2002年 7月

 
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2002年 7月の幻想断片です。

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  7月31日− 


 ルデリア大陸の東に浮かぶ〈魅惑の島〉シャムル。偏西風と海流の影響で、もともと夏でも過ごしやすいデリシ町付近であるが、森の中は季節を一つ先取りし、秋のように涼しかった。
 僅かな起伏にも忠実に従い、下へ下へと赴き続ける爽やかな細い流れは、湧き出し口である石の間から小さく跳ねるかのように、空へ向かってささやかに鮮やかに水の橋を架けていた。
「この小さな滝は、風に染められ、色が変わるんですよ」
 控えめに言ったのは二十四歳の地味な青年、テッテである。数々の仕事を首になった彼は、気むずかしいカーダ博士の下で働くことに天職を見いだした。森の中での自給自足と魔法研究の暮らしほど、彼の性に合っている生活はなかったのである。
「どうして?」
 すかさず自らの好奇心を膨らませて訊ねたのは、行動的で活発で目元のはっきりした商人の娘、八歳のジーナである。同じ学舎に通うリュアと性格は正反対であるが、なぜか馬が合う。若くして隠居じみた生活を送ることとなったテッテを、かろうじて外の世界と繋いでいるのは、この幼い二人の客人であった。
 この秘密の場所〈天空畑〉で少女らは色々なことを学んだが、おそらくテッテの方こそ、より多くを二人から学んでいたのだ。
 彼が自らの知識をひけらかすでもなく、これほど落ち着いた心持ちで語ることができたのも、まろうどのお陰であったろう。
「風によって、木の葉が微妙にそよぎます。すると、その間を縫ってくる光に色が付くんですよ――実は、あの大きな樹は、プリズムの属性を持つ特殊な魔法を、肥料に混ぜているんです」
「難しいことは解らないけど、すごいんだね……」
 少女らの片割れ、やはり商人の娘のリュアは、夢見る瞳をとろんとさせ、虹のように染まる可愛らしい滝を眺めていた。

 風は止まず、時間も止まらぬ。
 だが、この幸福な時を共有したという思い出は、いつか離ればなれになっても、三人の中で輝き続けるだろう――ずっと!
 


  7月30日△ 


「ルディア自治領はあのまま放置しても良いものだろうか? ガルア最後の皇帝、ヒュールはだいぶ成長したと言われるが」
「ふん。あいつらは独立する力なんて、これっぽっちも無いさ」

 メラロール市の〈はんの木通り〉では、ブロックの角を占める大規模なものからアットホームな個人経営のものまで、カフェが林立している。緩やかな右カーブを描くレンガの路沿いに、数々のカフェが四角い看板を出している。建物は違った形や色をしつつも、そのどれもが洗練されており、まさに百花繚乱の時を迎えたメラロールの国力と文化を静かに語りかけ、誇っている。

「いやはや、夏はビールに限りますな」
「ええ、まったくで」

 全ての人々――子供から年寄りまで老若男女を問わず、貴族から平民まで身分や職業に関わりなく――が同じテーブルに座って同じように飲み食いする今や唯一の場所であり、禿げ上がった男らがビールのグラスを傾ける脇で、堅苦しい学者が政治論議を交わし、その横で若い女性たちが着飾って井戸端会議を展開し、赤子は母親に抱かれて安らかに睡眠を貪る。

  「クルードと付き合ってたのよ、あ・の・子!」
  「うそー? 信じらんないっ!」

 そこでは価値ある情報がやり取りされたかと思うと、根も葉もない噂が飛び交う。人と人が関わるのだから、当然、恋も生まれれば事件も起こる。昼も夜も問わずに酒が出るかと思うと、子供たちも気軽に遊びに来る。ここは思想とおしゃべりの解放された交差点である。

「レイちゃん、何飲む?」
「うーんと……レモンティー!」
 


  7月29日△ 


「うぅ、リン、水ぅ」
 久しぶりの町でたらふく飲み食いしたケレンスは、翌日になるとひどい二日酔いになった。旅の疲れもあったのだろう。宿屋の一階の、風通しの良い場所にあるソファーに寝転がり、手の届く範囲に小さなテーブルを用意し、そこに水の入ったグラスを常備させている。朝食はもちろん気分が悪くて食べられず、頭痛は止まらず、聖術師のリンローナの看護を受けている。リンローナ自身は酒が苦手で、もともとアルコールを良く思っておらず、昨晩も何度もケレンスを諫めていただけに、あきれ顔である。
「もう。ケレンスは限度を知らないんだから……いくら何でも、ゆうべはお酒、飲み過ぎだよ! 何もいいこと無いのに……」
「リン、頼む、水、おかわり」
 ケレンスは仰向けで目をつぶったまま、だるそうに手だけを伸ばす。普段のやんちゃさはどこへやら。むしろオジサン臭い。
「もーぅ」
 リンローナはほっぺたを膨らませつつも、しぶしぶ井戸へ水を汲みに出かけた(セルフサービスの水汲みは宿屋の許可を得ている)。帰ってくると、水を充たしたグラスをテーブルに置く。
「はい、お水。あんまりひどいようなら魔法もかける?」
 その時、通りかかったリンローナの姉のシェリアも、やはり同じような状態で少し顔は青ざめているが、動けるぶんケレンスよりも格段にマシであった。そして一言、ぽつりと感想を洩らす。
「あんたたちって、夫婦みたいねぇ」
「ふー?」「ふぅ?」
 ケレンスとリンローナの声が重なる。実は、こういう冗談にはケレンスの方が敏感であり、彼はガバッと飛び起きると、シェリアの言動を否定すべく勢いを付けて立ち上がった。しかし二日酔いは重力となって彼の身体に襲いかかる。普段は誰よりも素早く駆け回るケレンスであるが、さすがに今は緩慢な動きであり、ついに頭を押さえると、そのまま再びソファーに倒れ込む。
「駄目だ……水」
「お水、持ってきたよ?」
「ありがと」
 それを横取りしたのはシェリアであった。ケレンスの恨みがましい低音の呻き声が響き、リンローナはやむを得ず、もう一度井戸へ行かざるを得なかった。だが、彼女は先ほどまでの憤りの段階を超越し、困ったような笑顔さえ浮かべている。根っからの聖術師であり、この介抱に楽しめる部分を見つけたようだ。
「もう、ほんと、しょうがないんだから!」
 外は太陽の光が溢れる。今日も暑い一日になりそうだった。
 


  7月28日△ 


「疲れたんだねー、あんなに飛び回って」
 二階の窓辺の木の椅子に腰掛け、壁にもたれかかり、ナンナは注ぎ込む夕陽に目を細めていた。その華奢な右肩には、彼女の小さな〈使い魔〉であるインコのピロが羽を休めている。けがれなき天使のような純白の羽毛のピロはしきりにクチバシを動かし、その可愛らしい真ん丸の瞳は眠気に耐えようと必死の抵抗を続けるが、速度は緩やかになり、まぶたも落ちてゆく。
 ナンナはほうきに乗って空を駈け、ピロも付き合い、二人は遊び疲れて帰ってきた。魔女の卵は大きく口を開き、あくびする。
「ふぁーあ、ナンナも眠くなってきたよ……」
 
 ナンナの魔法の師匠でもある祖母のカサラが階段をゆったり登ってくると、夕陽の残滓を浴び、窓辺に寄りかかって静かに寝息を立てている孫娘がいた。肩の上ではピロが夢を紡いでいる――その中でもナンナと一緒に空を飛んでいるのだろうか。
「あの鳥は、ほんとうに、孫に馴れとるのぅ」
 カサラは薄いタオルを持ってくると、ナンナに注意深く掛け、それから〈早く夜を呼び寄せる魔法〉を唱えた。明度は下がり、部屋の中には一足早く、まどろみと休息の闇が染みこんだ。
 


  7月27日△ 


[The opposite snow]
 If summer comes so that cold and pure white snow may fall in winter, 'the opposite snow' made with light and heat will fall. Although it is not visible and cannot touch, either, you can feel it.
 You will get tanned in summer so that you may become a frostbite in winter. It is the influence of 'the opposite snow'.

