後継者 〜
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秋月 涼 |
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ここは南国、ミザリア国。南海に浮かぶ小さな島国の、そのまた小さな海沿いの町がこの物語の舞台である。 「こらぁー、待てぇー!」 町の細い路地を全速力で走っている娘。耳が長く、妖精族の血が混じっていることは容易に想像できる。 「待ちなさいよー! おいこらぁ!」 彼女が追いかけているものは一枚の手袋である。彼女の財布を奪い、黒い手袋は宙を舞う。魔法の遠隔操作で動いているのか、はたまた神のなせる業か……とにかく彼女は、さっきからそれに振り回されているのだ。 「はぁはぁ……あーん、馬鹿ぁ!」 肩で息をしている娘。さんざん彼女をもて遊んだあげく、手袋は突然家の天井近くまで舞い上がり、丘の方へと飛び去ってしまった。 「あたしの財布返せー! 返せー!」 彼女は口に手を当て大声で叫んだが、その声は辺りに虚しく響き渡るだけだった。 表通りに出ると一瞬、人々の視線が彼女に集まる。それは「何事か」という怪訝そうな目つきだった。彼女がさっきまでその道を走り回っていたからである。 娘が顔を真っ赤にさせ、もう一度裏通りへ引っ込もうとした、その時。 一人の少女が彼女に声をかけた。 「レフキル、大丈夫ですの?」 レフキルと呼ばれたその娘は答えた。 「あ、サンゴーン!」 すっかり忘れてた……。レフキルは友人のサンゴーンと買い物の途中、突然あの手袋に襲われたのだった。彼女は下を向いた。 「ほったらかしにしちゃってごめん……」 「いいんですの。それより、お財布が大変ですわ」 「どうしよう……」 「警備所に相談してみようですの」 「うん」 警備所に着くと、入口の扉は中途半端に開いていた。中を覗くと若い騎士が一人、椅子に腰掛けて船を漕いでいる。 「すいません、起きてますかぁ?」 レフキルが扉の隙間から顔を出し、小声でそう言った。 「……むにゃむにゃ」 だが、騎士には起きる気配がない。 「目覚めて下さいですの」 今度はサンゴーンが言った。しかし、またしても反応がない。二人は顔を見合わせ、うなずく。すぅーっという、息を吸う音。 「起きろー!」 「うわっ!」 騎士は驚いて目を覚まし、椅子ごと後ろに倒れた。 「ぎゃっ……痛ててて。あっ、お客さんですか! 何のご用でしょう?」 「あのねえ……『何のご用でしょう』じゃないでしょうが!」 レフキルは声を荒らげた。 「す、すみません」 サンゴーンが話を切りだす。 「お願いがあるんですの」 レフキルは、状況の詳しい説明をした。騎士は熱心にメモを取っていたが、彼女の話が終わると明るく微笑んだ。 「わかりました。調査しましょう」 「でも、調査って……?」 レフキルの心配そうな瞳をまっすぐに見つめ、若い騎士は言う。 「この種の事件は最近多いんです。目撃情報から推測して、不審な場所の見当は大体ついているんですよ」 レフキルは不満そうにつぶやく。 「ちょっとぉ……何度も同じ様な事件が起きてるんなら、さっさと行動してよ! あんたは何のためにいるわけ?」 「す、すみません……もうそろそろ動こうかと思っていた所なんですが……」 「でも、見当が付いてるんなら話が早いわ。今夜にでも早速乗り込みましょ」 「え? は、はい……」 その夜、三人は警備所の前で待ち合わせた。騎士の案内で、川沿いに丘を登っていく。ランタンの炎が川面で揺れている。 騎士が言う。 「被害者の証言を総合すると、この丘の中腹にある水車小屋が怪しいと思っています」 「あれですの?」 サンゴーンの指さした先に、古ぼけた水車小屋がぼんやりと浮かび上がった。三人は小屋の前まで来て立ち止まる。黒い夜風が木製の建物をギシギシとうならせていた。 レフキルはごくりとつばを飲み込み、一呼吸おいてから心を決めた。 「じゃ、入ろう……」 入口の戸は、横にスライドさせると簡単に開いた。ランタンを持った騎士を先頭にして恐る恐る水車小屋に潜入する三人。一歩歩くごとに、床がミシミシときしむ。 「ぎゃあぁぁー!」 突然、騎士が叫んだ。 「ひっ!」 サンゴーンとレフキルは驚いて飛び上がりそうになった。 「どうしたのよっ!」 「突然、前方に巨大な蜘蛛の巣が……!」 「はぁ?」 「僕、蜘蛛は苦手なんです」 「……」 レフキルはあきれて、黙り込んでしまった。 (こいつ、本当に騎士なのぉ?) しかし、そんな疑惑は一瞬で忘れてしまうほどの恐ろしい出来事が起きた。