恋人は旅人 〜
|
||
---|---|---|
秋月 涼 |
||
「あ〜あ、どこかにお金が転がってないかしらねぇ」 シーラが長い黒髪をいじりながら言った。ミラーは上を向いてぶっきらぼうに言う。 「ま、そんな幸運はないだろうね」 「そうね」 シーラとミラーは、旅を共通の趣味とする恋人同士である。今回の旅では、彼らの住んでいるレイムル町を発ち、はるばる南下してガルア公国公都のセンティリーバ町を目指した。現在、そこに滞在している。 「それにしても、このお金じゃ帰る旅費がせいぜいね」 シーラの言葉に、ミラーが頷く。 「ああ、そうだな」 シーラは聖術師、ミラーは魔術師、二人とも二十五歳である。 「なんとかして稼がないと……」 「どうにかなるでしょ」 「ミラー……あなたそんなことだから、いつまで経ってもお金が増えないのよ。わかってる?」 「はい、はい……」 「ちゃんと聞いてるの?」 「聞いてる、聞いてる……」 そう言いつつも、ミラーはきょろきょろと首を左右に振り、シーラの話に集中しているとは思えなかった。 その時、彼は若い少年とぶつかった。 「すみません」 ミラーは謝ったが、帽子を深くかぶったその少年は、何も言わずに大通りの人混みの中へと消えていった。 「ミラーがぼーっとしてるからよ」 「町並みを眺めていたんだが……」 「もう、しっかりしてよね!」 「まあまあ、短気は損気、急がば回れ、灯台もと暗しだ。のんびり行こう」 「ふんっ!」 シーラはそっぽを向いた。ミラーは上着のポケットをまさぐっていたが、やがて青ざめた顔になり、リュックの中やズボンのポケットをあさり始めた。 「財布が……無い!」 「えっ! 嘘でしょ?」 「きっと、さっきぶつかった時にすられたんだ」 「本当なの? もう一度、よーく捜してみてよ!」 「わかった……」 しかし、いくらミラーが捜しても、彼の財布はどこにも見あたらなかった。 「ちょいとやばい事になったな……見つからん」 「もぉ、どーすんのよー!」 しかし、ミラーはいつも通り落ち着き払って言った。 「どうにかなるでしょ」 この町で短期の仕事を探し始めた二人は今、紹介所の掲示板を物色している。 「仕事、仕事と……」 「手っ取り早くお金がもらえるのがいいわ」 シーラは、ミラーの失敗をいつもの事だとあきらめ、とっくに気持ちを切り替えていた。 (アルバイトもたまにはいいわね) と、心の中ではかなり乗り気である。 ミラーが、めぼしいのを見つけたようだ。シーラとひそひそ声で話をする。 「よし、これにしよう」 彼がそのビラをはずそうとした瞬間、横から手が伸びてきてそれを奪った。 「ちょっと待てよ」 振り返ると、若い剣術士風の男だった。男というよりも、少年というべき年齢だ。彼はこう言った。 「俺が見つけたんだからな。手遅れだね」 「な、なんですって! 私たちが最初に見つけたのよ!」 「まあまあ……落ち着いて下さい」 紹介所の職員が駆けつけてきた。 「場合によっては三人とも雇ってくれるかも知れません。紹介状を書きますので、これを持ってその雇い先に行ってみて下さい」 「あんなのと一緒に働くなんて嫌よ」 雇い先に行く途中、シーラはぶつぶつ文句をこぼしていた。ミラーがなだめる。 「見つけたのは僕らが先かも知れないけど、先に取ったのは確かに向こうだから……」 「そうだけど……」 少年は、そんなやりとりを無視するかのように、二人のずっと先の方をスタスタ歩いていた。 「もともと、ミラーが財布をなくさなければこんな事にならなかったのに」 「そのうち見つかるさ」 「あ、あの建物みたいね」 町はずれ、港の地区に海を望んで建っている……レンガでできたその建物が、アルバイト先の事務所だった。 狭くて急な階段を上ると、椅子と机がいくつかずつ置いてある粗末な部屋に着いた。中ではすでにあの少年の面接が始まっている。白髭・白髪である初老の男がメモを読み上げていた。どうやら彼が雇い主らしい。 「レムト君、十七歳と。仕事の動機は?」 「給料がいい割りに時間が少なくて済むから。それだけ」 「なるほど。……ところで、そこの君たちは何かね?」 ミラーとシーラは顔を見合わせ、そして答えた。 「短期アルバイト募集のビラを紹介所で見まして……」 「まあ、そこの椅子にかけて、この紙に必要事項を記入してくれたまえ。……それで、レムト君」 「ん?」 「君を採用することにした。この契約書に目を通し、サインを。