伝書風

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


(発信)

 立派な口ひげをたたえ、白髪の混じり始めた壮年の男は、厚手のコートに身をつつんで、ラーヌ河の自然堤防の上で灰色の曇り空を見上げていた。風は西の方からやや強く吹いている。
「ほっ」
 男は厳しく眼を細めて眉間の皺を深め、細い糸のように張りつめた緊張感が周囲にも伝わってくるほど神経を研ぎ澄ませていた。手袋をはめていない右手を、彼はゆっくりと掲げていった。反対の手には几帳面に四つに畳んだ紙片を握りしめている。
 冷たい風は東へ流れ、遠くの山並みは霞んでいる。川幅の広いラーヌ河の中流を上り下りする帆船や漁船の数は普段よりもだいぶ少ない。枯れ草の中に混じる背の低い木々に、赤桃色の花が夢の名残のようにひっそりと咲き、見え隠れしている。

 頭のはるか上で、彼は指の短い右手を開いた。それはあらゆる方角に〈精神力で編んだ網〉をかけるかのように、不思議な雄大さを感じさせる動作であった。そのまま微動だにせず、瞬きだけを繰り返して、彼は何かをじっと待っているようだった。

 次の刹那である。
 男の瞳が鋭い眼光を放ち、左から右へ動いた。
 風の流れが微妙に変わったのだ――。

 男は稲光のような素早さで、右手を硬く握りしめ、空気をつかんだ。ただちに捉えられた風は、実体を持って長い尾となり、水が氷に変わるように白くなり、しだいに鳥の形を取っていった。
「ギー!」
 身をよじろうとし、鳴き声を上げる鳩に似た白い鳥の首の後ろ側を右手でしっかりと抑え、男は左手に握りしめていた紙片を人差し指と中指で挟み、コートのポケットから人差し指と親指を使って紐を取り出した。その紐を口にくわえ、巧みに左手と右手を交換し、今度は左手で鳥の首を抑えつける。そして空いた右手で、四つ折りの紙片を鳥の足首に素早く紐で結びつけた。

 成功を確かめると、彼は即座に〈伝書風〉を空高く放つ。幻のように大きく翼を羽ばたかせ、白い鳥はセラーヌ町を発って遠く旅立つ。冬の西風に混じり、鳥の姿は灰の空に消えていった。
 
 
(飛翔)

 空を覆いつくしていた灰色の雲の大陸には幾本かの亀裂が入り、か細く淡い光が合間から降り注いでくるけれど、風に運ばれてきた新たな雲の層によってすぐに埋められてしまった。
 セラーヌ町の郊外の畑はいつしか途切れ、眼下には夏草が枯れて渋い茶色に変わっている無人の荒れ野原が広がっていた。そこを古びた煉瓦で舗装された唯一の頼みの綱である街道が東の方角に走っている。それは弱い流れではあったが、途切れることなく続いており、現役の道と言うことがうかがえる。
 ラーヌ河は幾つもの支流に分かれ、上流へ向かって分岐してゆく。そのたびに、水利を利用した農村や漁村、小さな集落が現れては、後ろの方へと遠ざかってゆく。東に向かう街道は澄んだ支流を木橋でまたぎ、その橋の前後には通過税を取る木造の建物が見える。道の左右には雪が残るようになってきた。

 空気は刺すように冷たく、霞がかったような地平線はしだいに見通しが利いてきて、頭に白い冠を戴いて長く連なっている中央山脈の山並みがくっきりと間近に見えてくる。草原はいつしか深い森となり、山がちになってきた。根雪が残り始めた〈唄の村〉アネッサや、ひっそりと木々の間にたたずみ林業で栄える〈森の町〉リーゼンはとうに通り過ぎた。町の中では辛うじて除雪されている煉瓦の街道であるが、夜から朝にかけては凍結するのは明らかに思えた。集落を過ぎると、谷や渓谷は切り立ち、道も深い雪に埋もれている。寂しくも厳しい冬の俯瞰図だ。
 ラーヌ河の最上流は谷を削って右へ左へと蛇行し、純白の雪に閉ざされた街道はそれに翻弄されて曲がりつつ、小さくとも勾配のきつい幾つもの峠を越える。そのうちに森の影は少しずつ長くなり、辺りの明度は下がり出して、太陽の姿の見えない夕暮れを迎える。行く先は再び見えづらくなってくるのだった。

