魔獣の気持ち

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア〜

 

秋月 涼 



(一)


「久しぶりの町だね……!」
 俺の隣で、聖術師のリンローナがつぶやいた。遠くに茶色の城壁がかすんでいる。
 俺は剣術士のケレンス、駆け出しの冒険者だ。俺の仲間は全部で四人いる。
 旧来の友人で盗賊のタック。パーティーリーダーで戦士のルーグ。ルーグと仲のいい、女魔術師シェリア。シェリアの妹のリンローナ。
 俺たちは新たな冒険を求めて街道沿いをひたすら歩き、ようやく小都市にたどり着いたところだった。
「警備お疲れさんです。はい、これ」
 門番に冒険者の証明書を見せる。
「どうぞお進み下さい。ようこそ、ジャミラの町へ」
 目抜き通りを広場の方に向かって歩く。
「小さな町だわね……」
 シェリアが薄紫色のロングヘアーを掻き上げた。
「宿屋と薬屋さえあれば、今の僕らには充分でしょう。お金の余裕もありませんし」
 会計担当のタックは丁寧な言葉遣いで言った。盗賊とは思えないが、これも騙(だま)すための一手段らしい。
「残念だが、そういうことだ。とりあえず今夜泊まる宿を探そう」
 ルーグは落ち着き払って言った。彼は騎士志望。外見、性格ともに紳士的でかっこいい奴だ。冷静な判断力を持ち、リーダーとして申し分ない。
 
 さて、俺たちは比較的安価な宿を見つけ、そこに泊まることにした。《かなたの旅路亭》という看板が出ている。
 夕方まで、まだ時間がある。荷物を部屋に置くと町に繰り出す。
「お姉ちゃんたち、また二人で消えちゃったねー」
 リンが言った。俺はリンローナのことをリンと呼んでいる。
「そういえば、そうだな」
 シェリアとルーグは二人だけでどこかに行ってしまった。残された三人―俺・リン・タック―は町中をふらつく。いつものパターンだ。
「装飾屋でも入りますか?」
 タックが白壁の建物を指さした。
「リン、お前もちょっとは姉貴を見習ってアクセサリーでも買ったらどうだ」
 俺は背の低いリンを見下ろす。奴は緑色の瞳を大きく見開いて、首をちょっとかしげた。
「う〜ん、あんまり興味ないなあ。あたしって変なのかな……」
「そんなことはないと思いますよ」
 タックがフォローする。
「あたし、どちらかと言えば新しい調理用具の方が嬉しい」
 リンは料理が得意中の得意。野宿の時はみんな助かっている。しかし、派手な姉と比べると色気の
「い」の字も感じられない。性格は悪くないんだけどな。
 そうこうするうちに、町役場に着いた。何やら紙が張り出されている。
「なになに、冒険者募集中?」
 
【冒険者募集中!】
 ジャミラ町役場では、ただ今「郵便配達」の冒険者を募集しています。隣町まで運んでいただくだけで、一通につき五ガイトの報酬をお約束します。詳しくは町役場まで。
 
「一通運ぶと五ガイトとは。随分、破格な値段設定ですね。何かあるのでしょうか?」
「それに、わざわざ〈冒険者〉を捜す理由もよくわからねえな」
「一般の〈アルバイト〉として雇ってもいいはずなのにね……」
 五ガイトもあればかなりの飯にありつける時代。俺たちは張り紙を見ながら、口々に疑問を言い合った。
「依頼を受けて下されば詳しいお話をいたしますよ」
 振り向くと、役人らしき中年の男が立っていた。
 
 その夜。俺たちは《かなたの旅路亭》の向かいにある大衆酒場で夕食を摂っていた。
「これまで無事で良かったな。これからも頑張ろう。乾杯!」
 ルーグが音頭を取り、ビールの入ったグラスを交わす。久しぶりの酒だ。
「おっとと、ルーグさん、どんどん飲んでくれよ。グラスがあいてるぜ」
「あはは、ありがとな、ケレンスくん!」
 俺は酒をついだ。ルーグはすでに酔っ払っている。旅の疲れもあるし、酔いが回るペースは速い。
「ケレンスぅ、眠いよお……」
 リンがよっかかってきた。顔色は赤い。
「おめえ、まだ二杯しか飲んでねーだろ? もっと飲めよ。ほれほれ」
 リンのグラスにもついでやる。
「いじわる! あたし、お酒駄目なの知ってるくせにぃ。……歌っちゃうよ?」
 その瞬間、俺は恐怖で鳥肌が立った。奴は音痴極まりないんだ。
「それだけは勘弁してくれ! 頼むぜ。わかった、俺が悪かったよ」
 周りの迷惑を考え、俺はリンに謝っておいた。横を見ると、シェリアとタックがげらげら笑っている。俺は視力が落ち、風景がぼやけてきた。身体がだるい。
 酒の注文を止め、あとはくだらない談笑を続ける。夜が更けて酒場も大分静かになった頃、俺たちは帰り支度を始めた。
「ちょっと、よろしいでしょうか」
 一人の男が俺たちの前に立ちはだかった。
「あ、昼間の……」
 タックは、レンズが抜け落ちてフレームだけの眼鏡をかけ直した。このボロ眼鏡を、奴は何故か気にいっている。
「例の件、皆さんの実力を見込んで、ぜひお願いしたいと思いまして……」
 男は言った。そう、彼は昼間出会った中年の役人だったのだ。ルーグは急に真面目な顔になった。
「まあ、そこにおかけ下さい」
 時間が経ったので、みんな酔いは醒めていた。俺によりかかったまま眠っているリンを除けば。
 
「魔獣(まじゅう)ユルフォケンデラ? 何だそりゃ」
 聞いたこともないモンスターの名を耳にして、俺は大声で聞き返した。
「しぃーっ。声が大きいですよ」
 役人は顔をこわばらせ、説明を続ける。
「とにかく突然なのです。隣町へ抜ける森の中で、その魔獣が何度も現れるようになりました。つい四、五日前からです」
「ふーん」
「このまま放っておくわけにはいきません。町が大混乱に陥ってしまいます。そこで、郵便配達を偽って冒険者を捜していたのです」
「報酬によるわね……」
 シェリアがめんどくさそうに言い放った。
「町全体の問題なので、退治に成功しましたら、多額の報酬をお約束しますよ」
「リーダー、どうします? 僕は賛成なんですけど」
 タックはルーグに訊ねた。
「ケレンス、お前はどう思う?」
 ルーグから意見を求められたので、俺はこう答える。
「うーん……やってみてもいいんじゃねえの? 別に反対する理由もないし」
 冒険者は全体の奉仕者だ。庶民の血税から補助金が出ている。人々から依頼されると、断りにくいのが冒険者。
「よし、決まりだ」
 ルーグが言った。


