紫色は夢の味 〜
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秋月 涼 |
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(一) 母なる河・ラーヌ。その河の流れに沿って、東から西へ向かう一筋の街道がある。主に商人が使うこの街道だが、今歩いている俺たち五人は商人ではなく、冒険者の一団である。川の流れとは逆に上流方面へと進んで行った俺たちは、ちょうど今、辺境のサミス村に到着したところだ。 俺の名はケレンス・セイル。剣の使い手、剣術士だ。仲間と冒険を始めてもうすぐ一年になる。俺の仲間を紹介しよう。リーダーで戦士のルーグ・レンフィス。ちょっとわがままな女魔術師シェリア・ラサラ。その妹である聖術師のリンローナ・ラサラ。そして最後に、俺の幼なじみ、盗賊のタック・パルミアの合計四人だ。 季節は夏、潤月(七月)が始まったばかり。東に来て山あいに入ったため、気候は大分涼しくなった。サミス村に着いたのは夕方で、高原を渡る微風が俺たちの旅の疲れを癒やしてくれる。 この高原の村は貴族の避暑地として有名であり、一部には立派な建物も見られたが、貧乏な俺たちに見合った宿はたったの一軒しかなかった。 「ここが一番安いですね」 気に入っているらしい眼鏡をちょいと直しながら、会計担当のタックが言った。それに反発するのはいつもシェリア。 「えーっ! 久しぶりに宿に泊まれるのに、……たまには奮発しない?」 「無駄遣いです」 「ちえっ……」 長い薄紫色の髪の毛をいじりながら、シェリアが悔しそうに言った。 「わがまま言うな、ここにするぞ」 リーダーで、パーティーの最年長であるルーグ。しめるところはしめる。 「《すずらん亭》かぁ……赤い屋根が可愛いね」 薄緑色の髪を肩くらいで切りそろえているリンローナが、俺の方を向いて嬉しそうに微笑んだ。俺は彼女のことをリンと呼んでいる。十五歳のリンの表情には、まだあどけなさが残っている。 俺たちはしばらく《すずらん亭》を見上げていた。 「待ってないで入ろうぜ」 俺の言葉で我に返った俺たちは、どやどやと中に入った。ドアをぎぃーっと開けると中はこざっぱりした酒場で、円い木製のテーブルがバランスよく並べられている。夜になるまでにはまだ時間があり、客はまばらである。どうやら一階が酒場で二階が旅人の宿になっているらしい。 「いらっしゃいなのだー。ごゆっくりして欲しいよん!」 茶髪の、看板娘らしき少女……歳は俺と同じくらい……が出迎えてくれる。テーブルは四人掛けなので、ちょっと小さめの椅子を一つ用意してもらい、背が低くて体の小さいリンの席にした。 「あ〜ぁ、おなか減ったわね。何を注文しようかしら」 長旅でごちそうに飢えているシェリアが、大声で言った。隣の席でしばらくメニューに見入っていたリンが、俺に訊ねてくる。 「ねぇケレンス、この《夢のスープ》ってなんなんだろうね。ものすごく高いよ」 「え? うわっ、本当だな」 スープの値段の相場は銀貨一、二枚だが、この《夢のスープ》に関しては、銀貨十五枚という破格の値段が付いている。 「このスープは、国の中で一番美味しいと言われているんですよ。《紫の草》という魔法の草があるんですけど、それから搾り取った汁をスープに混ぜると、信じられない程とっても美味しくなるんです」 後ろの席で聞いていた若い金髪の女性がそう答えた。地元の人のようだが、物腰や言葉からは落ち着きが感じられ、好感が持てる。 「へーぇ」 シェリアはさも感心したかのようにそう言い放ったが、その目はメニューに釘付けになっている。 「でも、最近困っているんですよん」 さっきの看板娘がテーブルに水を置きながら言った。