 広げたままの翼をほとんど動かすことなく、鳩に似ているが一回りも二回りも大きな白い鳥は天翔る。鳥は男の手から放たれてから一度も地上に降りることなく、一路東へ向かい、疲れを知らぬようであった。ただしその鳥を見た者は誰もいなかったが。
 鳥は翼を広げてバランスを取りつつ西風に乗り、船が水上を走るかのごとく速やかに空を駈け抜けた。まれに方角を調整するため翼をはためかすと、ささやかな風が生まれては消えた。

 曇り空の下、森は途切れ、やや広い盆地が現れた。険しい中央山脈を控えて、ラーヌ河の源流に近づき、雪に埋もれた街道も果てた。緩やかな斜面を利用した牧草地も、角度の急な家々の屋根も白く染まっている、ほとんど陸の孤島の集落だった。
 辺りは薄暗くなっていた。白い翼の鳥はいつの間にか高度を下げており、集落の中心部にほど近い特徴的な赤い屋根の宿屋をかすめて、村外れに近い一軒家に舞い降りてゆく。立派な煙突からは細い煙がたなびき、窓ガラスは結露で曇っていた。
「ヒョオー」
 足に紙片を結びつけられた鳥は、木枯らしのように鳴いた。
 
 
(到着・一)

 ブルーベリーに似た野生の果実を乾燥させた深い紫色のお茶をすすり、盛んに燃える暖炉のそばのテーブルに座って、三人の若い女性たちが語り合っていた。いつしか外は暮れかかり、テーブルの中央付近にはやや暗めのランプが灯っている。
 熱いお茶の湯気から洩れる香ばしさが、辺りに漂っていた。
「毎年毎年、雪かきは、ほーんと大変だもんねー」
 そう言って可愛らしく溜め息をついたのは、三人の中では最も若い十四歳のシルキアだった。家主のオーヴェルはうなずく。
「方々のお年を召した方の雪かきを手伝うなんて、マスターらしいですけれど、腰を悪くされたのは本当にお気の毒です……」
「雪が虹みたいに色がいっぱいあれば、お花みたいに野原を塗ってくれれば楽しいですよん。きっと村のみんなも喜ぶのだっ」
 身を乗り出して無邪気に言ったのはシルキアの三つ年上の姉のファルナだ。二人は茶色の瞳と髪を持つ姉妹で、一見すると良く似ているが、姉の瞳がどこか夢みるように微睡んでいるのに対し、妹の目は比較的細く、現実を見据えている印象だ。
 その妹は落ち着いたしっかりした口調で姉に語るのだった。
「でもお姉ちゃん。それって根本的な解決にならないよ。サラお婆さんの負担を減らしてあげたいのがこの話の始まりだもん」
「うー。そうか……」
 ファルナは困惑気味に唸り、首を傾げ、目をぱちくりさせた。
 
 
(到着・二)

「そうだ。まず、ケン坊たちに手伝わせよう。若いんだから」
 村の友達の少年の名を挙げ、シルキアは名案とばかりに軽く手を打った。すると姉のファルナは寒気が走ったように一瞬肩を震わせて軽く身を引き、大きく目を見開いて、妹をまじまじと見つめた。過去に幾つも苦い思い出がある、とでも言いたげに。
「シルキアは人使いが荒いのだっ……」
「なーに、お姉ちゃん。人聞きが悪いよ〜」
 妹がわざと上目遣いになり、低い声で呟き、どこか魔女を思わせるおどろおどろしい雰囲気を演出すると、姉はたじろぐ。
「うーっ。シルキア〜」
「お姉ちゃん、怖がりすぎ!」
 そう言ってシルキアは笑った。他方、ここにいる三人の中では最も年上だが、まだ二十一歳の若さに過ぎないオーヴェルは、頬杖をついて心底楽しそうに姉妹のやりとりを見守っていた。
「ふふふっ……」
 その穏やかな表情が曇ったのは、シルキアの一言だった。
「あとオーヴェルさんの魔法で、雪を溶かしちゃうとか?」
 テーブルのランプの炎が微妙にゆらぎ、影が変化を遂げる。

