まほうのケーキ 〜
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秋月 涼 |
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(一)
仲良しのレイベルの誕生日が近づいてきて、魔女の孫娘のナンナはいつものように軽い気持ちで、どえらい約束をしました。 「ケーキは用意しなくていいよ。ばっちり大丈夫、ナンナに任せといて! すんごい魔法のケーキを作っちゃうからねっ☆」 そしていよいよレイベルのお祝い会は明日です。早めに準備したほうが安心じゃろう、と魔女のお婆さんはやんわり注意しましたが、ナンナは学び舎の手提げ袋を放り出すなり、ほうきにまたがって遊びに出かけました。風に乗って声が流れてきます。 「あとで〜。ケーキなんて、魔法でちゃちゃっ、だもん!」 (二)
その日の夕食が済んでから重い腰を上げ、ナンナはケーキの材料をテーブルの上に並べました。精神を集中させ、レシピ魔法の本を見ながら馴れない高度な調理呪文を口ずさみます。 「ティンクルリンクル……」 めんどくさがりやのナンナは、卵やミルクや砂糖をまぜてから温めるのではなく、まぜながら同時に熱しようとする、普通の人ならば絶対にやらない無謀な魔法の使い方をしました。 ボム! 「きゃあぁ〜っ!」 すると案の定の結果です。ナンナの悲鳴は村の大通りに響きわたりました。ケーキの材料の卵は暴発、ミルクは蒸発、失敗誘発・頻発・併発・連発で、ナンナの頭の中も大爆発です。 材料は無くなり、そのうえ、お店もとっくに閉まっている時間です。ナンナは裁縫をしていたお婆さんに泣きつきました。立派な魔女のお婆さんなら、ケーキを出すくらい、わけありません。 けれどナンナがいくら頼み込んでも、お婆さんは決して手伝いませんでした。そのかわり助言をくれました。家の中に隠してある非常用の砂糖のありかと、牛と鶏を飼っていて明日の朝に卵とミルクを分けてくれそうな近所の家を教えてくれました。 「めんどくさいな〜」 ケーキ作りをあきらめ、レイベルに一言謝って済ませようと考えたナンナを、今まで穏和だった魔女は初めて強く叱りました。自分の手落ちで約束を破るような孫娘は絶対に許さず、永久に家から追い出すというのです。お婆さんの瞳は本気でした。 その晩、ナンナは泣きながらベッドに突っ伏しました。 (三)
次の日は朝早くから抜けるような青空でした。食事の用意をしようと老婆が起き出したときです――台所の横の勝手口がきしみながら開きました。まだ温みの残る卵と牛乳びんを両手に、眠たそうな目をしたナンナがまさに今、帰ってきたところです。 「おはよう、おばあちゃん。ケーキの作り方、教えてね!」 それからナンナとケーキとの格闘が始まりました。ごく普通の古びた料理の本をテーブルに置き、お婆さんからコツを聞いて、ナンナは最初に型を作りました。それから卵と砂糖を程よく混ぜあわせ、溶かしたバターを加えます。生地を型に流し込み、それを窯に入れて蒸し焼きにします。火力を調節して、焦げそうなギリギリまで蒸すのが、初心者のナンナには難しいのです。魔法は使わずに、まきを加えたり、ふいごを吹いたりしました。 「ふぁ〜……できたっ☆」 果たしてケーキは完成しました。見栄えはとても悪く、崩れかけた古代の神殿のような物体でしたが、ナンナはとても誇らしく思いました。気持ちのいい汗をぬぐうと、朝ご飯もそこそこに、手提げ袋をひったくって村の学び舎へ駆けてゆきます。 (四)
たいくつな時間が過ぎ去り、ナンナは素晴らしい青空のもと、息せき切って丘を登ってきました。せっかくのケーキがアリやハエに食べられたりしていないかどうか、心配だったのです。 魔法の薬草屋に飛び込み、カウンターの裏にある狭い食堂に入ります。完成したケーキは出来たてのままテーブルに置いてありました。しかしそれはナンナの頭の中で描いていたケーキよりもだいぶ不恰好な代物でした。傾き、焦げがあり、スポンジも均一ではなく、見てくれの悪さはいかんともしがたいのです。 ナンナはせっかくのケーキを爆発魔法でこっぱみじんにしたい衝動にかられました。こんなものをレイベルに見せるくらいなら、持っていかない方がマシなのではないかと思ったのです。その考えは飛べない紙風船のように心の中で大きく膨らみました。 その時、後ろから現れた魔女がナンナの肩を叩きました。 「それが今の実力なんじゃよ」 ナンナは下を向いて、くちびるを切れそうなくらい噛み締めました。悔しさの中で心の紙風船はしぼみ、何とかそこで踏みとどまりました。ケーキをレイベルに渡すことにしたのです。 (五)