彼女は続ける。 「《紫の草》はこの村の特産品で、必要な分だけ取って使っているんですよん。貴族の避暑地で有名なのも、この草のおかげでおいしい料理が出来るからなのだっ。けど最近、草のありかがバレてしまったらしいの。裏のルートで違う町にも出回っているらしくて、サミス村としては困るんですよん!」 だんだん興奮してきた看板娘をよそに、さっきの冷静な女性がこう言う。 「冒険者のみなさん、よろしければ密売ルートを調査していただけませんか。この村を救って下さい。よろしくお願いします。私は村の賢者、オーヴェル・ナルセンといいます」 冒険者という職業は、このルデリア大陸では公務員のようなものだ。冒険者には、民衆の税金で賄われる補助金が支給される。その代わり、民衆の期待に応えなければならない。そこらへんは厳しい検査があり、実績をあげられなかった冒険者はクビになってしまうこともある。 冒険者と言えば聞こえはいいけど、旅商人の護衛や市の門番のアルバイト、頼まれれば街のゴミ拾いまでやる。まさに、何でも屋なのだ。でも、そんな事でも実績に含まれるので冒険者は汗水たらして働くことになる。危険を伴う大冒険なんてものはめったに巡り会えない。これが冒険者という職業の実状なんだ。 それはともかく、俺たちのパーティーでも実績を積みたい事に変わりはない。頼まれれば嫌とは言いにくいのが冒険者。 「わかりました。私たちにどれだけ出来るか分かりませんが、やれるだけやってみましょう」 ルーグは、オーヴェルの依頼にこう即答したのだった。 「なるべく早いうちに調査に入りますね」 タックの奴は、自信ありげにこう言った。 「あたしたち、この辺りの地理にあんまり詳しくないんだけど……どうしたらいいのかな?」 「そうよね」 リンと、姉のシェリアは心配そうだ。 「大丈夫です。この娘を連れて行って下さい」 オーヴェルはこう言いながら、ほっそりとした人差し指でさっきの看板娘を指さした。 「えっ? ファルナが案内役なの?」 「そう。村のためにも、お願いね」 「オーヴェルさん、あたし宿屋の仕事があるんですよん、それに……」 ファルナという看板娘の言葉を遮り、後ろで聞いていた彼女の母親が言う。 「どうせ一日や二日で済むんでしょう。その位なら、貴女がいなくても宿はやっていけるはず。ファルナ、折角だから行って来なさい」 「……仕方がないのだっ」 ファルナは遂に観念し、力無く片膝をついた。 「じゃ、とりあえずこのセット一つよろしくね」 がっくりしているファルナと対照的な、シェリアの明るく注文する声が酒場中に響き渡った。 その夜は旅の疲れもあって、ベッドに入るなりすぐ眠りに落ちた。次の日、俺たちはファルナが部屋をノックする音で目を覚ました。三人部屋を二つ取り、一つにはシェリアとリンローナの姉妹、残りの男三人はこの部屋に泊まっている。ドアの向こうからファルナの声が聞こえてきた。 「朝御飯が出来たのだっ、起きて欲しいですよん」 ベッドから出る。夏とはいっても、朝の空気はひんやりしている。カーテンを開ける。翠の山々とやわらかな光がまぶしい。 ……そうか、今、山あいの村にいるんだな。 当たり前と言ってしまえばそれまでだが、ときどき、当たり前の事を忘れてしまったりする一瞬がある。 男三人で一階に降りると、焼き上がったばかりのパンが香ばしい。 「おはよー」 すでにリンは席に着いて待っていた。 「シェリアは?」 「お姉ちゃんね、今起きたばっかりだから、もうちょっとしたら来ると思うよ」 「起こしてやれば良かったのに」 「何回か起こしたんだけど、疲れてるみたいでまた寝ちゃったから……」 「シェリアらしいな」 俺とリンがこんな会話をしていると、ミシミシと階段を降りてくる音が聞こえてきた。