 オーヴェルは慎重に言葉を選びつつ、優しく諭すのだった。
「ええ……でも、シルキアちゃん、ごめんなさいね。魔法は自然が秘めた力を引き出して、お願いして借り受けて使うのですよ。だから、あまり自然の摂理に逆らう使い方は出来ないのです」
「うーん、そうかー。じゃあ、しょうがないね」
 シルキアは気楽そうな言葉とは裏腹に、やや緊張した口調で言った。どうやらオーヴェルの気分を害してしまったのではないかと気にしているようだ。そこで姉のファルナが話題を変える。
「オーヴェルさんのお父さんって、どんな人なのだっ?」
 するとシルキアも気を取り直して、次の話に興味を抱いた。
「お父さんも、賢者さん……なんだよね?」

「そうですね。父は」
 山奥の村に住む若き賢者オーヴェルは、いったんそこで口をつぐんだ。空のように、また翠玉のように深く蒼い瞳から生まれた真面目な視線は遙か遠くを見つめ、懐かしい面影を思い描いているようだ。彼女はゆっくりとこの現実――長い冬のさなかにあるサミス村の外れにある一軒家と、だいぶ冷めてしまったお茶の残り香、暖炉の燃えはぜる音、そして実の妹であるかのように可愛がっているファルナとシルキアの元――に還ってゆく。
「とても尊敬できる人です。賢者の先達としても、父親としても」

 その時。
 妙な音が、雰囲気を寸断した。
 コツ、コツ、コツ。
 何かが窓を叩いたのだった。

 まずシルキアが敏捷に振り向き、次にオーヴェルが、遅れてファルナが窓の方を見た。風が窓を打つのに似ていながら、はっきりとした意志を持ち、風と趣を異にする響きだった。三人は黙って耳を傾け、音が再び鳴ることを期待し、息を飲んで声を潜めて待った。心臓が高鳴り、まばたきの速さで刻が刻まれる。

 コツ、コツ、コツ。
「聞こえた!」
 抑えた囁き声でシルキアが叫ぶ。ファルナは不思議な予感に胸をときめかせて身を乗り出し、オーヴェルは軽くうなずいた。
 
 
(受信・一)

「誰なのだっ? こんな夕暮れ時に」
「しかも、窓から? 風じゃないよね?」
 顔を見合わせたファルナとシルキアの姉妹は、やや抑えた声で疑問をぶつけ合った。二人の顔には、今この家には女性だけしかいないというほんの少しの恐怖感と、どんな新しい物語の幕が開くのだろう――という多くの期待感にあふれ、そのまなざしは若き賢者オーヴェルへと吸い寄せられていくのだった。
 辺りにひっそりとしみこんできた〈黄昏の闇の粒子〉は、時が過ぎゆくとともにいつしか濃さを増していた。昼から夜へ架けられた幅の狭い秀麗な橋を渡る間、目はすぐには慣れず、物の色合いと輪郭はぼやけ、視界が狭まったような印象を受ける。
 だから二人は気づかなかったが、オーヴェルの頬は静かな喜びでうっすらと紅潮していた。彼女はおもむろに椅子を引いて立ち上がり、窓を見、それから年下の友人を見下ろして告げた。
「見てきましょう」
 村はずれの家に一人で暮らしている二十一歳の家主は靴の踵で木の床を律動的に鳴らし、ゆっくりと確実に窓との距離を縮めていった。他方、シルキアは落ち着かない様子で腰を浮かし相手の行き先を眺め、息を飲んで必死に目を凝らすのだった。

