魔獣の気持ち 〜
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秋月 涼 |
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(一) 「久しぶりの町だね……!」 俺の隣で、聖術師のリンローナがつぶやいた。遠くに茶色の城壁がかすんでいる。 俺は剣術士のケレンス、駆け出しの冒険者だ。俺の仲間は全部で四人いる。 旧来の友人で盗賊のタック。パーティーリーダーで戦士のルーグ。ルーグと仲のいい、女魔術師シェリア。シェリアの妹のリンローナ。 俺たちは新たな冒険を求めて街道沿いをひたすら歩き、ようやく小都市にたどり着いたところだった。 「警備お疲れさんです。はい、これ」 門番に冒険者の証明書を見せる。 「どうぞお進み下さい。ようこそ、ジャミラの町へ」 目抜き通りを広場の方に向かって歩く。 「小さな町だわね……」 シェリアが薄紫色のロングヘアーを掻き上げた。 「宿屋と薬屋さえあれば、今の僕らには充分でしょう。お金の余裕もありませんし」 会計担当のタックは丁寧な言葉遣いで言った。盗賊とは思えないが、これも騙(だま)すための一手段らしい。 「残念だが、そういうことだ。とりあえず今夜泊まる宿を探そう」 ルーグは落ち着き払って言った。彼は騎士志望。外見、性格ともに紳士的でかっこいい奴だ。冷静な判断力を持ち、リーダーとして申し分ない。 さて、俺たちは比較的安価な宿を見つけ、そこに泊まることにした。《かなたの旅路亭》という看板が出ている。 夕方まで、まだ時間がある。荷物を部屋に置くと町に繰り出す。 「お姉ちゃんたち、また二人で消えちゃったねー」 リンが言った。俺はリンローナのことをリンと呼んでいる。 「そういえば、そうだな」 シェリアとルーグは二人だけでどこかに行ってしまった。残された三人―俺・リン・タック―は町中をふらつく。いつものパターンだ。 「装飾屋でも入りますか?」 タックが白壁の建物を指さした。 「リン、お前もちょっとは姉貴を見習ってアクセサリーでも買ったらどうだ」 俺は背の低いリンを見下ろす。奴は緑色の瞳を大きく見開いて、首をちょっとかしげた。 「う〜ん、あんまり興味ないなあ。あたしって変なのかな……」 「そんなことはないと思いますよ」 タックがフォローする。 「あたし、どちらかと言えば新しい調理用具の方が嬉しい」 リンは料理が得意中の得意。野宿の時はみんな助かっている。しかし、派手な姉と比べると色気の 「い」の字も感じられない。性格は悪くないんだけどな。 そうこうするうちに、町役場に着いた。何やら紙が張り出されている。 「なになに、冒険者募集中?」 【冒険者募集中!】 ジャミラ町役場では、ただ今「郵便配達」の冒険者を募集しています。隣町まで運んでいただくだけで、一通につき五ガイトの報酬をお約束します。詳しくは町役場まで。 「一通運ぶと五ガイトとは。随分、破格な値段設定ですね。何かあるのでしょうか?」 「それに、わざわざ〈冒険者〉を捜す理由もよくわからねえな」 「一般の〈アルバイト〉として雇ってもいいはずなのにね……」 五ガイトもあればかなりの飯にありつける時代。俺たちは張り紙を見ながら、口々に疑問を言い合った。 「依頼を受けて下されば詳しいお話をいたしますよ」 振り向くと、役人らしき中年の男が立っていた。 その夜。俺たちは《かなたの旅路亭》の向かいにある大衆酒場で夕食を摂っていた。 「これまで無事で良かったな。これからも頑張ろう。乾杯!」 ルーグが音頭を取り、ビールの入ったグラスを交わす。久しぶりの酒だ。 「おっとと、ルーグさん、どんどん飲んでくれよ。グラスがあいてるぜ」 「あはは、ありがとな、ケレンスくん!」 俺は酒をついだ。ルーグはすでに酔っ払っている。旅の疲れもあるし、酔いが回るペースは速い。 「ケレンスぅ、眠いよお……」 リンがよっかかってきた。顔色は赤い。 「おめえ、まだ二杯しか飲んでねーだろ? もっと飲めよ。ほれほれ」 リンのグラスにもついでやる。 「いじわる! あたし、お酒駄目なの知ってるくせにぃ。……歌っちゃうよ?」 その瞬間、俺は恐怖で鳥肌が立った。奴は音痴極まりないんだ。 「それだけは勘弁してくれ! 頼むぜ。わかった、俺が悪かったよ」 周りの迷惑を考え、俺はリンに謝っておいた。横を見ると、シェリアとタックがげらげら笑っている。俺は視力が落ち、風景がぼやけてきた。身体がだるい。 酒の注文を止め、あとはくだらない談笑を続ける。夜が更けて酒場も大分静かになった頃、俺たちは帰り支度を始めた。 「ちょっと、よろしいでしょうか」 一人の男が俺たちの前に立ちはだかった。 「あ、昼間の……」 タックは、レンズが抜け落ちてフレームだけの眼鏡をかけ直した。このボロ眼鏡を、奴は何故か気にいっている。 「例の件、皆さんの実力を見込んで、ぜひお願いしたいと思いまして……」 男は言った。そう、彼は昼間出会った中年の役人だったのだ。ルーグは急に真面目な顔になった。 「まあ、そこにおかけ下さい」 時間が経ったので、みんな酔いは醒めていた。俺によりかかったまま眠っているリンを除けば。 「魔獣(まじゅう)ユルフォケンデラ? 何だそりゃ」 聞いたこともないモンスターの名を耳にして、俺は大声で聞き返した。 「しぃーっ。声が大きいですよ」 役人は顔をこわばらせ、説明を続ける。 「とにかく突然なのです。隣町へ抜ける森の中で、その魔獣が何度も現れるようになりました。つい四、五日前からです」 「ふーん」 「このまま放っておくわけにはいきません。町が大混乱に陥ってしまいます。