無言で席に着いたシェリアの髪の毛はぼさぼさで、目は半分しか開いてない。顔は見るからに不機嫌そうだ。 「じゃ、全員そろったしいただくか」 ルーグの言葉を聞いて一度顔を見合わせた俺たちは、「いただきます」と食べ始めた。 食事も中盤に差し掛かる頃、リンがいつものように俺に話しかけてきた。 「あたしも《紫の草》欲しいなあ……」 「なんで?」 「だって、お料理が美味しくなるんだよね?」 「あ、そうか。でも、魔法の力に頼る必要はないだろ。別にお前の料理には不満は無いんだけど」 「ありがとう! あたし、うれしいなぁ」 リンは、パーティーの中では調理担当である。野宿する時には少ない材料を的確に使って、割とうまい料理を作ってくれる。彼女は力も体力も余りあるほうでは無いが、料理に関しては自信を持っているようだ。 そうこうしているうちに朝食も終わり、案内役のファルナとともに調査の打ち合わせをした。明日の朝早くに村を出て《紫の草》の繁殖地へ向かうことを決めたあと、その日の午後はゆっくりと休んだ。ルーグとシェリアは二人で村を散歩しているらしかった。残された俺とタックとリンの三人は雑談をして過ごした。 (二) 翌朝、日の出とともに目を覚ました俺たちは、軽い朝食と準備のあとにサミス村を出発した。目指すは《紫の草》が生い茂っている、通称《紫の高原》。まぶしい太陽に目を細めながら、俺たち五人の冒険者と案内役のファルナの合計六人は、街道を東の方角へと進んでゆく。この街道に平行して流れているラーヌ河は、ここでは大分細く速い流れになっていた。せせらぎを聞いて、河に目を移す。川面に反射る太陽の、光のかけらが揺れ動く。さわやかな朝だ。 河の両側は果てしない森だ。新緑の季節も過ぎ、もうすぐ夏の真っ盛り。空の青と森の翠のコントラストが美しい。 「おはようございます」 「おぉ、おはよう」 弓を持った狩人のおじさんとすれ違った。息が荒くなってきて疲れ気味のリンが、ファルナに質問する。 「ファルナさん、サミス村では狩人さんが多いの?」 「そうですよん」 「あたし、狩人さんってあんまり見たことないから、びっくりしちゃった」 「林業とかも盛んなんでしょ?」 シェリアの質問にもファルナは軽くうなずき、そして突然歩くのをやめて森の小道を指さした。 「ここで左に曲がるのだっ」 「森の中に入るんですね」 盗賊のタックが嬉しそうに言った。陽が高くなってきて、日なたを歩くのは暑くてだるかったからだ。 「ちょっと待って」 そう言ったシェリアは坂道を駆け下り、冷たい河の水で二、三回顔を洗った。 「あたしもお顔洗ってくるね」 今度はリンが飛び出してゆく。 「俺は水を飲んでくる」 三人目に俺が河へ向かおうとしたら、ルーグは「それなら休憩にしよう」と言い、少しの間休むこととなった。 休憩の後、俺たちは張り切って森の小道を歩き始めた。森の中の生命は生き生きとしている。夏の日陰は、冬の日なたと同じように本当に気持ちがいい。 小一時間も歩くと、針葉樹の目立つ森を抜けて、短い草が生い茂る高原に入った。 「わぁ、きれい……」 リンは瞳を輝かせて、嬉しそうにこう言った。赤、桃色、黄色、白の色とりどりの花が咲き乱れるこのお花畑は、この地方の短い夏の象徴だ。だが、ここには紫色の花や草は見あたらない。 「《紫の草》なんて、どこにもないじゃないのよ」 「《紫の高原》は、まだ先なんですか?」 シェリアとタックの質問に、ファルナが答える。 「この山の頂上と別の山との間に深い谷があって、そこを河が流れているんですよん。谷を渡るために、大きな丸太橋が架けられているのだっ」 「頂上はまだなの?」 「もうすぐこの山の頂上ですよん。丸太橋で隣の山に渡れば、《紫の高原》は目の前なのだっ」 俺の質問にも、ファルナは独特な口調で丁寧に教えてくれた。 