今晩、日が沈んだらもう一度来てくれ。詳しい業務説明をする。夕食はこちらで用意しておく。よろしく」 「ああ。日没後にもう一度来るぜ」 「よろしい。じゃ、君たち、こっちに来て」 少年は去り、白髭の老人は記入が終わった二人を手招きした。二人の提出した紙を、彼は目を細めて読んだ。 「魔術師のミラー君と聖術師のシーラ君か。ふうむ……君たち、両方とも魔法は得意というわけだな」 「普通くらいですよ」 ミラーが言うと、老人は考え込んでしまった。 「うーむ、それは困ったのう」 「魔法が使えて、警備に差し支えるって事はないでしょ?」 二人が決めたアルバイトとは、港にある倉庫の夜間警備である。そのシーラの問いに、老人は一度だけうなずいた。 「まあ、基本的に差し支えるということはないのじゃが……。ところで君たち、お金はあるかね?」 「お金?」 「お金がないから、こうしてアルバイトを捜しているのよ」 二人が不思議そうな顔をしていると、老人はさらに困った顔をし、ぶつぶつ独り言を始めた。シーラはすぐさま言った。 「それで、採用なの? 駄目なの? ハッキリして下さい! あたしたち、時間がないの」 「わかった、二人とも採用しよう。今晩の警備を頼む。ただし、この契約書にサインしてくれ」 契約書にはこう書いてあった。 「もし自分が眠ってしまったせいで倉庫に損害が出た場合、損害額を自ら弁償します」 二人は小さな声で話した。 (ミラーって、夜、強い方だっけ?) (仕事中なら、さすがに眠らないと思う) (じゃあ、サインして平気よね) (おそらく) そして二人はサインし、いかにも恋人同士らしく海辺を散歩して、夜までの時間をつぶした。 夜が来た来た、日が沈む。二人は事務所に戻った。面接の老人と、レムトと呼ばれたあの少年が、ほこりっぽい部屋の中で夕食を食べていた。 「もぐもぐ……君たちも食べたまえ」 老人が、テーブルに載っているサラダとパンの山を指さした。 食事が終わると、仕事に関する詳しい説明が始まった。地図を指しながら、老人が話をする。 「わが社の倉庫はこことここ。入り口の所に座ってもらい、搬入証あるいは搬出証を持った者だけ中に入れるという役目だ。夜中でも、船の到着状況によっては倉庫への搬入・搬出があり得るからな。……もちろん、何か起こったら警備員として対応してくれたまえ」 「了解でーす」 シーラが軽い調子で返事した。説明の後、三人は事務所を出て、早速それぞれの持ち場に着くこととなった。 倉庫は道を隔てて二つあった。ミラーは頭をかきながら言った。 「レムト君……だっけ?」 「何、おじさん?」 「おじさん? 僕のこと?」 ミラーは少なからずショックを受けているようだ。しかし、すぐに落ち着きを取り戻して、言った。 「……まあいいや。この、大きな方の倉庫には二つの入り口がある。小さな方の倉庫には入り口が一つ。配置は、僕らがこっちの大きい方で、君が向こうでいい?」 「構わないぜ。じゃあな」 レムトが去った後に、シーラが言った。 「ミラーも早々とおじさんの仲間入りね。よかったじゃない!」 「僕がおじさんなら、君はおばさんだぞ」 「え……」 よくよく考えると、彼らは同じ歳なのだ。シーラはがっくりとうなだれた。 夜は長い。やっと夜半過ぎになった。今までは特に何も起こっていない。二人は時折星を数えながら眠気と時間をつぶしていた。向こう側にいるレムトも同じようなもので、時々立ち上がっては背伸びをしている。やはり仕事中だけあって、一種の緊張感があるのか、誰一人として眠ってしまうことはなさそうだった。 その時突然、海の方から涼しい風ともやのような白い煙が優しく吹いてきた。辺りは真っ白になり、視界がゼロになる。 シーラはとっさに光の魔法を唱えた。 「ЖЩЛЫЭЮ……光の輝きよ、夜の闇を消し去りたまえ! ライポール!」 光球がシーラの手から飛び出して宙に浮かび、輝きを増したが、それはおぼろ月のようにぼやけてしまった。 そして、どうしようもない眠気が襲ってきた。魔法を使った疲れだけではあるまい。体に力が入らず、空に浮かんでいるようなふわふわした気持ち。首が下がっていき、まぶたが重くなり……。 「ん……ん?」 ミラーとレムトが青ざめた顔をして前に立っている。陽の光がまぶしい。どうやら朝になってしまったようだ。 「お目覚めかい、シーラ。残念ながら緊急事態が発生した」 「緊急事態?」 目をこすってよくよく見ると、レムトの横に、戦士風の若い男が立っていた。