(二)


 翌日の朝、眠い目をこすって起きる。頭が少し痛んだ。軽い二日酔いだ。
「駄目だ……かなり辛い」
 横で、ルーグが苦しそうに頭を振った。俺よりも重症らしい。
「ねえ、これからどこ行くの? 昨日の夜、何があったの?」
 一人だけ元気に騒ぐリンを、俺たちは恨めしそうに見下ろした。
 宿を出ると、まず役所に向かう。依頼の郵便物を受け取り、軽い昼食の後、俺たちは隣町に向かう街道を歩き始めた。割と整備されている。
「本当に魔獣なんて現れるのかよ?」
「魔獣さん……怖いなあ」
 リンが心配そうに言った。俺たちは当然、魔獣ユルフォケンデラなんて見たことも聞いたこともなかった。全く見当がつかない。上半身が鷲で下半身が獅子の〈グリフォン〉や、頭が獅子で胴が羊、尾が蛇の〈キメラ〉を想像してみたが……。とにかく、かなりの強敵になるのは間違いなさそうだ。
 あれこれ悩む俺たちの心と裏腹に、空は晴れ上がっている。向こうの山々は赤や黄色に衣替えし、行き過ぎる風は涼しくて気持ちがいい。
「さわやかな秋の日ねー」
 シェリアが大きく伸びをした。街道は森の中に入り、だんだん勾配(こうばい)が急になる。
「おっ、野生のパリョナだ」
 俺はその生き物を指さした。リスにキリンの首を付けたような外見で、羽が生えている。大きさは猫くらい。ペットとして親しまれている。
 パリョナは俺たちが近づくと飛び去った。ルーグは銀髪を掻き上げる。
「魔獣も、あれくらい愛嬌があるといいんだがな……」
 それから少し歩くと、坂が緩やかになってきた。
「地図によると、もうすぐ峠。分水嶺(ぶんすいれい)です」
 タックが言った。
 
 傾きかけた立て札。どうやらここが峠のようだ。
「これからは下り坂ね」
 シェリアが嬉しそうに言った。
「今のところ平和だな」
 俺は上を見た。赤く染まった落ち葉が一枚、ひらひらと落ちてくる。
 その時だった。
「きゃああ! く、苦しい……」
 突然、隣にいたリンが悲鳴をあげた。見ると、変な蔓(つる)に首を絞められている。
「この野郎!」
 俺は剣を鞘から抜こうとしたが、手が動かない。
「畜生っ」
 俺の腕も、蔓にからみつかれたのだ!
 背後から、奇妙な生き物が現れた。不快感を与える、黒い熊。その背中から茎が生えており、ヒマワリの花が咲いている。花の中央には大きな口がついていて、明らかに異様だ。茎は枝分かれして広がり、その一本が俺の腕をつかんでいるというわけ。熊の頭には鋭い角がある。
 タックとシェリアは後ずさりした。ルーグは臨戦態勢を整え、間合いをはかっている。
 タックがナイフを投げつけた。熊に命中し、それは暴れ始める。
 驚いたのか、背中のヒマワリは蔓を引っ込めた。俺とリンは解放される。リンは苦しそうに首筋を押さえ、がっくりと膝(ひざ)をついた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「大丈夫かっ?」
 その間に、熊がタックに突進した。
「うわっ、助けてくださいー!」
 タックは逃げ回るが、熊は相当素早く、機敏なタックでさえ、今にも追いつかれそうな勢いだ。危ない!
「дюε塔イ……ドカーっ!」
 シェリアの火炎魔法が炸裂(さくれつ)する。指先から飛び出した火の玉はヒマワリに命中したかに見えた。が、何の影響も受けていないようだ。
 異様な生き物は動きを止め、ヒマワリの口がしゃべり始めた。割と高い声だ。
「火炎がぶつかる直前に冷却魔法を使った。お前の魔法など通用しない」
「嘘よ……」
 シェリアは放心状態に陥る。俺たちは臨戦態勢のまま、魔獣の話に耳を傾ける。
「僕の名は魔獣ユルフォケンデラ」
「やっぱりな……」
「あなたの目的は何なの?」
 〈首を絞められた〉さっきの恐怖を思いだし、青白い顔をしているリンが言った。
 ヒマワリはゆっくりと答える。
「……お金だ」
「魔獣がお金を欲しがるんですか?」
 タックは目を丸くした。
「そう」
 熊の両眼は鋭く輝き、ヒマワリの茎から伸びている蔓はうねうねと動いている。
「素直にお金を出せば許してやるぞ。出さなければ殺して奪うのみだ」
「そんな物騒(ぶっそう)なこと、やめてよ!」
 シェリアが叫んだ。
「とにかく、さっさと出すんだね」
 と、魔獣が再び歩み始めた時。
 突然それは起こった。シュッという鋭い音と共に、一本の矢が熊の横っ腹に突き刺さる。
「グルルルル……」
 熊は苦しそうにうめいた。
「誰だっ?」
 ヒマワリが叫んだ。
 木々の間から、狩人風の男が現れる。
「ユール! やめるんだ!」
 熊の上でゆらゆら揺れていたヒマワリは動きを止めた。熊は全速力で走り出し、あっという間に消え去った。
 狩人は首(こうべ)を垂れる。
「旅の方……申し訳ない」
「訳がありそうね。説明してよ!」
 シェリアが怒鳴った。
「……私の家にお越し頂けぬか? 息子の非礼を詫びたい」
「息子?」
 俺たちは顔を見合わせる。
「とにかく、聞きたいことが山ほどあります。お言葉に甘えて、おじゃまさせていただきます」
 ルーグが毅然と言った。俺たちは狩人の後を追い、彼の家に向かう。
「私の魔法が効かないなんて……結構ショックだったわ」
 いつもは騒がしいシェリアが、その日は妙に沈んでいたのが印象的だった。リンも静まりかえっている。よっぽど怖かったんだろうな。
 獣道を進むと小川にたどり着く。いくつかの石を飛び越えて向こう岸に渡ると、木造の家が見えた。家の横には薪(たきぎ)が積まれている。
「私の家だ」
 狩人は短く言った。
 中に入ると、木のテーブルと椅子、ベッドが並ぶ簡素な造り。暖炉だけは立派だった。
 椅子の数が足りないので、リンとシェリア、そして主人が座り、男三人は床に腰を下ろした。
「申し訳ない」
 男が頭を下げる。
「全て話して下さい。お願いします」
 タックが促した。男はうなずく。
「ユールは魔法に関して、ずば抜けた才能を持っている。今まで、極力秘密にしてきたのだが、ついに噂が広まり、町から使者がやってきた。ひと月ほど前のことだ」
「ユールって誰?」
 シェリアが口を挟んだ。
「ユールは私の息子だが、もともとは孤児。森の中で赤ん坊のユールを見つけ、今まで大切に育ててきた。私はユールの育ての親、ということになる」
 リンは身体を前に乗り出し、興味津々(しんしん)に訊ねる。
「使者は何の目的でやって来たのですか?」
「町からの使者、いかにも紳士っぽいその男は、事務的な口調でこう言った―ユール君の魔法能力を世の中に役立てませんか。当魔法学校に入学させれば、絶対にそれを実現してみせます」
「ふむふむ」
「私は最初、かたくなに断り、使者をすぐに追い返した。しかし、ユールの将来を考えると、こんな森の中で一生暮らすのは可哀想かとも思った。才能が宝の持ち腐れになりそうだからだ」
「……」
「それを見透かしたように、奴は一週間後、再び現れた―町への移住費、学費は町側で負担します。それ以外に、生活費も払います。あなたも今よりずっと楽な生活が出来るのですよ。ぜひ、息子さんを魔法学校に入学させて下さい―と。私は迷った」
「それで?」
「心に隙が出来た。そこを徹底的に狙われ―私の気持ちは、いつの間にか変わっていた」
「魔法学校に入学させることにしたのですね」
 狩人はうなずく。
「ユール君の反応は?」
「ユールは嫌がった。だが、使者の言葉を思いだしながら、私は懸命に説得しようとした。最後には、ユールに対して怒鳴っていた」
「うん」
「僕はこの森と、お父さんが大好きだったのに。……ユールはそう言い、家を飛び出した。そして怪しげな魔獣を呼び出し、森の中で暴れ始めたのだ」
「それが、魔獣ユルフォケンデラ……」
「今までの八年間、ユールはおとなしく賢い子だったので、本当にショックだった」
 シェリアが首をかしげる。
「あの魔獣自体がユール君なの? それとも魔獣を呼び出し、遠隔操作しているのかしら?」
「わからない。ただ、どちらにせよ……私の勝手な行為を非難していることに変わりはない」
「どうすれば元に戻るのかなぁ?」
 リンが言った。狩人は顔を曇らす。
「それもわからない。……ただ、森の隠者(いんじゃ)である仙人なら何か知っているかもしれないが」
「仙人?」
「ああ。魔法使いの長老だ。森の奥深くに住んでいるといわれるが、正体は定かではないし、場所もわからない」
「お手上げだな」
 ルーグは腕組みをした。
「ちょっと待ってよ。何のために、このシェリア様がいると思ってんの?」
「え? 何かいい方法があるのかよ?」
 俺が追求すると、シェリアは「おほほほ」と大胆不敵な笑みを浮かべた。


