かなえの夢魔法

 

秋月 涼 



【第二話・マラソン大会の陰謀】


「いってきまーす」
「気をつけるのよ」
 春日かなえは家を飛び出しました。
「おい、朝っぱらからどこ行くんだよ?」
 手さげ袋から小人のピットが這い上がってきました。かなえは言います。
「学校だよ」
「がっこ?」
「みんなで、遊んだりお勉強したりするところ。ピット、知らないの?」
「俺は家庭教師にしか習ったことがないからな」
「友達に会えるんだ。とっても楽しいよ」
 近所の公園が見えてきます。
「ここでいつも、めぐちゃんと待ち合わせしてるの」
「めぐちゃんって誰だ?」
「松川めぐみ。あたしの仲良しなの」
「そうか。じゃあ俺は隠れるとすっか」
「ばれないように、そこでじっとしててね」
「心配なのは、むしろお前だ。絶対にしゃべるなよ」
「うん。大丈夫」
 ピットは手さげの奥の方にもぐり込みます。しばらくすると、後ろから明るい声がしました。
「かなえ、おはよっ!」
「あ、めぐちゃん。おはよー」
「さあ、行きましょ」
 二人は歩道を並んで歩きます。厚いコートを羽織っていても、北風が吹くととても寒いのです。そんな二月のある日のことでした。
「かなえ、体調整えてる?」
「うん。なんとか」
「風邪ひいちゃ駄目だぞっ。あさってはマラソン大会なんだから!」
「今日は最後の練習だったね」
「あたし張り切っちゃう」
 めぐみは腕を高く振り上げました。かなえもうれしそうに瞳を輝かせます。
「めぐちゃん、いつも優勝候補だもんね。うらやましいな」
「かなえだって、頑張れば上位に入れるよ」
「そうかなぁ……」
 学校の門が見えてきました。その時、ぴかぴか光る黒い車が近づき、二人のそばで止まりました。中から現れたのはクラスメートの長谷川ミキです。
「庶民はかわいそうね。こんな寒い中を歩いて通学なんて」
「余計なお世話よっ!」
 めぐみが怒鳴ると、ミキも反論します。
「ふん。マラソンが速いからって、いばらないでよ! 庶民のくせに」
「何よ、庶民庶民って!」
「あたしは負けないわよ。長谷川財閥の名前がかかってるんだから」
「あたしだって!」
 めぐみとミキは鋭い目つきでにらみ合っています。かなえは困ってしまいました。
「ねえ……もうすぐ朝礼が始まっちゃうよ」
 めぐみの手を引き、なんとかその場を逃げ出したかなえは、教室に急ぎます。めぐみは不機嫌(ふきげん)そうな顔で黙りこんでしまいました。
 
 朝礼と一時間目が終わり、二時間目は体育の授業です。更衣室で着替え終わると、寒くて身体(からだ)の震えが止まりません。
「寒いねー」
「走れば暖かくなるよ」
 めぐみが言いました。
 グラウンドに出ると、校舎の日陰になっているので余計に寒く感じました。準備体操ののち、体育の先生が説明します。
「今日はマラソン大会の本番と同じコースを走る。男子は一.五キロメートル、女子は一キロメートルだ。一般の住宅街だから静かに走ること。いいな。では、女子からスタートする」
 みんなは位置に着きます。列の先頭にはめぐみとミキが陣取り、またもやにらみ合っています。
「よーい、ドン!」
 いっせいにスタート。まずはグラウンドを一周してから、学校の外に出ます。みんなは息を切らして懸命(けんめい)に走っています。かなえは真ん中よりもちょっと前くらいにいました。ふと見ると、先頭集団から二人の女の子が抜け出し、トップを争っていました。めぐみとミキです。
(速いなあ……)
 かなえは現在の順位を守るので精一杯。その間も、先頭の二人の背中はぐんぐん遠ざかっていきます。細い住宅街に入ると、ついに見えなくなってしまいました。
 が、その頃のかなえには、すでによそ見する余裕すらなかったのです。一歩一歩、地面を蹴り続けます。
 もうすぐ折り返し地点というところまで来ました。すると向こうから帰り道の二人が見えてきました。わずかな差ですが、一位はめぐみで二位はミキでした。
(めぐちゃん、すごいなぁ)
 かなえがそう思った時。突然、曲がり角の向こうからバイクが飛び出しました。そのバイクはゆっくりしたスピードで、めぐみにぶつかりました。
「きゃああ!」
 めぐみは足を押さえ、倒れます。バイクは速度を上げていってしまいました。どう見ても、悪質なひき逃げです。
「めぐちゃん!」
 かなえは倒れているめぐみに駆け寄りました。他にも何人か集まります。ミキはそれをよそ目に、走り去りました。
「足が……足が痛いよぉ! 痛いよ!」
「めぐちゃん、今、先生を呼んでくる!」
 かなえが走っていくと、青ざめた先生が飛んできました。救急車が呼ばれ、めぐみはそれで運ばれていきます。
「めぐちゃん……マラソン大会、あんなに楽しみにしてたのに」
 かなえは顔をくもらせました。
 