顔には傷があり、人相はお世辞にも良くない。男は低い声で、わざとらしく抑揚をつけて言った。 「俺は社のもんだ。これを見ろ」 シーラが振り向くと、後ろの戸が開いていた。男は続ける。 「おめえがぐっすりと眠っているうちに、香辛料の入った箱をごっそり盗まれた」 「えっ! 嘘……」 シーラは信じられないといった驚きの声をあげた。ミラーがうなだれて言った。 「僕とレムトも同じく、らしい」 「とにかく、契約書にあるように損害額を払ってもらおう。一人、千二百ガイトだ」 「せ、千二百ガイト?」 シーラが持ち合わせているお金は、全部合わせても六百ガイトがせいぜい。ミラーの財布はなくなってしまっているので、一人分すら払えない。レムトも同様だろう。ちなみに、騎士の初任給が一ヶ月に千ガイト程度である。シーラはやっと事態が飲み込めた。 「でも、ちょっと待ってよ、被害額の証拠を出してよ!」 「倉庫の中をよく見るんだな」 シーラは立ち上がり、スタスタと倉庫に向かった。無造作に積まれている箱の中身は空っぽのものが多い。シーラはやけになって言った。 「最初から空っぽだったんじゃないの? 私たち、箱の中身まで確認してない」 男が反論する。 「そうかも知れねえが、勤務中に眠っただけでも契約違反の罰金に価する。俺も鬼じゃねえから、今すぐ千二百ガイト全部を払えとは言わん。有り金全部で許してやるから、取りあえず全部出してみろ」 「ちょっと、待ってよ!」 シーラは男の手をふりほどき、倉庫から飛び出してミラーの後ろに隠れた。 男が、ゆっくりと倉庫の中から現れ、大きな剣を鞘から抜いた。 「これではっきりしたわけだ。有り金か、死か。二つに一つだ。今すぐ決めろぃ!」 「ふざけんじゃねえ!」 レムトも剣を構えた。 「まあまあ、そう焦らないで下さいよ」 ミラーがなんとかなだめる。 「ここで、取引をしましょう」 「取引だと?」 男がどなった。ミラーは、それと対照的に微笑む。 「なあに、簡単なことです。我々としても自分たちのミスとはいえ、このまま有り金全部お支払いするのには抵抗があります。犯人を捕まえることによって、会社への損害を償いたいのです」 「でも、損害は自分で払うと契約したじゃねえか」 「その通りです。ですから、今ここで有り金の半額はお支払いします。三日以内で犯人が探せなかった場合には、残り半額も必ずお支払いします。犯人が見つかった場合には、そのお金は返してもらうと。どうですかね」 「そーよ、そーよ。その位考慮してくれたっていいじゃないの。犯人を捕まえて香辛料を取り戻す方が、私たちから賠償金を徴収するよりも会社の利益になるでしょ。私たち、損害の全額なんて払いきれないわよ。どっちにしても三日以内に犯人が見つからなかったら、残りの半額も払うんだし」 シーラが詰め寄った。しかし男はなかなかウンとは言わない。ミラーもレムトも説得に回る。 「お願いしますよ。逃げたりしませんから」 「俺が犯人をとっ捕まえてやる」 最後には男も折れざるを得なかった。 「もう勝手にしろィ! 有り金の半額、今すぐ置いていけよ、コラァ。期限は明後日の日没だ。……どーせ犯人なんて見つかるはずもないんだけどな」 「了解、了解。ありがとう」 ミラーは満足そうだ。シーラとレムトは有り金の半額をその場で支払い、ミラーは平謝り。 「財布をすられたもんで、お金はゼロです。ゼロの半額も、ゼロなんで……すいません」 男は、ミラーののんびりした態度が気にくわないようで、また剣を抜いた。 「ふざけんじゃねえ! 死にてえのか!」 「まぁまぁ、穏便に……」 レムトがため息をついた。 「おい、これからどうする? 金を取り返さないと、俺、生活できないぜ」 「それは私たちだって同じよ」 シーラは、次々起こる金銭的災難で疲れ果てていた。一番元気なのはミラー。 「ま、じっくり考えましょう。短気は損気、急がば回れ、灯台もと暗しですよ」 「いっつもそればっかり……。とにかく、私たちは差し当たりどこから手をつければいいの?」 「う〜ん……そうだなあ。とりあえず警備所にでも行ってみるか。犯人の手がかりを知っているかも」 警備所とは騎士の派出所のこと。彼らは警備所に行き、そこにいた中年の騎士に訳を話した。彼は首をかしげて、こう言った。 「おかしいな……そういう被害があったという情報すら聞いていませんが」 「え?」 「何かの間違いではないでしょうか」 「でも、私たち、弁償金を払わされたの」 シーラの表情は真剣だ。