すずらん日誌 〜
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秋月 涼 |
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【第六話・めぐり来る 「今日も霧雨ですよん……」 「最近、ずっとこうだね」 降り続く冷ややかな雨が、夏の緑色を流し去る。 ここはサミス村にある〈すずらん亭〉。秋は一足早く、この山奥に舞い降りた。日を追うごとに昼は短くなって、樹木の影は細く伸び、優しく寂しげに全てを覆う。 折しも涼月(十月)の半ば。〈涼しい〉を通り越して、朝夕は寒いくらいだ。 「あれ? 雨、あがったね」 仲良し姉妹の妹、シルキアが言った。事実、しとしと雨は過ぎ去った。今や小さな窓からは赤い光が差し込んでいる。 「ほんとだ」 姉のファルナは一つうなずき、久しぶりの夕焼けに目を細めた。灰色の空はいつの間にか塗り替えられ、雲までもが赤く染まっていた。 「明日も晴れるといいな」 シルキアが、誰に言うわけでもなく、一人静かにつぶやいた。 翌朝早く、姉妹は森に向かった。草の葉の上には、まるで真珠のような朝露たちが、きらきら輝いている。針葉樹は緑、広葉樹は赤・黄、すき間から見え隠れするのは澄みきった青い空。森は来(きた)るべき冬に備え、衣替えの真っ最中だった。 「今夜、お客さんいっぱい来るかなあ?」 シルキアが訊ねた。 「もちろんなのだっ!」 ファルナはそう言うと、急に歩みを止め、もともと大きな瞳をさらに大きく見開いて、しっかりと道端を指さした。 「あった!」 白くて、とても美しい形をしたキノコが、樹の根の上に腰掛けていた。姉妹は、そのうちの何株かをそっと小かごに摘む。 摘み終わると、シルキアは立ち上がり、かすかに小かごを揺らした。キノコたちの触れあう音が、秋の呼びかけのように感じられた。 「次は栗の実ですよん」 ファルナが言った。シルキアは優しく微笑(ほほえ)み、軽くうなずいた。二人のそばを、涼しい朝風が通り過ぎていく。 「さぁ、行こう!」 シルキアが歩き出した。こうして二人の姿は、朝もやの漂う森の遠くにかすんでいった。 昼過ぎ。額(ひたい)に汗を浮かべ、重たそうな小かごを抱えて帰ってきた姉妹を、母が暖かく出迎えた。 「二人とも、おかえり」 「ただいまー。はいっ、お母さん!」 シルキアが小かごを差し出した。中には、山の幸(さち)が存分に詰め込まれている。母は顔をほころばせ、 「ファルナ、シルキア、ありがとう。さあ、お昼にしましょう!」 と言った。 すると、姉妹は疲れも忘れて大はしゃぎ。髪をかき上げ汗を拭き拭き、昼食の準備に取りかかった。 軽く火を通したパンを幾つか載せた白い皿を、テーブルの上に並べた。父、母、ファルナ、シルキアの家族四人が一つのテーブルを囲んで座ると、いよいよ楽しい食事の始まりだ。 「いただきまーす」 小さなパンをほおばる。口の中が熱くなる。それを夢中でかみ砕(くだ)く。外側の堅い層が破られると、その内側は素敵に柔らかな舌触り。 そう。焼きたてのパンは、神様がくれた、世にも不思議な卵なのだ。 「美味(おい)しい……」 と、シルキアはうっとりした表情。 「ふわふわして、まるで綿のよう……」 とは、ファルナの弁。 さて、簡単に昼食を済ませると〈すずらん亭〉の面々は一斉に動きだした。それぞれに割り当てられた仕事を、一生懸命こなしていく。 ファルナとシルキアは二人でテーブルを運んでいる。母親は必要な調理用具を次々と持ってくる。父は、借りた馬車で、酒樽(さかだる)などの特に重い荷物を運ぶ。こうして彼らは、お店と広場との間を何往復もした。 天から見守る陽の光は穏やかだ。家族総出の運搬作業は順調に進んだ。息を切らして、シルキアが訊ねた。 「お父さん、テーブルは、あと、何脚?」 父親の顔も火照(ほて)っている。 「もう大丈夫だ。次は椅子を運んでおくれ」 「わかったですよん」 ファルナは腕まくりをし、妹と寄り添って、再びお店の方に向かった。一階の酒場で木製の椅子を見つけると、それを抱きかかえるようにして持ち上げ、一呼吸置いてから、今度は広場に向かってまっすぐ歩き始めた。妹も姉のあとを追う。 準備が終わる頃、陽は大分傾いていた。作業の締めくくりとして、〈すずらん亭・臨時出張所〉という看板が、広場の片隅に立てられた。