■ 万字線 廃線跡 ■

 ■ 歴史 ■

 国鉄・万字線は、石狩炭田から産出される石炭輸送のため、1914年(大正3)に開業した。志文(しぶん)駅から万字炭山(まんじたんざん)駅に向かう23.8kmの路線で、幌向川を何度も越え、山を目指した。
 沿線の美流渡(みると)や朝日炭鉱の石炭輸送にも活躍したが、昭和40〜50年頃までにすべて閉山となり、赤字ローカル線となった。第1次特定地方交通線に選定され、1985年(昭和60)年に廃線となった。

 列車は、地域の中心地である岩見沢駅を起点とし、室蘭本線の志文駅から万字線に入線していた。志文駅・上志文駅・朝日駅は岩見沢市、美流渡駅・万字駅・万字炭山駅は栗沢町(現・岩見沢市)に立地した。

 上志文・朝日・万字の駅舎が現存し、美流渡と奈良町(美流渡の少し奥)には鉄道記念館がある。

 北海道中央バス社が、路線バス「万字線」(岩見沢駅〜万字地区)を運行していたが、2008年に毛陽交流センター以遠の末端区間を廃止した。廃止区間には、岩見沢市の無料バスが運行されている。

 ※本記事は2014年5月現在の情報です。
 
 
 ■ 駅 ■
  駅名 読み方 距離   備考
終点 万字炭山 まんじたんざん 23.8km   万字炭鉱
万字 まんじ 22.3km    
美流渡 みると 15.9km   【乗換】北星炭礦美流渡礦専用鉄道
朝日 あさひ 12.2km   朝日炭鉱
上志文 かみしぶん 6.6km   萩の山スキー場
起点 志文 しぶん 0.0km   【乗換】室蘭本線


 ■ 万字炭山 ■
まんじたんざん
万字炭山
MANJITANZAN
 
 
ま ん じ
M A N J I

 路線の終点だった万字炭山駅より探索した。旅程の都合上、夕張駅からタクシーで万字入りした。(約25分/5,000円)
 万字炭鉱が1976年(昭和51)まで操業し、地域の主要産業の中心地として栄えた。なお「万字」という地名は、炭鉱を開いた朝吹家の家紋である「卍」にちなんで命名された。

[2014/05/06 / 09:13]
 万字炭山駅は未訪問である。岩見沢市の無料市営バス「万字寿町回転所」から、万字炭山駅のあった低地を見下ろした。
 
 駅舎は廃止後も長く残り、個人の山荘として使われていたが、2013年頃に撤去されたようだ。

[2014/05/06 / 09:13]
 上記の写真と、ほぼ同じ位置。バス運転手によると、この道の先に万字炭山駅があったという。
 炭鉱町の面影が、わずかに残っている。

 周辺は「万字炭山森林公園」として一部が整備されている。

[2014/05/06 / 09:12]
 寿町より道道38号線沿いに少し進むと、英町に「万字交通センター」がある。市役所出張所も入居している公共施設のようだ。
 万字地区の唯一の公共交通である、無料バス「市営万字線」のバス格納施設もある。

 なお、駅のように見えるが、鉄道の万字線とは位置的に全く無関係である。

[2014/05/06 / 09:01]
 「万字交通センター」の片隅には踏切が残る。
 記念の石碑は倒れていた。


 ■ 万字 ■
ま ん じ
万字
MANJI
まんじたんざん
MANJITANZAN
み る と
MIRUTO

 万字駅周辺には、かつて多くの炭鉱住宅が建っていた。
 閉山から40年近くが経過し、民家も減って、ひっそりとしていた。

 山々の稜線が柔らかく、大自然に囲まれた印象的な集落である。
 桃色の山桜が咲き、さわやかな春の風が吹いていた。

[2014/05/06 / 09:09]
 万字駅の駅舎は「万字仲町簡易郵便局」として現存する。この日は祝日のため、郵便局は定休日であった。
 広い駅前広場で、往時の繁栄を想像した。
 
 写真の岩見沢市営バスは、当地の「万字バス待合所」を起終点としている。

[2014/05/06 / 09:05]
 駅舎の右側には記念碑が建っている。
 

[2014/05/06 / 09:06]
 外から駅舎内(郵便局)を撮影した。
 窓口は、鉄道時代の再利用だろうか?