[反対の雪](邦訳)
 冬に冷たくて真っ白な雪が降るように、夏が来れば光と熱で作られた〈反対の雪〉が降ります。それは見えませんし、触ることも出来ませんが、感じられます。
 冬に霜焼けするように、夏に日焼けするでしょう? それは〈反対の雪〉の仕業なのですよ。

 


  7月26日− 


[アクセス20001件記念 まじっかぁさんへ]
 脳が溶けそうなくらい、うだるように暑い南国ミザリアの夏の、そのまた特別に暑い日もようやく暮れかかろうとしていた。ここは王都にして国内第一の都市、ミザリア市の住宅街である。
「ちょっと、そこのリィメル族!」
 その路地を通り過ぎる時、機嫌の悪そうな少女の甲高い声がした。レフキルは自分のことを呼ばれたのだと察しがついたが、敢えて無視を決め込む。目の下に隈を作り、全身は乾いた汗でベタつき、皮膚は真っ赤になってしまうほど日焼けをし、足が棒のようになっており、体力的にも気分的にも最悪だったからだ。
 彼女は人間と妖精メルファの合いの子、耳の長いリィメル族の十六歳。現住所は湾を挟んだ反対側のイラッサ町だが、今は大事な捜し物でもあるのか、王都ミザリアを彷徨っていた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! お前、聞こえてんの?」
 予想外の反応に、声をかけた方は拍子抜けする。レフキルを追い、慌てて飛び出したのは、肩にかかる艶のある黄金の髪も美しく、青い双眸から発せられる眼光は鋭いが、レフキルと同じくらいか少し年下に見える、妙に肩のがっしりした少女だった。格闘家が好むような、動きやすくて堅い皮の武道着を着ている姿は見るからに暑苦しかったが、よく見ると、それは外国から輸入した最高級の皮を使用し、紋章が誇らしげに輝いていた。
 王家に仕える国内随一の格闘家を師匠とし、身体を鍛え続ける〈おてんば王女〉として世界に名を轟かせ、城を抜け出したのは数知れぬ。前回はドレスで脱走するという愚を犯し、様々な騒動を巻き起こしたのだが、今回はその反省を活かしたようである。しかしながら容姿の整った若い少女に似つかわしくない武道着では結局のところ目立ってしまい、追っ手の近衛騎士から逃れるため路地に隠れつつ移動する羽目になってしまった。
 彼女こそはミザリア国の正当な第一王女にして、賢明なるレゼル王太子の妹、十五歳のララシャ・ミザリア姫である。
「返事しないと、ぶっ飛ばすわよっ!」
 王女らしからぬ暴言だが、これは格闘の師匠の受け売りである。彼女に限らず、わざと汚い言葉を使ったり、両親や義務に反発したい年頃でもある。本人はドスの効いた声を出したつもりでも、生来の可愛らしさを完全に消すことは出来なかった。
 他方、落ち込んでいたレフキルは、かっと頬を朱に染める。振り向いて言い放った言葉には静かな怒りが込められていた。
「あんた、何様のつもり?」
「王女様よ!」
 胸を張り腰に手を当て、ララシャはのけぞるほど威張って応えた。レフキルは目を丸くしたが、すぐ興味なさそうに歩きだす。
「あたし、くだらない冗談につきあってる暇はないの」
「な、なんですって!」
 今度はララシャが怒り狂う番だ。武道着の袖をまくり、筋肉質の腕をあらわにする。通りをゆくザーン族の人々は、もともと好奇心旺盛なこともあり、少女たちの確執に目を向けた。このままでは姫を捜す騎士たちに見つかるのも時間の問題だろう。
 その時、レフキルは急に立ち止まると、ララシャに向かってすがるような視線を送った。もともと元気印で行動的な商人の卵のレフキルであるが、今や見るも無惨なほど疲れ果て――持ち前のパワーが爆発寸前のララシャ王女とは対照的であった。
「この辺で、十六歳くらいの女の子、見かけなかった? ザーン族で、髪は銀色で、背はあたしよりも頭半分くらい高くて、緑色の宝石を首にかけてて、ボケ気味で、変な言葉遣いで……」
「そんな急に言われても、わかんないわよ!」
 ララシャは思わず怒鳴ったが、その態度はさっきよりも幾分、落ち着いているようだった。もともとが寂しがり屋のララシャは、レフキルの反応が、ことのほか嬉しかったのだ。その上、リィメル族の少女が人捜しをしている事態にも強く興味を惹かれた。
「そいつの名前は?」
 思わず話に夢中になり、ララシャは身を乗り出した。レフキルは素早く周りを見回し、王女に近づくと、小声で耳打ちする。
「サンゴーン・グラニア。さらわれたの!」
「さらわれた? 面白そうじゃない、腕が鳴るわ!」
「シーッ!」
 ララシャが大声をあげたので、レフキルは思いきり渋い顔をして唇に人差し指を当てる。どう話を継ごうかと悩んでいたレフキルはしばし口をつぐむと、代わりにララシャがしゃべり出した。
「そういえば、その名前、朝食の時に侍女から聞いた気がするわね。内密だけど、サンなんとかっていう草木の神者が……」
「それよ! その子よ! なんで知ってるの?」
 今度はレフキルが叫ばずにはいられなかった。一日じゅう、歩き通しても見つからなかった手がかりが掴めたのである。
「ラ、ララシャ様!」
 その時だった。若い男の声が通りに響き渡る。騒ぎを聞きつけた近衛騎士の一人が、ついに主君の姫君を見つけたのだ。
「まずっ。とりあえず逃げるわよ!」
「ええっ?」
 仰天しているレフキルの腕を強く引っ張り、にわかにララシャは駆け出した。頭よりも身体が先に動いてしまうタイプだ。
「お待ち下さーいっ!」
 騎士に追いかけられるという、生まれて初めての経験をしたレフキルは、走りつつ隣の少女に念を押さずにいられなかった。
「あなた、ほんとにララシャ様なの?」
「だから最初に言ったじゃないの。王女様だって!」
 ララシャはむくれて言い返す。彼女はもとより、レフキルもそれほどひ弱なたちではない。二人は逃げて逃げて逃げまくった。
 いつの間にか日没し、騎士の姿はとうに見当たらなくなっていた。同年代の少女たちは胸を抑え、ようやく立ち止まる――。
 


