新たな蠢動

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


 マホジール帝国の深窓の姫君、十五歳のリリア皇女は今日もとりとめのない重い物思いに耽っていた。古びた宮殿の窓辺を清々しい風が吹いているが、それさえも見下ろしている灰色の町の空気に淀んでしまったかのように貴人には感じられた。

 近年はメラロール王国に大きく水を開けられてしまったとはいえ、帝国は魔法の研究と実践の分野で、かつては最先端の知識と技術を誇っていた。魔術師によって編成された魔法兵団は、強力な魔法を駆使し、情報を活かし、世界最強と恐れられたのである。その後、世界的な魔力の低下とともに少しずつ弱体化し、フレイド独立戦争の際の厳しい雪原での戦で全滅し、今でこそ近衛兵団にわずかに残るばかりとなってしまったが。

 それでも退廃の都マホジールでは、現在でも魔法や世界の研究が盛んに行われている。論理的に攻めてゆくメラロール流の健全な研究と相反し、マホジール流は神秘主義に近く、妖しげな衣装や儀式を伴うこともある。そんなお国柄だからこそ、皇女は何かの折りに耳にして、識っていたのだ――そのことを。

(このままでは、いつか魔法が使えなくなるでしょう)

 仲間割れと巨大な魔法の暴走とされる古代都市の滅亡で、豊かな大森林が半分近く忽然と消え〈死の砂漠〉が生まれた。
 ここ数十年は、本来は妖精族に与えられた月光と草木の〈神者の印〉が強奪され、森の守護者である妖精族の力が少しずつ弱まってきた。大陸の中で最も豊かな自然を謳歌していた〈大森林〉のうち、古代魔法都市の災厄から生き残った場所にも少しずつ〈死の砂漠〉の影が近づき、浸食されている。魔法が弱まっており、魔源界の魔源物質が減っているとも噂される。
 マホジール帝国を繋いでいた属領への魔法通信は途絶え、次々と独立されて版図は狭まる。辛うじてマホジール帝国の本国として統治が行き届いている土地のうち、中央部分は灼熱の〈死の砂漠〉だらけになり、実質上は分断されてしまったのだ。

 リリア皇女にとって、四囲の国際情勢も厳しいが、南の〈死の砂漠〉からも、喉元に刃を当てられているような気がする。魔法イコール国力であった帝国にとって、砂漠の拡大と魔力の低下は常につきまとって離れない、頭の痛い問題の一つである。
 しかし最も不幸なのは、ラーン帝を頂点とする帝国宮廷が、リリア皇女を除き、この問題に対して全く無関心でいることだ。

(草木と月光の神者の、妖精族への返却――)
 リリア皇女の脳裏を一瞬だけそんな考えがよぎったが、彼女は頬を強張らせたまま薄く微笑んで左右に首を振る。未来を諦めきったような、それでいて最後の一縷の希望を託してみたいかのような、ひどく老成した複雑な表情を唇の隅に浮かべて。
 
〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

 前代の草木の神者であるサンローン・グラニアが、生涯を掛けて一つの下地を作ったことを、リリア皇女はまだ知らない。

(了)



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