今夜は、ここに露店を開くのだ。待ちに待った秋祭り。 「楽しみですよん」 ファルナはいつになくそわそわしていた。斜めからの赤い光がまぶしいので、シルキアは右手をかざし、そして言った。 「晴れて良かったね、お姉ちゃん」 シルキアも喜びを隠せないでいる。姉妹のそばで細々(こまごま)とした設営作業を続ける両親にとっても、一年間の暮らしの総まとめにあたる秋祭りの存在は大きく……期待の縦糸と緊張の横糸が複雑に絡まり合って、普段は味わえない独特の感情が、心の奥底を満たしていた。 いや、彼らだけではない。サミス村全体が醸(かも)し出す普段のノンビリした雰囲気は、秋祭りの持つ魅惑的な力にさらわれ、まるっきり一変していた。毎年のことだが、ファルナはそれが不思議で仕方なかった。 辺りが薄暗くなる頃、村人たちは続々と広場に集(つど)い始めた。話し声が、やや強くなった夕風にかき消されていく。 〈すずらん亭〉はもちろんのこと、他の店舗も準備が整い、広場とその周辺にはどことなく華(はな)やかなムードが漂っていた。夕焼けの残りかすは西に集められ、数を増やした星たちが夜を連れてくる。 広場の中央付近には、材木を組み合わせた巨大な〈かまど〉がこしらえてあった。キャンプファイヤーを素朴にしたもの、と考えていただきたい。 その〈かまど〉の四方に、村の魔術師……黒いローブを羽織って、闇の背後に溶け込んでいる……が立ち、それぞれの右腕を高く掲げると、一斉に火炎魔術を唱えた。指先から、魔法の炎がほとばしる。四本の赤い蛇が、闇をかき分け突き進む。 点火成功! 巨大な〈かまど〉に命の炎が灯った。どこからともなく歓声と拍手が沸き起こる。 拍手が終わっても、パチパチという音は残った。材木が燃える音だ。しばらくの間、広場にはその音だけが響き渡る。人々は黙り、張りつめた緊張感は火の粉に乗って広場の上を覆いつくす。 針が落ちるようなごく小さな声で、女性の独唱者(ソリスト)が歌い始めた。しだいに、他の声が少しずつ加わり、重なりあって、最後は村人全員を巻き込んだ大合唱となった。豊かな和音は森の彼方(かなた)まで流れてゆく。毎年行われている、祭り始めの儀式だ。 曲が盛り上がり、大合唱は終わった。辺りは再び静まりかえる。すると、木で作られた簡素な壇の上に、一人の男が立った。歳は中年で、気高く威厳がある。 男は落ち着いた口調で話し始めた。拡声魔法のおかげで、その声は広場じゅうに届けられる。村人は男に注目し、真剣に耳を傾けた。 「今年も恒例の秋祭りが行われる運びとなった。全て、皆の努力のたまものである。この会が無事に迎えられたことを素直に喜びたい」 男はそこでオホン、と咳払いをし、少し間をおいてから話を続けた。 「本年は、国王が夏の避暑地にこのサミス村をお選びになられた。その前後、私が大きな失策をしたのにも関わらず、皆は私に再起の機会を与えてくれた。 全員の努力の結果……国王はたいへん満足してお帰りになられた。予想以上の大成功! 私は本当に嬉(うれ)しかった。心の底が震えるとは、あのようなことを言うのだろう。この成功を真の意味でもたらしてくれた皆に感謝し……」 男はそれに続く言葉をぐっと飲み込み、目を閉じた。しばらくの沈黙、薄雲の後ろに今宵(こよい)の月が隠れんぼ。 再び空から柔らかい光が溶け出すと、男は静かに瞳を開き、何かを決心したように顔をこわばらせ、それから一気に言い切った。 「もしも私でよければ、今後も領主として関わっていきたい」 「もちろんです!」 どこかで誰かが叫んだ。広場には、大きな拍手が沸き起こる。承認、賞賛の拍手だ。 壇上の男は、かすれた涙声になった。 「ありがとう、ありがとう……。今夜は一年の疲れを癒(いや)し、心ゆくまで楽しんでもらいたい。今ここに、秋祭りの開会を宣言する!」 より大きな拍手の渦(うず)の中で、村の領主であるトワイラ男爵は静かに壇を降りた。 「今夜は先着十名様に限り〈夢のスープ〉半額でご奉仕ですよん。お得なのだっ!」 看板娘ファルナが、露店の前で一生懸命に声を張りあげている。彼女が宣伝している〈夢のスープ〉は、魔法の草から搾(しぼ)り取った特殊な液をふんだんに用いており、素晴らしい味との誉(ほま)れが高い。実際、遠い町から噂を聞きつけてやってくる貴族がいるほどだ。