  7月25日× 


 まるで火の粉が入って見えなくなってしまったのように――濁った目をして、肩を落とし、力無く宿屋のベッドに寄りかかっていたのは、元気で少々がめつい旅の聖術師シーラである。しかし今や彼女の頭の中は虚しい失望の数字で塗り潰されていた。
「ただいまァ」
 その時、ノックの音がしてドアが開き、飄々とした感じの若い男が部屋に入ってきた。旅の相棒で恋仲のミラーである。
 シーラは依然、うなだれて動かない。
「……」
「お嬢さん、元気かね?」
 よせばいいのに、ミラーはシーラの目の前で手を振ってみる。大方の予想通り、相手は眉一筋動かさず、何ら反応を示さぬ。
 シーラが〈抜け殻〉になるほど、ガックリする原因は、たった一つしか考えられない。そのことをミラーは熟知しており、彼は少年のように悪戯っぽく微笑むと、遂に切り札を使ったのだった。
 大きくて、使い古された――茶色の皮の見慣れた財布。
 その時のシーラの変わり様といったら弁舌に尽くし難い。
 強いて言えば、砂漠を彷徨って水分を渇望する亡者が、オアシスを見つけた時にしそうな貪るように飛びつく仕草と、生きている喜びに溢れかえり、夢のように恍惚とした表情であった。
「どこ、どこ、どこ、どこで見つけたの?」
 しがみついてくるシーラに対し、ミラーは沈みがちに声をかける。その瞳には、行き着く先の悲劇を見通す翳りがあった。
「向こうの通りで拾ったんだな。君の財布だと思って」
「間違いないわ!」
 熱い希望に燃えさかり、財布の中身を確かめる女聖術師。

 その後を語るのは、色々な意味で辛い。
 シーラはやはり虚ろな瞳で、呆然と座り込んでいた。
 財布の中身は、全て抜き取られていたのである。
「心配しなくてもいい。今晩、おごるよ」
 そう言ったミラーの言葉も遙か遠くで聞こえ、シーラの感情は停止状態に陥っていた。彼女は夕方まで人形のようだった。

 その夜、酒場でやけ食い・やけ酒をあおるシーラがいた。
「やってらんないわよーっ、ったく!」
「シーラが立ち直らないわけ無いんだよなぁ……」
 ぽつりと呟くミラーの目の前には、空になった皿とジョッキが山のように積まれ、請求の紙は厚みを増すばかりだった。
 


  7月24日− 


[序.カミトクにて]
 自分の手さえ判別できぬ〈真の夜〉というものが、この世には存在する。すべての気力を奪い去るほどに虚無で、その中にいると人は、目をつぶっている方がまだ明るいような心持ちになるだろう。闇は最初に〈存在すること〉という当たり前の日常を根底から揺さぶるような恐れをもたらす。そして、しだいに血が巡るようにゆっくりと、より深い水準での安らぎをもたらすのだ。夜も三時を過ぎて東の空が厳かな藍色に染まると、人は錯覚かと疑い、それから自分に視力があったことを思い出すだろう。

[1.双子森の怪]
 これは、そういう暗闇の晩の一形態である。
 獣の悲鳴をも掻き消して高くヒュルリと叫び続け、鬼風は蛇の舌を思わせて闇を押し合い、とぐろを巻き、岩を転がし、河を逆流させ大地をえぐり、折り重なるようにとめどなく吹き荒れる。
 その樹――見た目には何の変哲もないクヌギの樹であった――の、ごくありふれた一本の枝は、耐えられずに大きくしなったかと思うと、瞬く間に折れて樹を離れ、地面に虚しく転がった。
 落ちてきた木の枝は、もちろん、その時はただの茶色い木の枝であった。しかし、新たな始まりを示す汽笛だったのだ!
 普通のクヌギの樹ではなかった。とっくに世を去った、いにしえの森の魔女が封印をかけた〈枝の民〉の樹だったのである。
 熊や猪さえも洞穴で眠れぬ夜を過ごし、恐ろしく猛り狂う風しか息をせぬ暗がりの突風の中で。花のつぼみが開くようにゆるゆると、その枝は優美に枝分かれし、手と足が生まれた。
 表面がへこんで瞳となり、膨らんで鼻となり、また口となる。
 封印されていた〈枝の民〉が再び地上に現れたのだ――。
 


  7月23日− 


「ねむちゃん、暑くて限界だよぉ」
 今にも倒れそうに、ふらふらと石畳の道を歩いているのは、南ルデリア共和国はズィートオーブ市に住む、十六歳のリュナン・ユネールだ。普段、居眠りばかりして〈ねむ〉という愛称を付けられてしまったが、それを案外気に入って自分でも使っている、やや幼い少女である。三つ編みにした黄金の髪は若者らしい煌めきを忘れていないが、痩せ気味の頬は青ざめ、見るからに夏バテしている様子であった。この町は海沿いであるが、夏は乾燥し、気温はかなり上がる(そのぶん、冬は暖かく湿潤だ)。
「こないだは『最近、雨ばっかりで調子悪い』って言ってたよ? あたい覚えてる。その前は花粉だ、風が冷たいだの……」
 親友に対して厳しく意見するのは、見目麗し赤毛の少女、オッグレイム骨董店のサホである。日焼け止めのため夏でも長袖を着ているリュナンと比べ、サホは白系の半袖シャツにズボンという、いかにも軽快で、異性の目を引く出で立ちであった。
「だって、だめなんだもん……」
 虚ろな瞳で、消え入るように応えたリュナンに対し、
「よしっ、ねむ、やっぱ体力つけなきゃ。猛特訓だなっ!」
 サホの瞳は熱血の炎で真っ赤に燃え上がったかに見えた。
 が、せっかくの勢いに水を差し、リュナンは手で制す。
「サホっち、その前に一言」
「何?」
 と、サホが訊ねる間だった。
「もうだめ」
 道端に植えられた照葉樹に寄りかかるようにして、リュナンはゆっくりと崩れていった。まるでその刹那だけ時の神が悪戯をし、砂時計の砂が遅くなったようにサホは感じた。スローモーションで身を乗り出し、腕を差し出す自分の遅さがもどかしい。
 なんとか掴んだ相手の手首は驚くほど細かった。

「あたいの方が『もうだめ』よ……」
 親友をおぶって帰り道をたどる。サホの背中は汗で湿っていたが、ぶつぶつ文句を言っている割には、それほど嫌そうには見えなかった。気を失ったリュナンの身体は今にも折れそうで、軽々と持ち上がり、そのことはサホの心をむしろ重くさせた。
(ぜったい、元気になるんだよ。ねむ!)
 人一倍、ぜんそく持ちのリュナンを思いやるサホであった。
 