 コツ、コツ、コツ。
 三たび、窓を叩く音がした。
 それは〈伝えたい〉という強い意志と使命感に満ちていた。

「また」
 短くつぶやいたのはシルキアで、姉のファルナはうなずく。
「待ってね、今開けますから」
 暖炉の明るさと輝きの範疇を離れてオーヴェルは部屋を横切り、西向きの窓のそばにたどり着いた。彼女の話しぶりは良く見知った誰かに話すような口調だったので、姉妹は安堵する。
 若き賢者はしなやかな指でつまんだ光を通す薄手のカーテンを右側へ引き、奥行きのそれほどない簡素な出窓を押し開け、白い吐息混じりの声で外で待っていた者に挨拶するのだった。
「いらっしゃい。遠くから、どうもありがとうございます」
「誰?」
 シルキアはテーブルに手をついて、椅子から身を浮かせた中腰の姿勢のまま、思いきり首を伸ばして出窓の方を見やった。

 その時、甘えるように微かに返事をした訪問者は――。
「ピィーン……」
 足に手紙を結びつけた、鳩に似ている白い翼の鳥であった。
 
 
(受信・二)

「えっ?」
 あまりに予想外の訪問者に驚いたシルキアは、目を丸くし、続く言葉が出てこなかった――腰を浮かせたまま、白っぽい鳥を凝視する。他方、彼女に見つめられた鳥の方は、まるでそのことに疑問を感じたかのように一瞬だけ首を軽く横に動かす。
「鳥さん?」
 遅ればせながら気づいたファルナは、思わず大きな声で訊ねた。するとオーヴェルが振り向いて、唇に人差し指を当てる。
「ご、ごめんなさいなのだっ」
 ファルナは慌てて普通の声量で謝り、相手から伝わってくる〈希望に充ちた緊張感〉に、拳を握りしめて膝の上に置いた。窓から射し込んでくる曇りの日の夕暮れの僅かな光を背にして立ち、黒いシルエットになっているオーヴェルは何も言わず重々しくうなずいた。その表情は薄暗くて読みとりにくいが、固くなった仕草とは裏腹に、どうやら抑えた歓びにあふれているようだ。

 なるべく音を立てず椅子に腰掛け直したシルキアは、不思議な鳥がその細い片足を持ち上げ、何かを示したことに気づく。
「足? 怪我してるの?」
 初めて鳥の足に注目したシルキアとファルナの姉妹は、目を凝らし、良く分からないものが引っかかっていることを知った。
 オーヴェルは姉妹を安心させるように一度だけ小さく首を振ると、出窓にたたずむ雪像のように純白な鳥の方に向き直る。窓の隙間からは、時折、身も凍りつくような冬の冷たい風が吹き込んできていた。屋根の雪から雫が垂れる音も聞こえてくる。

 姉妹からは死角になって見えなかったが、若き賢者は鳥をつつみ込むようにして両手を広げ、瞳を閉じて優しくつぶやいた。
「μζДэωδ……さあ、元の姿に戻りなさい」
 魔源界の扉を開く深い集中力とともに、オーヴェルが〈天空魔術〉の短い呪文を詠唱し終わった、まさにその直後のことだ。

 刹那の出来事であった。
 過ぎ去ってみれば、夢のようにも思える――。

 意志を持ったかのように強い風が、部屋を横切ったのだ。
 それは真っ直ぐに吹き抜けて、行き止まりに当たると、まるで鏡に跳ね返った鏡のように反対の方へ快速に飛んでいった。
 テーブルの上に置いてあったハーブのお茶のカップは何とか持ちこたえたが、カタカタと音を立てて揺れ、中身が波立った。シルキアとファルナの茶色の前髪、そしてオーヴェルの金の髪が最初は部屋の内側の方に揺れ、次に外の方へなびいた。