(三)


「服装の特徴は?」
「この近辺の伝説によると……胸の辺りに星形のマークがある黒いローブをまとい、頭には三角の帽子をかぶっているという」
「背の高さは?」
「少なくとも高くはないだろう」
「じゃあ……髪の色は?」
 シェリアが次々と質問を浴びせかける。
「よーし、大体わかったわ。このイメージで探索魔法をかければ、見つかるんじゃないかしら。本当は失くしものを捜すための魔法だから、人間に対しての効果は保証しかねるけど」
「とにかくお願いします」
 狩人の男は一礼した。
「頼むぜ、シェリア」
 今は彼女に託すしかない。
「いくわよ。ЭЧΨ∩……μ∂∝Δ……。風の精霊よ、私が捜し求めたあの男の居場所を教えたまえ。ザラーナクルプォン!」
 シェリアが両手を掲げると、水色のまぶしい光が飛び出した。
「ウァ……ウグ」
 突然、彼女は頭を抱え、立ちくらみのように倒れそうになる。
「しっかりしろ!」
「お姉ちゃん!」
 リンがシェリアの手を握る。
「魔力を送り込むからね!」
 リンは瞳を閉じ、精神集中する。程なくしてシェリアは意識を回復した。
「あれ? 私、どうしたのかしら……」
「気がついた?」
「あ、そうか。……消費魔力が多すぎて、意識不明になったのね。頭痛がするのもうなずけるわ」
「難しい魔法なんだから、無理しないでね。お姉ちゃん」
 リンが言った。
「ところで、仙人の居場所はわかったのか?」
 ルーグが訊ねた。シェリアは首をかしげ、一生懸命思いだそうとしている。
「うーん、残念だけどはっきりした映像は見えなかったわ」
「そうか……」
「でも、おぼろげだけど何かを見た。赤っぽい滝が印象に残ってる」
「赤っぽい滝? 何だそりゃ」
 俺は耳を疑った。
「でも、それが見えたんだから仕方ないじゃないの。私、嘘はついてないわよ!」
 シェリアはご機嫌ななめ。魔法の疲れもあるのだろう。
「とにかく、今はそれが唯一の手がかりなんですから、調査してみる必要があるでしょう」
 タックが現実的な意見を言ってその場をまとめてくれた。
「狩人さん、赤い滝という言葉で何かひらめきませんか?」
「赤い川なら知っているが……」
「それだ! その川のどこかに滝があるのに違いない」
 ルーグはぽんと手を叩いた。
「よし、決まったらさっさと行こうぜ」
 俺は先を促したが、すぐにタックが遮(さえぎ)る。
「もうこんな時間です。今日はあきらめましょう」
 外はいつの間にか夕焼けだった。
 
