虹の作り方 〜
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秋月 涼 |
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『師匠、高温で容器が溶け出しました』 「まだまだじゃ」 『白い煙が沸き起こっています』 「まだまだ」 『あっ、溶液が赤々と燃え始めました!』 「よしよし。そのまま観察を続けるんじゃ」 『もはや限界、ものすごい炎です!』 「早まるな! あとちょっと……」 『脱出します! 申し訳ありません!』 「待て、待つんじゃ! 待てぇ!」 説得むなしく、通信は途絶える。続いてドゴォォォォーンと、耳元で大きな爆発音がした。 「……チッ、また失敗か」 白髪の老人は顔をしかめ、椅子にかける。一陣の爆風が通り過ぎ、家が震えた。それがすんでから彼は再び立ち上がり、山積みになった本のすき間を通り抜けて外に出る。向こうの丘にあったはずの建物は燃えさかり、見る影もない。 「ふう」 ため息をひとつ。きわめて冷静だ。顔には深いしわが刻み込まれている。 突然、息切れして苦しそうな声が響く。 『はぁはぁ、実験室は燃えてしまいました』 「バカもん! 今さらそんな報告、聞きとうないわ!」 『も、申し訳ありません……』 「とにかく戻ってこい」 『わかりました』 再び静寂が訪れる。 「まったく、どいつもこいつもあてにならんな」 「すみません」 ここは人里離れた山の中腹にある、カーダ氏の「七力(しちりき)研究所」。しきりに頭を下げているのは彼の助手で、名前をテッテという。 カーダは分厚い本をぱたんと閉じ、老眼鏡をはずす。 「それに、給料が安くて悪かったな」 「え?」 突然の言葉に驚くテッテ。 「さっき、その事を何度もぼやいていたではないか」 「あっ!」 テッテの顔から、みるみる血の気が引いていく。 〈クィザロアム〉は、音の精霊に頼んで声を飛ばしてもらう相互伝達魔法である。研究所のカーダが実験室のテッテに指示を出せたのも、これのお陰だった。 命からがら、実験室を抜け出した帰り道。あんな危険な目に遭って、常人なら文句の一つや二つは出るだろう。テッテも御多分に漏れず、雇い主の悪口をもらした。 しかし〈クィザロアム〉は、まだ効力を失ってはいなかったのだ。しまった。すっかり忘れていた。まさにつつぬけだ。 カーダは低い声でゆっくり言う。 「給料が不満なら、とっととやめちまえ。わしの研究は、金で測れるような、そんなくだらないもんじゃない」 「……」 続いて、変なふしをつけて歌い始める。 「十四歳の若き頃、世界を作る源の、火炎・大地に月光・草木、天空・氷水(ひょうすい)・夢幻(むげん)の七つ、虹の力に興味を覚ゆ。大男爵の嫡子なら、金も時間も有り余り、昼は学問、夜は研究、毎日毎夜明け暮れる」 「ふむふむ」 「今の齢(よわい)は五十と四つ。研究生活四十年、出来た作品四百点、雇った助手は四千人」 「四千人!」 「一年間の助手の数、平均すれば百人だ。ルデリア世界の一年(ひととせ)は、三百七十二日なり。日数を人で割ってみる、これの答えは三.七二」 「つまり四千人の助手たちは、一人平均、三.七二日でやめていったわけですね」 「その通り! 入れ替わりが激しい職場なのだ」 「給料の安さと、労働条件の厳しさに原因があるのだと思いますよ。『虹を作ろう』とあれこれ実験を繰り返すのは素敵ですけど、方法に無理があるようです。七つの力を反映した強力な液体を混ぜ合わせ、それに火をつけるなんて。ものすごい爆発でした。