海の上の街道

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


(一) 概要

〔参考→ルデリア海上交通

 メラロール市は幾つかの街区で構成されている。最も目立つのは政治地区で、丘の上にそびえる典雅な白王宮を中心とし、貴族の大邸宅がその丘を守るように余裕を持って取り囲む。
 政治地区から放射状に広がる主要な通り沿いには、メラロール国立大学や数々の学院、魔術師ギルド、図書館、劇場などが立ち並び、学術・文化地区の様相を呈する。さらには町人の住む生活地区となって、そのまま衛星都市へ続き――その向こうにはちらほらと農地や牧場も見える。そして草原と森林。

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 さて、いったんメラロール市に話を戻そう。
 市街地の中では経済を司り、最も西にあたるのが、海と川に沿って続く港湾地区だ。世界中から集まり、再び散ってゆく商人や船員は、それぞれに肌や髪の色が異なり、衣服や装飾もまた独特だ。地域色の豊かな方言も耳にすることが出来る。
 貨物船からは次々と樽や箱が運搬され、整然と建ち並ぶ貴族や大商人の倉庫に保管される。碇を降ろして停泊する帆船は静かに揺れている――湾の奥の良港では波も穏やかだ。

 木造の甲板では、今日も老いも若きも混じった水夫たちが、家でもあり生活基盤でもあり商売道具でもあり、何より大切な仲間の一人でもある船の身体を、モップで拭き掃除している。

「オーイ、もう少し上だァ」

 良く通る、深い男の声が響きわたった。
 マストをよじ登る見習いの少年水夫に指示を出しているのは、南ルデリア共和国モニモニ町からやってきた船乗りのナホトメだ。腕まくりをした太い肩は赤黒く日焼けしている。毛深く、あごひげをも生やしている、金髪を短く刈った二十二歳である。
 
 
(二) 特産品

 ルデリア大陸の西岸沿いを南のモニモニ町から北のメラロール市まで、ナホトメの乗る船が経由してきたのは〈西廻り航路〉と呼ばれている。海上をゆく二本の主街道のうちの一つだ。

 大陸を縦断し、さまざまな交流の妨げとなる中央山脈の存在により、ルデリア世界では早くから海上交通に目が向けられてきた。船は度重なる改良で洗練され、大型化・安定化する。

 他の乗り物には見られない大量輸送力は貨物に最も威力を発揮する。各国の特産を、欲しがる地域へ輸出、あるいは物々交換するのが貿易の基本と考えれば、逆に各国の輸出品目を考えることにより、おのずとモノやカネの流れは明白になる。

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 南海に臨むミザリア国が原産の香辛料は、料理のスパイスや匂い消しなど用途が広く、各国の上流階級で人気を誇っている。当然ながら高値で取り引きされるため、航行距離が長くリスクが高いのをいとわず香辛料貿易に賭ける商人も数多い。
 全ての航路はミザリア国の王都ミザリアから始まる――と言っても大げさではない。なお、同国からは果実も輸出される。

 豊かな大地を持つ南ルデリア共和国やラット連合からは、主に小麦や米などの穀物が売りに出される。ミニマレス侯国は鉄、ポシミア連邦は綿花が特産品として有名だ。大陸の北側に位置するメラロール王国やガルア公国では、良質の木材や皮製品を生み出す技術がある。他にも様々な品物が波の上を運ばれ、はるか遠い旅の末、人々の生活の糧となるのである。

 以上を踏まえて航路を検討すれば、二つの方面への主要な道筋と、そこから派生する幾つかの支線を導き出せるだろう。
 
 
(三) 航路

 香辛料を満載した貨物用の帆船は、熱い日差しに無骨な甲板をさらし、出発の時を今や遅しと待ちこがれている。ゆるやかなカーブを描いて続く白い砂浜には椰子の木が点在している。
 からっとした南風を受けて帆をいっぱいに膨らませた船は、鉄製の碇を上げ、漁船ひしめくミザリア市の港を快足に離れる。

 深い碧に澄むミザリア海は比較的穏やかである。風をつかまえ、海流に乗って数日進めば、しだいにルデリア大陸の輪郭がはっきりとしてくる。岬の先端にある灯台も見えるてくるだろう。
 文化の交流点であるモニモニ町で、船はルデリア大陸に上陸し、海の主街道は〈西廻り航路〉と〈東回り航路〉に分岐する。

┌─ 凡例 ─┐
│●=主要港 │
│◎=準主要港│
│○=拠点港 │
│・=漁港  │
└──────┘
【西廻り航路】

●ミザリア市
↓(ミザリア国)

●モニモニ町
↓(南ルデリア共和国、旧ウエスタリア自治領飛地)

○リルデン町
↓(南ルデリア共和国、旧聖王領)

●ズィートオーブ市
↓(南ルデリア共和国、旧ウエスタリア自治領)

◎リューベル町
↓(マホジール帝国領リース公国)

○オニスニ町
↓(メラロール王国・ラーヌ公国)

◎ラブール町
↓(メラロール王国・ラーヌ公国)

●メラロール市
↓(メラロール王国・ラーヌ公国)

○ヘンノオ町
−(メラロール王国・ノーザリアン公国)


【東廻り航路】

●ミザリア市
↓(ミザリア国)

●モニモニ町
↓(南ルデリア共和国、旧ウエスタリア自治領飛地)

○リンドル町
↓(南ルデリア共和国、旧リンドライズ侯国)

○ヴァラス町
↓(南ルデリア共和国、旧ヒムイリア侯国)

◎ミラス町
↓(マホジール帝国、ミラス伯領)

◎ポーティル町
↓(マホジール帝国領ミニマレス侯国)

・リュフル村
↓(ラット連合・ノーザリアン公国)