「楽しいお夕飯〜♪」
「歌うな!」
「……。ふんだ。いいもん。いつか絶対、音痴を克服してみせるから!」
「はいはいはいはいはい。ま、せいぜい頑張ってくれや」
 適当に扱うと、リンはむくれた。
「ケレンスの馬鹿っ!」
 俺とリンは、山菜やキノコを細かく切り、鍋の中に入れた。シェリアは薪(たきぎ)を積み上げて火炎魔術を唱え、お湯を沸かす。タックは水を汲みに川と家とを往復し、ルーグは木の実を拾いに出かけた。
 俺たちは狩人の家の前で夕食作りを楽しんでいる。一番星がまたたき始め、空は濃い青地に染まっていく。
 お湯が沸く頃、ルーグが帰ってきた。
「いまいちだった。すまない」
 シェリアはかごの中を覗く。
「あら本当ねぇ」
「どれどれ……プルタか」
 黄色の実がいくつか入っている。甘みのあるプルタは、冒険者の疲れを癒してくれる。デザートにちょうどいい。
「さあ、出来たよっ! 名付けて〈山のスープ〉」
 リンが嬉しそうに言った。狩人も獲物を捕らえて帰ってきた。
「今日の収穫はカファだ」
「あたし大好きなの、カファの焼き肉!」
 ちょっと大きめのウサギがカファ。シェリアは大喜びだ。
 俺たちは鍋を囲み、静かな夜を過ごした。


(四)


 明くる朝、俺たちは狩人について山道に入った。露のおりた草を踏むと靴が濡れる。
 俺は狩人に訊ねた。
「赤い川ってなんなんだ?」
「赤土の混じった川のことだ。赤っぽく見える」
「へ〜え」
「もうすぐ見える……あれだ。あれが赤い川だ」
 狩人のおっちゃんが指さす。
「なるほど。よく見れば赤っぽいわね」
 シェリアがうなずいてみせた。その山川は細く速い。さらさら流れる水音のメロディーが心地いい。
「まずは下ってみるか?」
 ルーグが提案した。
「異議なーし」
 俺たちは川沿いを下流に向かって歩く。川辺には灰色の小石が転がっている。
「ふぅふぅ。ちょっと疲れたね」
 隣のリンが言った。
「もうへたばってるのかよ。情けねえなぁ」
「だって……朝から歩き続けで、お腹へっちゃったし」
「それは俺だって同じだっつーの」
「うん」
「じゃあ、もう少し頑張れよ」
「ごめんね、つまんないこと言って」
「気にすんな。そんなのを気にしてる暇があるならさっさと歩けよ」
 ルーグとシェリア、狩人、タックは大分前の方にいる。タックが振り返り、こっちに向かって両腕で大きな×(バツ)の字を作った。
「おーい、ケレンスー、行き止まりですー!」
「……だってさ。ここで待ってようぜ」
「そうだね」
 リンはそう言うと、その場にぺたんと座り込んだ。
「ふ〜う。痛かった」
「はぁ?」
「足の裏にできた豆がつぶれちゃって……」
「なんで早く言わねえんだよ! そんなら休憩しようって提案したのに」
「ごめん。だって、あたしのせいで予定が狂ったら悪いと思ったから」
「歩くペースが遅くなる方がよっぽど迷惑だ」
「ごめんね。今度からはちゃんと言うようにする」
 リンは足を伸ばすと、呪文を唱えた。
「яил凵∬……聖なる女神よ、足の痛みを消し去りたまえ! ハミラ!」
 白い光が輝き、聖術の効果が現れたようだ。俺はもう一度念を押す。
「とにかく気をつけろよ。聖術が使えるお前に怪我されちゃあ、どうしようもないからな。みんなで助け合うのがパーティーなんだよ。必要でない奴はいないし、対等に助け合ってるわけだから、何かあったらすぐ言えよ」
「うん、わかった!」
「……俺もたまにはいいこと言うだろ?」
「たまには、ね」
 リンはくすっと笑った。折り返してきたタックたちと合流し、もと来た道をたどる。
「さっきの行き止まりって、どういうこと?」
 リンが訊ねると、タックが答えた。
「川は別の支流と混じって、赤い色がほとんど判別不能になりました。あのまま進んでも、赤い滝はないだろう、と推測したのです」
「確かに、今は上流に向かってるから、川の赤い色はどんどん濃くなってるな」
「もうそろそろ着くんじゃないかしら。何だかそんな予感がする」
 その時だった。
「湖だ!」
 赤い湖。赤土の崖(がけ)に囲まれた湖。不気味さが漂っている。
「こんなところに湖があったとは……」
 地元に詳しい狩人さえも知らず、時間の中に置き去りにされていた。
「ねえお姉ちゃん、あそこ見て!」
 リンが指さした。
「ふふっ、私のイメージ通りね」
 湖に注いでいる……それは赤い滝だった。
 
 湖を大きく迂回(うかい)し、滝を目指す。
「今後の問題は仙人がどこにいるか、ですね」
「そうだな。滝の周りを捜してみるしかないか」
 タックとルーグが話し合っている。俺はつぶやいた。
「仙人が引っ越してないのを祈るだけだな」
「会えるといいね、仙人さん」
 リンがうなずく。
「さて、滝の手前に来たわけだが」
 ルーグがみんなの顔を見回す。
「とりあえず、この付近を調査してみる必要がある。お互いが確認できる範囲で、適当に分かれよう」
「賛成です」
 タックが真っ先に言った。ルーグは補足する。
「もし危険があったら、大声で叫ぶんだ。いいね。くれぐれも気をつけて行動してくれ」
「了解」
 そして俺たちはバラバラになった。
「上から眺めてみるか」
 俺は思った。滝は身長の五倍くらい。下から見るとそうでもない高さだ。が、直接滝を登るのは無理そうなので、別な道を捜そうとした。
 すると、タックが自分の盗賊能力を駆使して登り始めた。ロープをしっかりつかみ、少しずつ上がっていく。
「さすがだな」
 俺は方針を変えることにした。
「滝の反対側に出るか」
 湖の周りは獣道になっていて、Cの字型に取り囲んでいる。俺が今、Cの右上の地点にいるとすれば、これから大回りして右下の地点に行こうとしている。
 秋の空は、今日も晴れ上がっていた。
「この湖で魚釣りでもしたい気分だぜ。赤い魚が釣れるかもなぁ」
 独り言をもらしながら、やっと湖を半周した頃、滝の方でリンの声がした。
「ここに洞窟があるよ!」
「はあ?」
 なんてタイミングが悪いんだ! また戻らなきゃいけねえ。俺は小走りで息を弾ませ、滝の方へと引き返した。