 家に帰ると、かなえは荷物を置きます。
「おいおい、ていねいに扱えよ」
 手さげの中からピットが飛び出しました。
「あ、そうだった。ごめんね」
「ちぇっ、子供はこれだから困るぜ」
「ごめんごめん。で、学校はどうだった?」
「不思議なところだ、あんなに机を並べて……。よくみんな真面目に聞いてられるよな」
「窓側の席だと、暖かくて眠くなっちゃう日もあるよ」
「そりゃそうだ」
「……」
 かなえが急に黙りこむと、ピットは拍子抜けした様子で訊ねました。
「おい、元気ないな?」
「今日ね、あたしの目の前で、めぐちゃんがケガしちゃったの」
「それはきっと、ミキって奴(やつ)の仕業だぜ」
「えっ、ミキちゃん?」
「よく見てろよ。クルパック、メランメランダ、マルバール!」
 ピットが手をさし出すと、白い光が輝きました。それは窓ガラスめがけて飛んでいきます。
「あっ!」
 窓ガラスに何かが映り始めました。
「ここはどこだろう?」
「そのうちわかるさ」
「あっ、ミキちゃんだ」
 映像のミキがしゃべり始めます。
 
『寺西よくやったわ。あの子、マラソン大会への出場は絶望的ですって!』
『ええ、これでお嬢様の優勝は確実。私もお役に立てて光栄です』
『油断は禁物よ。一応、本番もコースで待機してなさい。それで、もしも私よりも速いのがいたら、その時は……』
『かしこまりました』
『一般庶民たち、覚えておきなさい。長谷川財閥の辞書に、敗北の文字はないのよ! ほっほっほっほ……』
 ミキの笑いは止まりません。
 
「ひどい!」
 かなえはほっぺたを膨(ふく)らませて怒りました。
「ま、こういうわけさ」
「めぐちゃん、かわいそうだよ。ピット、なんとかして!」
「じゃあ、そいつ……めぐみのいる場所まで俺を連れていってくれ」
「それで、めぐちゃんが治るの?」
「おいおい。何のための魔法の力だ?」
「あっ、そうか」
「ここを使えよ。ここ」
 ピットは自分の頭を指さしました。
「じゃあ、早速でかけよう」
 立ち上がり、かなえは外を見ました。もうすぐ日が暮れます。かなえは財布に小銭を入れると、マフラーや手袋などできるだけ暖かい格好をして玄関に降りました。
「どこに行くの?」
 母親が台所から訊ねます。
「めぐちゃんをお見舞いしてくる。足をケガしちゃったの。病院の場所は、帰りの会で先生が教えてくれた」
「こんな時間に?」
「うん。なるべく早く帰るようにするから」
「何かあったら、すぐ電話するのよ。家の電話番号、わかるわね?」
「はあい。行って来まーす」
 コートのポケットにピットをつっこんで、かなえは急ぎました。
「やだ、バスが来ちゃう! またマラソンだあ」
 ものすごい勢いで走り、どうにか間に合ったかなえ。料金を払うと、心臓を押さえたまま苦しそうに座席へ着きました。顔も身体も汗びっしょりです。
 いくつかの停留所を過ぎて、やっと呼吸が整ってきたころ、バスのテープが言いました。 『次は市立総合病院前〜。市立総合病院前です』
「ここだ」
 バスを降りたかなえの目の前には、大きな白い病棟がいくつも現れました。
「どこに行けば、めぐちゃんに会えるんだろう?」
「まずは変身したらどうだ?」
 と、ピットが顔を出しました。かなえはうなずきます。
「うん。そうする」
 病院の敷地内は広く、まるで大きな公園です。かなえは、人通りの少ない木陰に隠れました。
「ピット、お願い」
「よし来た」
 もう薄暗くなり始めています。ピットが指をぱちんと鳴らすと、金色のステッキが現れました。
「あたし、自分でやってみる」
 かなえはステッキを手にし、呪文を唱えながらゆっくりとまわります。
「パラリル・パラレル・パラネリア、フォルトン・ウォルトン・看護婦さんになあれ!」
 光り輝くステッキから白い煙が吹きだし、かなえをつつみ込みます。その瞬間、かなえは背が伸び、大人になりました。気がつくと白衣を着て立っています。
「ねえ、どう?」
「バッチリだぜ。どこから見ても、この病院の〈新入り〉看護婦だな」
 かなえは白衣をさわったり、首をひねって背中の様子を確かめています。するとピットは不機嫌になりました。
「おい、心配すんな。大丈夫だっつーの。早く行こうぜ」
「うん!」
 やっと安心したかなえは、本館の受付に駆け込みました。
「すいません、松川めぐみさんの病室はどこですか?」
「え?」
 受付の女の人は驚きましたが、すぐに手元のノートをめくりました。
「えっと、三階の三一七号室よ」
「ありがとう!」
 かなえがエレベーターの中に消えたあと、受付の人は首をかしげました。
「うちの病院に、あんな看護婦いたかしら。それに患者の病室を知らないなんて……どうなってるの?」
 
