四季折々

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


「かぁー。やっぱり夏は麦酒に限るわね〜」
 肉の焼く匂いと煙が充満している騒々しい大衆酒場で、二十五歳の旅人、聖術師のシーラは泡の立っている大きなガラスのジョッキをテーブルに置いた。黄金の水面がたぷんと跳ねる。
 彼女はぬばたまの黒髪を後ろに垂らし、ちょっとした焦げ茶の髪留めで一本に束ねている。役人を辞め、旅から旅へのその日暮らしの生活を始めてから五年が経つ割には――まめに手入れをしているせいだろうか、肌の艶は年齢よりも若く見えた。

「いつだってお酒は飲むだろうに……」
 シーラの向かいに座っているのは、やや痩せた同い年の恋人、魔術師のミラーである。やはり黒髪で、顎や唇の周りには無精髭が点々と生えているが、旅を生業とする者としてはこざっぱりしている方だろう。普段は気楽に構えているが、やる時には底力を発揮する性格だ。シーラの浪費ぶりには辟易しているが、彼女のわがままには弱く、いつも言いくるめられてしまう。

「そりゃあ、いつだって飲むかも知れないけど」
 シーラはそこで話をやめた。再び口をジョッキに付けたのだ。
 少し斜めに倒し、唇の周りを泡で真っ白にして顔をもたげる。
「かも知れない……じゃなくて、飲むでしょ。断定すべきだよ」
 毎晩の事ながらミラーは呆れ、頬杖をついて溜め息をついた。せっかく町で短期の仕事にありつき、昼間に働いて稼いでも、その大半は酒と肴に消えてしまうのが現状だ。しかしながら、彼は言うほど怒ってはいない。これも日課の一つだと、ある部分では割り切り、楽しんでさえいるが――何よりもシーラの身体を気遣い、心配し、愚痴をこぼさずにはいられないのだった。

 まだ料理は来ていない。店の中のランプはそれほど多いわけではないが、狭く古ぼけた木のテーブルがぎっしりと人で埋まり、会話が弾んでいると明るく感じられる。特に仕事の後の男や兵士たちのいる場所は酒も料理も消費が激しく、豪快な笑い声が響き、時々は野卑な冗談で盛り上がっている 。北国に住む黒髪族は一般的に酒の耐性が強く、米に似た植物から作った度数の高い〈濁り酒〉は、通年に渡り老若男女に親しまれる。

「……ってぇ訳さ。こっちも黙っちゃいらんねえだろ?」
「当ったりめぇだ。で、おめぇ、どうしたんだ?」

 周囲の騒がしさを理由に、わざとミラーの話を聞き流そうかとも考えたシーラだったが――あまり必要以上に相手を怒らせては気の毒だし、あとあと面倒だと思い直して大胆に方針を転換する。むしろ自分の方こそ不満そうなふりをし、口を尖らせた。
「ミラーはそう言うけど、いつも同じものばっかりは飲んでないわよ、私。四季折々、時節柄に応じて微妙に変えてるんだから」
「微妙に、ねぇ……」
 対する魔術師は、騙されてはなるものかと不審さを装う。しかし話の流れをこそ〈微妙に〉ずらされていることには気づかぬ。

 世渡り上手のシーラは酒場の低い天井を見上げ、つぶやく。
「春はシャムル風の爽やかなカクテル、夏はメラロール風の弾ける麦酒、秋はウエスタル風の葡萄酒、そして冬になればガルア名物の温めた濁り酒。美味しいおつまみがあれば完璧ね」

 二人は歌の上手い吟遊詩人でも、目的を持った冒険者でもなく、諸国を漫遊しつつ適当に金を稼ぐ自由気ままな旅人である。普通ならば仕事にありつくのに苦労するはずだが――ともに魔法が扱え、読み書きも完璧なため、識字率が低く文化の発展が遅れがちのガルア公国内では割と美味しい仕事にありつける機会が多いのだ。なお、二人のごとき〈純粋な旅人〉は、そのうち年を経るとともに移動距離が短くなり、三十路前には好みの町を見つけて落ち着いてしまう者がほとんどであった。

「山脈の向こうのサミス村って知ってる? いい所らしいわよ」
 シーラは調子に乗り、河の船着き場で仕入れたとっておきの情報を披露した。ミラーは微笑みつつも、わざと意地悪く問う。
「おいしい酒があるんでしょう?」
「う……」
 全くの図星だったシーラは目を白黒させ、ジョッキに手を添えつつ言葉に詰まってしまう。その様子を上目遣いに眺めていたミラーは今度こそ勝ち誇り、心から朗らかな笑みを浮かべた。

「はい、お待たせ!」
 その時だ。油に汚れたエプロンを着用した中年の太めの女性が、湯気を上げる豚肉料理の皿を運んできて、無造作に置く。
「ありがと。まー、ぱーっとやりましょ、明日も仕事なんだし!」
 シーラはここぞとばかりに先ほどの話題をうやむやにさせる。
「じゃ、ミラー、どんどん好きな料理注文してね。割り勘だから」
「はいはい。じゃあ適当に注文するよ……あれ?」
 ミラーは後ろを振り向いたが、もうおばさんの姿は見えぬ。

「こういう時はね……」
 目の前の肉に食欲を刺激されたシーラは、口に手を当てる。
 それから大きく息を吸い込み――。
「ウェイトレスのお姉さーん! 注文お願い!」
 と、甲高い声で叫んだのだった。

 やがて向こうから、おばさんの威勢の良い声が響いた。
「あいよぉ!」

「いやはや、さすがだね。はは……」
 ミラーは苦笑しつつも、小さく拍手するのだった。

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

 ガルア河の河口に栄える公都センティリーバの、ここは入り組んだ下町だ。長い夏の夜は、始まったばかりである――。

(了)



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