(五)


「ちょいと遅れたぜ。悪(わり)いな」
 みんなは滝の周りに集まっていた。
「ねえケレンス、あれ……」
 シェリアが指さしたところ……滝の裏側に、ぽっかりと怪しげな洞窟があいていた。
「あたしが見つけたんだ」
 リンが照れ笑いをした。
「相変わらず、いい勘してるな。やるじゃねえか」
「えへへへ」
「リーダー。全員集まったことだし、入りましょうか」
 タックはリーダーのルーグに言った。
「そうだな……」
「また私の出番ね」
 シェリアは照明魔法を唱える。
「ЖЩЛЫЭЮ……空を照らす陽の光よ、我に力を与えたまえ! ライポール!」
 彼女の指先から、まばゆいばかりの光の球体が出現した。
「さ、行きましょ」
「よし。行こう」
 洞窟の中は湿気でじめじめしている。滝の裏だからなおさらだ。
「きゃああっ!」
「何だ!」
 前を歩いていたシェリアが、突然叫んだ。集中が途切れたため、照明魔法もふっと消える。辺りは闇に包まれた。
「首筋に滴が入ったわ! 冷たいっ!」
「……」
 シェリアは船長の娘だという。要するに良家のお嬢さんだ。少しのことで大騒ぎしたり、わがままだったり……。もちろん、根はいい奴だが、何故か短所が目立ってしまう。
 逆に、彼女の妹であるリンの場合、姉のように人を困らすことはないが、育ちが良いのを通り越して世間を知らなさすぎる。
「真っ暗だよ〜? ちょっと怖いなぁ」
 リンが俺の手をぎゅっと握った。ふいに、洞窟の中が再び明るくなる。
「あ、見えますね」
 タックがつぶやく。
「ちょっと待って! 私は照明魔法、唱えてないわよ?」
 シェリアが振り返り、不審そうに言った。
「ふうむ」
 狩人は首をかしげる。
「気をつけろ。何かの罠かもしれない」
 ルーグが低い声で言った。
 盗賊のタックを先頭に、俺たちは注意深く進む。洞窟の天井はだんだん低くなった。最後は、ほふく前進。しばらくそのまま進むと、花だらけの広場に出た。
「いい匂い……」
 リンは顔をほころばせる。
「最近まで人が住んでいた形跡がありますね」
 と言ったのはタック。
「仙人、ホントに引っ越したんじゃねーの? あっははは……うおっ!」
 鋭いきらめき。突然、俺の足元に小さな雷が落ちた。
「ケレンス、大丈夫っ?」
「うひっ、危ねえところだった。とんでもねえ魔法だ。やっぱり仙人とやらは実在するらしいな」
 部屋の上には大きな鏡が備え付けてある。洞窟の照明が消えたかと思うと、そこに森の風景と黒ローブの爺さんが映し出された。
「わしの家に無許可で上がり込んでいるのは一体誰じゃ? 邪悪なエネルギーは感じぬが、失礼極まりない」
 あまりに突然の出来事に、俺たちは上を向いたままぽっかりと口を開けていた。
「誰じゃ、と聞いておる。答えんか!」
「あ、申し訳ありません。勝手に上がり込んでしまいまして」
 ルーグがしゃべり終わる前に、映像の老人は目を大きく見開いた。
「誰じゃ!」
「冒険者のケレンスだ!」
 俺は叫んだ。
「……ふん。勝手に上がり込んでおいて、威勢だけはいいのう。全く最近の若い者(もん)は礼儀を知らぬ。……そこで待っとれ」
「おわっ」
 強い光が輝く。俺たちはたまらずまぶたを閉じた。ゆっくり開くと、目の前に背の低い老人が立っていた。空間を越えるなんて、相当な魔術の訓練を積んでいやがるな。仙人恐るべし。
「あなたが仙人ですか?」
 ルーグの質問に、爺さんは白い髭を撫でながら答える。
「いかにも。世間のものは仙人と呼んでおるな。レガムというれっきとした名があるのじゃが……。ところで何か用か? 人に会うのは数年ぶりじゃから、話だけなら聞いてやるぞ。ケケケケ」
 かなり怪しげだ。でも、仙人らしい妙な貫禄がある。
「お願いは一つだけです。質問してよろしいですか」
 タックはいつも通り、至極(しごく)丁寧に頼んだ。
「魔獣ユルフォケンデラについて、何か対処法をご存じありませんか?」
「私の息子が、暴走して魔獣化してしまったのです」
 狩人がつけ加えた。仙人は眉間(みけん)にしわ寄せ、うなり声をあげる。
「ウームム。ユルフォンデランか」
「ユルフォケンデラ、です」
 リンが訂正し終わる前に、仙人は短く言った。
「知らんな」
「えーっ? あなたを頼りにして、ここまで来たのに……」
 シェリアはがっくりと肩を落とした。俺たちも虚脱感に襲われる。
「本当に知らないのかよ?」
 俺の嘆きを聞いても、仙人はつれない返事。
「知らん」
「熊の上にヒマワリが乗っている魔獣だぜ?」
「熊ヒマワリ?」
 仙人はぽんと手を打った。
「おぅ、それなら知っとる」
「本当ですか!」
 ルーグをはじめ、俺たちの表情に期待の色が浮かんだ。
「わしの息子じゃ」
「えっ!」
 わけがわからない。俺たちは言葉を失った。
「どういうことなんですか!」
 狩人は声を荒げる。
「確かに、ユールは捨て子だった。私が実の父親でないことは知っていたが……。仙人、あなたがユールを捨てたのですかっ?」
「こら。落ち着くのじゃ。おいおい話していこう」
 仙人は表情を変えずに、ゆっくりと言った。狩人は不満そうに一歩下がり、次の言葉を待つ。
「奴は、わしが月光術で呼び出した魔獣じゃ」
「月光術? あの召喚(しょうかん)魔法か?」
 俺はあまり魔法に詳しくない。
「そうだよ」
 横でリンがささやく。思いだした。精霊界へ通じる穴を開けて、精霊や魔獣を連れてくる魔法だったな。
 仙人は言う。
「とにかく、月光術で呼び出したのじゃ」
「ユールの正体があんな醜(みにく)い魔獣だったとは……」
 狩人は信じられないというより、信じたくないといった様子だ。今まで一生懸命育てた息子が魔獣だったのだから、そのショックは計り知れない。
「いろいろ思うことがおありでしょうが、今は仙人の言葉に耳を傾けましょう」
 ルーグは狩人に呼びかけた。さすがリーダーだな、しめるところはしめる。
 仙人は細い目をさらに細め、昔を回想した。
「確か、あれは八年前じゃった。わしは月光術を唱えたところ、珍しく失敗をしてしまったのじゃ」
「仙人ほどの魔法使いも時には失敗するのねぇ」
 シェリアが口を挟むと、仙人は目を光らせた。
「当たり前じゃ。わしは仙人であって神ではない!」
 おいおい。シェリア、言葉には気をつけてくれよ。俺も決して丁寧な方じゃねえけどさ、奴を怒らせたら損することくらいわかるだろ?
 幸い、仙人はすぐに冷静さを取り戻した。俺たちは冷や汗をかく。
「とにかく、月光術ほど失敗のリスクの大きい魔法はないじゃろう。失敗すればどんな強力な魔獣が現れるか、全く予想がつかん」
「そうですね」
 タックが相づちを打つ。
「そして、八年前に失敗した結果、現れたのが例のユルフォンなんとかじゃ。……はて、何だったかな?」
「ユルフォケンデラ、です」
 リンが言った。仙人は自分の頭をぽんと叩く。
「最近、忘れっぽいのじゃ。とにかく、そのユルフォンデランが現れた」
 リンはぷっと吹き出したが、もはや間違いを誰も指摘しない。揚げ足を取っても無意味だからだ。
 仙人が言う。
「奴は強力な魔力を持ち、泣きわめき、暴れ回った。わしが呼び出したのだから、沈めなければならん。術者にはそれだけの責任と義務があるわけじゃ。奴はまだ子供のようだったし、殺すのは可哀想なので、魔力だけをを封印することにした」
「ふむふむ」
「封印するためには、それ以上の魔力が必要じゃ。わしは大変な苦労をし、どうにか封印作業にこぎつけた」
「それで、ユールは?」
 狩人はしだいに明らかになる真実に、とまどいを隠せない。仙人が続ける。
「わしは、奴を人間に変えてしまうつもりじゃった。害のない、人間の赤ん坊に。わしは封印の呪文を詠唱した。ところが奴は最後の力を振り絞り、その場から逃げるために瞬間移動の魔法を唱えた。
 奴とわしは、同時に魔法を唱えた訳じゃ。そのため……わしの封印魔法は完全な効果をあらわさなかった。また、奴も中途半端な距離しか移動できなかった」
「そこで私が通りがかり、ユールを拾ったわけですね。あなたは生みの親で、私は育ての親というわけか」
 そう言うと、狩人は大きなため息をついた。ルーグは目をつぶり、静かに語る。
「……ユールは心の奥底に魔獣の心を秘めたまま成長した。そして今回、ショックを受けたために心の傷が開き、魔獣としての自分が覚醒した」
「まあ、そんなところじゃろう」
 仙人はうなずく。
「どうすれば元に戻るんだ?」
 俺が訊ねると、仙人はよろよろと部屋の隅に歩いてゆき、小さな箱を指さした。
「答えはこの中にある。剣使い、お前、開けてみよ」
「俺か?」
 箱の前に立ち、しゃがむ。ふたに手をかけ、少しずらす。白い光があふれ出す。俺は思いきってふたを外した。
「こ、これは……?」