今まで赤々と輝いていたランタンの炎が、ふっと消えたのだ。辺りは暗闇に包まれた。 サンゴーンはレフキルの左手に自分の右手を重ね、しっかりと握りしめた。 「怖いですの」 レフキルの手もかすかに震えていた。三人はじっとして、目が慣れてくるのを待った。すると突然、小屋の片隅に白いもやのようなものが現れた。ランタンの煙ではない。その白い影はそこら中をぐるぐると回り始め、しだいに細長い柱状のものを形作った。 「出たぁー!」 騎士は正気を失い、狭い小屋の中を走り回って頭をぶつけ、気絶してどすんと倒れた。レフキルは腰を抜かし、言葉を失った。 一番冷静だったのはサンゴーン。独特の口調で、ほのかに輝くその物体に話しかけた。 「こんばんはですの」 少し間をおいて、ヴーという低い音が響く。彼女は再び、その物体に声をかけた。 「あなたはどうして死んでしまったんですの?」 「……」 「川が増水した時に流されてしまったなんてかわいそうですわ……。あなたはこの水車小屋の番人だったんですの? この世に未練があるんですの?」 「……」 「予想通りですわ。でも、跡継ぎがいないうちは死んでも死にきれないなんて……。ところであなたは、お財布を集める趣味があるんですの?」 様子を見ていたレフキルが、すかさずサンゴーンに訊ねる。 「ねえ、それと会話できるの?」 「自信はないけど、なんとなくですわ。とにかくこの幽霊さん、とってもかわいそうなんですの。成仏できないので霊能力のある若いまじない師の所に行ったら、お祓いの代金を要求されたそうですわ」 「うん」 「そしてあの黒い魔法の手袋を渡され――あれを着けると、その部分だけ実体化できるんですの――悪いこととは知りながらも、色々な人たちからお財布を盗んでいたんですわ」 全体的に白っぽい幽霊だが、よくよく見ると右手部分だけが黒く消えていた。まるで闇の中に溶けてしまったかのように。 「それで、私が狙われたって訳ね」 レフキルはようやく事態を理解した。 「でも、あれはあたしの大事なお金なの。返してくれないと困る」 サンゴーンもきっぱりと言い放つ。 「盗んだお金を払ってまで、そのまじない師のお祓いを受ける必要はないですわ。あなたはどうしたら成仏できるんですの?」 「……」 「水車小屋の跡継ぎが見つかれば、安心して天上世界に昇れるそうですわ」 「いい案があります。後は僕に任せて下さい」 そう言ったのは、気絶していたはずのあの騎士だった。 翌日の夜、三人は再び警備所の前で待ち合わせた。彼らの前には、あの手袋が浮かんでいる。 騎士が言った。 「僕が頼んだものをちゃんと買ってきてくれましたか?」 「ええ。でも、こんなの何に使うの? 作戦とやらは上手くいくの?」 レフキルが強い口調で責めると、騎士は一瞬たじろいだが、自分に言い聞かせるようにこう答えた。 「多分、上手くいくと思います……上手くいくはずだ……絶対に上手くやってみせる!」 「頼もしいですわ」 サンゴーンは彼を期待の目で見上げたが、レフキルは内心、心配で心配で仕方がなかった。用意した紙袋の中身を覗いて、彼女は首をかしげる。 (何の変哲もない黒い手袋。それも、こんなにたくさん……。あの騎士は、一体何をやるつもりなんだろう) 騎士が言う。 「さあ、準備は整いました。お嬢さん、彼に案内してもらうよう伝えて下さい」 「わかりましたですわ。……幽霊さん、例の家を教えて欲しいですの」 サンゴーンがこう言うと、幽霊はヴィーと低い音で答え、軽やかに舞い上がって手招きをした。その後を追う三人。人通りの少ない裏道を小走りし、あるレンガ作りの家の前にたどり着く。その間、空に浮かぶ丸いレモンは優しく見え隠れしていた。 手袋はそこで動きを止め、建物の二階の窓を指さした。サンゴーンが言う。 「幽霊さんにお金を要求したまじない師は、どうやらここに住んでいるようですわ」 「よし、作戦に入りましょう」 騎士は細かな説明を始めた。幽霊にはサンゴーンが伝える。説明が終わった時、どうもレフキルは納得し難く、彼に訊ねた。 「でも、もう一度だけ聞くけど、本当に成功する自信はあるの?」 「はい。僕はこれでも、頭の回転の良さを買われて騎士になったんです。体力も筋力もないけど、機転がきくことには自信を持っているんですよ」 なるほど、治安状態のよいこの町の警備所に配置される騎士は、力自慢の素朴な戦士よりも、頭が冴える切れ者の方が好ましいのかも知れない。 「納得していただけましたね」 「ええ、まあ。ところで、その作戦の『合図係』ってのは誰がやるの?」 