「あと少しだ、がんばれ」 リーダーのルーグが、みんなに声を掛けた。 かくして山の頂上に着き、周りを見渡す。丸太橋、丸太橋はと……。 「丸太橋がないぞ!」 俺は叫んだ。慎重に崖から下を覗くと、腐って黒くなった丸太橋の残骸が河の両側に転がっている。ルーグは長い人差し指を額に当て、悩んでいる。 「《紫の高原》はすぐそこだというのに……私たちはどうしたら向こう側に行けるのだろうか?」 「この崖から飛び降るのは死の危険を伴いますよ。残念ですけど一度戻ってから……」 「でも、せっかくここまで来たのに。……何とかならないのかなぁ?」 「なんかいい方法を考えようぜ」 タックの言葉に反発して、リンと俺は言った。 「関係ないけど、丸太の橋のあの腐り方は普通じゃないわよ。草を採りに来た村の人は最近まで普通に使ってたんでしょ?」 シェリアはファルナに訊ねた。 「そのはずですよん……困ったのだ」 「じゃ、きっと妖術よ。敵には妖術師がいるわね」 「妖術って何だっけ?」 俺の疑問にはリンが答えてくれた。 「主に植物を操る魔法だね。あたしもちょっとだけ使えるよ」 「ああ、そうだったな。ど忘れした」 「とにかく、ここにいても状況が変わるわけではない。残念だが、一度戻ることにしよう」 「うん」 ルーグの決定に、リンは残念そうに頷いた。そして俺たちは来た道を戻り始めた。 俺と並んで歩いているリンは諦めきれないと見えて、《紫の高原》があるはずの方向をちらちら見ながら歩いている。戻り始めて五分位経った頃、急にリンが歩みを止めた。 「リン、どうした?」 「ねえ、あれ……来る時には気付かなかったけど、何かな?」 リンの指さした方を見ると、ちょっと先の切り立った岩山の周りに、石造りの小さな家らしきものが点在している。気になった俺とリンは、前を歩いていたルーグたちに一言声を掛けてから、それを調べに行くことにした。すでに太陽は真上近くになっており、避暑地と言ってもそれなりに暑い。 さて俺たちは石造りの建物の一軒に入ってみる。 「蜘蛛の巣が張ってるね」 「最近使われた形跡はないな」 他の建物も覗いてみるが、どこも同じ様に荒れ果てている。 「誰もいないねー。どうしたんだろう?」 俺とリンの二人は色々言い合いながら辺りをぐるぐると周回し、最後に一番大きめの建物に入ろうとした。その時だ。 「あっ!」 「洞窟だね!」 その建物の後ろで見えなかったのだが、岩山に洞窟がある。トンネル内の高さはちょうど人の身長くらいで、横幅は二人がどうにか並んで歩ける程度。明らかに人間が掘った人工の洞窟だ。 それに加え、岩山の洞窟の目の前にある一番大きめの建物だけは、暖炉の燃えかすなど、最近使われたような形跡があった。俺はリンをその場に待たせ、向こうで軽いお昼を摂っている仲間たちを呼びに行った。 「そういえば昔、この辺りで石を取っていたという話を聞いたことがあるのだっ」 ファルナはこう言った。 「もしかしたら、《紫の高原》の方につながってるかも知れないぜ。行ってみる価値はあるんじゃねえの?」 俺の発言に、シェリアは素っ気なく答える。 「そうかしら?」 「でも、せっかく来たんだし……お姉ちゃん、駄目かなぁ?」 妹のリンの言葉に、シェリアはさも面倒そうにこう言う。 「あの坑道は真っ暗じゃないの。どうすべきだと思う?」 「シェリアさんが光の魔法を使って明るくすればいいじゃないですか」 タックが間髪入れず、さも当たり前の事の様にこう答えた。シェリアはそっぽを向き、腕を組んで大きなため息を一つつく。 「はぁーっ。結局最後はみんな私に頼るのよね」 「とにかく」 ルーグが決断を下す。 「やれることはやってみる。これが成功の秘訣だ。