[2014/05/06 / 09:06]
 駅舎の裏側。
 降車客を迎えたはずの改札口は塞がれていた。

[2014/05/06 / 09:06]
 ホームに降りる階段。
 鉄道時代には屋根があったようだ。

[2014/05/06 / 09:07]
 万字駅のホーム(万字炭山方面)

 右下に、コンクリート部分が見える。
 鉄道駅の雰囲気は残っている。

[2014/05/06 / 09:07]
 万字駅のホーム(美流渡方面)

 辛うじてホームの盛り土が分かる程度だ。

[2014/05/06 / 09:07]
 ホームから駅舎を仰ぎ見る。

[2014/05/06 / 09:08]
 万字駅前の様子。
 左奥には炭鉱住宅が多数あったようだが、更地になっている。

[2014/05/06 / 09:04]
 万字駅前のメインストリート。
 この道の途中、写真左奥に万字駅がある。

 かつては民家や商店がびっしりと建ち並んでいたのだろう。


 ■ 毛陽 ■

[2014/05/06 / 09:25]
 道道38号線を美流渡方面に進むと、ログハウス風の「毛陽交流センター」がある。
 毛陽(もうよう)地区は畑作地帯で、民家は少なく、鉄道の駅も作られなかった。
 現在はレジャー地区となっており、この「毛陽交流センター」では地域物産が販売されている。近くには天然温泉「メープルロッジ」があるようだ。

 公共交通を使って万字を訪問する場合、ここで乗換となる。左側が岩見沢駅ゆきの北海道中央バス「万字線」、右側のマイクロバスが万字に戻る「市営万字線」。


 ■ 美流渡 ■
み る と
美流渡
MIRUTO
ま ん じ
M A N J I
あ さ ひ
A S A H I

 美流渡も炭鉱の町だった。万字線の美流渡駅から「北星炭礦 美流渡礦専用鉄道」が分岐し、上美流渡で産出される石炭を運んだ。
 なお「美流渡」とはアイヌ語に当て字をした地名であり、「シルトゥロマップ(山の間にある川)」を起源とする説がある。

[2014/05/06 / 10:29]
 毛陽交流センターからバスに乗り、美流渡交通センター(バス待合所)で下車した。ここが、かつての万字線・美流渡駅前である。

 美流渡は今でも大きな集落で、奥行きがある。小中学校やコンビニも有り、人々の暮らしが感じられる町だった。

 写真右側の白い建物が「美流渡交通センター」である。駅の雰囲気が感じられる。

[2014/05/06 / 09:46]
 美流渡駅跡に建てられたバス待合所「美流渡交通センター」の2階には「万字線鉄道資料館」がある。この日は祝日のため休館日であった。
 鍵は、隣の建物の地元商工会が管理しており、申し出により開錠されるとの説明書きが貼られていた。

[2014/05/06 / 09:35]
 美流渡交通センターの横には、鉄道の車止めがモニュメントとして設置されている。

[2014/05/06 / 09:37]
 美流渡駅の敷地は広大だったようだ。駐車場は雪捨て場として使用されていた。

[2014/05/06 / 09:36]
 美流渡交通センターの裏に、踏切が設置されている。

 穏やかな光の降り注ぐ、春の美流渡であった。

[2014/05/06 / 09:37]
 万字駅と同じ形式の碑が立っていた。
 旧栗沢町の駅(万字炭山・万字・美流渡)には、この碑が建てられた模様。


 ■ 万字線鉄道資料館 ■

[2014/05/06 / 10:14]
 美流渡(旧・栗沢町)の奥に、奈良町(岩見沢市)がある。ここには岩見沢市が建てた「万字線鉄道資料館」がある。
 美流渡交通センターから徒歩10分ほど。