そこで、郵便配達を偽って冒険者を捜していたのです」 「報酬によるわね……」 シェリアがめんどくさそうに言い放った。 「町全体の問題なので、退治に成功しましたら、多額の報酬をお約束しますよ」 「リーダー、どうします? 僕は賛成なんですけど」 タックはルーグに訊ねた。 「ケレンス、お前はどう思う?」 ルーグから意見を求められたので、俺はこう答える。 「うーん……やってみてもいいんじゃねえの? 別に反対する理由もないし」 冒険者は全体の奉仕者だ。庶民の血税から補助金が出ている。人々から依頼されると、断りにくいのが冒険者。 「よし、決まりだ」 ルーグが言った。 (二) 翌日の朝、眠い目をこすって起きる。頭が少し痛んだ。軽い二日酔いだ。 「駄目だ……かなり辛い」 横で、ルーグが苦しそうに頭を振った。俺よりも重症らしい。 「ねえ、これからどこ行くの? 昨日の夜、何があったの?」 一人だけ元気に騒ぐリンを、俺たちは恨めしそうに見下ろした。 宿を出ると、まず役所に向かう。依頼の郵便物を受け取り、軽い昼食の後、俺たちは隣町に向かう街道を歩き始めた。割と整備されている。 「本当に魔獣なんて現れるのかよ?」 「魔獣さん……怖いなあ」 リンが心配そうに言った。俺たちは当然、魔獣ユルフォケンデラなんて見たことも聞いたこともなかった。全く見当がつかない。上半身が鷲で下半身が獅子の〈グリフォン〉や、頭が獅子で胴が羊、尾が蛇の〈キメラ〉を想像してみたが……。とにかく、かなりの強敵になるのは間違いなさそうだ。 あれこれ悩む俺たちの心と裏腹に、空は晴れ上がっている。向こうの山々は赤や黄色に衣替えし、行き過ぎる風は涼しくて気持ちがいい。 「さわやかな秋の日ねー」 シェリアが大きく伸びをした。街道は森の中に入り、だんだん勾配(こうばい)が急になる。 「おっ、野生のパリョナだ」 俺はその生き物を指さした。リスにキリンの首を付けたような外見で、羽が生えている。大きさは猫くらい。ペットとして親しまれている。 パリョナは俺たちが近づくと飛び去った。ルーグは銀髪を掻き上げる。 「魔獣も、あれくらい愛嬌があるといいんだがな……」 それから少し歩くと、坂が緩やかになってきた。 「地図によると、もうすぐ峠。分水嶺(ぶんすいれい)です」 タックが言った。 傾きかけた立て札。どうやらここが峠のようだ。 「これからは下り坂ね」 シェリアが嬉しそうに言った。 「今のところ平和だな」 俺は上を見た。赤く染まった落ち葉が一枚、ひらひらと落ちてくる。 その時だった。 「きゃああ! く、苦しい……」 突然、隣にいたリンが悲鳴をあげた。見ると、変な蔓(つる)に首を絞められている。 「この野郎!」 俺は剣を鞘から抜こうとしたが、手が動かない。 「畜生っ」 俺の腕も、蔓にからみつかれたのだ! 背後から、奇妙な生き物が現れた。不快感を与える、黒い熊。その背中から茎が生えており、ヒマワリの花が咲いている。花の中央には大きな口がついていて、明らかに異様だ。茎は枝分かれして広がり、その一本が俺の腕をつかんでいるというわけ。熊の頭には鋭い角がある。 タックとシェリアは後ずさりした。ルーグは臨戦態勢を整え、間合いをはかっている。 タックがナイフを投げつけた。熊に命中し、それは暴れ始める。 驚いたのか、背中のヒマワリは蔓を引っ込めた。俺とリンは解放される。リンは苦しそうに首筋を押さえ、がっくりと膝(ひざ)をついた。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 「大丈夫かっ?」 その間に、熊がタックに突進した。 「うわっ、助けてくださいー!」 タックは逃げ回るが、熊は相当素早く、機敏なタックでさえ、今にも追いつかれそうな勢いだ。危ない! 「дюε塔イ……ドカーっ!」 シェリアの火炎魔法が炸裂(さくれつ)する。指先から飛び出した火の玉はヒマワリに命中したかに見えた。が、何の影響も受けていないようだ。 異様な生き物は動きを止め、ヒマワリの口がしゃべり始めた。割と高い声だ。 「火炎がぶつかる直前に冷却魔法を使った。お前の魔法など通用しない」 「嘘よ……」 シェリアは放心状態に陥る。俺たちは臨戦態勢のまま、魔獣の話に耳を傾ける。 「僕の名は魔獣ユルフォケンデラ」 「やっぱりな……」 「あなたの目的は何なの?」 〈首を絞められた〉さっきの恐怖を思いだし、青白い顔をしているリンが言った。 ヒマワリはゆっくりと答える。 「……お金だ」 「魔獣がお金を欲しがるんですか?」 タックは目を丸くした。 「そう」 熊の両眼は鋭く輝き、ヒマワリの茎から伸びている蔓はうねうねと動いている。 「素直にお金を出せば許してやるぞ。出さなければ殺して奪うのみだ」 「そんな物騒(ぶっそう)なこと、やめてよ!」 シェリアが叫んだ。 「とにかく、さっさと出すんだね」 と、魔獣が再び歩み始めた時。 突然それは起こった。シュッという鋭い音と共に、一本の矢が熊の横っ腹に突き刺さる。 「グルルルル……」 熊は苦しそうにうめいた。 「誰だっ?」 ヒマワリが叫んだ。 木々の間から、狩人風の男が現れる。 「ユール! やめるんだ!」 熊の上でゆらゆら揺れていたヒマワリは動きを止めた。熊は全速力で走り出し、あっという間に消え去った。 狩人は首(こうべ)を垂れる。 「旅の方……申し訳ない」 「訳がありそうね。説明してよ!」 シェリアが怒鳴った。 「……私の家にお越し頂けぬか? 息子の非礼を詫びたい」 「息子?」 俺たちは顔を見合わせる。 「とにかく、聞きたいことが山ほどあります。お言葉に甘えて、おじゃまさせていただきます」 ルーグが毅然と言った。