よし、坑道に入ろう」 「ちょっと待って!」 ルーグの言葉を遮り、リンが言った。 「なんだ?」 「あの……あのさぁ」 リンは下を向いて顔を赤らめる。 「?」 「……あたしもお昼食べていいかな? ケレンスは?」 「俺も」と答える前に、俺のお腹がグゥーッと大きな返事をした。 (三) 「ЖЩЛЫЭЮ……空を照らす陽の光よ、我に力を与えたまえ! ライポール!」 シェリアが呪文を唱え、両手を上に掲げると、煌々と輝く白い光の球体が現れた。 「二、三時間は持つわ。その間にさっさと洞窟を探索するわよ。はぁはぁ……魔法って疲れるんだから。もう一度唱えるなんて絶対イヤ!」 「よし、とにかく洞窟へ入ろう」 リーダーのルーグがそう言い、俺たちは行動を開始する。狭い坑道なので、全員並んでは歩けない。前列は《ライポール》の魔法を操るシェリアと盗賊のタック、中列はルーグと案内役ファルナ、後列は俺とリンの各列二人ずつが並んで進む。 人工の洞窟とあって、鍾乳石などの突起物はない。洞窟内には大小幾つかの部屋が存在し、その中の一つに《紫の草》がきちんと積まれていた。 「これが《紫の草》なんだぁ。すごく透明感のある紫色で素敵だね」 隣のリンが話しかけてきたので、俺は即答した。 「だけどよ、こんな所に積まれているのは変だろ?」 「あぁ、そう言われればそうだね」 相変わらずマイペースな奴だ。俺とリンがそんな会話をしている間にタックはその部屋の中を色々と調べ、俺たちに報告する。 「最近、人間が使った形跡ありです。人が行き来しているということは、この坑道に罠がある可能性は少ないと思います。一応、前列で警戒はしますが」 「よし、ここにいても仕方がない。先に進もう」 ルーグが言った。彼の得意な台詞だ。 さて、そこから上へ下へ起伏に富んだ道を三分ほど進むと光が見えてきた。道幅が狭くなったため一列で歩いていた俺たちは、最後の急斜面を一人ずつ登っていく。 リンが苦労しているので、「大丈夫か」と軽くお尻を押してやる。 「きゃあ!」 びっくりしたリンは足を滑らせ、後ろにいた俺にぶつかる。彼女はその場で踏みとどまったものの、俺はバランスを崩して急斜面を駆け下りた。結局、登り直し。上から声が聞こえてくる。 「ケレンス、ごめんねー。でも、あたしのお尻を触ったケレンスが悪いんだよっ!」 リンは珍しく、ちょっと怒っているようだった。せっかく好意でやったのによぉ、それはないぜ。 ところで洞窟は、さっきの崖の下につながっていた。小川を渡り向こう側の山を登れば、《紫の高原》は目の前ということになる。 「こんな事もあるんですねぇ」 タックは茶色の瞳を大きく見開き、驚きを隠せない。リンはタックの肩をポンポンと叩き、微笑んだ。 「ほら、タック。辛抱強く諦めなければ、きっといい事あるよ!」 その時、一足速く山を登り終えたファルナが俺たちを呼ぶ。 「みなさん、こちらですよーん!」 登り終えた俺たちが見たものは、山の反対側、なだらかな斜面に咲き誇る《紫の草》の高原だった。 「きれい……」 「きれいだわ……」 リンとシェリアの女性二人は夢心地だ。このルデリア大陸で紫色が象徴するのは、夢と幻。《すずらん亭》もそれを意識して、この草の汁を混ぜたスープに《夢のスープ》という名を付けたのだろう。 それはさておき、賢者オーヴェルの依頼は 「草の密売ルートの調査」だった。一番大事なそれは、結局分からずじまい。 「これからどうする?」 ルーグが立ち上がり、座って休んでいる俺たちに意見を促した。すでに陽は傾き始めている。シェリア、タックが言う。 「あの洞窟が怪しいわよね」 「ええ。待ち伏せすれば、いつか来るんじゃないですか」 「密売人さんが草を採りに来るのを、気長に待つしかないって訳か」 俺がこうまとめると、ルーグも決断した。 