時計台の鐘が三つ鳴るころ、ナルダ村の子供たちはプレゼントを持ち寄って村長さんのお屋敷に集まりました。レイベルは村長さんの娘なのです。まもなくドアが開き――フリルつきの可愛らしいドレスで身を装い、おめかししたレイベルが現れます。 「お待たせ。みんな、来てくれてありがとう。さあ、入って!」 歓声を上げて立派な屋敷に踏み込む学び舎の友達に続き、大きなつつみを持ったナンナも続きます。ナンナには珍しく、うつむきがちにモジモジしていると、レイベルの声がしました。 「ナンナちゃん、来てくれたんだ!」 「あの、あのねっ……」 ナンナは顔を上げましたが、言葉に詰まりました。友達はみな、奥の部屋に向かい、玄関にはナンナとレイベルだけです。 右肩に乗っていた使い魔のインコのピロに肩をつつかれると、ナンナは瞳をぎゅっと閉じました。そしてあらん限りの勇気を振り絞り、持ってきた大きなつつみを相手に押しつけました。 「レイっち、ごめん!」 「どうしたの? 何かあったの?」 レイベルがびっくりして声高に訊ねると、ナンナは顔を上げ、自らを奮い立たせ、一気に事の顛末を説明しようと考えます。 けれど、どんなに振り絞っても、一言しか出ませんでした。 「あのねっ、魔法のケーキねっ……」 ナンナが再び視線を地面に向けて黙り込むと、レイベルは渡されたプレゼントをまじまじと見つめ、瞳をぱっと輝かせました。 「魔法のケーキ? これ、魔法のケーキなの?」 ナンナは、こくんとうなずきかけ、思い直して首を振りました。でも相手はすっかり魔法のケーキだと信じ込んでしまいます。 「ほんとにありがとう! ナンナちゃんなら、きっと約束を守ってくれると思ってたんだ。だから今回、うちではケーキを用意しなかったんだよ。わたし、魔法のケーキ、とっても楽しみだったの」 「でもね……」 「さあ、行きましょっ!」 レイベルが、はにかんだ素敵な笑顔で先をうながすと、 「う、うん」 ナンナは曖昧に言葉を濁しました。歩きながら、心の中では反省や後悔ばかりが渦を巻いています。どうして、ちゃんと説明できなかったのだろう――気分は鉛のように重くなりました。 ちょうどレイベルのお母さんが呼びに来たところでしたので、レイベルはケーキのつつみをお母さんに預け、ナンナの手を取りました。普段の二人からすると、中身だけが入れ替わったような変わりぶりです。元気で華やかなレイベルと、恥ずかしそうなナンナは、手をつないだまま奥の部屋へ進みました。 (六)
今や遅しとレイベルが現れるのを待っていた子供たちは、主役の登場で大いに沸き返りました。みんなは彼女を丸く囲み、心からの祝福の言葉とともに次々と贈り物を渡していきます。 その間に、上品な物腰の村長夫人――レイベルのお母さんが、お皿とナイフとフォークとを持ってきたので、手持ちぶさたのナンナは食器類をテーブルに並べるお手伝いをしました。 「どんなケーキなんだろなぁ?」 食いしん坊の男の子が楽しそうに本音をつぶやいた時、レイベルは両手で抱えきれないくらいのプレゼントを受け取り終わって、それらを床に置くところでした。着飾った娘は、みんなの顔を見回しながらお礼を述べ、ていねいに頭を下げました。 それから大親友のナンナへまっすぐに視線を送りました。ナンナの心臓はどきんと鳴り、続いて鼓動が激しく打ち始めます。 「紹介するわ。今回のパーティーのケーキは、ナンナちゃんが作ってくれたの! 魔女にしか作れない、魔法のケーキだよ」 「えへへっ☆」 注目が集まると、ナンナは半ば開き直って微笑みました。男の子たちはナンナを見直して、しきりに褒めちぎりました。 「すげーじゃん」 「たまには女らしいこともするんだなぁ」 もはや誤魔化せません、ついにケーキが披露されるのです。結わえた部分をほどき、レイベルのお母さんはささやきます。 「さあ、開けますよ……」 ナンナがぎゅっと目を閉じると暗闇だけが見えました。顔は血の気が引いて真っ青です。ナンナは諦めて耳をすませました。 箱が開かれる音がした刹那、村長夫人は小さく叫びました。 「あらまあ大変! 運ぶときに壊れたのかしら」 ナンナの頭の中と胸のあたりに雷のような電撃が駆け抜けます。そのうえ男の子たちが洩らした正直な感想が、ナンナの心に鋭く、深く、えぐるように突き刺さって、とどめをさしました。 「げーっ、なんだよこれー」 「きったねーの」 「ナンナらしいなぁ」 瞳はじわりじわりと涙の温泉になってあふれだし、ナンナの柔らかい頬を伝います。ナンナは自分が悔しくて、情けなくて、やりきれない思いでした。男の子がはやし立てるのが悔しかったのではありません。