俺たちは狩人の後を追い、彼の家に向かう。 「私の魔法が効かないなんて……結構ショックだったわ」 いつもは騒がしいシェリアが、その日は妙に沈んでいたのが印象的だった。リンも静まりかえっている。よっぽど怖かったんだろうな。 獣道を進むと小川にたどり着く。いくつかの石を飛び越えて向こう岸に渡ると、木造の家が見えた。家の横には薪(たきぎ)が積まれている。 「私の家だ」 狩人は短く言った。 中に入ると、木のテーブルと椅子、ベッドが並ぶ簡素な造り。暖炉だけは立派だった。 椅子の数が足りないので、リンとシェリア、そして主人が座り、男三人は床に腰を下ろした。 「申し訳ない」 男が頭を下げる。 「全て話して下さい。お願いします」 タックが促した。男はうなずく。 「ユールは魔法に関して、ずば抜けた才能を持っている。今まで、極力秘密にしてきたのだが、ついに噂が広まり、町から使者がやってきた。ひと月ほど前のことだ」 「ユールって誰?」 シェリアが口を挟んだ。 「ユールは私の息子だが、もともとは孤児。森の中で赤ん坊のユールを見つけ、今まで大切に育ててきた。私はユールの育ての親、ということになる」 リンは身体を前に乗り出し、興味津々(しんしん)に訊ねる。 「使者は何の目的でやって来たのですか?」 「町からの使者、いかにも紳士っぽいその男は、事務的な口調でこう言った―ユール君の魔法能力を世の中に役立てませんか。当魔法学校に入学させれば、絶対にそれを実現してみせます」 「ふむふむ」 「私は最初、かたくなに断り、使者をすぐに追い返した。しかし、ユールの将来を考えると、こんな森の中で一生暮らすのは可哀想かとも思った。才能が宝の持ち腐れになりそうだからだ」 「……」 「それを見透かしたように、奴は一週間後、再び現れた―町への移住費、学費は町側で負担します。それ以外に、生活費も払います。あなたも今よりずっと楽な生活が出来るのですよ。ぜひ、息子さんを魔法学校に入学させて下さい―と。私は迷った」 「それで?」 「心に隙が出来た。そこを徹底的に狙われ―私の気持ちは、いつの間にか変わっていた」 「魔法学校に入学させることにしたのですね」 狩人はうなずく。 「ユール君の反応は?」 「ユールは嫌がった。だが、使者の言葉を思いだしながら、私は懸命に説得しようとした。最後には、ユールに対して怒鳴っていた」 「うん」 「僕はこの森と、お父さんが大好きだったのに。……ユールはそう言い、家を飛び出した。そして怪しげな魔獣を呼び出し、森の中で暴れ始めたのだ」 「それが、魔獣ユルフォケンデラ……」 「今までの八年間、ユールはおとなしく賢い子だったので、本当にショックだった」 シェリアが首をかしげる。 「あの魔獣自体がユール君なの? それとも魔獣を呼び出し、遠隔操作しているのかしら?」 「わからない。ただ、どちらにせよ……私の勝手な行為を非難していることに変わりはない」 「どうすれば元に戻るのかなぁ?」 リンが言った。狩人は顔を曇らす。 「それもわからない。……ただ、森の隠者(いんじゃ)である仙人なら何か知っているかもしれないが」 「仙人?」 「ああ。魔法使いの長老だ。森の奥深くに住んでいるといわれるが、正体は定かではないし、場所もわからない」 「お手上げだな」 ルーグは腕組みをした。 「ちょっと待ってよ。何のために、このシェリア様がいると思ってんの?」 「え? 何かいい方法があるのかよ?」 俺が追求すると、シェリアは「おほほほ」と大胆不敵な笑みを浮かべた。 (三) 「服装の特徴は?」 「この近辺の伝説によると……胸の辺りに星形のマークがある黒いローブをまとい、頭には三角の帽子をかぶっているという」 「背の高さは?」 「少なくとも高くはないだろう」 「じゃあ……髪の色は?」 シェリアが次々と質問を浴びせかける。 「よーし、大体わかったわ。このイメージで探索魔法をかければ、見つかるんじゃないかしら。本当は失くしものを捜すための魔法だから、人間に対しての効果は保証しかねるけど」 「とにかくお願いします」 狩人の男は一礼した。 「頼むぜ、シェリア」 今は彼女に託すしかない。 「いくわよ。ЭЧΨ∩……μ∂∝Δ……。風の精霊よ、私が捜し求めたあの男の居場所を教えたまえ。ザラーナクルプォン!」 シェリアが両手を掲げると、水色のまぶしい光が飛び出した。 「ウァ……ウグ」 突然、彼女は頭を抱え、立ちくらみのように倒れそうになる。 「しっかりしろ!」 「お姉ちゃん!」 リンがシェリアの手を握る。 「魔力を送り込むからね!」 リンは瞳を閉じ、精神集中する。程なくしてシェリアは意識を回復した。 「あれ? 私、どうしたのかしら……」 「気がついた?」 「あ、そうか。……消費魔力が多すぎて、意識不明になったのね。頭痛がするのもうなずけるわ」 「難しい魔法なんだから、無理しないでね。お姉ちゃん」 リンが言った。 「ところで、仙人の居場所はわかったのか?」 ルーグが訊ねた。シェリアは首をかしげ、一生懸命思いだそうとしている。 「うーん、残念だけどはっきりした映像は見えなかったわ」 「そうか……」 「でも、おぼろげだけど何かを見た。赤っぽい滝が印象に残ってる」 「赤っぽい滝? 何だそりゃ」 俺は耳を疑った。 「でも、それが見えたんだから仕方ないじゃないの。私、嘘はついてないわよ!」 シェリアはご機嫌ななめ。魔法の疲れもあるのだろう。 「とにかく、今はそれが唯一の手がかりなんですから、調査してみる必要があるでしょう」 タックが現実的な意見を言ってその場をまとめてくれた。 「狩人さん、赤い滝という言葉で何かひらめきませんか?」 