 公共施設「奈良町連絡所」を兼ねていたが、2014年3月末で閉鎖された旨の張り紙があった。美流渡サービスセンターが引き継ぐという。

[2014/05/06 / 10:13]
 主な資料群。この他に、多数の写真パネルと、鉄道の歴史年表があった。

[2014/05/06 / 10:07]
 不思議なマネキン駅員がお出迎え。

[2014/05/06 / 10:10]
 記念切符やスタンプの類が整理され、大切に保管されていた。

[2014/05/06 / 10:10]
 万字線お別れ臨時列車「さよなら万字線・快速まんじ号」で使用されたヘッドマーク。

[2014/05/06 / 10:10]
 旧栗沢町の万字駅の資料が、岩見沢市の資料館にあるのは謎である。(栗沢町は合併し、現在では岩見沢市の一部ではあるが)

[2014/05/06 / 10:10]
 写真パネルより、開業の頃の万字駅。これだけ側線があったのは驚きである。開業当初より、ホームに降りる階段があったことが分かる。

 今は自然に還ろうとしている。

※写真をクリックすると拡大します。

[2014/05/06]
 許可を得て、備品の記念スタンプを押印させてもらった。「わたしの旅」スタンプに似ており、好感が持てる。


 ■ 朝日 ■
あ さ ひ
朝日
ASAHI
み る と
MIRUTO
かみしぶん
KAMISHIBUN

 朝日も炭鉱の町であった。駅跡は、岩見沢市により「万字線鉄道公園」として保存・整備され、木造駅舎やホーム、踏切等が残っている。
 朝日炭鉱は大手に属さず、小規模な経営ながら、昭和49年まで採炭を行ったようだ。その後、万字線沿線の炭鉱は全て閉山となり、貨物営業は昭和53年に廃止。昭和55年の国鉄再建法を迎えることとなる。

[2014/05/06 / 11:10]
 美流渡から歩き、朝日に到着。

 集落の外れに「旧朝日駅前」のバス停がある。
 その向かいには――。

[2014/05/06 / 11:11]
 万字線跡では唯一の、木造の美しい駅舎が残っている。構内は「万字線鉄道公園」として保存・整備されている。

[2014/05/06 / 11:35]
 鉄道公園の全景。駅舎だけでなく、プラットホームや蒸気機関車、踏切も保存されている。

[2014/05/06 / 11:17]
 「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」の方々が訪問されており、お話を伺った。朝日集落には家族経営のような小規模炭鉱が昭和50年位まで残っており、希有な存在だったとのこと。
 万字・美流渡だけでなく、朝日も炭鉱の町だったという事実は初めて知り、勉強になった。

[2014/05/06 / 11:12]
 駅舎横には記念碑がある。
 写真左奥は公園の案内板。

[2014/05/06 / 11:23]
 現役と言っても通用しそうな雰囲気だった。
 昭和時代から時間が止まっているかのようだ。

[2014/05/06 / 11:17]
 国鉄のローカル線らしい、たたずまいである。

[2014/05/06 / 11:21]
 正面側の窓から撮影。施錠されていた。

[2014/05/06 / 11:18]
 桜が咲いており、良い雰囲気だった。

[2014/05/06 / 11:16]
 奥に見えるのは貨物用のホームと思われる。

[2014/05/06 / 11:15]
 古い駅名標も残っていた。
 写真奥の方面に炭鉱の施設があった。

[2014/05/06 / 11:25]
 B20形蒸気機関車の1号機が展示されている。戦時中に製造された国鉄の入換え用の機関車で、小型である。あまりに小さく、営業列車を牽引することは困難だったようだ。