僕、本当に死ぬかと思いましたよ」 「だがわしは、何と言われようとも絶対にこの方針を変えんぞ」 「そうでしょうね」 「だから、やめたければやめろと忠告しているんじゃ」 「確かに、割に合わないと思います」 「うむ」 「でも、僕、すごく不器用で、誰も積極的に雇ってくれません。そういうやつらを見返してやりたい。あっと言わせてやりたい」 「わしも同感」 「だから、当分、ここで働こうと思います」 「まあ、居たいのなら居るがよい」 「よろしくお願いします」 「では次の研究……といきたいところじゃが」 カーダは腕組みをし、眉間に皺を寄せる。 「残念ながら資金が尽きてしまったのじゃ」 「え?」 「特製の実験室もさっき燃え尽きた。残るはこの狭苦しい研究室と、山積みになった本ばかり」 「男爵の息子で、何一つ不自由なく育ったんでしょう? そのお金はどこに消えちゃったんですか?」 「もちろん研究じゃ」 「やっぱり……」 「昔は三つの町を所有し、豪邸に住んでいた。だが、わしの一代でこのざまじゃ」 「あらら……」 「その点に関しては、先祖に感謝しておる」 「謝罪の気持ちはないんですか?」 「全くない」 「はぁ」 「当たり前じゃ。先祖たちは、才能あるわしのために資金を貯めておいてくれたのだ。感謝はするが、謝罪の必要はない」 「なるほど……そういう考えですか」 「とにかくだ。資金がない。過去にない非常事態じゃ。このままでは研究を続けることが出来ない」 「再就職先を探しますか?」 「バカもん! 今さら、このわしが就職活動などするわけなかろう。わしはもう、七力の研究しかできんのじゃ」 「でも、どうするんです? 僕まで路頭に迷わせる気ですか?」 「そこは大博士カーダ、ちゃんと手は打ってある。表へ出ろ」 「はい」 緑の草原が広がっており、遙か遠くには小さな町が見える。雲はのんびりと流れていた。微風(そよかぜ)も相変わらずだ。 「なんですか、これは」 茶毛の馬とおんぼろな幌馬車が樹につながれているのを見て、テッテは首をかしげる。 「秘密はこれじゃ」 そう言って、馬車のタイヤを指さしたカーダ。弟子は神妙な面もちで眺める。 「鉄ですか? 鉄にしては変な色だなあ。どうして水色なんですか?」 「そこがポイントじゃ。この世界で、水色が象徴する力は?」 「天空、ですね」 「その通り。このタイヤは、天空の属性を持つ。大地とは相容れない。だから浮かぶ」 「浮かべば、重い荷物も運びやすくなりますね」 「そうじゃ。七力の研究の結果、派生的に生まれた発明品がある。この幌馬車にそれらを詰め込み、町に行って売る。利潤が次の研究の資金になる」 「ふうむ。でも、売れますかね?」 「確かに欠陥品は少なくない。が、うまく使えば役に立つものばかりじゃ。それをアピールするしかない」 「わかりました。さっそく行きましょう」 地下の倉庫から売れそうな品物を運び出し、せっせと馬車に積み込む。作業が終わり、出発の段となる。テッテは馬を引くために綱をくくりつけた。カーダは茶色の背中にまたがる。 背の低い草が風になびいている。お天道様は峠を越え、すでに大分下っている。 歩き始めてすぐ、テッテは感心して言った。 「いやぁ、あんなに詰め込んだのに、馬はかえって楽そうです。師匠の開発したタイヤのお陰ですね」 「そうじゃろう」 「僕まで、宙を歩いているかのように体が軽いのです」 「下を見てみい」 「え?」 テッテはその瞬間、顔が凍り付く。 「浮かんでる……」 地面に足が着かないのだ。馬車が馬を持ち上げている。そして、綱を握っているテッテは、その馬にぶら下がる格好になっている。 「うひぃ、助けてくれ!」 綱をたぐり寄せ、必死の形相(ぎょうそう)で馬によじ登るテッテ。 「はぁはぁはぁ……」 その間も、馬車は地面からどんどん遠ざかる。青ざめたテッテを尻目に、師匠は冷静に分析する。 