「赤い川なら知っているが……」 「それだ! その川のどこかに滝があるのに違いない」 ルーグはぽんと手を叩いた。 「よし、決まったらさっさと行こうぜ」 俺は先を促したが、すぐにタックが遮(さえぎ)る。 「もうこんな時間です。今日はあきらめましょう」 外はいつの間にか夕焼けだった。 「楽しいお夕飯〜♪」 「歌うな!」 「……。ふんだ。いいもん。いつか絶対、音痴を克服してみせるから!」 「はいはいはいはいはい。ま、せいぜい頑張ってくれや」 適当に扱うと、リンはむくれた。 「ケレンスの馬鹿っ!」 俺とリンは、山菜やキノコを細かく切り、鍋の中に入れた。シェリアは薪(たきぎ)を積み上げて火炎魔術を唱え、お湯を沸かす。タックは水を汲みに川と家とを往復し、ルーグは木の実を拾いに出かけた。 俺たちは狩人の家の前で夕食作りを楽しんでいる。一番星がまたたき始め、空は濃い青地に染まっていく。 お湯が沸く頃、ルーグが帰ってきた。 「いまいちだった。すまない」 シェリアはかごの中を覗く。 「あら本当ねぇ」 「どれどれ……プルタか」 黄色の実がいくつか入っている。甘みのあるプルタは、冒険者の疲れを癒してくれる。デザートにちょうどいい。 「さあ、出来たよっ! 名付けて〈山のスープ〉」 リンが嬉しそうに言った。狩人も獲物を捕らえて帰ってきた。 「今日の収穫はカファだ」 「あたし大好きなの、カファの焼き肉!」 ちょっと大きめのウサギがカファ。シェリアは大喜びだ。 俺たちは鍋を囲み、静かな夜を過ごした。 (四) 明くる朝、俺たちは狩人について山道に入った。露のおりた草を踏むと靴が濡れる。 俺は狩人に訊ねた。 「赤い川ってなんなんだ?」 「赤土の混じった川のことだ。赤っぽく見える」 「へ〜え」 「もうすぐ見える……あれだ。あれが赤い川だ」 狩人のおっちゃんが指さす。 「なるほど。よく見れば赤っぽいわね」 シェリアがうなずいてみせた。その山川は細く速い。さらさら流れる水音のメロディーが心地いい。 「まずは下ってみるか?」 ルーグが提案した。 「異議なーし」 俺たちは川沿いを下流に向かって歩く。川辺には灰色の小石が転がっている。 「ふぅふぅ。ちょっと疲れたね」 隣のリンが言った。 「もうへたばってるのかよ。情けねえなぁ」 「だって……朝から歩き続けで、お腹へっちゃったし」 「それは俺だって同じだっつーの」 「うん」 「じゃあ、もう少し頑張れよ」 「ごめんね、つまんないこと言って」 「気にすんな。そんなのを気にしてる暇があるならさっさと歩けよ」 ルーグとシェリア、狩人、タックは大分前の方にいる。タックが振り返り、こっちに向かって両腕で大きな×(バツ)の字を作った。 「おーい、ケレンスー、行き止まりですー!」 「……だってさ。ここで待ってようぜ」 「そうだね」 リンはそう言うと、その場にぺたんと座り込んだ。 「ふ〜う。痛かった」 「はぁ?」 「足の裏にできた豆がつぶれちゃって……」 「なんで早く言わねえんだよ! そんなら休憩しようって提案したのに」 「ごめん。だって、あたしのせいで予定が狂ったら悪いと思ったから」 「歩くペースが遅くなる方がよっぽど迷惑だ」 「ごめんね。今度からはちゃんと言うようにする」 リンは足を伸ばすと、呪文を唱えた。 「яил凵∬……聖なる女神よ、足の痛みを消し去りたまえ! ハミラ!」 白い光が輝き、聖術の効果が現れたようだ。俺はもう一度念を押す。 「とにかく気をつけろよ。聖術が使えるお前に怪我されちゃあ、どうしようもないからな。みんなで助け合うのがパーティーなんだよ。必要でない奴はいないし、対等に助け合ってるわけだから、何かあったらすぐ言えよ」 「うん、わかった!」 「……俺もたまにはいいこと言うだろ?」 「たまには、ね」 リンはくすっと笑った。折り返してきたタックたちと合流し、もと来た道をたどる。 「さっきの行き止まりって、どういうこと?」 リンが訊ねると、タックが答えた。 「川は別の支流と混じって、赤い色がほとんど判別不能になりました。あのまま進んでも、赤い滝はないだろう、と推測したのです」 「確かに、今は上流に向かってるから、川の赤い色はどんどん濃くなってるな」 「もうそろそろ着くんじゃないかしら。何だかそんな予感がする」 その時だった。 「湖だ!」 赤い湖。赤土の崖(がけ)に囲まれた湖。不気味さが漂っている。 「こんなところに湖があったとは……」 地元に詳しい狩人さえも知らず、時間の中に置き去りにされていた。 「ねえお姉ちゃん、あそこ見て!」 リンが指さした。 「ふふっ、私のイメージ通りね」 湖に注いでいる……それは赤い滝だった。 湖を大きく迂回(うかい)し、滝を目指す。 「今後の問題は仙人がどこにいるか、ですね」 「そうだな。滝の周りを捜してみるしかないか」 タックとルーグが話し合っている。俺はつぶやいた。 「仙人が引っ越してないのを祈るだけだな」 「会えるといいね、仙人さん」 リンがうなずく。 「さて、滝の手前に来たわけだが」 ルーグがみんなの顔を見回す。 「とりあえず、この付近を調査してみる必要がある。お互いが確認できる範囲で、適当に分かれよう」 「賛成です」 タックが真っ先に言った。ルーグは補足する。 「もし危険があったら、大声で叫ぶんだ。いいね。くれぐれも気をつけて行動してくれ」 「了解」 そして俺たちはバラバラになった。 「上から眺めてみるか」 俺は思った。滝は身長の五倍くらい。下から見るとそうでもない高さだ。が、直接滝を登るのは無理そうなので、別な道を捜そうとした。 すると、タックが自分の盗賊能力を駆使して登り始めた。ロープをしっかりつかみ、少しずつ上がっていく。 