(六)


 俺たちは山道を登っていた。目指すは魔獣ユルフォケンデラが待つ、あの峠。
(全てはお前にかかっておる。健闘を祈るぞ)
 仙人の言葉が、何度も頭に響く。
「……ンス? ケレンス?」
「何だ?」
 横を歩いているリンが、心配そうに俺を見上げた。
「さっきから何度も呼んでるのに。どうしちゃったの?」
「いや、ちょっと考えごとをしてるだけだ。気にすんな」
「あれだけプレッシャーをかけられれば、やっぱりケレンスでも緊張するんですか。アハハハ」
「どういう意味だよ?」
 俺はタックの頭をこづく。
「乱暴だなあ。そんなことをしてると……」
「しーっ、静かに。見えてきたわよ」
 シェリアが言った。例の峠だ。俺の鼓動は高鳴り、顔の筋肉が引きつる。
「ケレンスなら大丈夫。あたし、信じてるから」
 リンが優しく微笑んだ。少しだけ気持ちが和らぐ。
(こうなったら、やってやるぜ!)
 
「よし、分かれよう」
 ルーグが言った。狩人は少し離れたところで待機してもらい、俺たち五人は適当に散らばる。
「きゃあ、草が!」
 シェリアが叫んだ。
「私の足にからみつきそう! えい、えい」
 シェリアは必死に草を踏みつけているが、時間の問題か。俺たちは臨戦態勢についた。そろそろ奴が現れるはずだ。
「もう駄目だわ!」
 シェリアの悲痛な叫び声をよそに、俺たちはゆっくりと後ろを振り返る。
「いた!」
 そこには、あの忌まわしい魔獣が立っていた。黒い熊の上に、妖しいヒマワリ。この前と何ら変わりない。
「それっ」
 タックが熊にナイフを投げつけると、ヒマワリは蔓を引っ込めた。ここまでは同じパターンだ。俺は頭の中を整理し、次にどう動いたらいいのか想像(イメージ)しておく。
(作戦通りに動くこと。よいな)
 仙人の言葉が脳裏をかすめる。
「僕の名前はユルフォケンデラ。お金を出せ。さもなくば、死ぬだけだぞ。……お前たちには前にも会ったことがある。今度こそ持ってきただろうな」
 熊の上のヒマワリが言った。
「はい、ここにあります」
 タックは銀貨を見せる。光を受けて、それは白くきらめいた。
「たった一枚か?」
「まずは、これを受け取って下さい」
「ふん。よこせ」
 蔓が伸びていく。もう少しで奪われてしまうぎりぎりの所で、タックは少し離れたシェリアに銀貨を投げた。
「こっちよ!」
 シェリアはしっかりと受け取り、上に掲げる。
「早くよこすんだ」
 ヒマワリは新しい蔓を伸ばした。シェリアもまた、間一髪で銀貨を投げる。俺はばっちり受け取った。
「遅いぜ、魔獣さん!」
「こしゃくな」
 俺は次にルーグめがけて銀貨を投げた。ルーグはタックに、タックは俺に、俺はシェリアに、シェリアはルーグに……。俺たち四人は、銀貨渡しを続ける。リンは運動が苦手で、銀貨を上手く受け取ることが出来ないだろう、ということで抜かしている。人には長所と短所があるから仕方ないだろう。
「いいかげんにするんだ!」
 魔獣の怒りが頂点に達する頃。
「よし、行くぞ。ちゃんと受け取るんだ」
 ルーグは最後に、銀貨を魔獣に投げつけた。
「あっ!」
 それは、むなしく地面に落ちる。
「ようやく気付いたようですね」
 タックはほくそ笑んだ。そこら中に張りめぐらされた蔓は、お互いにからみ合い、にっちもさっちもいかない状態になっていた。
「まずは第一段階終了ね」
 シェリアは両手のこぶしに力を込める。
「お前たち……僕は許さない!」
 魔獣は叫んだ。怒り心頭といった感じだ。蔓が使えなくなったうえ、冷静さを失っている。今のところ、上手い具合だ。さすが仙人の立てた作戦。あの爺さん、伊達に長生きしてないな。
「許さない!」
 熊の部分はまだ動ける。蔓を引きずっているせいで多少スピードは落ちているが、それでもかなりの速さでルーグに猛突進した。
「ここまでおいで!」
 ルーグは全速力で逃げ、木の上に駆け上がる。熊は当然、登れない。
「うあっ?」
 シェリアが放った矢が、熊の横っ腹に命中した。熊はさらに怒り、今度はシェリアめがけて走る。
「私の弓矢の腕も、大分上達したわね」
 シェリアも急いで木登りをする。ルーグはその間に降りておく。
「ふざけるなっ!」
 今度はリンに向かって走るユルフォケンデラ。リンはかねてから準備しておいた魔法を唱える。
「ξψση∩∀……メムフェロっ!」
 リンの目の前に、銀貨の山が現れた。魔獣は急停止する。その間に、リンはさっさと逃げ出す。