騎士は言う。 「わかりました。調べてみます」 三人が警備所を出ると、陽はすでに高かった。 「ふぁ〜あぁ、眠いぜ……」 レムトはあくびを手で隠した。 「軽く昼寝でもしましょうか」 「そうね」 三人は広場の隅にある大きな木の陰に腰を下ろした。それから背中の荷物を枕代わりにして、草の上に寝転がった。時折、涼風が通り抜ける。彼らはだんだんと深い眠りに落ちていった。シーラは、財布を腕にくくりつけて眠った。不安だったのだろう。 夕方近くになり、三人は自然と目覚めた。 噴水で軽く顔を洗う。 「このままじゃ生活が夜型になりそうだぜ。よいしょっと」 レムトは眠い眼をこすりながら、伸ばしたり、ひねったり、曲げたりと、体の体操を始めた。 シーラとミラーはちょっと離れたところで考えていた。 「どうして警備所に事件を報告しなかったんだろう。結構な被害額なのに」 「普通はすぐ連絡するわよね。多分」 「何か変な感じだ」 「よくよく考えると、怪しいわね。ミラーがいっつも言ってる、あれじゃない?」 「あれって?」 「〈灯台もと暗し〉よ」 「なるほどねえ」 レムトがやって来て、会話に加わる。 「あの会社自身が、架空の事件をでっち上げたって訳か」 「そうなるわね」 ミラーはうなっていたが、すぐにこう言った。 「その線で考えてみるか。……よし、これから例の事務所に向かおう」 「事務所?」 「事務所には入らないで、盗聴する」 「あたしの魔法で?」 シーラは顔をしかめた。すかさずレムトが言う。 「俺たちには、その魔法扱えねえんだからさ。頼むぜ、おばさんよぉ」 「お、おばさん……」 事務所に向かう途中、シーラはミラーの耳元で囁いた。 「やっぱり、あいつ嫌い……」 事務所の近くまで行き、建物の陰に隠れる。シーラは聖術が一番得意だが、妖術も少しだけ使えるのだ。 「λεюξψдчζ……音の精霊よ、ざわめきを私のもとに届けて! クァルーン!」 シーラの手から白い玉がボッと飛び出し、風船くらいの大きさに膨らむと、だんだん色を失い、完全に見えなくなった。 「あの玉、私にはちゃんと見えているの。壁をすり抜けられるけど、風に流されるから操作は難しいのよね。………あ、曲がっちゃう〜」 「シーラ君、頑張ってくれたまえ。健闘を祈る!」 ミラーはシーラに敬礼をしたが、彼女は魔法に集中していたので反応はなかった。しばらくすると、彼女は喜びの声をあげた。 「ミラー閣下、潜入成功であります!」 「何だよ、ちゃんと聞いてたんじゃん」 それを見ていたレムトはため息をついた。 「あーぁ……全く、頭の中が一年中春なんだな。ついていけねーぜ」 呆れ声でそう言ったきり、そっぽを向いてしまう。 「俺にも女がいれば……」 その小さな小さな独り言は、楽しげな二人の耳に入ることはなかった。 突然、シーラは真面目な顔になる。 「……部屋の声が聞こえてきた。静かに」 彼女が右手の人差し指で空気に円を書くと、そこに青白い小さな玉が現れた。 「これ、スピーカー。音量を上げるね」 すると玉からは、面接を受けたあの老人の声が聞こえてきた。 「本当に上手くいくとはな……」 次に、聞いたことのない男の声がした。 「僕ちんに任せれば、金なんていくらでも貯まるのサ。ひょっひょっひょ」 かなり高めの声で、実に不愉快な印象を受ける。再び老人の声。 「しかし、お宅の派遣社員はあいつらの金を半額しか持ってこなかった。残り半分は明後日と言っている」 「あさってなんて、あっーという間!」 「あいつら、逃げるんじゃないか?」 「僕ちんからは絶対に逃げられないね。無理・不可能・大失敗。何てったって、僕ちんは大魔法使いなんだからサ」 「謝礼金は、今の時点でも払う方が良いのかね?」 「いや、全部徴収してからで結構だよん」 「これからもよろしく頼むよ」 「同じ手は何度も使えない。警備所に連絡されたらバレるからサ。しかし、僕ちんは大魔法使い! 魔術も妖術も呪術も月光術も使えるし、例の強力な眠り薬も持っている。この方法であと二、三回は上手くゆくはずサ。別の方法もたくさんある。失敗ゼロの信用運営、ひょっひょっひょ……ムムム、魔法の警報」 「盗聴なのか?」 ジリリリリリという、けたたましいベルの音が聞こえてきた。 「やばっ、バレた? йμιжэ……」 シーラが慌てて呪文を唱えると、目の前の青い玉はすっと消えた。 「ミラー、レムト、やつらに感づかれたみたい。この場から逃げるのよ!」 