「さすがだな」 俺は方針を変えることにした。 「滝の反対側に出るか」 湖の周りは獣道になっていて、Cの字型に取り囲んでいる。俺が今、Cの右上の地点にいるとすれば、これから大回りして右下の地点に行こうとしている。 秋の空は、今日も晴れ上がっていた。 「この湖で魚釣りでもしたい気分だぜ。赤い魚が釣れるかもなぁ」 独り言をもらしながら、やっと湖を半周した頃、滝の方でリンの声がした。 「ここに洞窟があるよ!」 「はあ?」 なんてタイミングが悪いんだ! また戻らなきゃいけねえ。俺は小走りで息を弾ませ、滝の方へと引き返した。 (五) 「ちょいと遅れたぜ。悪(わり)いな」 みんなは滝の周りに集まっていた。 「ねえケレンス、あれ……」 シェリアが指さしたところ……滝の裏側に、ぽっかりと怪しげな洞窟があいていた。 「あたしが見つけたんだ」 リンが照れ笑いをした。 「相変わらず、いい勘してるな。やるじゃねえか」 「えへへへ」 「リーダー。全員集まったことだし、入りましょうか」 タックはリーダーのルーグに言った。 「そうだな……」 「また私の出番ね」 シェリアは照明魔法を唱える。 「ЖЩЛЫЭЮ……空を照らす陽の光よ、我に力を与えたまえ! ライポール!」 彼女の指先から、まばゆいばかりの光の球体が出現した。 「さ、行きましょ」 「よし。行こう」 洞窟の中は湿気でじめじめしている。滝の裏だからなおさらだ。 「きゃああっ!」 「何だ!」 前を歩いていたシェリアが、突然叫んだ。集中が途切れたため、照明魔法もふっと消える。辺りは闇に包まれた。 「首筋に滴が入ったわ! 冷たいっ!」 「……」 シェリアは船長の娘だという。要するに良家のお嬢さんだ。少しのことで大騒ぎしたり、わがままだったり……。もちろん、根はいい奴だが、何故か短所が目立ってしまう。 逆に、彼女の妹であるリンの場合、姉のように人を困らすことはないが、育ちが良いのを通り越して世間を知らなさすぎる。 「真っ暗だよ〜? ちょっと怖いなぁ」 リンが俺の手をぎゅっと握った。ふいに、洞窟の中が再び明るくなる。 「あ、見えますね」 タックがつぶやく。 「ちょっと待って! 私は照明魔法、唱えてないわよ?」 シェリアが振り返り、不審そうに言った。 「ふうむ」 狩人は首をかしげる。 「気をつけろ。何かの罠かもしれない」 ルーグが低い声で言った。 盗賊のタックを先頭に、俺たちは注意深く進む。洞窟の天井はだんだん低くなった。最後は、ほふく前進。しばらくそのまま進むと、花だらけの広場に出た。 「いい匂い……」 リンは顔をほころばせる。 「最近まで人が住んでいた形跡がありますね」 と言ったのはタック。 「仙人、ホントに引っ越したんじゃねーの? あっははは……うおっ!」 鋭いきらめき。突然、俺の足元に小さな雷が落ちた。 「ケレンス、大丈夫っ?」 「うひっ、危ねえところだった。とんでもねえ魔法だ。やっぱり仙人とやらは実在するらしいな」 部屋の上には大きな鏡が備え付けてある。洞窟の照明が消えたかと思うと、そこに森の風景と黒ローブの爺さんが映し出された。 「わしの家に無許可で上がり込んでいるのは一体誰じゃ? 邪悪なエネルギーは感じぬが、失礼極まりない」 あまりに突然の出来事に、俺たちは上を向いたままぽっかりと口を開けていた。 「誰じゃ、と聞いておる。答えんか!」 「あ、申し訳ありません。勝手に上がり込んでしまいまして」 ルーグがしゃべり終わる前に、映像の老人は目を大きく見開いた。 「誰じゃ!」 「冒険者のケレンスだ!」 俺は叫んだ。 「……ふん。勝手に上がり込んでおいて、威勢だけはいいのう。全く最近の若い者(もん)は礼儀を知らぬ。……そこで待っとれ」 「おわっ」 強い光が輝く。俺たちはたまらずまぶたを閉じた。ゆっくり開くと、目の前に背の低い老人が立っていた。空間を越えるなんて、相当な魔術の訓練を積んでいやがるな。仙人恐るべし。 「あなたが仙人ですか?」 ルーグの質問に、爺さんは白い髭を撫でながら答える。 「いかにも。世間のものは仙人と呼んでおるな。レガムというれっきとした名があるのじゃが……。ところで何か用か? 人に会うのは数年ぶりじゃから、話だけなら聞いてやるぞ。ケケケケ」 かなり怪しげだ。でも、仙人らしい妙な貫禄がある。 「お願いは一つだけです。質問してよろしいですか」 タックはいつも通り、至極(しごく)丁寧に頼んだ。 「魔獣ユルフォケンデラについて、何か対処法をご存じありませんか?」 「私の息子が、暴走して魔獣化してしまったのです」 狩人がつけ加えた。仙人は眉間(みけん)にしわ寄せ、うなり声をあげる。 「ウームム。ユルフォンデランか」 「ユルフォケンデラ、です」 リンが訂正し終わる前に、仙人は短く言った。 「知らんな」 「えーっ? あなたを頼りにして、ここまで来たのに……」 シェリアはがっくりと肩を落とした。俺たちも虚脱感に襲われる。 「本当に知らないのかよ?」 俺の嘆きを聞いても、仙人はつれない返事。 「知らん」 「熊の上にヒマワリが乗っている魔獣だぜ?」 「熊ヒマワリ?」 仙人はぽんと手を打った。 「おぅ、それなら知っとる」 「本当ですか!」 ルーグをはじめ、俺たちの表情に期待の色が浮かんだ。 「わしの息子じゃ」 「えっ!」 わけがわからない。俺たちは言葉を失った。 「どういうことなんですか!」 狩人は声を荒げる。 「確かに、ユールは捨て子だった。私が実の父親でないことは知っていたが……。仙人、あなたがユールを捨てたのですかっ?」 「こら。落ち着くのじゃ。おいおい話していこう」 仙人は表情を変えずに、ゆっくりと言った。狩人は不満そうに一歩下がり、次の言葉を待つ。 