 蔓が使えないので、魔獣は考えあぐね、熊の前足で取ろうとした。
「何だ?」
 足は宙をつかむ。
「騙(だま)された!」
 銀貨の山は幻だったのだ。
「ごめんねー」
 遠くに逃げたリンが、手を口に当てて叫んだ。
 シェリアは出来るだけ相手を怒らせるために、嫌味な口調で言う。
「魔獣なのに、幻術を見破れないなんて。どうしちゃったのー?」
「くそっ!」
 ヒマワリは悔しがる。魔獣の持っていた強大な魔力は、八年前にほとんど奪われたのだ。仙人の手によって。
(奴はもう、たいした魔法は使えないはずじゃ。感知能力も低下しておる。魔法に対する抵抗力が、わずかに残っている程度じゃろう)
 仙人の言ったとおりだ。
「さあ、第三段階だ!」
 ルーグが声を張り上げる。ついに来た。
 
 タックが色々な手を使って魔獣を引きつける。さすが盗賊、ひらりひらりとかわしていく。
「今だ!」
 俺は魔獣の隙をつき、熊の背中から生えているヒマワリを目指した。蔓のじゅうたんを踏みつけ、熊まであと一歩に迫った時。
「うおっ!」
 蔓が急に元気を取り戻し、俺の足にからみついた。
「駄目だ!」
 バランスを崩し、俺は前のめりに倒れた。蔓とともに引きずられる。熊は速度をあげた。
「助けてくれ!」
 俺は情けない声を発した。摩擦(まさつ)でズボンが破け、すねから血があふれる。地面の起伏によって、俺は上に浮かんでは下に叩きつけられる。その度ごとに激痛が走った。顔がこすれ、目も開けられない。
「ケレンスっ!」
 リンの叫び声が聞こえた。
「ぐっ!」
 蔓にからまれながらも、俺はなんとか上体を持ち上げ、仰向けの体制になる。今度は背中が熱くなってきた。後頭部を地面に打ちつけ、意識がもうろうとする。
「止まれ!」
 タックは熊を引きつけるのをやめて振り向いた。しかし熊はタックを吹っ飛ばして走り続ける。
「ぎゃあっ!」
「タック!」
 リンはもう泣きそうだった。
「ζξфэ∂刀c…クォールン!」
 その時、シェリアの魔法が発動し、やっと俺は蔓から解放された。
 身体中の痛みを我慢してどうにか立ち上がると、俺にからみついていた蔓が、氷の矢でしっかりと断ち切られていた。
 全く危なかった。俺はがっくりと膝(ひざ)をつく。
(蔓が引きずられた結果、あちこちが途切れ、そこから新しい蔓が伸びたんだな。全く予想できなかったぜ)
「ケレンスっ!」
 リンが駆け寄ってきた。幸い、熊も疲れ果てて呼吸を直しているところだ。
「ひどい怪我だよ。ひどい……」
 リンの目から涙があふれる。
「いいから、早いとこ応急処置をしてくれ。俺の役目は、まだ終わってねえんだ」
「でも……」
「早くしろ! また熊が動き出すぞ!」
「……うん。БЁЦД、聖なる女神ユニラーダよ、この者の怪我を治したまえ! ハロ!」
 背中の痛みはいくぶん治まった。
「すねも頼む」
「ハロっ!」
 リンの指先から白い光が現れ、傷口をふさいだ。
「ケレンス、本当に気をつけてよ!」
 リンは涙声で叫んだ。
「ありがとな。心配すんな」
 俺はよろめきながら立ち上がると、今度こそはと気をつけて蔓の上をひょいひょい飛び歩き、息切れしている熊の背中にまたがった。
「グゥゥゥ……ウグゥ」
 熊は再び走り出した。俺を振り落とそうとして、わざと左右に揺れる。
(魔獣は月光術の産物。月光の属性を帯びているのじゃ。つまり、日光には弱い)
 再び頭の中を駆けめぐる、仙人の言葉。俺は熊の背中になんとかしがみつき、振り落とされないように気をつけながら、ポケットのナイフを出した。白い光を放つ、魔法のナイフだ。
「それ以上近づくな!」
 ヒマワリは悲鳴をあげる。残っている蔓が、俺にからみつこうと動き出す。
「ケレンス、後ろに気をつけろ!」
「ああ!」
 ルーグの忠告に、俺は右手をあげて応えた。握っていたナイフの刃が光る。
 熊はぐるぐる回りだした。俺の目を回そうとする寸法だな。
(その日光を吸収しているのが、背中のヒマワリじゃ)
 俺は右手を高く掲げ、躊躇(ちゅうちょ)せずにまっすぐ、ヒマワリに突き刺した。確かな感覚。
「うぉぉぉぉー!」
 ヒマワリの断末魔(だんまつま)の声が、辺りにこだました。ナイフから白い光があふれ出し、目を開けていられなかった。
(このナイフには日光の力が込められておる。ヒマワリを消し去れば、熊は日光の力を吸収しきれず、時を同じくして崩壊するはずじゃ)
 全てが真っ白の世界。精根尽き果てた俺は、その光の中で意識が遠のいていった。


