった。
(この国時代が、流行遅れになってしまいました)
 わずかな幼さを残しつつも、誇り高い精神と冷静な判断力の発露によって大人びた凛々しい表情を得るに至った皇女は、中央山脈の向こうから洩れだした朝日の前触れに目を細めた。

「もしも山脈が低ければ――」

 考えるまでもない。彼女は力無く首を振った。
(むしろ攻め込まれ、滅亡の日を早めただけでしょう)
 リリア皇女が言うわけにはいかぬ思いをぐっと飲み込む。

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 帝都マホジールは背後を中央山脈に守られ、自然の要塞となっている。数多い坂は緩やかであるけれど、町全体としては薄暗く、地に低く張りついているようにも思える。幾つかの尖塔と、ひときわ目立つ灰色の石造り――皇帝の居城を除けば。
 農業は盛んではなく、もともと養える人口は少ない。西の肥沃なリース町やパルチ町からの年貢に頼りきりの、現在のルデリア世界では他に例のない政治都市・文化研究都市であった。
 魔法通信が遠くまで届いた時代は秘密の司令所的な役割を担い、属国支配に必要不可欠な迅速で確実な情報網を確立させ、世界の南半分を治めた。いわゆる三帝国時代のことだ。
 しかしながら大森林の縮小と死の砂漠の膨張に歩調を合わせるように、魔法使いたちの魔力は低下した。かつて世界最強の軍隊と畏れられた帝国の魔術師部隊が、フレイド独立戦争の折り、雪山で全滅した事件が象徴している。支配の緩んだ属領は次々と無血独立を果たし、帝国の威信は低下し続けた。
 最終章は音もなく秘やかに――だが確実に迫りつつある。

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「私は若く、経験は少ない」
 低い太陽が発する光を一身に受け、リリア皇女は思わず口に出して呟いた。その反動か、あとに続く強烈な考えは内面へ重く沈んでゆく。食いしばった唇からはうっすら血の色がにじむ。

 父親のラーン帝や、弟で皇太子のリーノの文人気質では、この国を建て直すことは不可能と思われた。だが、リリアが施政の最高位に立てる可能性は、このままでは極めて低いのだ。
 国と臣民を見殺しにしないために女性のリリア皇女が皇帝位を継ぐには、法規範を全面的に改めるか、最悪の場合は実の家族の命を絶たねばならぬ。そうしたからといって、リリアにこの疲れた国を再建出来るかというと、確たる自信はなかった。

(両親や家族を手に掛けることは、私には……)

 冷静な性格ではあるが、決して冷酷ではない。父と弟を殺してまで国を救うために立ち上がるのは出来ないということを、当の彼女自身が最も良くわきまえていた。彼女の悩みは深い。

(結局のところ、私も、父上やリーノと同じなのですね)

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 だが今朝も夜は明けた。間もなく侍女が暖炉の薪を燃すためにやって来るだろう。皇女はそっと窓際を離れ、冷えた身体を再び豪華なベッドの上に沈めた。しばらくの間、夢と現を行ったり来たりし、いつ果てることもない思考の循環を繰り返していた。

(了)



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