「奴は、わしが月光術で呼び出した魔獣じゃ」 「月光術? あの召喚(しょうかん)魔法か?」 俺はあまり魔法に詳しくない。 「そうだよ」 横でリンがささやく。思いだした。精霊界へ通じる穴を開けて、精霊や魔獣を連れてくる魔法だったな。 仙人は言う。 「とにかく、月光術で呼び出したのじゃ」 「ユールの正体があんな醜(みにく)い魔獣だったとは……」 狩人は信じられないというより、信じたくないといった様子だ。今まで一生懸命育てた息子が魔獣だったのだから、そのショックは計り知れない。 「いろいろ思うことがおありでしょうが、今は仙人の言葉に耳を傾けましょう」 ルーグは狩人に呼びかけた。さすがリーダーだな、しめるところはしめる。 仙人は細い目をさらに細め、昔を回想した。 「確か、あれは八年前じゃった。わしは月光術を唱えたところ、珍しく失敗をしてしまったのじゃ」 「仙人ほどの魔法使いも時には失敗するのねぇ」 シェリアが口を挟むと、仙人は目を光らせた。 「当たり前じゃ。わしは仙人であって神ではない!」 おいおい。シェリア、言葉には気をつけてくれよ。俺も決して丁寧な方じゃねえけどさ、奴を怒らせたら損することくらいわかるだろ? 幸い、仙人はすぐに冷静さを取り戻した。俺たちは冷や汗をかく。 「とにかく、月光術ほど失敗のリスクの大きい魔法はないじゃろう。失敗すればどんな強力な魔獣が現れるか、全く予想がつかん」 「そうですね」 タックが相づちを打つ。 「そして、八年前に失敗した結果、現れたのが例のユルフォンなんとかじゃ。……はて、何だったかな?」 「ユルフォケンデラ、です」 リンが言った。仙人は自分の頭をぽんと叩く。 「最近、忘れっぽいのじゃ。とにかく、そのユルフォンデランが現れた」 リンはぷっと吹き出したが、もはや間違いを誰も指摘しない。揚げ足を取っても無意味だからだ。 仙人が言う。 「奴は強力な魔力を持ち、泣きわめき、暴れ回った。わしが呼び出したのだから、沈めなければならん。術者にはそれだけの責任と義務があるわけじゃ。奴はまだ子供のようだったし、殺すのは可哀想なので、魔力だけをを封印することにした」 「ふむふむ」 「封印するためには、それ以上の魔力が必要じゃ。わしは大変な苦労をし、どうにか封印作業にこぎつけた」 「それで、ユールは?」 狩人はしだいに明らかになる真実に、とまどいを隠せない。仙人が続ける。 「わしは、奴を人間に変えてしまうつもりじゃった。害のない、人間の赤ん坊に。わしは封印の呪文を詠唱した。ところが奴は最後の力を振り絞り、その場から逃げるために瞬間移動の魔法を唱えた。 奴とわしは、同時に魔法を唱えた訳じゃ。そのため……わしの封印魔法は完全な効果をあらわさなかった。また、奴も中途半端な距離しか移動できなかった」 「そこで私が通りがかり、ユールを拾ったわけですね。あなたは生みの親で、私は育ての親というわけか」 そう言うと、狩人は大きなため息をついた。ルーグは目をつぶり、静かに語る。 「……ユールは心の奥底に魔獣の心を秘めたまま成長した。そして今回、ショックを受けたために心の傷が開き、魔獣としての自分が覚醒した」 「まあ、そんなところじゃろう」 仙人はうなずく。 「どうすれば元に戻るんだ?」 俺が訊ねると、仙人はよろよろと部屋の隅に歩いてゆき、小さな箱を指さした。 「答えはこの中にある。剣使い、お前、開けてみよ」 「俺か?」 箱の前に立ち、しゃがむ。ふたに手をかけ、少しずらす。白い光があふれ出す。俺は思いきってふたを外した。 「こ、これは……?」 (六) 俺たちは山道を登っていた。目指すは魔獣ユルフォケンデラが待つ、あの峠。 (全てはお前にかかっておる。健闘を祈るぞ) 仙人の言葉が、何度も頭に響く。 「……ンス? ケレンス?」 「何だ?」 横を歩いているリンが、心配そうに俺を見上げた。 「さっきから何度も呼んでるのに。どうしちゃったの?」 「いや、ちょっと考えごとをしてるだけだ。気にすんな」 「あれだけプレッシャーをかけられれば、やっぱりケレンスでも緊張するんですか。アハハハ」 「どういう意味だよ?」 俺はタックの頭をこづく。 「乱暴だなあ。そんなことをしてると……」 「しーっ、静かに。見えてきたわよ」 シェリアが言った。例の峠だ。俺の鼓動は高鳴り、顔の筋肉が引きつる。 「ケレンスなら大丈夫。あたし、信じてるから」 リンが優しく微笑んだ。少しだけ気持ちが和らぐ。 (こうなったら、やってやるぜ!) 「よし、分かれよう」 ルーグが言った。狩人は少し離れたところで待機してもらい、俺たち五人は適当に散らばる。 「きゃあ、草が!」 シェリアが叫んだ。 「私の足にからみつきそう! えい、えい」 シェリアは必死に草を踏みつけているが、時間の問題か。俺たちは臨戦態勢についた。そろそろ奴が現れるはずだ。 「もう駄目だわ!」 シェリアの悲痛な叫び声をよそに、俺たちはゆっくりと後ろを振り返る。 「いた!」 そこには、あの忌まわしい魔獣が立っていた。黒い熊の上に、妖しいヒマワリ。この前と何ら変わりない。 「それっ」 タックが熊にナイフを投げつけると、ヒマワリは蔓を引っ込めた。ここまでは同じパターンだ。俺は頭の中を整理し、次にどう動いたらいいのか想像(イメージ)しておく。 (作戦通りに動くこと。よいな) 仙人の言葉が脳裏をかすめる。 「僕の名前はユルフォケンデラ。お金を出せ。さもなくば、死ぬだけだぞ。……お前たちには前にも会ったことがある。今度こそ持ってきただろうな」 熊の上のヒマワリが言った。 「はい、ここにあります」 タックは銀貨を見せる。光を受けて、それは白くきらめいた。 