「三一七、三一七と……」
 エレベーターを降りたかなえは、今度はゆっくりした足取りで部屋の番号を確認して歩きます。あたりは独特の薬品の匂いで満ちています。狭い廊下で、車椅子のおじいさんとすれ違いました。
「三一五、三一六……あった!」
 かなえは軽くノックしてから、三一七号室に入りました。中は薄暗く、電気はついていません。
「夕飯かい?」
 男の人の声がしました。
「え?」
「夕飯を持ってきたんじゃないのか?」
「あ、えっと……まだです」
「そうか」
 男の人は残念そうでした。かなえは念のため部屋を出て、名前を確認します。男の人はめぐみと同室のようです。
 かなえは部屋に入り、今度はカーテンで仕切られた奥の方に行きます。そこには女の子が眠っていました。右足がつり上げられ、痛々しい姿です。
「めぐちゃん……」
 かなえはポケットからピットを取り出し、ひそひそ声で話しかけます。
 
〈ねえ……ピット〉
〈?〉
〈……ちゃんの……、治して……〉
〈は? 聞こえない〉
〈め・ぐ・ちゃ・ん・の・あ・し〉
〈治せって?〉
〈お願いっ〉
〈できない……ない〉
〈え? 無理なの?〉
〈できないことはない!〉

 
「おいちょっと看護婦さん。誰としゃべってるんだ?」
 カーテンの向こうから、男の人が言いました。かなえの心臓は飛び出しそうになります。
 
〈ひとりごとって言え!〉
 
「あ……えっと、ひとりごとです」
「さっきから何やってるんだい?」
「女の子の体温を測っているんです。ひとりごは私の癖(くせ)なの。ごめんなさい」
「そうか」
 ピットが耳元でささやいてくれたので、なんとか答えることができたかなえ。ひたいに冷や汗が浮かびます。
 
〈どうしよう……〉
〈あの男とおしゃべりしろ。できるだけ気をひいておけ。その間に俺が、魔法でめぐみの足を治しておく。わかったな?〉
〈わかった。よろしくね〉
〈お前こそ、うまくやれよ〉

 
「こんばんは」
 かなえは男の人に話しかけました。
「何だい、今ごろ挨拶(あいさつ)なんて」
「あなたの病気は何ですか?」
「病気? 何を言ってるんだ。俺は自動車事故でケガをした。病気なんかじゃない」
「どういうケガなんですか?」
「看護婦の君の方が良く知っているんじゃないのか? 複雑骨折だ」
「それ、何です?」
「おいおい。君は本当に看護婦かい?」
(どうしよう。嘘がばれちゃう)
 かなえは焦りました。その時です。カーテンの向こうで何かが光りました。
「うわっ、雷か?」
「様子を見てきますね」
 そう言って、かなえはすばやく奥のベッドに向かいました。ピットがめぐみの足にのっかっています。
 