  7月22日− 


 ノーザリアン公国の果てにあるカチコール村は、五月の半ばから六月にかけて花の季節を全速力で通り越し、短い夏を迎えた。雪と風と果てしなく闘った冬のぶんまで、今こそ待ちかねた陽光を得ようと、草木は真緑の葉を茂らせる。人々も人々とて、小さな舟ともいえぬ舟に総出で乗り込み、朝早くから北海へ繰り出し、夕方には海産物を満載して帰ってくる。特にカチコール産のウニは名高いが、ルデリア世界の技術水準で冷凍保存するにはクォールン系〈氷結魔術〉を使うしかなく、価値は同じ重さの金と均しいとさえ言われる、噂に名高い幻の一品である。紫ヶ丘の〈夢のスープ〉に、北の海辺の〈金のまゆ〉と吟遊詩人の歌に並び称されるくらいで、一度食べたら忘れられない味だ。
「これは行くしかあるまい」
 食通の旅人、ラザリオン氏が北を指して旅立った目的はこれだった。ルデリアをさすらうのは冒険者や聖職者や商人や傭兵だけではない。旅に出る理由はさまざま、そして人生の目的もさまざまである。森は誰をも受け容れる。決めるのは貴方だ。
 


  7月21日− 


「ここ、どこ……?」
 耳は長くとんがり、髪は銀色だが、姿形はほとんど人間で、しかも美形の顔立ちをしている。まさしく彼女は森の妖精族メルファの娘である。が、彼女の背丈は話に聞くメルファのそれよりも大分低く、せいぜい人間の子供より少し高い程度であった。
 彼女の名はミーン、人間の歳月の流れ方で言えば四十五歳であるが、妖精時間では九歳程度の、好奇心旺盛なメルファ族の子供である。妖精は広く一般的には保守的だが、中にはこうして森の果てへ遊びに出かけたくなる少女もいるのである。
「こんな場所、知らないよ?」
 辺りはだいぶ明るくなり、見慣れた針葉樹よりも広葉樹が増えていた。ついにオレンジの西日が射し込むようになり、メルファ居住地・白露(しらつゆ)の森はそろそろ終わりかけている。
 せめて、あと二、三年も経てば、ミーンも立派に天空魔術を使いこなし、風の移動魔法ニヘルモに乗ってメルファの集落に戻れたであろう。しかし彼女は少しだけ年が足りなかったのだ。
「どうしよう」
 森は尽き、背の低い草原は夕陽に染まり、荒涼たる景色であったが、それは一方で妙にミーンの心をくすぐった。彼女は立ち止まって瞳を閉じ、肝を据えると、再び西へ西へと歩き始めた。空にいつしか一番星が瞬く。遠くに人間の町の灯が見えた。
 


  7月20日− 


[すずらん日誌・七月原案(9)]
 雨は、宴であった。
 降り続いていた――いつ果てるともなく。
 圧倒的な意志と、内に秘めた優しさとを併せ持って。
 規則的で不規則な、独特のリズムを維持したままで。
 木々の葉を流れ、雫となり、時間差で地面を湿らす。
 世界中のすべてを真新しく清め、新しい生命を育む。
 降り続く雨が、既に時間の感覚さえ洗い流していた。
 孤独な、恵みの雨。それは波のように寄せては引く。

 木々は森の上にかかる繊細な傘である。夏には葉を茂らせて住むものたちを暑さから守り、冬は冬で葉を落とし、木漏れ日をたくさん降りそそぐが、太い幹は北風の冷たさを弱めてくれる。
 雨や雪の日には――。

「ファルナさん、僕には考えがあります。雨が止むまで、作戦を練らせてもらえませんか? どうせ、ここから動けませんし」
「しょうがないのだっ。冒険者さんにお任せしますよん……」
 今にも崩れそうな天候への懸念がついに現実のものと化した時、タックはそう呼びかけ、同い年の宿屋の娘に雨宿りを奨めた。早く妹を捜したい一心のファルナは焦りを何とか抑えつつ、悔しさと無力感を足して割ったような顔で力無く座り込んだ。
 他方、ピンチを楽しむ余裕のあるタックは、実のところ、その時点では〈考え〉や〈作戦〉といったものは何もなかったのだが、一本の大きな木の幹に身体を預け、時折ぶつぶつと独りごち、うなずいたり首をかしげたりしつながら、ああでもないこうでもないと思考を巡らしていた。浮かない顔のファルナの横で、ひそかに彼は〈自らの知力を絞り出して考える〉という状況の快感に浸っていたが、相手への気遣いから決して表情には出さなかった。
 二人が座り込んでから、すでにかなり経過しているように思えるが、雨は一向に止む気配がない。もともとが薄暗い森の中ではあるものの、灰色の雲が覆う今となっては、朝か昼か夕方なのかも分からない。この間にも、リンローナの残した微かな魔法の道しるべは、雨に流されてしまうだろう。わずかばかりの手がかりも消滅すれば、シルキアとリンローナの捜索は絶望的になり、そして事もあろうに、彼ら自身さえ道に迷いかけている。
「どうにもならないのだっ……」
 純粋な瞳をぎゅっと閉じ、ファルナは泣きそうな顔で呟いた。
 


  7月19日− 


 灰色の上着を脱いだ若いサラリーマンは、あゆみのすぐ脇を、長い柄の茶色い傘を手持ちぶさたに汗だくで歩いてゆきます。
 昼過ぎまで降り続いていた雨は、いつの間にやら駆け足で去りました。梅雨と入れ替わりに、ものすごいスピードで夏が戻ってくると、いっときはアスファルトの道路から霧がモクモク立ちのぼりましたが、それさえも風に溶けて空高く運ばれ、天の綿飴になりました。今や放課後、雨の名残の穏やかな白い雲が青い空の島となって、ふわふわと美味しそうに漂っていました。
「かんかん照りだよー」
 お気に入りの黄色い雨合羽と、お揃いの黄色い長靴に身をつつみ、小学校二年生の早瀬あゆみは陽気に坂を上ります。
「あゆみちゃん、おひさまみたいだね」
 友だちのケンタが言いました。水たまりに映る小さな黄色の妖精は、まるでケンタの言ったとおりだったのです。その、さかさまの世界ではじける笑顔のすみには、本物の太陽が身近な宝石になって、未来をつむぐ夢のように輝き続けています。
 もうすぐ、待ちに待った夏休みです――。
 


  7月18日△ 


[森の番人(2/2)]
 彼女の一家は代々、森の奥にある樹上の家をすみかとし、狩猟と採集で自給自足の生計を立ててきた。直に動物の命を取り、一般的には卑しい身分とされるが、要は自分たちの食料として必要なぶんを狩猟しているに過ぎぬ。貴重な毛皮の動物を皆殺しにして森を荒らす悪徳商人どもは、言うなれば彼女らの対極であり、当然、憎むべき対象以外の何ものでもない。
「さあ、行かなくちゃ。ロレスと母さんが待っているわ」
 シフィルは自分に言い聞かせるように呟く――森に生き、そこに住まう動物から糧を得、その代わりに森の秩序を守る彼女らを、人々は軽い尊敬を込めて〈森の番人〉と呼ぶのだった。
 彼女らは、さらに森の奥に住んでいる妖精族からも静かな信頼を受ける。かつて妖精族は〈月光〉と〈草木〉の〈神者の印〉を力ずくで奪われたという忌まわしい歴史があり、妖精族の一部は未だに人間族を強く憎んでいるほどである。少なくとも良い感情は持っておらず、人間族と関わりを持とうとしたがらない妖精族だが、先に挙げた〈神者の印〉強奪の虐殺時に、体を張り、たった一つの命を投げ打ってまで、妖精族とともに闘い、侵略者を阻止しようとして果てた〈森の番人〉たちの末裔だけは、妖精族の総意として唯一無二、心を許している人間族である。
 