「食料は何とか足りるだろう。さっきの洞窟に戻って張り込むことにしよう」 山を降り急斜面を降りて洞窟の出口に戻ってきた俺たちは、中から聞こえてくる物音を聞いた。 「人の足音……三、四人です」 タックが小声で言った。俺とルーグは剣を鞘から静かに抜き、リンとシェリア、そしてファルナは後ろに下がって臨戦態勢を整える。 現れた密売人のグループは、商人風の中年男・戦士風の男性・四十歳くらいの貫禄ある男・魔法使い風の若い女の全部で四人。スタスタと出口から出てこようとした奴らは、俺たちの姿を見て一歩後ずさりする。 「何者だ!」 最初に現れた戦士風の男が叫んだ。 「お前たちこそ何だ? 《紫の草》の密売人だな!」 ルーグはこう言って相手を睨みつけ、鋼鉄の剣を高く掲げる。商人風の男が、しゃがれ声で言う。 「邪魔者だわさ! さっさと倒してしまいなさいよ、グヘヘヘ……」 戦闘だ! グヘヘ商人と貫禄男は後ろに下がり、戦士と魔法使いが残る。ルーグは戦士と間合いをはかり、鍔迫り合いを演じている。俺は魔法使いの女を目指して走っていった。 「ξκζμψσ……マトゥージャ!」 一足遅かった! その女の魔法―妖術が発動する。突然地面から太い蔓が生え、後ろにいたタックとリンを襲った。絡まれた二人は、蔓の急生長で宙吊りになる。 「何て事ですか、全く!」 「苦しいよぉ……助けて!」 ファルナはナイフを出してなんとか蔓を切ろうとするが、ナイフでどうにかなる太さではなく、逆に本人も巻き込まれそうで危険な状態だ。 「仕方ねえな……」 俺はそう呟いて女妖術師を相手にするのを諦め、二人の救出に向かった。 「おいリン、タック、大丈夫かっ?」 「大丈夫なわけないでしょう。早く助けて欲しいものです」 こんな時でもタックは冷静だ。奴は普通に立つ格好で宙吊りにされているが、リンは頭を下にして逆さ向きに吊られている。このまま落ちたら、彼女の命に関わる。 「ケレンス、それよりもルーグさんが危ないですよ」 さすがルーグ、戦士と互角以上の戦いをしていたが、その後ろからナイフを握りしめた妖術師が近づいていた。 「ルーグ、危ない!」 その時だった。 「……ドカーっ!」 シェリアの両手から放たれた火炎魔法が妖術師に向かって一直線に飛んでいき、爆発した。 「きゃああっ!」 女妖術師は軽い火傷を負い、気絶する。作成者が気絶したため、妖術の蔓が跡形もなく消え去る。 逆さに落ちてきたリンをしっかりと受け止める。タックは上手に着地した。 「ケレンス、ありがとう……」 リンは涙目になっていた。俺は、背の低いリンの頭をなでながらこう言う。 「泣くんならこいつらを倒してからにしろよな」 「……うん!」 「でも、こうなると僕たちに有利な展開に……」 タックの言葉を遮り、俺はルーグを指さす。 「とにかく今はルーグの援護だ!」 ファルナをその場に置いて、俺たち四人はルーグのもとへと駆けつける。折しもルーグの剣が相手の右手に命中して、相手の戦士が自分の剣を落としたところだった。戦士は手を押さえてかがみ込み、うめいている。 ルーグは肩で息をしながら、落ちている相手の剣を片足で踏み、両手で柄を持ち、力ずくでへし折った。 「はあっはあっ……これでもう抵抗できまい」 その様子を見て、商人風の男は逃げようとする。 「仕方ない、撤退だわさ! なにっ? 足が動かないぞ!」 リンが照れくさそうに頭をかく。 「こんな事もあろうかと思って、一応あたし《足止め》の魔法かけておいたんだ……難しい魔法だから今まで一度も成功したことなかったんだけど、今日は成功したみたいだね!」 「な、なんと……」 ハスキーボイス商人が、がっくり肩を落とす。今まで何の行動もせず事の成り行きを見守っていた金髪の威厳男が、空を見上げてつぶやく。 