「たった一枚か?」 「まずは、これを受け取って下さい」 「ふん。よこせ」 蔓が伸びていく。もう少しで奪われてしまうぎりぎりの所で、タックは少し離れたシェリアに銀貨を投げた。 「こっちよ!」 シェリアはしっかりと受け取り、上に掲げる。 「早くよこすんだ」 ヒマワリは新しい蔓を伸ばした。シェリアもまた、間一髪で銀貨を投げる。俺はばっちり受け取った。 「遅いぜ、魔獣さん!」 「こしゃくな」 俺は次にルーグめがけて銀貨を投げた。ルーグはタックに、タックは俺に、俺はシェリアに、シェリアはルーグに……。俺たち四人は、銀貨渡しを続ける。リンは運動が苦手で、銀貨を上手く受け取ることが出来ないだろう、ということで抜かしている。人には長所と短所があるから仕方ないだろう。 「いいかげんにするんだ!」 魔獣の怒りが頂点に達する頃。 「よし、行くぞ。ちゃんと受け取るんだ」 ルーグは最後に、銀貨を魔獣に投げつけた。 「あっ!」 それは、むなしく地面に落ちる。 「ようやく気付いたようですね」 タックはほくそ笑んだ。そこら中に張りめぐらされた蔓は、お互いにからみ合い、にっちもさっちもいかない状態になっていた。 「まずは第一段階終了ね」 シェリアは両手のこぶしに力を込める。 「お前たち……僕は許さない!」 魔獣は叫んだ。怒り心頭といった感じだ。蔓が使えなくなったうえ、冷静さを失っている。今のところ、上手い具合だ。さすが仙人の立てた作戦。あの爺さん、伊達に長生きしてないな。 「許さない!」 熊の部分はまだ動ける。蔓を引きずっているせいで多少スピードは落ちているが、それでもかなりの速さでルーグに猛突進した。 「ここまでおいで!」 ルーグは全速力で逃げ、木の上に駆け上がる。熊は当然、登れない。 「うあっ?」 シェリアが放った矢が、熊の横っ腹に命中した。熊はさらに怒り、今度はシェリアめがけて走る。 「私の弓矢の腕も、大分上達したわね」 シェリアも急いで木登りをする。ルーグはその間に降りておく。 「ふざけるなっ!」 今度はリンに向かって走るユルフォケンデラ。リンはかねてから準備しておいた魔法を唱える。 「ξψση∩∀……メムフェロっ!」 リンの目の前に、銀貨の山が現れた。魔獣は急停止する。その間に、リンはさっさと逃げ出す。 蔓が使えないので、魔獣は考えあぐね、熊の前足で取ろうとした。 「何だ?」 足は宙をつかむ。 「騙(だま)された!」 銀貨の山は幻だったのだ。 「ごめんねー」 遠くに逃げたリンが、手を口に当てて叫んだ。 シェリアは出来るだけ相手を怒らせるために、嫌味な口調で言う。 「魔獣なのに、幻術を見破れないなんて。どうしちゃったのー?」 「くそっ!」 ヒマワリは悔しがる。魔獣の持っていた強大な魔力は、八年前にほとんど奪われたのだ。仙人の手によって。 (奴はもう、たいした魔法は使えないはずじゃ。感知能力も低下しておる。魔法に対する抵抗力が、わずかに残っている程度じゃろう) 仙人の言ったとおりだ。 「さあ、第三段階だ!」 ルーグが声を張り上げる。ついに来た。 タックが色々な手を使って魔獣を引きつける。さすが盗賊、ひらりひらりとかわしていく。 「今だ!」 俺は魔獣の隙をつき、熊の背中から生えているヒマワリを目指した。蔓のじゅうたんを踏みつけ、熊まであと一歩に迫った時。 「うおっ!」 蔓が急に元気を取り戻し、俺の足にからみついた。 「駄目だ!」 バランスを崩し、俺は前のめりに倒れた。蔓とともに引きずられる。熊は速度をあげた。 「助けてくれ!」 俺は情けない声を発した。摩擦(まさつ)でズボンが破け、すねから血があふれる。地面の起伏によって、俺は上に浮かんでは下に叩きつけられる。その度ごとに激痛が走った。顔がこすれ、目も開けられない。 「ケレンスっ!」 リンの叫び声が聞こえた。 「ぐっ!」 蔓にからまれながらも、俺はなんとか上体を持ち上げ、仰向けの体制になる。今度は背中が熱くなってきた。後頭部を地面に打ちつけ、意識がもうろうとする。 「止まれ!」 タックは熊を引きつけるのをやめて振り向いた。しかし熊はタックを吹っ飛ばして走り続ける。 「ぎゃあっ!」 「タック!」 リンはもう泣きそうだった。 「ζξфэ∂刀c…クォールン!」 その時、シェリアの魔法が発動し、やっと俺は蔓から解放された。 身体中の痛みを我慢してどうにか立ち上がると、俺にからみついていた蔓が、氷の矢でしっかりと断ち切られていた。 全く危なかった。俺はがっくりと膝(ひざ)をつく。 (蔓が引きずられた結果、あちこちが途切れ、そこから新しい蔓が伸びたんだな。全く予想できなかったぜ) 「ケレンスっ!」 リンが駆け寄ってきた。幸い、熊も疲れ果てて呼吸を直しているところだ。 「ひどい怪我だよ。ひどい……」 リンの目から涙があふれる。 「いいから、早いとこ応急処置をしてくれ。俺の役目は、まだ終わってねえんだ」 「でも……」 「早くしろ! また熊が動き出すぞ!」 「……うん。БЁЦД、聖なる女神ユニラーダよ、この者の怪我を治したまえ! ハロ!」 背中の痛みはいくぶん治まった。 「すねも頼む」 「ハロっ!」 リンの指先から白い光が現れ、傷口をふさいだ。 「ケレンス、本当に気をつけてよ!」 リンは涙声で叫んだ。 「ありがとな。心配すんな」 俺はよろめきながら立ち上がると、今度こそはと気をつけて蔓の上をひょいひょい飛び歩き、息切れしている熊の背中にまたがった。 「グゥゥゥ……ウグゥ」 熊は再び走り出した。俺を振り落とそうとして、わざと左右に揺れる。 (魔獣は月光術の産物。月光の属性を帯びているのじゃ。つまり、日光には弱い) 再び頭の中を駆けめぐる、仙人の言葉。