「あのタイヤは、あまりにも天空の力が強すぎたのじゃな。また失敗じゃ」 「そ、そんなぁ。僕ら、これからどうなっちゃうんですか」 「心配は無用。こんな時のために、空泳用の浮き輪がある。さっき、馬車に積んでおいたはずじゃ」 「もしかして、ボタンを押し間違えると暴走するという……?」 「おぬし、なぜ知っている?」 カーダは目を丸くした。テッテは両手で顔を覆う。 「あちゃー。やっぱり」 「なぜ知っているかと問うておるのじゃ。答えんか!」 「だって、その欠陥品、有名ですから」 「ふん」 研究所が小さく見える。 「とにかく、どうするんですか。このままでは天上世界に昇っちゃいますよ。僕はまだ二十二歳、この若さで死にたくありません!」 「わかった、わかった。もちろんわしだって、やり残したことが山ほどある。……こんな時、わしの開発した浮遊魔法を使えば、ゆっくりと安全に着地できる」 「本当でしょうね?」 「この、偉大なる師匠を信じろ」 「う〜む……」 複雑な表情のテッテ。その時、風がびゅうと吹いて馬車が揺れた。馬が傾く。その背中にしがみついている二人もまた然り。 「うわぁぁ、助けてくれえ、助けてくれ」 「情けない声をあげるでない。全く、近頃の若い者(もん)は……」 「師匠、今は説教している場合じゃありません。早く浮遊魔法を!」 「うむ。慌てるでない」 一呼吸おいてから、カーダは呪文を唱え始める。 「ココーレ、メメーマ、ヘヘヘノヘェル、えゑん、いゐん、ヴョルゼリ〜ナ!」 かつて聞いたことのない、うさんくさい魔法だ。するとカーダの手から幾千もの細い糸が飛び出し、強い光を放った。気がつくと巨大な丸いものが二人を包み込んでいた。薄紫、桃色、白……玉はゆっくりと回転し、色とりどりに輝く。 「師匠、これは何ですか?」 「見ての通り、シャボン玉じゃ」 「シャボン玉ですって?」 「ああ」 球体は風に乗り、ふわありふわりと降下を始めた。 「確かにこれなら、安心して着地できます。でも途中で割れたりしないでしょうね?」 「もちろん。金や銀よりも頑丈じゃ」 「よかった……。でも、発明品を積んだ幌馬車と、あの馬はどうするんですか? 飛んでいっちゃいましたよ」 「人生、要所要所での路線変更が大切じゃ。時には思い切った切り捨てを行うのも常道」 「もったいない……」 「作り方は、わしの頭の中にしっかりと刻み込まれておる。例えば、火炎魔法少々に睡眠魔法二人分を加えて圧縮した溶液に、南方伝来の月光実(レモン)からしぼりとった汁と、ゴマコショウユを加えて三日三晩煮ると、夏バテ防止の魔法薬が出来る」 「そんな苦労をして出来上がるのが、単なる夏バテ防止剤とは……」 テッテは、もはやあきれ顔。 シャボン玉はのんびりと降下する。時間が経ち、再び地面が近づいてきた。 「よかったですね! 僕は本当に冷や冷やしましたよ。こんな経験初めてだ。ああ、早く大地の感触を確かめたい」 「うんにゃ、これからが問題じゃ」 「え?」 「このシャボン玉は見かけと違い、あまりに硬く、重い。ちょっとやそっとでは壊れないのじゃ。おまけに大地の属性を持っておる」 「すると……」 玉はついに着地する。が、何事もなかったかのように、そのまま地中にめりこんでいく。 当然、辺りは真っ暗になった。テッテは呆然としている。 「嘘だ嘘だ嘘だ、これは悪い夢なんだ……。こんなことになるんなら、あのパン屋で我慢して働けばよかった。ああ、僕はなんて馬鹿なんだろう……」 「黙らんか! この馬鹿者めが」 「そうですよ、どうせ僕は馬鹿ですよ、大馬鹿だよ! ああ、もうだめだ……」 シャボン玉はだんだんスピードを落とし、ついに止まる。ぱちんという軽い音を残し、はじけて消えた。 