「完敗だ……」 男は両手を上げ、降伏のポーズを取る。 「どういうことか説明してもらおうか、密売人さんよ」 俺は威厳男の胸ぐらをつかんで追求する。そこに、戦いが終わって安心したファルナが駆けてくる。 「みなさん、強いのだっ! ファルナ、大感動ですよんっ」 はしゃいでいたファルナの表情は、威厳男の顔を見るなり凍り付いた。 「ファルナ、どうした?」 俺は男の胸ぐらをつかんでいた手を降ろし、一歩下がる。ファルナは震える声でこう言った。 「まさか、男爵……? そんな……」 背の高い、男爵と呼ばれたその男は答える。 「いかにも。私はサミス村の領主、男爵のトワイラだ」 (四) 「男爵? あんた、本当にあの村の領主なの!」 シェリアは明らかに怒っていた。トワイラが答える。 「ああ、そうだ。だが、私は領主失格だ」 「当たり前だ!」 俺は吐き捨てるように言った。村の最も大切な資源である《紫の草》を、領主自ら密売するなんて……許せねえ! 「……皆さん落ち着いて下さい。何か訳がありそうですよ。話を聞こうじゃありませんか」 「タックの言う通りだ。落ち着いて話を聞こう」 一呼吸置いてから、ルーグは言った。 「トワイラ男爵。全て話して下さい」 「わかった。……国王が今年の避暑地選びに悩んでいるという情報をつかんだ時が、全ての始まりだった」 「国王って、メラロ様のことね?」 シェリアが横槍を入れた。ルーグが注意する。 「シェリア、質問はあとにしろ」 「……わかったわよ。ふんっ」 「男爵さん、続けて下さい」 リンの言葉を受けて、トワイラが話を再開する。 「国王が村にいらっしゃれば、経済効果は莫大だ。私は、国王がサミスを避暑地に選ばれるよう、裏工作をしようと考えた。要するに国王の側近に賄賂を贈るということだ。それには金が要る」 「それで《紫の草》に目を付けたって訳か」 俺が言った。ファルナは困惑した表情で、俺を見て言う。 「ケレンスさん、男爵様には出来れば敬語使って欲しいですよん」 「ああ分かった。トワイラさんよ、続けてくれ……下さい」 「ちょっと待って」 突然リンが言った。 「どうしたリンローナ。今じゃなきゃまずいのか?」 ルーグははっきりと、だが優しくこう言った。シェリアはルーグの対応の違いに怒っているようで、そっぽを向いた。リンが続ける。 「あのさぁ、あたし、《足止め》の魔法を維持するの、疲れちゃった。やめても、いい、かな? ……あれれ、目が回るよぉー」 リンは気を失い、がくっとその場に崩れた。俺が支える。 「おい、大丈夫か!」 「ケレンス、彼女をそこに寝かせておいて。男爵、話の続きをどうぞ」 タックがそう言った時、洞窟の出口の方でしゃがれ声がした。 「これでやっと動けるだわさ。男爵様、損害が大きいので契約はなかったことにして貰いますよ。それじゃさいなら……グヘヘヘ」 商人が走り去る。後を追おうとしたルーグを、トワイラが制止した。 「あんな者ほっておけ! とにかく、さっき青年が言ったように、私は賄賂の金を稼ぐために村の重要資源である《紫の草》に目を付けた。今走り去った商人は、サミス村から西に行った所にある町の大商人で、私は奴に《紫の草》の在処を案内することで利益を得た。さっきの戦士と妖術師は、奴が雇った草の運搬者だ」 「……」 「しかし、奴らのやり方は汚かった。《紫の高原》へ抜ける坑道の存在を知ると、村人が使っていた丸太橋を腐らせて使えなくした。もうこちらから手を切ろうと考えていたところだ。それ以上に、この計画が馬鹿げたものだと、私はやっと気付いた。私は本当に領主失格だ」 トワイラの話が終わると、しばらくみんな黙ってしまった。空気が重たく感じる。