すずらん日誌

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア〜

 

秋月 涼 



【第一話・すずらん亭と雪】


「いらっしゃいませ、なのだっ!」
 看板娘、ファルナ・セレニアの声が小さな酒場の中に響き渡る。
 ここはメラロール王国の辺境にあるサミスの村。役場から北の門へ向かう道すじに、かわいい赤屋根の建物が見える。村人たちの憩いの酒場……〈すずらん亭〉だ。夕暮れ時に開店し、夜が深まるとともに活気を増してゆく。
 折しも風月(十二月)下旬、その名の通り北風が吹き荒れ、空気は冷えきっていた。店の中は暖炉から飛び出した炎のかけらたちで満たされ、外の世界とは区別されている。まるで光の粉を水に溶かして作った絵の具を、まんべんなく吹きかけたかのよう。
「〈北の故郷〉を一杯なの? ちょっと待って欲しいよん」
 ここの看板娘で、ウェイトレスをつとめるファルナは十七歳になったばかり。茶色のロングヘアーを後ろで結び、注文取りに大忙しだ。黒い瞳を輝かせ、あどけない微笑みを振りまく、酒場の人気者である。
 ちなみに〈北の故郷〉とは主力の白ワインで、しっとりした味と良心的な価格設定には定評がある。その他にも〈夏の微風〉という安価なビール、〈森の朝露〉という最高級のワインなど、独自の銘柄が存在する。もちろん、酒だけでなく食べ物も充実しており、森の幸・河の幸をふんだんに取り入れている。
 ドアの鈴が鳴り、新しい客が入ってきた。分厚いコートを羽織った、見慣れない男だ。
「私は旅の者。宿泊設備があると聞いてやって来たのだが」
「はい、ご来店ありがとうございます! 当店は一階が酒場、二階が宿屋になってます。お疲れでしょう? 早速、お部屋の方にご案内しますねっ。どうぞこちらへ」
 厨房から飛び出して、明るく返事をしたのはシルキア。ファルナの三歳年下で外見はよく似ているが、性格に関してはのんびり屋の姉と対照的にきっちりしている。
 夜も更け、最後の客が酒場をあとにする。暖炉に水をかけるファルナ。ジュウゥパチパチと音がして、辺りは闇と冷気に包まれた。
「ふぁーあ……今日も疲れたですよん。でも、明日も頑張るのだっ!」
 大きなあくびとともに独り言を漏らす。ランプをかざし、階段を昇り、ドアを開けて自分のベッドに潜り込む。
 静かに目をつぶると、横の布団にうずまっているシルキアがささやいた。
「お姉ちゃん……」
「シルキア、まだ起きていたの? 明日も早いから、もう寝るですよん」
「うん、わかってる。……お姉ちゃん」
「なあに?」
「今夜も雪が降ってるよ」
「うん」
「お姉ちゃん、おやすみ」
「おやすみ……」
 少しの時間が経過したあと、小さな部屋の中は二人の寝息だけ、他には何も聞こえない。
 
 翌朝、一足早く目覚めたシルキアはカーテンの端をちょっとだけずらす。まぶしい光が目にしみる。外はゆうべの雪で真っ白だった。
「まぁた今日も雪かきかぁ……お姉ちゃん、起きて! 朝だってば。今日も仕事はたくさんあるよ。宿泊客への朝食づくりから始まって、入り口の雪かき、酒場の掃除……お姉ちゃん、もう起きてよぉ〜」
 眠たい目をこすりながら、姉の布団をひっぺがす。ファルナは無意識のうちに抵抗する。
「眠いですよん……寒いですよん……ファルナはもっと寝てたいのだっ」
 毎朝のように繰り広げられる姉妹対決は結局、妹がいつも勝利を手にし、姉の布団をはがしてカーテンを開ける。
「ふぁ〜、もう朝かぁ……」
 ファルナもようやく目を覚ます。
 