俺は熊の背中になんとかしがみつき、振り落とされないように気をつけながら、ポケットのナイフを出した。白い光を放つ、魔法のナイフだ。 「それ以上近づくな!」 ヒマワリは悲鳴をあげる。残っている蔓が、俺にからみつこうと動き出す。 「ケレンス、後ろに気をつけろ!」 「ああ!」 ルーグの忠告に、俺は右手をあげて応えた。握っていたナイフの刃が光る。 熊はぐるぐる回りだした。俺の目を回そうとする寸法だな。 (その日光を吸収しているのが、背中のヒマワリじゃ) 俺は右手を高く掲げ、躊躇(ちゅうちょ)せずにまっすぐ、ヒマワリに突き刺した。確かな感覚。 「うぉぉぉぉー!」 ヒマワリの断末魔(だんまつま)の声が、辺りにこだました。ナイフから白い光があふれ出し、目を開けていられなかった。 (このナイフには日光の力が込められておる。ヒマワリを消し去れば、熊は日光の力を吸収しきれず、時を同じくして崩壊するはずじゃ) 全てが真っ白の世界。精根尽き果てた俺は、その光の中で意識が遠のいていった。 (七) 気がつくと、俺は寝かされていた。身体が重い。ゆっくりと右目を開ける。 「ケレンス!」 「うわっ!」 いつものリンの顔がすぐそこにある。 「心配したんだよ! 無茶するから……」 涙の滴が、俺の鼻の上に落ちた。 「うおっ!」 「どうしたの?」 「そんなところで泣くな。涙が切り傷にしみるだろーが!」 「ほんと? ごめんね……。でも、よかった」 「ケレンス、気がついたの?」 シェリアが駆け寄ってきた。どうやらここは急ごしらえ、落ち葉ベッドの上らしい。風が涼しく、空は赤い。気持ちのいい秋の夕暮れだ。 「シェリア。今回ばかりはお前に感謝するぜ。氷の魔法で助けてもらったからな」 「助かってよかったじゃない。まあ、全面的にあたしのお陰だけどね。お礼は何にしてもらおうかしら? 新しいローブか、首飾りか……どれも迷うわね〜」 こりゃ大変だ。シェリアに借りが出来てしまった。当分たかられそうだ。お金がいくらあっても足りないぜ。 「ケレンスさん、本当にありがとう。仙人が『お前にしか出来ない役目だ』って、あなたにナイフを預けたのもうなずけます……。とにかく、どう感謝したらいいのかわかりません」 狩人が頭を下げた。 「なあに、これが冒険者の仕事だ。いいってことよ」 「見て下さい。ユールも元通りになりました。今度こそ、本物の『人間ユール』です」 「ケレンスの一撃で、ユール君に残っていたわずかな魔獣の部分が、完全に取り払われたのです」 タックが説明した。 首を右に倒すと、俺の横には少年が横たわっており、静かな寝息をたてていた。 「ユールの怪我は?」 「大丈夫。背中に軽い切り傷があるだけだよ」 リンが笑った。 翌日、狩人の家を出た俺たちは、再び峠に向かっていた。 「すっかり忘れてたな」 そう、事の起こりは郵便配達のバイトだった。俺たちはそれを果たすべく、隣町を目指して歩き続ける。 「ところで、俺がヒマワリにナイフを突き刺した後、どうなったんだ?」 みんなは微笑む。 「何だよ! 教えろ」 俺は仲間外れにされ、むきになった。シェリアが言う。 「白い光があふれたでしょ? あたしたちも目をつぶったの。少し時間が経ち、ゆっくり目を開くと……」 「そこにはケレンスと、そして裸のユール君が倒れていたんです」 タックが言った。その続きはルーグ。 「私たちは二人に駆け寄った。全員が取り囲む中、ユールは目を覚まし、腕に抱えていたお金を差し出す」 「狩人さんがそれを受け取ったの。するとユール君は『お父さん、お金が欲しいのならここにあるよ。全部あげる。その代わり、僕を町に連れていかないで』って。それだけ言うと、寝ちゃったんだ。狩人さんはユール君を抱きしめる。……落ち着いてから、あたしたちはケレンスとユール君、二人を落ち葉の上に運んだの」 リンがなつかしそうに言った。俺はうなずく。 「そうだったのか。ユールの奴、魔獣になってもなお、人間の頃の気持ちが残っていたんだな。……いい話だ」 森の向こう、遙か下に目指す町が見える。 「久しぶりに美味しい食事が食べたいわね。ケレンスく〜ん?」 シェリアの甘いささやき。 「仕方ねえな……」 俺は薄っぺらい財布の中身を見て、がっくりとうなだれた。 隣町の役所に手紙を届け、特に用事もないので帰途につく。あとはジャミラ町の役場に報告書を持っていけば、引き替えに報酬をもらう取り決めになっている。 またまた通りがかることとなった、例の峠。 「何だこりゃ?」 大きな立て札。その周りにたむろする、作業員風の男たち。辺りには丸太が転がっている。 「何やってるんですか?」 好奇心を抑えきれないリンは、その中の一人に訊ねた。 「旅人の嬢ちゃん。よく覚えておくといい。今度、ここは〈魔獣峠〉という名所に指定されたんだ。ジャミラの役場によってな」 「へーえ。随分と動きが早いわね」 シェリアは目を丸くした。リンは再び質問する。 「それじゃあ、ここには何を建てているんですか? 食べ物屋さん、それともお土産(みやげ)屋さん?」 「いいや、関所だ。嬢ちゃんのような旅人から、峠の通行税を徴収するためのね」 「通行税?」 「そして、君たちが栄誉ある第一号というわけです。さあ、税金を払っていただきましょうか」 振り返ると、冒険の依頼主、ジャミラ町の役人がほくそ笑んでいた。 「それとも、報酬から税金分を引いてお渡しする方がいいですか?」 「税金だなんて……」 俺たちは顔を見合わせ、苦笑した。 「魔獣と変わらないじゃん!」 | ||
(了) | ||
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