騎士とサンゴーンは、二人してレフキルをじっと見つめた。幽霊まで、黒い手袋で彼女を指さす。 「は? 私、そんなの絶対にいやだからね!」 レフキルは拒否したが、他に適役はいない。最終的にやむなく受け入れる。 「もう……」 「お願いしますよ。それと、何かが起こった時に困るので、動きやすい服に着替えた方が無難です」 レフキルは騎士からコスチュームを受け取り、物陰に向かった。膝までの長さしかないズボンに履き替え、黒い頭巾をかぶる。 着替え終わると、サンゴーンは彼女の周りをぐるりと一回りして、くすっと笑った。 「結構、似合ってますの。『怪盗レフキル』の誕生ですわ」 「怪盗レフキル……」 彼女はがっくり肩を落とした。その時騎士がささやく。その声は静かな気合いに満ちていた。 「準備はいいですか? ……では、作戦を開始します。幸運を祈ります」 得意な妖術をサンゴーンが唱えると、道のレンガの割れ目から細い蔓草がにょきにょきと伸び始めた。蔓草は太さと長さを増し、次第に枝分かれしていく。 騎士はその枝分かれした蔓草の一つ一つに、袋から取り出した黒い手袋をかぶせていった。手袋に入れられた蔓草の先端部分は団子状に丸く成長した。まるで、人間が本当に手袋をはめているかのように。 レフキルはというと、蔓草にしがみつき、それの生長に合わせてどんどん上の方へと運ばれていった。ついに、まじない師の住んでいる二階の窓辺に到達する。 その窓は夜なのに開け放たれていた。亜熱帯のこの国ではごく当たり前の現象である。たくさんの黒い手袋は、うねうねと部屋の中に侵入した。 レフキルは窓辺に腰掛け、様子をうかがう。 「ん……?」 真っ暗な部屋の中、若いまじない師は奇妙な物音を聞いて目を覚ました。小さなランプに火を灯すと、丸く黄色い光が揺れ始めて、不気味に動き回る手袋たちをぼんやりと映しだした。 「ぎ……ぎゃああああーっ!」 彼は金切り声をあげた。窓に腰掛けているレフキルは声色を変え、できるだけ低い声でゆっくりと話し始めた。 「……お前は、水車小屋の番人になるのだ。さもないと私の呪いがふりかかるであろう」 「何者だ!」 「私は先日の霊である。お前は私の跡を継ぎ、水車小屋の番人にならなければならない」 「何だと?」 「明日の朝すぐに、お前は水車小屋に引っ越し、番人を継ぐのだ。さもないと明日中にお前は死ぬであろう」 「ひ、ひぃ」 例のまじない師を水車の後継者にしてしまう。これが騎士の提案した作戦だったのだ。 「わかったか?」 「畜生! この場で成仏させてやる」 まじない師は何やら怪しげな呪文を唱えたが、その場にあるのは黒い普通の手袋と、それを載せたうごめく草だけである。効くわけがない。 「何もしても無駄だ」 「そ、そんな」 「もう一度言う。明日の朝すぐに、お前は水車小屋に引っ越し、番人を継ぐのだ。さもないと明日中にお前は死ぬであろう」 「私の術が通じぬとは……」 「わかったか?」 「は、はい、わかりました……」 レフキルは、窓の下にいるサンゴーンに合図を出した。サンゴーンが再び妖術を唱えると、草は元通りにひいていく。騎士は嬉しそうにささやいた。 「作戦は終了しました。今日は遅いですから、もう帰りましょう。明日になれば、成功か失敗かがわかるはずです」 「楽しみね……」 レフキルが、頭巾を取りながら言った。 翌日、警備所で待機していた三人のもとに、幽霊が戻ってきて報告した。 「……」 サンゴーンが通訳する。 「まじない師はそそくさと水車小屋に引っ越し、管理者になったそうですの。幽霊さん、サンゴーンたちにとっても感謝してますわ。安心して成仏できるそうですの。よかったですわ〜」 黒い手袋は一度お辞儀すると、天空の果てを目指してゆっくりと登っていった。秋の空は澄み渡り、どこまでも優しく広がっていた。 サンゴーンが見上げていると、あの手袋がぱさりと落ちてきた。 「……幽霊さん、天上世界に昇ったんですわ。用済みとなったこの手袋を、私たちへのお土産にして」 レフキルはその手袋をはめ、そして大事なことを思い出した。 「あ、待って、あたしのお財布はどこ?」 サンゴーンも驚きの声をあげた。 「多分、水車小屋ですの!」 「あーあ。今頃、水車の新しい番人は喜んでいることでしょうねえ。たくさんの財布が待っていたのですから」 騎士はさも残念そうに言った。 「取り返しに行かなきゃ!」 レフキルは血相を変え、表に飛び出した。……手袋を脱ぐのも忘れて。 | ||
(了) | ||
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