真っ暗な空間。だが、土の中ではないようだ。呼吸出来ることがそれを証明する。見上げると、シャボン玉が通ったところに穴が開き、その向こうには青空が。 「ЖЩЛЫЭЮ……空を照らす陽の光よ、わしに力を与えたまえ! ライポール!」 カーダは照明魔法を唱える。光の玉が現れ、こうこうと輝き始めた。テッテは周囲を見渡すが、黒い壁に四方を阻まれている。 「ここは一体どこだろう? 冥界に来てしまったのかな。ああ、終わりだ」 「くだらん事を言うな。ここの深さは、人間の背丈の五倍程度じゃ。大したことはない」 カーダは壁に沿って一歩一歩慎重に歩き始める。 「行くぞ」 「師匠、待って下さいよぉ」 じめじめした空気の中、二人は進む。 コツン。突如として、カーダの靴の先に何か硬いものがぶつかった。魔法の光球を動かし、見やすくする。 「箱のようじゃな……上に何か書いてある」 「古代語ですね。僕には読めません」 「ふむふむ。初めの二文字は『シソ』」 「読めるんですか?」 「当たり前じゃ。次は『ンノタ』」 「んのた?」 「静かにせい! ……次の一文字はわからなくて、その次は『ニコレヲ』」 「……」 「よし、『ノ』だな。次は読めん。最後は『ス』」 「並べると、『シソ・ンノタ・?・ニコレヲ・ノ・?・ス』ですか」 「シソンノタ、ニコレヲノ、ス」 「子孫のためにこれを残す?」 「それじゃ!」 「古代文明のお宝ですかね」 「この中には素ン晴らしいものが入っているに違いない」 「なんだか、ドキドキしてきました」 「よし、開けるぞ……」 赤く染まる空のもと、泥だらけになって縦穴から出てくる二人の男。 「畜生め、なんてこった」 「うまい話は、なかなかありませんねぇ」 「うるさいッ!」 「あれだけ宝箱があったのに、全て空っぽとは。きっと、とうの昔に略奪されたんでしょう」 「……」 「でも、大発見は大発見です。町の役人に報告すれば、表彰状と礼金くらいはもらえますよ、きっと。遺跡調査チームが結成されるかも知れません」 「そうじゃな。仕方がない。当分はそれを元手に、新たな研究に励むこととしよう」 とぼとぼと研究所に帰る二人。テッテは空を見上げてため息をついたが、突然、目を見開いた。 「ん?」 「何じゃ」 「師匠、あれ、見て下さい」 「あっ!」 夕焼け空に架かる、大きな大きな虹の橋。雨あがりでもなし、実に奇妙だ。 「何より変なのは、いやに色がはっきりしていること、ですね」 カーダは無言で立ち尽くす。テッテは続ける。 「虹は、さっき燃え尽きた実験室の辺りから沸き出しているように見えます」 「ああ」 「研究の成果、ありましたね」 「……ああ」 カーダはもはや涙声で、ゆっくりとうなずいた。 「発明品の倉庫は空っぽになりましたけど、今はその分、新しい夢を詰め込むことが出来ますよ」 「成功したぞォ!」 テッテの言葉を思い切り無視し、カーダは叫んだ。 「……ゾォォォ」 すぐに、山のこだまが返事をする。 こぶしに力を込め、奇怪な叫び声をあげ、坂を駆け上がっていくカーダ。テッテは微笑む。 「年甲斐もなく、元気ですねえ。夢を持っている人はいつまでも若い。五十四とは思えない。……でも、大丈夫かな」 彼の心配は見事に的中する。 「ヴゥゥ」 少し先で、カーダは心臓を押さえ、もがき苦しんでいた。優しく声をかける助手。 「無理するからですよ」 「発作が、発作が……」 「さあ、帰りましょう」 テッテは師匠を背負って歩き始めた。ふくろうの鳴き声がやがて夜を運んでくると、九日目の月は輝きを増した。 望月にはまだ遠い。 | ||
(了) | ||
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