  7月17日− 


[森の番人(1/2)]
 シフィルはその時、確かに、一陣の夏の風であった。
 死力を尽くし、逃げて逃げて逃げまくる獲物――それを決して視界から逃さず、手作りの軽くてしなやかで強力な弓を背中にかついだまま、ひた走り、相手との距離をじりじりと詰めてゆく。リース河の上流に横たわる静寂の森は勝手を知り尽くし、逃げまどう獲物に比するとシフィルの疲労は驚くほど少ない。
 相手が射程範囲に入れば、それは死を意味する。彼女は走りながらも弓を構え、馴れた手つきで器用に矢をつがえ、狙いを定める。彼女ほどの狩人も、そこで一瞬戸惑った。が、その迷いを断ち切るかのように声もなく鋭い矢を放つ。直後、小動物の断末魔の短い悲鳴が世にも哀しく響き、生命の赤い血がどくどくと流れて大地に染みこんだ。やや早い鼓動を打つ心臓を軽く抑え、むくろの前でひざまづくと、十九歳のシフィルは森の守護神に対し、まずは許しを乞い、続けて感謝の祈りを捧げた。
 


  7月16日△ 


「あらら……」
 道端にひっそりと咲き誇っていた南国特有のささやかな黄色い花たちは、大きく轍を逸れた馬車馬のひづめにかかり、蹂躙され、その羽を痛々しく散らして、まさに瀕死の体であった。
 そこに一人の少女が現れる。花の前で思わずしゃがみ込み、両手を胸の前で祈るように組み合わせたのは、ミザリア国のマリンブルーの海のように澄んだ瞳と、神秘的な光を湛える長い銀の髪を伸ばして、お気に入りの民族衣装風のスカートを着こなした天涯孤独の十六歳の娘、サンゴーン・グラニアである。
「かわいそうですわ」
 悲嘆にくれていたのは一瞬のことであった。普段はボケ気味でどんくさい彼女であるが、動物や植物のこととなると、隠し持っていた素晴らしい判断力と優れた実践力を発揮するのだ。
 サンゴーンは即断即決し――というよりも考える前に身体が動いた、という感じで、手が泥だらけになるのも気にせず、ただちに花たちの周りの土を浅く掘り始めた。町の人はぎょっとした目つきで道端の少女を見下ろし、通り過ぎてゆくが、完全に自分の世界へ入っているサンゴーンは気づく素振りも見せない。
 土を掘り、残土をのけ、だんご虫に悲鳴をあげ、少しでも失敗すれば切れてしまいそうな月色の花の根本をしっかりつかみ、精神を集中させたまま力を込め、花が抜けると同時に尻餅をつき、たなごころに載せたまま立ち上がって歩き出し、すぐに道を外れ、今度は先ほどと逆の作業を繰り返す――花を植える。
 彼女はいたいけな花たちを一本ずつ丁寧に抜くと、安全な果樹園の脇に植え替えるという、見た目よりも遙かに神経を使う細かい作業を続けたのである。しかも普通に立っているだけで汗だくになる、南国の焼け付くような太陽のもとでだ。喉は張りつくように渇ききって水を求め、目は汗が沁みて開けるのもつらい。もともと体力のある方ではなく、目眩もする。けれどもサンゴーンは頭を空っぽにし、ただひたむきに、黙々と手を動かし足を動かす。散ってしまった花びらも忘れずに拾い集め、新天地の大地に埋めた。時間も忘れ、いつしか最後の一輪になる。
「あっ!」
 かすれた声で驚きの声をあげる。今やサンゴーンの方が倒れそうなほど疲労困憊していたが、その顔はみるみるうちに元気を取り戻し、それとともに瞳の海は汗でもなしに濡れていった。
 すべて落ちてしまったと思った花びらだった。が、よく見ると、その花だけは、たったの一枚だけれども、黄色の蝶の美しい羽のように自由な翼を、その小さな身体に残していたのである。
 何だか良く分からなかったが、サンゴーンは涙が止まらなかった。森の泉水のように溢れて、日焼けした頬をヒリヒリさせるのも構わず、そろそろ夕暮れを迎えようとしている空の下、身じろぎもせず、その場にしゃがみ込み、こころ震わせていた。
「おねえちゃん、えらいんだね」
 沈黙を破ったのは、椰子の木の陰から顔を出した、まだ五歳ほどの女の子であった。ザーン族の特徴である金の髪を可愛らしく編み込み、素敵な空色の瞳は不思議そうに瞬いている。
 サンゴーンは服の袖で涙を拭き、誇らしく立ち上がると、作り事の感情では決してたどり着けぬ最高の笑顔を浮かべ、手招きをする。その姿は儚くも優しい花の天使を彷彿とさせた。
「もしよかったら、最後のお花、植え替えませんの?」
「……うんっ」
 夕風が身体をなでる。少し迷ったあと、女の子は心を決めて木陰から飛び出し、完全に姿を現すと、素早くサンゴーンのそばに駆け寄った。期待と好奇心とに胸を膨らませて……。

 良いことも悪いことも、きっと誰かが見ていよう。見返りを求めない地道な活動の積み重ねこそが、やがて〈草木の神者〉として――いや、むしろ一人の人間としてのサンゴーン・グラニアの評価を高めてゆくことになるが、それはまた別の話である。
 


  7月15日− 


「朝に直撃ですって……」
 心配そうなお母さんと並んでテレビの天気予報を見ている麻里の耳には、明日の台風情報はとどきません。九時を過ぎました。いつもなら学校の用意をして、おふとんに入るころですが、その夜、麻里はお父さんの帰りをけなげに待っていました。
「まだかな、お父さん」
 めったに閉めない雨戸が、ガタゴト音を立て、ゆれ動いています。心は、すでに遠い場所へいっていました。じっとしていると、良くない想像ばかりが浮かんできて、麻里はふるえます。
「遅いなあ。だいじょうぶかな……」
 つかれて、ねむそうな目をテレビに向けたときでした。
 ピンポーンと、呼びりんが高らかに鳴ったのです。
「お父さんだ!」
 麻里はうれしそうに、けれども少しだけ憂いをおびて慎重に、真っ暗な家の玄関へ向かって小走りにかけてゆきました。
 