[2014/05/06 / 11:32]
 退色しているものの、おおむね保存状態は良好である。

 現役時は小樽築港機関区に配属されていたが、万字線との関わりは不明。

[2014/05/06 / 11:37]
 公園の上志文寄りに、13キロポストが置かれている。(朝日駅は志文起点12.2km)

 朝日炭鉱は写真右手の山にあり、朝日駅付近には選炭施設やホッパー(貯炭場)があったようだ。(⇒参考:Wikipedia「朝日駅 (北海道)」

 炭鉱の現役時代、朝日駅には多くの側線があった。炭住群は写真左奥の方向にあったようだ。

 右の流水は、炭鉱から流れる排水の模様。

[2014/05/06 / 11:36]
 最後に散歩中の女性と話す機会があった。

 炭鉱の稼働中は大いに賑わったが、その後は「とっても静かよ……」と、実感を伴って語っておられたのが印象に残った。

 私は次のバスに乗り、この地を発った。


 ■ 上志文 ■
かみしぶん
上志文
KAMISHIBUN
あ さ ひ
ASAHI
し ぶ ん
SHIBUN

 岩見沢市・上志文地区は、農業とスキー場の地区である。
 ローカル線の万字線が多くの乗客で賑わう時期があり、それは冬のスキーシーズンだった。駅前には岩見沢市営「萩の山スキー場」がある。
 札幌発・上志文ゆき直行臨時列車「上志文銀嶺号」「上志文スキー号」が運転され、多数の乗客で賑わったという。

[2014/05/06 / 12:05]
 バス停「上志文中央」、および上志文郵便局の近くに、上志文駅跡がある。
 駅舎は鉄道の現役当時より縮小改造されているが、スキー場の倉庫として活用されている。

 写真左側が万字炭山方面。

[2014/05/06 / 12:04]
 駅舎を横から。

 写真左下の黒い石は記念碑である。
 

[2014/05/06 / 12:05]
 窓から駅舎内部を撮影した。
 やはり倉庫になっている。

[2014/05/06 / 12:06]
 ホーム跡は、整地されてスキー場に取り込まれている。左側の柱は、廃レールの転用だろうか。

[2014/05/06 / 12:08]
 近くで農作業中の方にお話を伺う事ができた。

 スキーの臨時列車が到着した時は、駅からリフト券の売り場まで、長蛇の列が出来たとのこと。
「(当時とは)色々なものが変わってしまったよ」と感慨深げに語っておられた。

 駅周辺を快く見せて頂き、ありがとうございました。

[2014/05/06 / 11:56]
 ローカル線の小さな駅に“冬の特需”をもたらした、岩見沢市「萩の山市民スキー場」である。
 

[2014/05/06 / 12:26]
 万字線とは無関係であるが、付近には「メープル小学校」という変わった名前の学校があった。

 ここから50分ほど歩き、バス停「緑が丘6丁目」で岩見沢駅方面のバスに乗った。


 ■ 志文 ■
し ぶ ん
志文
SHIBUN
かみしぶん
KAMISHIBUN
 
 

 万字線は、室蘭本線の志文駅を起点としていた。旅客列車は、基本的には室蘭本線に乗り入れ、隣の岩見沢駅を起終点としていた。石炭の貨物列車も、港まで運ばれていったのだろう。
 炭鉱の最盛期には、志文駅〜岩見沢駅の線路容量が不足し、別線を作るほど栄えた。今は広い構内にぽつんと駅舎が建つのみである。

[2008/09/12 / 13:01]
 以前、室蘭本線乗車時に撮影したもの。
 構内は広かった記憶がある。

 写真のホームはかつて両面とも使用されており、駅舎側が万字線のホームだった。ちょうど駅舎の建っている辺りに、万字炭山ゆきの列車が止まったようだ。

 以上にて、万字線のレポートを終了する。