このスープは間違いなく〈すずらん亭〉の誇る最高級の料理である。 もちろん、そういう富裕層向けの献立ばかりではない。〈すずらん亭〉はもともと大衆酒場なのだ。今夜は、特製焼きパンや新鮮なサラダ、白キノコ入りのスープなどを安価で販売する計画である。 美味しい食事のお供には、やはり、ゆったりと身体(からだ)にしみ込む酒がよく合う。主力の自家製ワイン〈北の故郷(きたのふるさと)〉は飛ぶように売れた。酒樽の中身が、みるみるうちに乾いていく。 一方、用意した座席のほとんどは人で埋まり、露店の前には、すでに順番待ちの長い行列が出来ていた。シルキアは大忙しで、列の整理とお客さんの案内に追われている。 「はい、ちゃんと並んで下さいねー! 注文の終わった方は、こちらのテーブルでお待ち下さい……いらっしゃいませ!」 お店の中は老若男女(ろうにゃくなんにょ)問わず人々がひしめきあい、まことに賑(にぎ)やかだ。〈すずらん亭〉の根強い人気ぶりがうかがえる。 「こんばんは」 二十代前半の若い女性が、休む間もなく動き回るファルナの背中をぽんと叩いて、挨拶(あいさつ)した。ファルナはその声に聞き覚えがあった。 「あっ、オーヴェルさん! 帰ってきたんだ」 振り向きざま、すぐに顔をほころばせるファルナ。オーヴェルの方も、思わず微笑んでしまう。 だが、直後、ファルナは申し訳なさそうに眉間(みけん)にしわを寄せた。 「ごめんなさい、ですよん。今は書き入れ時なのだっ。もう少し落ち着いたら、色んな話を聞きたいですよん」 「ええ。そうですね」 オーヴェルは静かにうなずいた。彼女の仕草や言葉遣いには、知的な雰囲気が漂っている。 「ファルナちゃーん!」 「はーい、なのだっ!」 お呼びがかかったファルナ。すぐさま、お盆を小脇に抱えて駆け出す。残されたオーヴェルは、ファルナの走り去った方向を優しく眺めていた。すると、背の低いファルナの頭が、人混みに埋もれて見えなくなった。 店にやって来た村のお偉方は感心している。 「すごい繁盛ぶりですなぁ」 雪色の混じる立派な髭(ひげ)をなでながら、とある村の名士が感嘆のつぶやきをもらした。 「一日一日を、そして一人一人のお客様を大切にする。お客様との信頼関係。これさえあれば、必ずうまくゆくのです」 姉妹の父であり〈すずらん亭〉店長でもあるソルディは即座に答え、それからちょっと照れ笑いした。 「ふう。やっと一段落ですよん」 長蛇(ちょうだ)の列が途切れ、ファルナはようやく一息ついた。店の中の笑い声は未(いま)だに絶えない。 「ファルナさん」 「あっ!」 頃合いをみて、オーヴェルは自分から来てくれたのだ。彼女は、看板娘にねぎらいの言葉をかける。 「お疲れさま。頑張ってるわね」 「今夜はお客さんがたくさん来てくれて、ファルナ、本当に嬉しいのだっ!」 働きがいがある、とでも言いたげなファルナの表情を見つめているうちに、オーヴェルはとてもすがすがしい気分になった。 「ふふ。元気そうで良かった」 賢者のオーヴェルは、春から秋にかけて森の一軒家で魔法の研究をしている。こうして冬が近づくと、村に戻ってくるのだった。 オーヴェルは指折り数えた。 「一、二、三……三ヶ月ぶりね」 「うん。前に会ったのは、確か七月だったかなぁ?」 ファルナが訊くと、 「そう、七月よ」 オーヴェルはしっかりとうなずいた。すると、首にかけている銀のブローチも一緒に揺れた。これは単なる飾りものではなく、由緒(ゆいしょ)ある賢者の証(あかし)である。 オーヴェルは遠い目をして、過ぎ去ったきらめく季節の出来事を、心の中に思いめぐらせた。七月……夏が産声(うぶごえ)をあげた時期、オーヴェルは、一時的に村に帰って来ていた。 「そういえば、ちょうどあの頃、冒険者が来たのよね」 短い夏の間、避暑地になっているサミス村には、貴族だけでなく旅人や冒険者が数多く訪れる。 「なつかしいのだっ」 ファルナは〈すずらん亭〉に泊まった五人の冒険者たちを手伝って、ちょっとした山の案内役をつとめたのだった。 オーヴェルはわずかに首をかしげ、ファルナに訊ねる。 「初めての冒険はどうだった?」 するとファルナは、ささやくような小声で、 「……とっても怖かった」 と言った。しかし、すぐに元気を取り戻して、つけ加える。 「でも、冒険者さんたちとお友達になって、色んな街の話が聞けて、楽しかったですよん!」 