大親友のレイベルにさえ本当のことが言えなかったのが悔しかったのです。そんな自分を大ばかだと思い、レイベルと友達でいられる資格は全くないと思いました。 おばあちゃんの言うとおり、早く用意すれば良かった――。 いつも明るいナンナの涙に、男の子たちは戸惑い、凍りつきました。レイベルにとっては一年に一回きりのお祝いの席だというのに、雰囲気は重くなりました。誰もしゃべりません。 もしも空間を移動できる魔法が使えれば、今すぐにでもこの場から消え去り、逃げ出したい気持ちです。もちろん、それは叶いません。ナンナはいよいよ覚悟を決め、低い声で謝りました。 「レイっち、楽しみにしてたのにごめんなさい、あたし魔法のケーキ失敗しちゃった。それ、初めて作った手作りのケーキなの」 そして涙いっぱいの目で、頬をふるわせながらレイベルをしっかりと見つめました。レイベルは一瞬だけ驚いたようでしたが、次に誰も予想できなかった不思議な行動を取ったのです。 彼女はテーブルに歩み寄り、おもむろにナイフを持つと、慎重な仕草でケーキに下ろしました。スポンジにまっすぐ切り込みが入り、最初は二つ、結局のところ十六人ぶんのケーキが生まれます。自分に近い側の一かけを選ぶと、右手のナイフと左手のフォークで上手に支え、お花の模様のある取り皿に移します。 勘のいい男の子が叫びました。 「おぉい、やめとけよ。ハラこわすぞー」 「そんなことないわっ!」 おとなしいレイベルが珍しく声を荒げました。その目は怒りの炎に燃え上がっています。すぐに男の子は口をつぐみました。 レイベルのお母さんも静かな口調でナンナを援護しました。 「そう。ケーキは形も大切かも知れないけれど、一番大切なのは中身です。食べる前からそんなことを言うのは失礼ですよ」 今度は男の子たちが黙り込んでしまいます。ナンナはみじめな気持ちになりました。レイベルの誕生日会が台無しです。 まさに、その時です。 金属同士のぶつかる高い音が響きました。 レイベルがフォークをお皿に落としたのです。 そして。 奇跡は起こりました――。 「このケーキ、おいしいよ!」 「えっ?」 ナンナは涙の筋を顔に残したまま、パッと顔をもたげました。その褒め言葉にはケーキを作った本人が一番耳を疑ったことでしょう。自分の耳がおかしくなったのかと思ったほどです。 けれど、それは紛れもない事実でした。 「ナンナちゃん、ほんとは魔法使ったんでしょう?」 「はわぁ〜?」 親友の質問に、ナンナは瞳をぱちくりさせました。みんなにざわめきが起こります。ちっちゃな魔女はにわかに元気を取り戻してゆき、顔は血の気が増してほんのり赤く染まりました。そして作品の味を確かめるため、レイベルのもとへ駆けつけます。 「んぐんぐ」 口いっぱいに詰め込み、ナンナは上下左右にあごを動かしました。とっくに冷めてはいたけれど、舌の上から心の奥まで温かさが広がってゆくような、ちょっと甘めの、すてきな味でした。ごくりと飲み込んでからの後味も悪くありません。予想以上の出来に、ナンナは思わず飛び上がってガッツポーズです。 「うわ、ほっぺた落ちそ☆ 信じらんないよぉ!」 「マジかよっ?」 子供たちはナンナのケーキの前に並び、あっという間に行列が出来ました。今回のシェフは最高の笑顔で、ケーキを一片ずつ、お皿に分けてあげます。その間にも、あっちで一人、こっちで二人と歓喜の声がはじけて、部屋中にこだましました。 「うめえよ、これ!」 「おいしいわ!」 「やるじゃねえか、おてんばっ」 「やった、やったよーっ!」 ナンナは泣き笑いで大はしゃぎしました。 一方、ドレスを着た可愛らしい主役は、くるりと一回りして半分しゃがみ、スカートの裾を軽く持ち上げて正式の礼をします。 「私の大切な魔女さん。どうもありがとう、魔法のケーキ!」 「どーいたしまして、お安い御用だよ〜。魔女におまかせね☆」 ナンナはすっかり調子に乗り、親指を立ててウインクです。 「さあさあ、みんな。美味しいものを食べて、おなかもふくれて盛り上がったところで、レイベルの誕生日会を始めましょう!」 レイベルのお母さんも、ちゃっかり最後の一かけらを平らげていました。ケーキは五分と持たないうちに売り切れです。 お母さんの宣言を受けて、子供たちはフォークを持った利き腕を天に向かって突き刺し、あらん限りの大声を発しました。 「はーい!」 レイベルとナンナは目で合図し、がっしりと手を握ります。 こうして幸せなひとときが幕を開けたのです。 | ||
(了) | ||
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