「あっ」
 シルキアが鋭く叫んだ。気がついてみると、鳥の姿は消え失せていた。一気に持ち上げられ、ふわりと床に舞い降りた鉢植えの観葉植物の落ち葉が、新しい風の最後の名残であった。
 オーヴェルは紙片を手に、再び姉妹の方へと回れ右する。
「これです。手紙です、手紙が来ました」
 村はずれの一軒家で暮らしている若き賢者は上擦った声で言い、少し皺の寄った小さな紙片を胸元に大切そうに掲げた。
「ええーっ?」
「さっきの小鳥さんは、どこに行ったのだっ?」
 シルキアとファルナは、オーヴェルの他にはこの村では誰も使うことができず、そのオーヴェルも村人を怖がらせないため滅多に使わない〈魔法〉の不思議さに翻弄され、魅了されていた。
「あれは風が小鳥の姿に寄り集まっていただけですよ」
 心優しきファルナの心配をよそに、事も無げに説明したオーヴェルは、いったん壁の方を振り向いて腕を伸ばした。西からやって来た風の出入口となった出窓をしっかりと閉じると、軽い足取りで、姉妹が待っているテーブルの方を目指して歩き出した。

 まだ開かずに紙片をテーブルに置き、オーヴェルは言った。
「ファルナさん、さっきはごめんなさいね」
「えっ?」
 心当たりがないファルナが驚いて聞き返すと、賢者は語る。
「静かにして欲しいと、唇に人差し指を当ててしまって……。魔法を解く集中力を高めるために、やむを得なかったのですよ」
「別に、ぜんぜん気にしてないのだっ」
 あっけらかんとファルナは応え、妹のシルキアが補足する。
「お姉ちゃん、本当に気にしてないと思うよ。私もだけど」
「ありがとう」
 オーヴェルはほっと息をつき、次に視線を紙片に落とした。
「不思議ね。父の話をしていたら、両親から便りが届くなんて」
「ええっ! すごいのだっ、そんな遠くから……」
 素直なファルナは奇跡的な事態に感嘆し、絶句してしまう。
「なんて書いてあるの? もしよかったら、読んで欲しいな」
 シルキアが混じりけのない気持ちで言うと、相手はうなずく。
「ええ、ファルナさんやシルキアちゃんに隠す必要があるような文面ではありませんから、きっと。では、読み上げてみますね」
 オーヴェルは手を伸ばして、手紙をごく丁寧に開いていった。

 さっきまでは暗く思えていたランプも、闇の深まりとともに明るさを増しているように感じられた。緩やかに腕を伸ばしてくる夕闇は暗がりだけでなく鋭い冷気をも運んでくるが、ファルナたちは暖炉とランプの輝きと温もりに守られていて、安全であった。薪が燃える煤の匂いも、お茶の残り香も安らぎと郷愁を誘う。
 時折、外の木枯らしは強まり、吹き荒れた。硬く凍りついた根雪の表面にゆうべ降り積もった粉雪は、姉妹が知らない遠い南国の浜辺に広がる白砂のごとくに吹き飛んでいることだろう。
 淡々としたオーヴェルの声が一軒家の中に響き渡った。その合間に、暖炉の中で炎の子が燃えはぜ、弾ける音が混じる。
「遅くなったが、新年おめでとう。サミス村は深い雪に覆われている時分だろう。オーヴェル、元気に暮らしていますか……」
 字を読むのが不得手な姉妹は、賢者の音読に聴き入った。

 朝から重く垂れ込めた灰色の雲に覆われていて、ようやく夕方近くになって淡い光が現れ出した。何もかもを収縮させるような芯から冷え込んでいた薄暗い冬の一日もようやく静かに暮れかかろうとしている。今宵は雲間に星が覗けるだろうか――。
 泊まるための着替えを入れた背負い袋が二つ、部屋の隅に並んでいる。今日は時間を気にすることなく、姉妹はオーヴェルの〈伝書風〉の話に耳を傾ける――それらの不思議な経験が、暖炉よりも何よりも、二人の心を奥底から温めてゆくのだった。

(了)



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