紙飛行機の空

 

秋月 涼 


 正午の太陽がまぶしい。ある夏の日、空はいつも以上に青々と輝き、雲はまるで綿菓子(わたがし)だった。さわやかな風が通り過ぎ、庭のひまわりが揺れている。
 そんな中、窓辺にたたずむ白い紙飛行機だけが、ひとり真剣に悩んでいた。
「どうして僕は飛べないんだろう。まがりなりにも飛行機という名前がついているのに。僕は本当に飛行機なのかな? 飛べない飛行機なんて……」
 すると鳩がやってきて、紙飛行機の横に座った。
「どうしたんだい、紙飛行機くん。こんなに明るい季節なのに、愚痴なんてこぼしちゃって」
「僕は僕自身がわからないんだ。何のために生まれてきたんだろう、ってね」
「そりゃあ、空を飛ぶためさ」
「嘘だ。僕の機体は偽物(にせもの)だ。僕の翼も偽物だ。ぺらぺらの紙じゃないか」
「偽物と思っている限り、君は永遠に飛べない。飛ぼうと思わない限り、飛べないままだね」
 鳩はきっぱりと言った。紙飛行機は訊ねる。
「こんな僕でも、飛ぼうと思ったら飛べるのかい?」
「ああ。君さえその気なら、すぐにでも空につれてってあげるよ」
「本当?」
 白い紙飛行機は期待で胸が高鳴った。
「じゃあ、さっそく頼むよ、鳩くん」
「わかった。そのかわり一つだけ注意しておく。今から、くちばしで君をつかみあげるけど、馴れるまではしっかりと僕にしがみついているんだよ」
「約束する」
「よし。行こう」
 鳩は紙飛行機をくわえ、大空に舞い上がった。
「うわぁ」
 紙飛行機は思わず目をつぶる。ものすごい風圧だ。こわごわ目を開けてみると、もといた部屋の窓は遙か下だった。
「すごいや!」
 
 ちょうどその頃、部屋の主である和紀(かずのり)は首をかしげていた。
「あれ? 紙飛行機がなくなってるぞ。おかしいなぁ、どこ行ったんだろう?」
 
 鳩と紙飛行機は並んで飛んでいる。紙飛行機は初めての空の旅に夢中だった。すべてが新しい。心がときめく。そんな紙飛行機に、鳩はやさしく教える。
「波に乗るのがこつさ。サーフィンだよ。上昇気流に乗るんだ」
 紙飛行機は心配そう。
「難しそうだな」
「大丈夫、じきに馴れるさ。そうだ、雲をすり抜けるのは最高の気分だぜ。行ってみようか」
「うん」
 鳩は再び紙飛行機をくわえた。勢いよく羽ばたき、高度を増していく。すぐに雲の辺りまでたどり着いた。紙飛行機はつぶやく。
「下を見ると、町に吸い込まれそうだ」
「怖いかい?」
「いや。それより、なんだか僕も飛べそうな気がしてきたよ」
「その意気だ!」
 鳩は嬉しそうに鳴いた。が、平和は長続きしない。頭上を黒い集団が横切る。
「カラスだ!」
 鳩が叫んだ。
「あれがカラスか……」
「感心している場合じゃない! あいつらは空の暴走族だ。逃げるぞ!」
 鳩は全速力で急降下を始めた。
「待ってくれ!」
 紙飛行機の悲鳴は辺りにむなしく響き渡った。その間も、鳩の後ろ姿はぐんぐん遠ざかっていく。
「おーい、鳩くーん」
 紙飛行機は夢中で呼びかけたが、鳩は二度と戻ってこなかった。
「また、ひとりぼっちか」
 幸いカラスたちもいなくなっていた。紙飛行機は風のまにまに、上へ揺られ下へ沈み、少しずつ高度を下げていく。こうなったら、もう成り行きに任せるしかない。
 青空はいつの間にか赤く染まっていた。
「僕の白い身体も、今は赤なのかな」
 暗くなっても高度を下げ続けた紙飛行機は、とある住宅地に舞い降りる。強い横風を受けて、小さな窓に飛び込んだ。
「着陸準備!」
 紙飛行機は自分に言い聞かせる。すると思い通りの着地が出来た。ふんわりとしたカーペットが優しく包み込む。紙飛行機の最初で最後の旅は、こうして終わりを告げた。
 
 その夜、持ち主だった和紀に電話がかかってきた。
「こんばんは。クラスメートの成田ですけど」
「え? 晶子(あきこ)ちゃん?」
「うん。……あのね、今日、手紙が届いたよ」
「手紙?」
「白い便箋(びんせん)を折った、紙飛行機」
「えっ!」
 和紀は耳を疑った。あの手紙は、渡そうか渡すまいか悩んだあげく、結局紙飛行機にしてしまった、晶子へのラブ・レターだったのだ。
「どうして、それが……」
「空を飛んできたの。とっても素敵だと思うな」
「そうだったのか。……あの、晶子ちゃん」
「なあに?」
「あのさ、今度の……今度の日曜日、もしよければ一緒に遊園地へ行かない?」
「……うん、いいよ」
「ほんと?」
「楽しみに待ってる」
「やったぁ!」
 ひとつの恋が芽生えた。

(了)



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