シーラが叫んだ。三人が走り始めると、さっきまで自分たちが居たところの近くで小さな爆発が起こった。 バアァァァン。爆発魔術だ。 走りながら、シーラが言った。 「ふぅふぅ……ミラー閣下、敵艦は、かなり強力な模様です……」 三人は町の中心部まで逃げ、ついに走るのをやめた。もうすでに宵の口だった。 「やっぱり犯人は会社側だったんだな」 肩で息をしている二人に比べ、レムトはまだまだ平気そうだった。 「おい、大丈夫か」 と声をかけるが、彼らは汗だくで、返事もできない。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 「駄目だな。どっかで休もうぜ。こういう時のために体力はちゃんとつけておけよ」 三人は夕食時ということもあり、近場のお店に入ることとなった。 やっと落ち着いてきたミラーが、目をつぶって静かにしゃべり始めた。 「話を整理すると、あの魔法使いと名乗る男が、倉庫の管理人に金儲けの話を持ちかけた。利益の何割かは自分が謝礼として受け取るという。手口としては、倉庫警備のアルバイトを雇い、眠り魔法か何かで睡眠させる。倉庫が襲われるという仮の事件をでっち上げ、朝になったらがらの悪い男を使って、賠償金という名目で金を集める」 「そんな感じね」 シーラがうなずいた。レムトは眉をひそめる。 「でも、それをどうやって暴くんだ。証拠はないだろ。それに、相手は大魔法使いだ」 「それが問題なんだよねえ……」 ミラーは頭を抱えてしまった。シーラが腕組みをして言う。 「警備所に報告してみる?」 「現行犯じゃないし、証拠らしい証拠は無いからなあ。これが二、三回続けばともかく、僕たちが最初のターゲットのようだし」 「そうね……」 「俺の、苦労して貯めた貯金が……」 レムトはがっくりとうなだれたが、ミラーの表情はぱっと明るくなった。 「よし、こうなったら一か八かだ。魔法には魔法で対抗してみよう!」 「私たちの魔法で、対抗できるのかしら」 「わかんないけどさ、こうなったら冒険者になった気分で、冒険してみるしかないんじゃない?」 「え、お前ら冒険者じゃなかったのかよ?」 レムトが驚きの声をあげた。 「僕らは旅人です」 「あたしたち旅人よ」 ミラーとシーラは同時に言い、そして嬉しそうに微笑んだ。 「つまり、よ〜く思い出して欲しいんだけど、今回の件では強力な眠り薬が使われているようなんだな」 ミラーが作戦の説明をしている。 「多分、その薬を発生させ、魔法使いが魔法風を起こしてこっちに飛ばしてきたんだ」 「だから俺たちは全員眠った」 「……と推理するわけね」 レムトとシーラが付け加えた。再びミラー。 「確かに推測の域は出ないけど、仕方ないでしょ。まあそう考えることとして、こっち側からそれ以上の風を送り込めば……」 「薬は向こうに。相手はぐっすり」 「そうそう。それで、あらかじめ説明しておいて張り込んでもらう警備所の騎士に、現行犯で捕まえてもらうと」 「とにかく、やってみるしかなさそうだな。俺は魔法使えないけど、出来ることなら何でもやるぜ」 レムトが、剣を振り回すまねをした。 「何だ、結構いい奴じゃないの。口が悪いのを除けば」 シーラはしきりにうなずいた。レムトがそれに答える。 「まあな。それに、こういう経験は冒険者になってからも役に立ちそうだ」 「ほう、君は冒険者志望か。僕らは旅人で満足してるけど」 ミラーは興味津々たる様子で、鋭気に満ちた若い戦士の両眼を見つめた。 「今回貯めてる金も、冒険者としての登録料のためだからな」 「ふうん、そうだったの。登録料って、相当かかるらしいわね」 「冒険者ギルドも、むやみやたらと冒険者を増やすわけにはいかないからね。補助金も出すんだし、仕事にも限りがあるし。……と、その話は置いといて、僕らはまず何をすべきかだ」 ミラーはぶつぶつ独り言をつぶやき、頭の中を整理した後、ぽんと手を叩いた。 「よし、まずはあそこに行ってみよう」 「あれまー、今日はいないな」 ミラーはがっかりした様子。 「倉庫番、いないわね」 シーラもきょろきょろと周りを見回したが、それらしき人物は見あたらなかった。 三人は、昨日自分たちが警備した倉庫前に来ていたのだった。夜も大分更けてきて、三日月がか細い光を空に溶かしている。星の綺麗な夜だ。 「今日はアルバイトがいない。睡眠薬もまき散らされない。