  7月14日○ 


 五人の冒険者たちは、およそ一年ぶりに侯都セラーヌ町へやってきた。すでに黄昏時であり、朝から歩き通しでだいぶ疲れており、早く荷物を置いて湯浴みをし、久しぶりに豪華で美味しい食事が欲しくてたまらなかった。結局のところ、建物は古びていても安くて庶民的で感じの良い、去年とまったく同じ宿に落ち着くことに決めた。宿に入るや否や、髪を夕焼け色に染めたすらりと背の高い受付の娘が、いかにも平然とした調子で言う。
「あら、あんたら、ずいぶん久しぶりじゃない?」
「覚えててくれたの?」
「覚えててくれたのか?」
 真っ先にリンローナとケレンスは驚き顔で、こみあげる嬉しさに耐えられずハモって言った。それに対し、こちらも偶然に声を揃えて応えたのは、タック・ルーグ・宿の娘の三人であった。
「プロだからな」
「プロですからね」
「プロなわけよ」
 リンローナはケレンスと目を合わせ、それから少し恥ずかしそうに笑って誤魔化した。タックたちも大きく瞳を見開いて目配せし、こんな不思議なこともあるのだと大人っぽく感嘆し合った。
 そしてシェリアは一人、我が道を行く。
「すぐ夕食にしましょ。準備お願いね。部屋はどこ?」
 一瞬の沈黙のあと、シェリア以外の全員は噴き出した。
「ぷっ」
「うふふっ、お姉ちゃん、おもしろーい」
「ふははっ……シェリアらしいぜ」
「シェリアさん、最高ですよ、くっくっくっ」
「な、なんで笑うのよ。失礼ねっ」
 シェリアは珍しくドギマギし、困惑して赤面していたが、無理に平静さを取り繕って、無謀にもさっきの話題を蒸し返した。
「まー、覚えてもらってたのについては、悪い気はしないわね」
 変に混沌としていた場の空気は余計に乱れ、ついにはシェリアも一緒になって腹を抱え、息苦しくなるまで笑ったのだった。
 


  7月13日− 


 帽子とお揃いの白い服を着た背の低い妖精たちが唄う。

「蝶は花から生まれ、空に還る」

「月は宵から生まれ、朝に還る」

「ならば
 妖精は夢から生まれ、幻に還るの?」

「マボロシに還るなんて、あんまりだわ!」

「待って!
 だれかに、たった一人でも覚えていてもらえれば
 その妖精はきっと世界を変えたと思うの」

「そうよ」

「そうだわ!」

「だから覚えていてほしいの」

「覚えていてね」

「こうして話をしていた今の思い出を」

「私たちが〈生きていた〉ことを」

 ――覚えているとも!
 夢の中で約束し、起きてからもう一度、僕は約束した。
 


  7月12日− 


 またある日のことだ。直射日光の著しい草原を抜けた五人の冒険者たちは、ひっそりとした〈楽園〉に足を踏み入れた。冬の日だまりと並び称される、ここは、真夏の森の木陰である。
「ったく、暑いわねぇ」
 目深にかぶった白い帽子をむしり取るように脱ぎ、荷物を下ろし、シェリアは細い手を動かしてぱたぱた扇いだ。かつては奇抜なデザインの真っ赤なフードをしていたこともあるが、牛に追っかけられるという苦い思い出があり、以来やめてしまった。
「水浴びでもしたいですね」
「そうだな」
 湿ったシャツを素早くはためかせるタックの言葉に、いつも通りルーグは短く応答する――彼自身も額の汗を拭いながら。
「せっかくだから泳ごうよ、ねぇケレンス?」
 かなり限界に近づきつつも、以前と比べると体力のついてきた聖術師のリンローナは、麦わら帽子を脱いで軽口を叩いた。
「ばかいえ!」
 ケレンスは暑い上に心を沸騰させ、勢い良く怒鳴った。頭よりも身体が先に動くケレンスだが、水泳だけは大の苦手なのだ。
「ふふっ」
 口元を手で隠したリンローナの清楚な微笑みを、調理用鉄鍋運搬係のケレンスは汗びっしょりで恨めしそうに眺めていた。

 そして爽やかな風が流れ、五人は瞳を閉じたのだった。
 


  7月11日△ 


 南国のイラッサ町に本格的な夏が訪れ、数日が経つ。
「ふぇ?」
 寝苦しい熱帯夜、大きな寝返りを打って思いきり頭をぶつけ、レフキルは上半身だけ跳ね起きた。もちろん未だに夢と現実の狭間を漂い、その瞳は半分も開いていない寝ぼけ眼である。
(そういや、レモンをテーブルの上に置いといたっけ)
 みずみずしいレモンが今すぐ欲しい。無意識の声が頭の遠くで鳴り響き、それに従うまま、半妖精族の娘は向こうに見える黄色の果実に腕を伸ばした。が、その手は宙を切るばかりで一向に捕まえられぬ。本能の赴くまま、さらに手を差し出した。
「美味しそう」
 ぎゅっと絞れば冷たくて酸味の強い独特の果汁が吹き出しそうである。ジュースにしたら、どんなにか涼を得られるだろう。
 そう、まるで月の雫のように――。
「ん?」
 だんだん目の焦点が合ってくる。
 合ってくる。
 そしてレフキルはつぶやいた。
「なんだ、つまんないの」
 夏の夜が映した幻か――それは望月であった。

 ルデリアでは、レモンを〈月光実〉という意味の言葉で呼ぶ。
 


  7月10日× 


[民と商業と舟と独立](担当:モニモニ氏)
 南ルデリア共和国を中心として、今やルデリア世界は商業が伸び盛りである。まずは魔法の浸透による農業の発展と余剰生産物の増加、そして帆船の作り方や船乗りの技術向上により海運が進歩していることが挙げられる。ダラブラル大商会のダラブラル家や、リム魔法商会のリム家が世界的に有名となっており、俗世界では貴族や騎士よりも実権を握っているとされる。そのような大商人の中でも、たった十数年で驚異的な成長を遂げたのが三十九歳のズィートスン氏で、この年にして既に伝説の仲間入りを果たしていると言っても過言ではない。
 ズィートスン氏は現在の南ルデリア共和国の首都に当たるロイド町に生まれた。幼少の頃より商才を発揮し、最終的には香辛料貿易を手がけ、十代の末には早くも莫大な資金を得た。それを利用して、今度は政治の世界に参入し、自らの特権を守ってゆく。まずはロイド町の実権を掌握して、自分の名にちなみ、ズィートオーブと改称。豊富な資金力を寄付することにより、当時はマホジール帝国の属国であったウエスタリア自治領全体の頭領に治まると、今度はマホジール帝国の大臣の座を目指した。次々と属国が独立し、人材にも恵まれぬマホジール帝国の首脳陣は、若くて〈やり手〉のズィートスン氏を本当に大臣に採用するという賭けに出たが、古い体質の帝国は良いように扱われたあげく、敗北する。旧ウエスタリア自治領は周辺諸国も巻き込み、ズィートスン氏を首班・代表とする〈南ルデリア共和国〉として独立したのだ。その際、聖王による聖王領の支配継続を認める代わりに〈氷水の神者〉の印を手に入れ、経済的・政治的権力に加えて、宗教的権力をも手に入れるに至った。
 ――南ルデリア共和国で第二の都市である〈岬の町〉モニモニ町出身者の中でも、魔術師のシェリア・ラサラ嬢は、現世的利益を求める南ル共和国国民として好例の人物といえる。
「何よ、失礼ね! 火炎の魔法、食らいたいわけ?」
 雲行きが怪しくなってきた……本日はここまでにしておこう。解説は、モニモニ町の町長にしてズィートスン氏の片腕、とりあえずモニモニと名乗っている私が担当した。以後、よろしゅう。
 