◎エルヴィール町
↓(ラット連合・ゴアホープ州)

●テアラット市
↓(ラット連合・北カイソル州)

○ベリテンク町
↓(ポシミア連邦・沿海州・トレアニア地区)

◎ポシミア町
↓(ポシミア連邦・沿海州)

●センティリーバ町
↓(メラロール王国領・ガルア公国)

○レイムル町
↓(メラロール王国領・ガルア公国)

○マツケ町
−(メラロール王国領・トズピアン公国)


 この他、シャワラット町(ラット連合)やオレオン町(フォーニア国)、デリシ町やシャムル町(以上シャムル公国)、カチコール村(メラロール王国・ノーザリアン公国)等へ支線が存在する。
 また、流れのゆるやかな大河は海と同じ役割を果たし、ミニマレス町(マホジール帝国領ミニマレス侯国)や、イキム町(ラット連合・北カイソル州)には、規模の小さい河の港が見られる。
 
 
(四) 脅威

 旅客輸送の面ではどうだろうか。
 現在のルデリア世界で、いくつもの国を越えるのは限られている。冒険者や旅人、商人や船乗り、外交使節くらいで、ごく普通の農民や町民の中には自分の住む町さえ出ずに一生を終える者もいるほどだ。城壁に囲まれた町を出れば、野生の動物や山賊など、危険が増える。商人は隊商を組み、外交使節は護衛の騎士をつける。冒険者や旅人は自分の身を自分で守る。

 それでは町人や農民が隣町へ出かける時はどうするか。隣町と言っても、一続きではなく距離が離れているのが普通だ。
 金がなかったり、距離が短かったり、あるいは開拓が進んでいる地域であれば、街道上を徒歩で移動する。余裕があれば乗合馬車を使い、自宅で馬を飼っていれば乗って行くだろう。

 比較的近距離での移動の場合、船という選択肢はまず上がってこない。運賃の高さに加え、陸上交通よりも利用者側の不安が大きいためだ。大河をゆく小規模の淡水便か、大陸と島国とを結ぶ連絡船を除けば、船の定期便は皆無に等しい。旅客輸送に関して言えば、陸上交通に大きく水を空けられている。

 たとえ陸上交通を選んだとしても野生動物や山賊に襲われる可能性があるという点は既に述べた。では、それ以上に利用者の不安を煽り立てる海上の脅威とは、いったい何であろうか。

 まずは沈没の心配だ。荒れくるう波と、船のマストを折り、帆を吹き飛ばすほどの強い風が吹き荒れる嵐の晩、船長の必死の指示むなしく船は大きく傾いて、手練れの乗組員や乗客ともども水の中に飲み込まれる。もともと数の少ない旅客船では滅多に起こらないが、漁船の転覆や沈没は珍しいことではない。

 また、陸に山賊が巣くうように、海には海賊がいる。取り締まりの厳しいメラロール王国付近では見られないが、主にミザリア海周辺で忘れた頃に貿易船が被害に遭っている。ミニマレス侯国とマホジール帝国本国との国境付近や、ラット連合リュフリア州、弧状列島の無人島、あるいはシャワラット島の南部など、ほとんど住人のいない地域に拠点を作り――しかも一箇所に長居せず移動していると囁かれる。国際的に取り締まる機関はなく、各国が独自に対応しているため、状況は改善しない。
 
 
(五) 海軍

 それでも船に乗る者が減ることはない。白い波頭を立てて海上をどこまでも行きたいと願う者は、老いも若きも、男も女も、貴賤を問わず存在する。生命をはぐくむ懐の深い海の魅力に惹かれて、彼らは今日も甲板に立ち――まぶしそうに目を細める。

 海びいきで有名な貴族としては、シャムル公国クリス公女が筆頭に挙げられる。世界最大の島であるシャムル島と、周辺諸島を領土とするシャムル公国は海洋国家を標榜している。

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 現在のルデリア世界で、完全なる内陸国家はハーフィル自由国だけである。それ以外の国では、兵力や装備に差こそあれ、一応の海軍ないしは水軍を保有している。特に周りを海に囲まれているミザリア国やフォーニア国では、陸軍よりも力を入れている。ただ両国とも、他の国へ攻め込むほどの国力も、そのような大それた野望もなく、水兵部隊はあくまでも国防のためだ。

 ポシミア連邦とラット連合は、お互いを牽制できるだけの兵力を、陸海に限らず保持している。海洋国家のシャムル公国もそれなりに充実してはいるが、北シャムル地方の独立願望という国内事情もあり、海軍だけを優先することは出来ないでいる。

 南ルデリア共和国の海軍は、かつてのモニモニ海軍やヒムイリア海軍などを引き継ぎ、世界最強と噂される。騎士による陸での戦いは得意だが、海の方ではやや後れを取っているメラロール王国は、近年、海軍の装備や訓練の充実に力を入れる。

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「出航!」
 凛々と引き締まった声が速やかに響き渡る。
 船長の黒い帽子を目深にかぶり、動きやすい白のワイシャツとズボンを着用し四十過ぎのミシロンは高々と右手を掲げた。その胸中に、離ればなれになった娘たちの面影がよぎったのか――一瞬だけ懐かしそうに口元をほころばせたが、すぐに出発時の船長の厳しさを取り戻し、部下に的確な指示を与える。
「出航!」
 ナホトメが復唱し、それを聞いた若い船員たちは鎖を引っ張る。船の足を止めていた碇は海面に姿を現し、回収される。
 青空から降り注ぐ新しい朝の光と、爽やかで心地よい潮風を受け、船はゆっくりと動き始める。波は穏やかな船出である。

 海に終わりはない。
 白い帆をいっぱいに広げ、船は今日も果てしなき路を行く。

(了)



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