要するに、何も起こらないから捕まえることも出来ない」 「やつら、あと二、三回は同じ方法を使うって言ってたのにな」 レムトがぼやいた。シーラも、盗聴した会話を一生懸命思い出しながら、考える。 「多分近いうちにするんでしょうけど、正確な実行日は分からないわね」 「うちらが有り金の残り半額を払う期限は明後日の日没。夜は、今を抜かせばあと一回だけだ。明日の夜に、僕たちの時と同じ手口でやってくれないと何もできない。万事休すだ」 「そうなったら、逃げちゃえば?」 シーラの意見には、レムトがきっぱりと反対した。 「敵は大魔法使いだ。きっと追ってくる」 「そうだなあ……ま、明日の夜にやらかしてくれることを祈って、今夜は寝ましょ。どうにかなるよ……ふぁ〜あ、眠い」 考えすぎて疲れたのか、いつも通りの放任ミラーに戻っていた。 「昼間眠ったのにね」 「生活が狂ってるからだよ。とにかく休んで、早く普通の生活に戻そう」 確かに他の二人も眠かったので、ミラーの宣言はあっさりと採択された。三人は野宿場所を決めて横になった。シーラは昼間と同じく、財布を腕に縛りつけて眠った。 (今が夏で良かった。こんな北国で冬場に野宿したら、間違いなく凍死だ。ま、冬はこんな街に来ないと思うけど。でも、旅が趣味の僕としては、北国の冬も捨てがたいんだよなあ……) ミラーはこんな事を考えていたが、いつの間にか頭の中の風景はぼやけ、夢の世界へと静かに墜ちていった。 翌日、三人は再び警備所を訪れた。 「……というわけなんです」 ミラーは一通り、自分たちの考えた推測を話した。 「なるほど。昨日の今日なので私もまだ詳しくは調べていませんが、例の倉庫会社は最近、営業成績はお世辞にも良いとは言えないようです。高価な品物を大量に扱っているとは考えにくい。それだけは分かりました」 「今日の夜、もし奴らが同じ方法で犯行を繰り返そうとするなら連絡します。申し訳ないんですけど、その時には来ていただけません?」 シーラの依頼に返事をする代わりに、警備所の騎士は立ち上がり、窓を開けて空を見上げた。 「今夜も晴れそうですね」 三人は町中を散歩し、夜を待つ。とても長い時間に感じられる。シーラはそわそわして落ち着かない。レムトはしきりに自分の剣を磨いている。ミラーだけはいつもと変わらず、のんびりと日が沈むのを待っている。 日が傾き、空は水色から赤、紫、藍色へと次々に服を着替えていく。どれも限りなく美しい染め物だ。 最後には誰かが黒い絵の具をこぼし、静かに闇の世界が広がってゆく。三人は例の倉庫に向かった。 「いる!」 レムトが叫んだ。確かに、自分たちが警備した時のように、三つの人影が倉庫の入り口付近に座っていた。ミラーたちの心を喜びが支配したのはほんの一瞬で、それはすぐ緊張に変わった。 倉庫の前で、三人は立ち止まる。 「もしもし、搬入証か搬出証がないと倉庫には入れないだよ」 地方から出てきたばかりなのか、独特の訛が残っている声。今日の警備員だ。シーラはどうやって話を切り出そうかと迷った。 「あの、実は……。そうそう、退屈しのぎにあたしたちの話を聞いてくれない? 仕事の邪魔はしないから」 「ほえ?」 三人は代わる代わる、事の経過を簡単に説明した。その警備員は驚きを隠せない様子だった。無理もない。 「話は分かった。それで、俺っちはどうすればいいだ?」 「あたしたちと今日の警備員三人と、すり替わって欲しいの。結局、給料なんか出ないのよ。急な話で信用できないかも知れないけど、お願い、私たち本当に困ってるの。任せて下さらない? あなたたちに迷惑はかけないから」 「ほいじゃあ、他の二人と話してみるべ」 「ありがとうございます!」 ミラーは目を輝かせた。 話し合いの結果、会社側の見回りが来る場合を恐れ、シーラの提案は却下された。三人は物陰で出番を待つこととなった。 その間にレムトはひとっ走り、警備所の騎士を呼んで来た。潮の香りをのせて、陸風がわずかに吹いている。気が張っているせいか、眠気は感じない。 夜半過ぎになった。突然、風の流れが変わるのが感じ取れた。そしてあの白い煙。ミラーは道に飛び出した。 「塔ヨξйэ……我、天空の力・大いなる風を欲す……ヒュ!」 彼は呪文を唱え、人差し指を構えた。たちまち指先から青白い旋風が巻き起こる。ミラーは指を向ける方向を何度も調整した。白い霧状の薬を送り返し、相手を眠らせるために。しかし指先から出る魔法の風は勢いがあっても幅が狭いので、作業は相当難航している。 こうなると相手も必至だ。