  7月 9日× 


 いわゆる台風のことを、ルデリアに住む者たちは〈ロイド風〉という。冥界を治める邪神ロイドのように、破壊と滅亡と死とをもたらすからだ。おそろしい暴風は木造の家の土台ごと吹き飛ばし、どしゃ降りの雨はせっかくの作物を水浸しにしてしまう。
 しかし、だ。台風一過の雲ひとつ存在せぬ単純明快な青空と、破壊に耐えて生命の賛歌ともいえる緑色を輝かせる草木、喪失の悲嘆を復興の情熱に変えてゆく人々は、すべて新たな創造の芽を予感させる――創造神ラニモスと邪神ロイドが、異端神話の一説では同一人物とされているのは実に興味深い。
 


  7月 8日△ 


[熊の沢にて(下)]
「熊ねえ……大声で歌うのもいいらしいわよ」
 さっきまで、さんざ文句を言っていたシェリアだったが、美味しい水にありつけて機嫌を良くし、妹の言葉に応えて言った。
「リンの絶品の歌唱力なら、熊だって退散するぜ」
 すでに自分の水を汲み終え、サックを下ろして木の幹に寄りかかっていたケレンスが、わざとらしく顔をしかめて大げさに首をすくめる。対するリンローナは風船のように頬を膨らませた。
「また、そういう冗談ばっかり言うんだから。あたし、怒るよー」
「冗談じゃねえ。俺はいつだって本気一直線……ぶっ」
 今度は妙に低い声で、のど仏を鳴らし、真面目さを取り繕ったケレンスだったが、最後は自分で噴き出してしまった。せっかくのドスの効いた声と異様な上目遣いの演技も台無しである。これには、喧嘩相手のはずのリンローナも思わず笑ってしまう。
「ふふっ」
 そして攻守交代、今度はリンローナが攻める番である。
「じゃあ〈絶品の歌唱力〉とやらを披露してもいい?」
 ケレンスは苦虫を噛み潰したような顔をし、目が回るほど激しく左右に首を振った。そしておまけに一言、反撃を忘れない。
「あまりに素晴らしすぎるので結構です、リンローナお嬢様」
 彼女は貿易船の船長の娘で、確かにお嬢様と呼ばれても遜色のない少女で、そして特筆すべきは音痴さである。多分に誇張はしたものの、あからさまな嘘は言わぬケレンスであった。
「分かればよろしいっ。えへっ」
 こうなるとリンローナは、腹立ちつつも何故か少し気分が良くなり、素直に終戦宣言してしまうのだった。その間も、森の中を風の精霊は速やかに流れ渡り、沢のせせらぎは涼しげなメロディーを口ずさんでいる。シダ植物の夏の緑も、いよいよ濃い。
「リンローナさん、水は汲んだんですか?」
 しばらく天を仰いで森の木漏れ日の細やかに移りゆく様を眺めていたリンローナは、タックの声がして、ふと我に返った。
「いけない、忘れてたね」
 沢に向き直り、滑りやすい道に注意しながら両手でバランスを取りつつ何歩か足を踏み下ろす。ケレンスは木の幹に身体を預けたまま腕を組み、少女の華奢な後ろ姿を見つめていた。
 


  7月 7日− 


[熊の沢にて(上)]
「熊さんには鈴だねっ!」
 リンローナは背中のサックの奥の方から小さな銀の鈴を取り出して慎重につまみ、ちりん、と鳴らし――元気に言った。
 メラロール王国東部の鬱蒼とした深い森である。所々ぬかるんだ無人の街道の途中に、突如、朽ちかけた木の立て札があり、かろうじて〈熊の沢・熊に注意〉という字を読み取ることができた。なるほど、その横を細くて澄んだ小川が流れている。どうやら、それが〈熊の沢〉らしかった。来る途中、熊が食べたと思われる鹿の白骨の残骸や、特徴的な足跡、動物の大きな糞があったので、確かにこの辺りには熊が生息しているらしい。
 そんな危険は日常茶飯事とでも言いたげに、四方八方への繊細な注意は怠らずも、冒険者たちは陽気に騒ぎつつ水袋の温い水を捨て、代わりに〈熊の沢〉の冷たく新鮮な水を注いだ。
「こりゃ生き返りますね」
「まったくだ」
 薄暗い森の中でも、タックとルーグの表情は明るい。彼らはまず乾いた喉をたっぷり潤し、顔を洗い、首の汗を落とし、それから仕事に取りかかった。自分の水袋が充たされると、予備用の水袋にも命綱となる純粋な液体を存分に注いでゆく(続く)。
 


  7月 6日○ 


[鏡の向こうとこっちで]
「とりあえず、映像を切らずに待ってみようよ」
 レフキルは務めて冷静に言おうとしたが、語尾はかすれてしまった。その横でサンゴーンは自信喪失し、うなだれている。

 サンゴーンが物置から見つけだしてきたのは長方形の鏡であった。大きさは顔を映すのがせいぜいの、古びた鏡である。
「この鏡に魔力を送ると、どこかの鏡と繋がりますの。そうすると、遠く離れた場所と、物のやりとりが出来るんですわ」
 草木の神者のサンゴーンは、既に他界した祖母から教わった説明を思い出しつつ、友人のレフキルに鏡の秘密を伝えた。
「移動は出来ないの?」
「こんな小さな鏡では無理ですわ。それに、どこに繋がるか分からないから危険ですの。けれど、伝説とされる小人族さんは、魔力を調整して、上手に使いこなしたそうですわ。行きたい場所に素早く移動して、人間たちから隠れたそうですけど……」
「ねぇ、ねぇ、試しにやってみようよ!」
 レフキルは期待に胸おどらせて言った――この先に、どんな災厄が待ち構えているかも分からずに。サンゴーンは応える。
「そうですわね。やってみますの〜」
 そして、サンゴーンの顔を映していた鏡が、全く見たことのない、どこか遠い町の部屋を映し出した……までは良かった。
 レフキルの連れてきた空飛ぶ不思議なペット――種類は〈パリョナ〉で名前は〈ぶち〉――が、その鏡に突っ込んだのだ!
 しばらくは唖然とした二人だったが、鏡の向こうに映っている〈ぶち〉を捕まえようと、痛いくらいに思いきり腕を伸ばした。
「ぶち! こっちに帰っておいで!」
 悲壮感を漂わせて叫んだレフキルの願望とは裏腹に、懸案の〈ぶち〉は開いていたドアから出てゆき、鏡の画面から消えた。
 
 しばらくは試行錯誤しようと思った二人だったが、しまいには長期戦を決め込み、そして冒頭のシーンに繋がるのである。
「あっ!」
 鏡に釘付けだった二人が叫ぶ。鏡の向こうに、若草色の髪の毛を肩の辺りで切り揃えた背の低い少女が姿を現したのだ。
 