〈かなえ、うまくいったぜ〉
〈ほんと?〉
〈用がすんだら、さっさと帰るぞ〉

 
 ピットを白衣のポケットにしまい、かなえは部屋を出ようとします。後ろから、男の人が呼びかけました。
「看護婦さん、さっきの光は何だったんだ?」
「ええと、あたし帰りますので……」
「はあ?」
 ドアがバタンと閉まります。男の人は首をかしげました。
「あの看護婦、一体、何だったんだ?」
 
「ププック・クルルルルー」
 誰もいない木陰で呪文を唱えます。かなえはもとの姿に戻りました。辺りはすでに真っ暗です。
「一番星、見ぃつけた! お母さんが心配してる。早く帰ろう」
 かなえはバス停に走ります。揺れるポケットの中で、ピットはこうつぶやくのです。
「まったく、お前の元気さには負けるよ……」
 
 翌日。学校が終わると、かなえはあの病院に急ぎました。受付の女の人は昨日と同じでした。かなえはていねいに用件を告げます。
「三一七号室の松川めぐみさんに面会したいのですが」
「どうぞ。三階の奥の方よ」
「ありがとう」
 
 ふたたび病室。かなえは、そろりそろりとドアを開けます。
「こんにちは」
「おお、こんにちは」
 男の人が返事をしました。その横を通り過ぎ、カーテンの向こう側に行きます。
「めぐちゃん!」
「かなえ、来てくれたんだ。ありがとう!」
「ケガは大丈夫?」
「あのね聞いて。すごいよ、奇跡的に治ったの。魔法としか思えないよ!」
「ほんと?」
 かなえは目を大きく開き、できるだけ驚いた顔をしました。ピットに念を押されていたのです。めぐみは言います。
「今日までは様子を見るために入院してるけど、明日のマラソン大会には出られそう」
「よかったね、めぐちゃん」
「お見舞いに来てくれて、どうもありがとう。心配しないで、あたしは元気だから!」
 見ると、めぐみの右足をおおっていた重そうなギプスは外されていました。
「でも、お大事にね」
 かなえはうれしくなって、部屋を飛び出しました。心の中でさけびます。
(ピット、ありがとう!)
 
 いよいよマラソン大会の当日です。準備運動も終わり、あとは出発を待つだけとなった五年生の女子たち。
「私の勝利は確実ね……おほほほほ」
 ミキは高笑いをしています。かなえは心配そうにまわりを見渡しました。もうすぐ自分たちの出番なのです。
「めぐちゃん、来ないのかなぁ」
「当たり前でしょ! あんな大ケガしたのよ? おほほ、かわいそうにねぇ……」
 ミキがそう言った時でした。
「あたしをケガ人扱いしないで! 勝負はこれからよ」
「あっ!」
 めぐみでした。一日病院でゆっくりしたせいか、いつも以上に元気そうです。困ったのはミキでした。
「え? え? どうなってんの?」
「あんたと勝負するために、私はちゃんと戻ってきたよっ」
 めぐみははっきり言いました。こうなるとミキも強気です。
「の……望むところよっ!」
「そこの三人、早く位置に着きなさい」
 先生が大声で呼びました。かなえたちは急いでスタート地点に向かいます。
 