「よかったわね」 オーヴェルは胸に手を当て、安心してほっと息をついた。 「こんばんはー」 その時、新たな客が現れる。 「いらっしゃいませ、なのだっ!」 ファルナは元気に挨拶した。 「じゃ、また来るね」 オーヴェルは静かにその場を去った。 祭りも後半となる。美酒に酔った人々は、互いに肩を寄せ合い、声を合わせて歌い始めた。旅の吟遊詩人(ぎんゆうしじん)はフルートを奏(かな)で、村の若者は小さな木製の太鼓を両手で代わる代わる叩き、軽やかなリズムを刻んだ。 すでに全ての露店は営業を終えた。さっきまで働いていた店員たちも、炎を取り囲む大きな人の輪に混じっていく。 月の光に照らされていると、なぜだか鼓動が高鳴った。気がつくと、そこかしこで華やかな踊りが始まっていた。大勢の村人で形作られた巨大な輪は、ついに動きだす。 その中にはもちろんファルナとシルキアの姿もあったし、姉妹の父や母、オーヴェル、トワイラ男爵もいた。身分の上下なく手をつなぎ、歌い、踊る。 村人の気持ちが一つになり、雰囲気が最高潮に達した、その時。 ドゴォーン、ドゴォーン。 突如として、闇を切り裂く強烈な爆音が、辺り一帯に幾度もとどろいた。耳で聞く前に、足下から響いてくるような、すさまじい音だ。 続いて、夜を覆いつくす黒地の画布(カンバス)に、まるで真夏の高原を彷彿(ほうふつ)とさせる、色とりどりの花が咲き乱れた。村の魔術師により、特殊な爆発魔法が一斉に打ち上げられたのだった。赤、黄、緑、紫、白……。人々は、首が痛くなるほど一生懸命に空を見上げ、歓声をあげて、しばしの祭典を心ゆくまで楽しんだ。 全てが終わり、涼しかった夜風が鋭く、そして冷たくなる頃、トワイラ男爵は再び壇上に立った。 村人たちは、今年一年の色々な思い出たちを心の奥にそっとしまいながら、男爵の言葉に耳をすます。 「サミス村では収穫祭を秋祭りと命名し、毎年この時期に執り行っている。これまでの例に違(たが)わず、本年も盛大に行われ、たいへん満足している。皆も大いに楽しんだことだろう。 さて。我々にとって最大の敵が近づいている」 男爵はそこで、ゴクリ、とつばを飲み込んだ。刹那(せつな)、広場の空気は、人々の緊張感で静止する。 再び、男爵は語り始めた。 「我々の最大の敵……それは、冬だ。冬を乗り切るためには、村が一丸となって立ち向かわなければならない。それには皆の団結と協力が必要不可欠だ」 落ち葉がふわり、男爵の肩に舞い降りた。彼が肩をなでると、黄色い落ち葉は、ひらひらと晩秋の風に漂った。 男爵は最後にこう言った。 「今日の気持ちを忘れず、これからの季節に立ち向かって欲しい。以上で、本年の祭りを終了とする」 パチパチ……まばらな拍手。それがだんだんと膨らみ、大きな音のうねりとなって、村の全てを包み込んだ。 ファルナたちは〈臨時出張所〉の撤収作業に入った。本店から持ち出した調理用具・テーブル・椅子などを持ち帰り、元に戻す。片づけは夜遅くまでかかった。 心地よい疲労感と眠気に襲われながら、姉妹が最後の椅子を運んでいると、頭の上にぽつり。 「また雨だ」 霧雨は今夜も土を湿(しめ)らせる。秋祭りのあと、この地方は日に日に冷え込んでいく。木枯らしが木々の葉を落として回る。この霧雨が粉雪に変わる日も、そう遠くなさそうだ。 深夜。 姉妹の部屋の窓から漏れていた、かすかな光がぱっと消え、あとには静寂だけが残った――。 ――時間という河に小舟を浮かべ、誰もが流されている。両岸に切り立った崖が迫る上流。町に潤いを与えて過ぎ去る中流。川幅の広くなる下流。そして海へ。 ちいさなちいさな小舟の上で、もがき苦しむ毎日。 そんな時、ふっと思い出して欲しい。逆らわず、ただ悠久の流れに身を任せる人々がいることを。 静かな山奥で、充実した暮らしを送る村人たちを。 いつでも、いつまでも元気な、あの仲良し姉妹を。 そして、その全てを包み込む偉大な森を。 ――季節は巡り、再び、長い冬が訪れる。しんしんと降り続く雪の中で、人々は静かにその時を待つ。 いつか訪れる、雪解けの日を。 木々ををなでる、暖かな風を。 必ずやって来る、希望の春を。 | ||
(了) | ||
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