  7月 5日△ 


 ミザリア市の、学院魔術学科時代の思い出である。その頃、ウピとルヴィルとレイナの三人娘は仲良しクラスメートだった。
「ふぁーあ……ふぁーあぁ……ぁ」
 夏晴れの朝だった。ウピは大きな口を開け、我慢しきれないとでも言った様子で、ひっきりなしに欠伸(あくび)をしていた。
 優等生の眼鏡っ子、レイナが心配そうに声をかけた。
「ウピ、どうしたんですか? ここ三日ほど、変ですよ」
「あのね、ぁーあ、色んな夢がーぁ、ふぁ、一度にぁ、出てきてぇえーぁ、ふぁーあ、ぜんぜん眠れなーぁ……ふぁあ、あんぁ」
 普通に話すのも辛そうなほど、ウピは妙な欠伸を繰り返し、口を手で押さえつつ左右にフラフラ揺れながら歩いていった。
「どうもクサイわね」
 行動派のルヴィルが真剣な顔で目を光らせると、レイナもひどく真面目な口調で、本気で――しかしボケ気味の反応をした。
「どこかで魚を焼く匂いがします」
「そういう意味じゃなくって!」
 ルヴィルが呆れる間も、当然のことながらウピは欠伸しまくっていた。横目で見つつ、ルヴィルはレイナにささやきかけた。
「あたし、ここ三日ほど、ぜんぜん夢を見てない」
「あ!」
 驚き、何かしらの不吉な影が胸をよぎったレイナに対し、ルヴィルは得意の早口を発動して相手にしゃべる隙を与えない。
「自分もだ、って言うんでしょ、レイナ。ふふっ。あたしの予想が確かならば、きっと町中のみんなだと思うね……この現象」
「まさか」
 顔面蒼白になって絶句するレイナとは好対照で、ルヴィルは大胆な仮説に酔いしれ、ますます声の調子を落として語った。
「三日前からウピは夢を大量に見ているわけね。で、みんなは夢を忘れた……三日前、ウピに何があったのか探りましょ」
 好奇心いっぱいの瞳を輝かせ、ルヴィルは指を鳴らした。
 


  7月 4日− 


 内陸のメポール町が蒸し暑い日でも、そこから街道筋を東に赴き、ヒムイル河を越えた向こうにあるエスティア領ミラス町では、海風と西風の影響でからっとした天気になることが多い。夏ともなれば、近くのエメラリア海岸は保養に来た貴族たちで賑わう。ミラス地域は観光収入によって豊かさを享受し、伯爵家の繁栄にも繋がっている。メインストリートの両側には、古びてはいるが質実剛健な建物や、繊細な彫刻を施した真新しい貴族の別荘が、広々とした中庭を誇らしげに立ち並んでいる。
「今日と明日は、うち、お客さん誰もいないんだ」
「もし都合が良かったら、ルーユちゃん、遊びにこない?」
 シャンとレイヴァの兄妹は別荘経営者の子供たちである。訊ねられたルーユは、領主ミラス伯の一人娘であり、白いワンピースと白い帽子のよく似合う、ほっそりとした少女であった。
「ええ、今日ならば、夕方の晩餐会までなら大丈夫です。けれど本当にお邪魔して構わないの? せっかくのお休みなのに」
 少し首をかしげ、心配そうに訊ねたルーユの心の雲を吹き飛ばすかのように明るく、レイヴァは黄金の髪を揺らして促す。
「こんな時くらいしか呼べないもの。気にせず、おいでよ!」
「ルーユちゃんなら大歓迎だよ。伯爵令嬢のルーユ様だって、家の者もみんな喜ぶし……美味しいケーキをご馳走するよ」
 将来はエスティア家の聖騎士になりたい十五歳のシャンも太鼓判を押した。ルーユはほっと胸をなで下ろし、礼を述べる。
「ありがとう、喜んでお邪魔しますね……だけど、私のことはいつもの通りに呼んでね。伯爵の娘だって、私は私ですから」
「そういう風に言えるルーユちゃんって、ほんとうにすごいと思うの。他の町とか他の国なら、到底、考えられないよ、きっと!」
「褒めすぎですよ、レイヴァちゃん」
 ルーユは微笑(わら)った。シャンも照れたように補足する。
「大人たちは区別したがるけど、ルーユちゃんは僕ら兄妹にとって、一人の大切な友達だよ。たとえ伯爵令嬢ではなくとも」
「ありがとう」
 可愛らしい一輪の花のようなルーユは、今度こそ朗らかな笑みを浮かべる。三人は並んで、緩やかな坂を登っていった。
 


  7月 3日△ 


[デリシ町付近、森の向こう、丘の上にて]
 その《風》は見るからに変てこであった。
 頭に風見鶏をかぶり、両手に風鈴を持ち……。
 風のくせに、目立って目立ってしようがない。
「聞いて驚くな。カーダ特製、空飛ぶ《風車》じゃ!」
 白髪の初老の男は大げさに胸を張り、思いきりのけぞった。
「かざぐるま、ですか?」
 若い弟子のテッテは眼鏡を光らせ、怪訝そうに訊ねたが、
「はが……がが? が!」
 師匠のカーダ氏が後ろへ倒れそうになると、手を伸ばした。
「うわぁ!」
 痩せ気味のテッテの細い腕ではカーダの体重を支えきれぬ。ぐいと引っ張られ、師匠の上に覆い被さるようにして倒れた。
「ぎゃあっ。何をしとる!」
「すみません!」
 その間に、例の《風車》が何故か発進したから、もう大変。
「こら、待たんかー!」
「待って下さいよ!」
 取るものも取りあえず丘の斜面を駆け出した二人だった。
 


  7月 2日− 


[すずらん日誌・七月原案(8)]
「あの子たち、あすこへたどり着くかも知れないな」
 朝ごはんの食器を戸棚へ片付けながら、サミス村でただ一つの酒場〈すずらん亭〉のあるじ、ソルディ・セレニアがつぶやく。
「そうですね。私たちも、ちょうど、この時期でしたから……」
 妻のスザーヌは食器を丁寧に拭いて夫に手渡しながら静かに答えた。それから少し間を置き、思い出したように付け加える。
「秘密にしてきて良かったですね」
「ああ、そうだな」
 そして二人は小さく笑い合った。
 外では鳥たちのさえずりが鳴り響いている山奥の朝だ。
 


  7月 1日△ 


「うげっ!」
 それは樹のお化けであった。
 一見すると切り出した細い材木のように見えるのだが、下側は切り口ではなく、茶色の革靴を履いた人間の足であった。
 その集団がぴょんぴょんと跳ねてくるのだから、たまらない。
「ねむ! 逃げるよ。ねむっ!」
 親友の〈ねむ〉ことリュナンに呼びかけたサホは唖然とした。その子は、こんな危機にもかかわらず眠りこけていたのだ。
 当然、樹のお化けに包囲されてしまった。
 赤毛のサホは、夢にまどろむリュナンの肩をつかんで大げさに揺らした。顔は恐怖で引きつり、悲壮感さえ漂っている。
「ねむ、起きて。お願い、起きてよーっ!」
 すると、思いが通じたのか、リュナンは瞳を開いた……。

「起きた!」
 サホは叫ぶ。
 そして、さらなる恐怖を感じるのであった。
「起きた?」
 目の前には学院の女の先生が立っていたのである。
 周りの生徒たちからはクスクス笑いが起き、サホの頬は髪の毛と同じ色に染まった。その髪にはひどい寝癖がついている。
「うふふっ」
「あははっ」
 先生とサホは顔を見合わせ、互いに表情を引きつらせる。

 その直後、雷が落ちた。あとは語るまい。
 






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