どこまでも

 

秋月 涼 


 広い草原を、私はどこまでも流れてゆくのです。どこから来て、どこへ行くのか? ……そんなことは、私にだって分かりゃあしませんって。ただ、流れて行く、という事実があるだけです。過去も未来も、どうだっていいんです。生きている現在が素晴らしいんです。
 あなたはいつだって過去を嘆き、未来を不安げに待ちますが、それって損ですぜ。今を楽しまなきゃ。終わったことに文句を言っても無駄。落ちちゃった砂時計の砂は、どうあがいても、もはや上には登らんのです。それと同様、これから先の心配をしても、疲れるだけだと思うんですけど……。砂は、落ちる時に落ちるんです。時期が来たら落ちるんです。落ちる軌跡が綺麗(きれい)なんです。
 今、この瞬間にも、世界のどこかで、夕陽が沈んでいく。今もです、今も、今も……止まることはないんです。そして、回り回って、いつかはここでも沈むわけです。時期が来たら沈むんです。
 夕陽が見えない雨の日もあります。雨を身体(からだ)で受けとめると、意外と暖(あった)かいのに驚きます。夕陽が見えないのは辛(つら)いけれど、明日を待てばいいんです。順番は公平に回ってきます。一日に一度、必ずやって来るんです。
 私は風です。春に吹いたら春風です。冬に吹くから木枯らしです。そよそよしてれば微風(そよかぜ)と呼ばれます。でも、そんなのはどうだっていいんです。私は風です。どんなに名前が変わっても、私が風であることに変わりはないのですから。
 森を通り過ぎると、木々の梢(こずえ)が歌います。私がぶつかるから歌うんです。私が揺らすから歌うんです。私は風です。生まれた意味はあるんです。こういう所に、あるんです。だから私は、どこまでも流れて行くんです。
 時々、空を飛ぶ小鳥が羨(うらや)ましくなります。彼らは自由だから。自由に空を飛べるから。でも、自分は自分なんです。まっすぐにしか飛べないけど、仕方ないんです。私は風だから。でも、諦(あきら)めちゃ駄目なんです。そこで止まってしまうんです。だから私は、流れて行くしかないんです。
 私は小さな風です。台風とは違うんです。ささやかに吹くんです。それが、とっても素敵なんです。風鈴を鳴らします。上手く鳴らせるんですよ。私だから鳴らせるんです。台風には鳴らせないんです。台風が思い切り揺らしても、綺麗な音は、出ないんです。
 とにかく私は、力が果てるまで、どこまでも流れて行きますぜ。風は止まれないんです。ただ、流れて行くだけなんです。
 そして、だんだん力を失って。いつか止まってしまうんです。どうせ止まるなら、美しく。でも、その日までは走り続けるんです。
 いつかは、みんな、止まるんですよ。どこまでも、流れ続けることは出来ないんです。それでも、流れて行きたいんです。だから、流れてゆくんです。
 私はそういう、小さな小さな、風なんです。

(了)



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