「よーい、」
 ドン!
 ピストルが鳴って、大きな歓声の中、かなえたちはいっせいにスタートを切りました。
「三組、がんばれ!」
「二組、負けるなよ!」
 男子は同じクラスの女子を応援しています。総合優勝するためには、男女ともに良い成績をあげなければならないからです。
 練習通り、グラウンドを一周します。それから住宅街に出ていきます。予想以上のハイペースで、かなえは流れに乗るのがやっとです。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 まわりにかまっている余裕はありません。かなえはしっかり前を向き、時々足元を確かめながら一生懸命走りました。
 はるか遠くに折り返し地点が見えてきました。その瞬間ちらりと横を向いたら、エンジンをかけっぱなしのバイクが細い裏通りに止まっていました。バイクに乗っている男の人はマラソンの様子をうかがっているようです。
(もしかして、また……)
 かなえはいやな予感がしました。でも、どうしようもありません。魔法で婦警さんに変身して注意しようにも、そもそもステッキを持ち合わせていないのです。
 かなえは近道をして、折り返し地点にいる森山先生のところに言いに行きました。眼鏡をかけた中年の女の先生です。
「はぁはぁ、すいま、せん、はぁはぁ」
「どうしたの、春日さん? コースが違うわよ」
「あそこに、はぁはぁ、バイク、はぁ……」
「何? バイク?」
「めぐちゃん、あぶない、はぁはぁ」
「あぶない? どこなの? とにかく案内してちょうだい」
 かなえは先生を連れて走ります。振り返ると、折り返し地点にはめぐみとミキが近づいていました。
「先生、急いで下さいっ!」
「待って、春日さん……ふぅふぅ」
 なんとかバイクのところに着いた、かなえと森山先生。男はバイクにまたがり、発進の準備をしていました。先生は注意します。
「ちょっとあなた、そこで何やってるの? マラソン大会中は車両進入禁止よ。警察の許可も取ってあるんだから」
 男の人は突然の出来事に驚いている様子です。かなえは言いました。
「先生。この人、一昨日(おととい)めぐちゃんをひき逃げしたんだよ」
 男の人はヘルメットをかぶっているので顔はわからないのですが、かなえは自分の考えに確信がありました。
「何ですって!」
 森山先生は男の人をバイクから引きずり下ろします。
「どういうことなのよ?」
 先生のお説教が始まりました。その時、横のコース上をめぐみとミキが通り過ぎます。二人はほぼ並んで、学校へ続く一本道を走っていきます。
「めぐちゃん、がんばれ!」
 かなえがさけぶと、めぐみは視線をちょっとだけ後ろに向けました。それから二人の姿はすぐに小さくなりました。トップの二人を先頭集団が追います。
「ちくしょう、作戦失敗だ」
 男の人は舌打ちをしました。そして森山先生を振りきると、バイクのエンジンを吹かして反対の方に逃げていってしまいました。
 先生が言いました。
「春日さん、助かったわ。あなたが教えてくれなかったら、マラソン大会は……」
「いいんです。でも、あたし、正式なコースを走らなかったから失格ですか?」
「……」
 先生は困った様子でしたが、少し考えたあと、こう言いました。
「春日さん、ここからもう一度走りなさい。完走することが大事よ。せっかく今まで練習してきたんだから」
「はい!」
 前には誰もいませんが、かなえは正式なコースをあきらめずに走りました。折り返し地点をまわり、グラウンドに入り、ラストスパートをかけます。
「かなえー、がんばれ!」
 ゴール前でめぐみが応援してくれました。かなえがゴールするとピストルが鳴り、五年生女子のマラソンは終わりました。
「かなえ、どうしちゃったの? 今日は体調悪いの?」
 めぐみは心配そうでした。かなえは苦しそうに呼吸しています。
「はぁはぁ……」
「お疲れさま。ゆっくり休もう」
 
 だいぶ落ち着いてきたころ、かなえは訊ねました。
「めぐちゃん、どうだった?」
「見て!」
 厚紙の賞状です。
「五年女子の部・第一位、松川めぐみ……。めぐちゃん、すごい! やったね!」
「うん。一番最初に、かなえに見てもらいたかったんだ……」
 めぐみは照れ笑いしました。
 
 結局かなえたちのクラスは総合優勝に輝きました。女子はめぐみ、ミキが一・二位を取ったし、他のみんなも頑張りました。男子も良い成績だったのです。
 帰りの会のあと、めぐみとミキはおたがいに堅い握手をかわします。
「松川めぐみ! 来年は見てらっしゃい。今度こそ、絶対に負けないわ。長谷川財閥の名にかけて!」
「あたしも負けない!」
 みんなは暖かい拍手を贈りました。
 
「で、お前はビリだったわけか」
 ピットが言いました。ここはかなえの部屋です。
「うん、でもいいの。失格じゃなかっただけ、よかった。めぐちゃんを助けることができたし、満足してる」
「お人よしだな」
「それでね、あたしも特別に賞状もらったんだ」
「?」
「これなの」
 広げた大きな紙には、きれいな字で〈審査員特別賞〉と書いてありました。
「森山先生が作ってくれたんだ」
「よかったな。まぁ、下手に魔法を使わずに事件が解決できれば、それが一番いいことだ。ボロが出なくてすむからな」
「えへっ。そうだね」
 かなえは表情をゆるめます。一方ピットは、ひとさし指を立てて忠告します。
「もしも魔法を使う場合……今回みたいに人助けに使えよ」
「うん!」
「お夕飯ができたわよー」
 お母さんが呼びました。
「すぐ行く!」
 かなえは自分の賞状を手に、階段をとことこ降りていきました。

(了)



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