(七)


 気がつくと、俺は寝かされていた。身体が重い。ゆっくりと右目を開ける。
「ケレンス!」
「うわっ!」
 いつものリンの顔がすぐそこにある。
「心配したんだよ! 無茶するから……」
 涙の滴が、俺の鼻の上に落ちた。
「うおっ!」
「どうしたの?」
「そんなところで泣くな。涙が切り傷にしみるだろーが!」
「ほんと? ごめんね……。でも、よかった」
「ケレンス、気がついたの?」
 シェリアが駆け寄ってきた。どうやらここは急ごしらえ、落ち葉ベッドの上らしい。風が涼しく、空は赤い。気持ちのいい秋の夕暮れだ。
「シェリア。今回ばかりはお前に感謝するぜ。氷の魔法で助けてもらったからな」
「助かってよかったじゃない。まあ、全面的にあたしのお陰だけどね。お礼は何にしてもらおうかしら? 新しいローブか、首飾りか……どれも迷うわね〜」
 こりゃ大変だ。シェリアに借りが出来てしまった。当分たかられそうだ。お金がいくらあっても足りないぜ。
「ケレンスさん、本当にありがとう。仙人が『お前にしか出来ない役目だ』って、あなたにナイフを預けたのもうなずけます……。とにかく、どう感謝したらいいのかわかりません」
 狩人が頭を下げた。
「なあに、これが冒険者の仕事だ。いいってことよ」
「見て下さい。ユールも元通りになりました。今度こそ、本物の『人間ユール』です」
「ケレンスの一撃で、ユール君に残っていたわずかな魔獣の部分が、完全に取り払われたのです」
 タックが説明した。
 首を右に倒すと、俺の横には少年が横たわっており、静かな寝息をたてていた。
「ユールの怪我は?」
「大丈夫。背中に軽い切り傷があるだけだよ」
 リンが笑った。
 
 翌日、狩人の家を出た俺たちは、再び峠に向かっていた。
「すっかり忘れてたな」
 そう、事の起こりは郵便配達のバイトだった。俺たちはそれを果たすべく、隣町を目指して歩き続ける。
「ところで、俺がヒマワリにナイフを突き刺した後、どうなったんだ?」
 みんなは微笑む。
「何だよ! 教えろ」
 俺は仲間外れにされ、むきになった。シェリアが言う。
「白い光があふれたでしょ? あたしたちも目をつぶったの。少し時間が経ち、ゆっくり目を開くと……」
「そこにはケレンスと、そして裸のユール君が倒れていたんです」
 タックが言った。その続きはルーグ。
「私たちは二人に駆け寄った。全員が取り囲む中、ユールは目を覚まし、腕に抱えていたお金を差し出す」
「狩人さんがそれを受け取ったの。するとユール君は『お父さん、お金が欲しいのならここにあるよ。全部あげる。その代わり、僕を町に連れていかないで』って。それだけ言うと、寝ちゃったんだ。狩人さんはユール君を抱きしめる。……落ち着いてから、あたしたちはケレンスとユール君、二人を落ち葉の上に運んだの」
 リンがなつかしそうに言った。俺はうなずく。
「そうだったのか。ユールの奴、魔獣になってもなお、人間の頃の気持ちが残っていたんだな。……いい話だ」
 森の向こう、遙か下に目指す町が見える。
「久しぶりに美味しい食事が食べたいわね。ケレンスく〜ん?」
 シェリアの甘いささやき。
「仕方ねえな……」
 俺は薄っぺらい財布の中身を見て、がっくりとうなだれた。
 
 隣町の役所に手紙を届け、特に用事もないので帰途につく。あとはジャミラ町の役場に報告書を持っていけば、引き替えに報酬をもらう取り決めになっている。
 またまた通りがかることとなった、例の峠。
「何だこりゃ?」
 大きな立て札。その周りにたむろする、作業員風の男たち。辺りには丸太が転がっている。
「何やってるんですか?」
 好奇心を抑えきれないリンは、その中の一人に訊ねた。
「旅人の嬢ちゃん。よく覚えておくといい。今度、ここは〈魔獣峠〉という名所に指定されたんだ。ジャミラの役場によってな」
「へーえ。随分と動きが早いわね」
 シェリアは目を丸くした。リンは再び質問する。
「それじゃあ、ここには何を建てているんですか? 食べ物屋さん、それともお土産(みやげ)屋さん?」
「いいや、関所だ。嬢ちゃんのような旅人から、峠の通行税を徴収するためのね」
「通行税?」
「そして、君たちが栄誉ある第一号というわけです。さあ、税金を払っていただきましょうか」
 振り返ると、冒険の依頼主、ジャミラ町の役人がほくそ笑んでいた。
「それとも、報酬から税金分を引いてお渡しする方がいいですか?」
「税金だなんて……」
 俺たちは顔を見合わせ、苦笑した。
「魔獣と変わらないじゃん!」

(了)



【この作品は"秋月 涼"の著作物です。無断転載・複製を禁じます】