正面から当たる夕日をまぶしそうに見ていたシェリアが、ついに口を開いた。 「人間って失敗や間違いだらけの生き物でしょ? 男爵さんもその人間の一員なんだし、間違いに気が付いて反省してるんだから、村の人だって説明すれば分かってくれるわよ。多分ね。昔のことにくよくよ悩むよりも、前を見て、どうやってこの失敗を挽回するかを考えた方がいいんじゃない? 私はそう思うけど」 「シェリアさんの言う通りなのだっ。村の人に、今の話をちゃんと説明して欲しいですよん。そうすれば、きっとみんな納得してくれるはずなのだっ。…‥ところで賄賂はもう払ってしまったのですか?」 ファルナの話を聞いて、トワイラはすぐに答えた。 「今までここを案内した三回分の御礼金はあの商人から受け取ったが、それはまだ賄賂として使っていない。そのお金は村人に分配するつもりだ」 「僕思うんですが、あの商人をほったらかしにするのはまずいのではありませんか? 《紫の草》の在処を知っているのですし」 タックの質問に、男爵が答える。 「その心配には及ばん。部外者が案内役なしでここまで来るのは、到底不可能だ。あの男も帰り道が分からず、きっとここに戻って来ることだろう」 男爵のその発言とタイミングを合わせるようにして、洞窟の出口からさっきの商人が、顔に似合わずにもじもじと現れた。 赤い夕日を背に、全てを終えた俺たちは帰途につく。手を怪我した戦士には包帯をあげ、妖術師の若い女性には「リンローナの意識が戻り次第、軽い治療をする」ことを約束した。 俺の仲間たちは俺も含め、無駄に傷つけ合いや人殺しをする事は嫌いだ。危険を伴う(こともある)冒険者としては好ましくない方針かも知れないが、こういうパーティーがいてもいいんじゃないかと、俺たちは勝手に思っている。 そう、リンは未だに意識を取り戻さない。相当無理をしたんだろう。限界まで頑張って力尽きる、リンはそういう奴なんだ。仕方がないので荷物をルーグとタックに任せて、俺は彼女を背負って帰ることになった。 背中のリンは、むにゃむにゃと寝言を言っている。こいつ、意識がないんじゃなくて、疲れて寝てるだけなのか? そう思った瞬間、リンがむくっと顔を上げて一言だけ言い、 「ケレンスぅ、大好き……」 「はあ?」 言い終わるとすぐ、再びお休みになられた。それから五分と経たないうちにリンは完全に目覚めたので、背中から降ろして歩かせた。 サミス村に着く頃にはすでに真っ暗だったが、村の中は何だか騒がしい。男爵が、そこらの村人に訊ねてみる。 「このお祭り騒ぎは一体どういう事だ?」 「ト、トワイラ男爵! ご存知ありませんか? 国王が今年の避暑地に、このサミスを選ばれました!」 「何と!」 ルーグが、男爵と握手する。 「本当に良かったですね」 「君たちのおかげで目が覚めたよ。これからは《紫の草》と村民を大切にして、村を発展させていくつもりだ。君たちの活躍については、私の方から冒険者ギルドに報告しておこう」 シェリアは思わず叫ぶ。 「やったー、実績ポイントが稼げるわ!」 《すずらん亭》に戻るとすぐ、店長である父親にファルナが頼み込む。おかげで俺たちは《夢のスープ》を無料でご馳走になる運びとなった。 見かけは何て事のない普通のスープ。 「いっただきまーっす!」 他のおかずには目もくれず、俺たちは最初、このスープに手を付ける。 「……うまい!」 「おいしいわ!」 俺たちは一斉にこう叫んだ。口の中に広がる、まろやかで深い味わい。今までに飲んできたどんなスープよりも、それはうまかった。 おいしさにうっとりしているリンが、ゆっくりと言う。 「ほんとに夢の味だ……!」 | ||
(了) | ||
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