天空魔術を唱え、応戦してきた。ミラーのと同じような青白い風がこちらめがけて飛んでくる。 「みんな、こっちへ下がって!」 シーラが叫んだ。ミラーを一人残し、シーラ・レムト・アルバイトの三人・警備所の騎士、合計六人は少し後退した。 「ё∂¢юыτ……我らを邪悪なものより守りたまえ……バリズーン!」 シーラは念のため、その場所で呪文を唱えておく。魔法を跳ね返す見えない壁が、彼女たちの周りを取り囲んだ。 戦いは、魔法の風同士のぶつかり合いになっていた。疲れているためか、ミラーの風にはいまいち勢いがない。徐々に押されはじめ、白い霧がミラーの方に迫る。 「ミラー、頑張って!」 シーラの応援が彼に届いたのかどうかはわからない。ただ彼は、苦しそうな表情で事態打開のために再び呪文を唱えた。 「ШГΛΞΥДЛЖИ……我、天空の……天空の力よ、今こそ解放の刻なり! スーファ!」 スーファはヒュの上級魔法だ。ミラーの手の平全体から、より巨大な風が発生した。その風は、見る見るうちに相手の風を飲み込んでいく。 ミラーの風は白い霧を完全に送り返した。相手はおそらく、自分の作った眠り薬を大量に吸ったことだろう。向こうから吹いてくる風も止まった。 シーラがごくりと唾を飲み込んだその瞬間に、戦いは終わった。ミラーがその場にゆっくりと崩れたのだ。 「ミラー、ミラー! しっかりして!」 駆け寄るシーラ。ミラーの体を揺すってみるが、腕はだらんと落ち、顔には表情がなかった。 「ミラーァァァァ!」 「……むにゃむにゃ」 「え?」 どうやら寝ているようだ。戦いの途中で誤って眠りの霧を吸ってしまったのか、魔法の疲れか、あるいはその両方だろう。 「よかった……。本当にお疲れさま! 凄く格好よかったよ……」 思わずシーラの頬を涙が伝った。しかし残念ながら感動は長続きしなかった。海の方に走っていったレムトの、大きな声を耳にしたからだ。 「おーい、シーラのおばちゃんよぉ、こっちにも一人眠ってる奴がいるぜー」 翌日の警備所。倉庫の主であるあの老人を連れて、レムトとシーラがやって来た。 「はーい、こちらへどうぞ!」 老人の顔は青ざめている。中には警備所の騎士と目覚めたばかりのミラー、そして魔法使いの男が座っていた。 「ちゃんと金は返せよ。犯人を見つけてやったんだからな」 レムトが胸を張った。ミラーは眠い目をこすって言う。 「……あれ、僕、勝ったんですかね? よく覚えていませんけど」 「とにかくだ。倉庫の管理人および魔法使いと名乗る男、お前たちから詳しい事情を聞かねばならん。そこに座れ」 騎士が重い口調で言った。 「僕ちんが……失敗するなんて……」 中年で、黒いローブを着ている大魔法使いと名乗る男は、ぼさぼさの頭をさらに掻きむしった。 その日の夕方、三人は警備所に呼び出された。 「だいたい、あなた方の推理通りでしたよ。あなた方の活躍で、さらなる犯罪が未然に防がれました。大変感謝しています」 騎士は頭を下げ、ミラーは照れ笑い。 「そんな……自分たちのお金を取り戻したかっただけですよ」 「ミラーは払ってなかったけどね」 シーラの指摘を無視し、ミラーは続ける。 「ところで、あいつらから事情を聞いたんですよね。僕たちにも事件の詳しい真相を教えて下さい」 「わかりました。さっきも言いましたように、事件の大方の流れはあなた方の推理通りです。大魔法使いと名乗る男についてはご説明しましょう」 「うん、うん」 「あの男は、地方に住んでいる薬師です。色々な薬を研究してきましたが、資金が無くなったそうです。それで、研究の成果の眠り薬を引っさげて、このセンティリーバ町にやって来たわけです」 「手っ取り早い金儲けを考え、あの倉庫管理の爺さんに目を付けた訳か」 レムトがパチッと指を鳴らした。騎士は微笑む。 「そうなのです。大魔法使いなんていうのは真っ赤な嘘でした。確かに魔術はそこそこ得意ですが、呪術や月光術などは全く使えないそうです」 「でも、僕らが事務所から逃げる途中、小さな爆発が起きた。それはやはり奴の魔法だったのですか?」 ミラーが訊ねた。 「ええ、そのようです。呪文を唱えたら、たまたまあなた方の近くで爆発したのでしょう」 「それと、僕らが警備員の面接に行った時、魔法が使えるのを嫌がられたんです。魔法で暴かれては困ると、警戒したんですかね」 「そうだと思います。他にご質問があれば、どうぞ」 「あいつらの処遇は?」 シーラが手を挙げた。 