 朝食の準備が終わって一段落した頃、姉妹は出来るだけ暖かい格好をして表に出た。軒下には長いつららが垂れ、低い陽の光を浴びて徐々に溶けだしている。
 シルキアは毛皮の手袋でそれを慎重に折る。そしてもう一本。
「お姉ちゃん。天然のアイススティックはいかが?」
「ありがとうですよん!」
 姉は喜んで受け取り、二人はつららをしゃぶりながら再び歩き始めた。
 年末なので村はどことなく慌ただしい。しかしあと数日で年が明け、祝週(しゅくしゅう)がやって来る。新年の訪れを盛大に喜び、今年の無事を祈るお祭りが一週間に渡って開かれる。姉妹は最近、その事ばかり考えているのだった。
「新年祭、楽しみですよん♪」
「色々と準備しなきゃね」
「……あ、おはようなのだっ!」
 ファルナは、向こうから歩いてくる狩人のガデロに挨拶した。
「おう、誰かと思えばすずらん亭の娘さんじゃねえか」
 中年の山男は、見事なひげを真っ白に凍らせ、低い声で返事をした。
「今年の狩りはどうですか?」
 シルキアが訊ねると、彼は目を細めた。
「いい具合だ。狐も熊も申し分ない。今度、最高の肉をおまえさんとこに納品してやるぜ。楽しみにしてろよ、へっへっへ」
 逞しい狩人は豪快に笑った。ファルナも嬉しそう。
「お願いします、なのだっ!」
「まかせとけ。じゃ、嬢ちゃんたちも元気でな」
 ガデロは大きな弓を肩にかついだまま、銀色の坂道を下っていった。ファルナは前を向き、遠くの家を指さす。
「さあ、もうすぐですよん」
 足元の新雪は一歩進む度にキュキュッと鳴き声をあげる。姉妹の後ろには、仲良く並んでいる足跡(スタンプ)の長い行列ができていく。
「こんにちはっ!」
「あらあら、いらっしゃい。さぞ大変だったでしょう」
 魔法屋の老婆は、おつかいの二人に優しく微笑みかけた。帽子を脱ぎながらシルキアが答える。
「はい。ゆうべ、だいぶ積もりましたから」
「さあさ上がって。少しあったまっておゆきなさいよ」
「でも……。お姉ちゃん、どうする?」
「うーん、どうしようかなあ」
 老婆はもう一押し。
「ファルナちゃん、まだお昼前よ? シルキアちゃんも。せっかくだから、ちょっとだけ休んでいかない?」
「……はい。すみません、なのだっ」
 ファルナはぺこりとお辞儀した。シルキアもそれに習う。
「遠慮することはないわ。ゆっくりしていってね」
 老婆が言った。
 
「ふぅふぅふぅ……ずずずずず」
 熱いお茶を飲む。湯気がほのかな香りを届けてくれる。口に含み、喉を通り過ぎ、胃がほてる。最後は心の中まで温められるようだった。
 老婆は静かに語りかける。
「冬の間、お客さんが減るでしょう。おばさんはね、二人が来てくれてお話しできるだけで、本当に幸せなのよ」
「これからも遊びにきます。きっと!」
 シルキアが言った。
 
「ちょっと長居しすぎっちゃったかな、お姉ちゃん?」
「大丈夫。平気ですよん」
 魔法屋で買った〈火炎の石〉を小かごに詰め、二人は家路につく。この石を暖炉にくべると、少ない薪(たきぎ)でもよく燃えるようになるのだ。冬の必需品といえる。
 ふと見上げると、天は薄い氷のように透き通り、叩くと壊れてしまいそう。
「あれ?」
 何かが降ってきた。
「つめたいっ!」
 すっかり葉を落とした樹の枝から水滴が垂れ、ファルナの鼻に命中した。
「きゃははは。お姉ちゃん、面白〜い」
 大笑いするシルキアの頭にも、木のいたずら……大きな雪の固まりが。
「やだぁ!」
「あはははっ」
 今度は姉が笑う番だ。
「さあ、家まで競走ですよんっ」
 ファルナは急に駆け出し、シルキアも後を追う。
「待ってよ、お姉ちゃん!」
 元気な二人を包み込む白い雪の世界。耳をすませば、新しい年の足音が聞こえる。それがだんだん近づいて……。

(了)



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