「反省もしているようでしたので、今回は罰金のみで釈放しました。今後、同じ様なことを繰り返せば、もちろん重い刑を考えます。それで納得していただけますか?」 三人はお互いに顔を見合わせ、そしてうなずいた。 「ええ。ま、いいわ」 「俺の金をちゃんと返してくれればな」 「……ですね」 騎士は三つの袋をテーブルの上に載せた。 「お金は預かっています。どうぞお持ち下さい。まず、シーラさん」 「嬉しいわ」 「次、レムト君」 「とにかく、返ってきて良かったぜ」 「そして、ミラーさん」 「え? 僕にもお金が返って来るんですか?」 ミラーはきょとんとした表情。騎士は言った。 「まず、徴収した罰金の一部。警備所からのお礼と思って下さい。それに加え、警備員としてのアルバイト代です。あいつらが自ら出してくれました。他のお二方に返したお金にも、その金額だけ加算されているはずです」 レムトとシーラは一応、袋の中身を確認してみる。 「本当だ」 「ちゃんとアルバイト代を出してくれるなんて、結構いいやつらなのね」 「まあ、もともと貰えるはずのお金だったんだから」 ミラーが言った。騎士は書類をまとめ、棚にしまった。 「それでは、今後も何かありましたら全国の警備所をご利用下さい」 「本当にありがとうございました」 三人は礼を言い、警備所を出た。 すでに夜だった。シーラとミラーはほくほく顔で町に繰り出した。 「この町に来て、何泊目かしら。たまにはちゃんとした所で眠りたいわねえ。お金も入ったことだし」 「そうだなあ。うまい食事も欲しいねえ」 「じゃ、俺はもうそろそろ退散するか」 そう言ったレムトの肩を、ミラーがぽんと叩いた。 「そうか。……短い間だったけど、色々お世話になったね。ありがとう。冒険者になっても頑張れよ」 彼らはがっちりと握手する。 「ああ。そっちこそお幸せにな。ミラー兄ちゃんとシーラ姉ちゃん」 「やっと『姉ちゃん』って言ってくれたわね。本当は『シーラお姉さん』って言って欲しかったけど」 シーラがくすっと笑った。 「じゃあ言ってやるよ。シーラおばさん! それじゃあな!」 こう言い残してレムトは走り去った。 「何ですって! こ、こらぁー、待ちなさいよ、レムトーっ!」 シーラは地団駄踏んだが、レムトの姿は闇に紛れ、もはや見えなかった。 その晩二人は、いつもよりも多少高級な宿を選んだ。疲れを癒すために。そして、この町での最後の夜を素敵なものにするために。 翌日の朝、二人は会計を済ませるためにリュックサックの中の財布を捜した。ミラーは新しく大きな革袋を買い、それを財布代わりにしていたのですぐに見つけることが出来た。 シーラは首をかしげた。 「あれ、どこに行ったのかしら」 「あははは。今度は君が失くす番かい?」 「不吉な冗談はやめてよ。あ、あった……げっ!」 「どうした?」 シーラはさっと後ろ手に何かを隠した。顔はなぜか引きつっている。そして、急にミラーの眼をまじまじと見つめた。 「ミラー、愛してる」 「は? 何だい、突然」 「ミラーももちろん、あたしのこと愛してるわよね?」 ミラーは嫌な予感がした。 「おい、何を隠しているのかなー? 見せなさい」 「怒る?」 「とにかく見せろって!」 ミラーが強引に奪うと、それはなんと、失くしたはずの自分の財布だった。 「……」 「えへへへ……いつの間に紛れ込んだのかしら……?」 「シーラァァァー!」 ミラーの眼は上目遣いで、声は裏返っていた。 「は、はい。ごめんなさいです。もうしません。私の責任です。今度おごります。あーん、ミラーさーん、許してぇ!」 その時、そばにいた宿の主人が弱り顔で近づいてきた。 「あの、すみませんがお支払いを……」 二人は恥ずかしさで赤面し、そそくさとその場を後にした。 果てしない荒野に続く長い街道上に、二つの影法師が伸びている。 「ミラー、許してよぉ」 「……さっき、今度おごってくれるって言ったよね」 「うん。おごるおごる」 「仕方ない。今回だけは許してあげよう」 「ミラー、大好き!」 「まあいいや。のんびり行こう」 「でも、ミラーって凄いわよね」 「え?」 「いつも言ってるじゃない。あたし、ようやくその重要性に気が付いたわ。『短気は損気、急がば回れ』」 「そして、『灯台もと暗し』か」 山の夕日が二人の影をいっそう細く長くする。そして、一番星が輝き始めた。 | ||
(了) | ||
【この作品は"秋月 涼"の著作物です。無断転載・複製を禁じます】 |