道端で

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


「あらら……」
 道端にひっそりと咲き誇っていた南国特有のささやかな黄色い花たちは、大きく轍を逸れた馬車馬のひづめにかかり、蹂躙され、その羽を痛々しく散らして、まさに瀕死の体であった。
 そこに一人の少女が現れる。花の前で思わずしゃがみ込み、両手を胸の前で祈るように組み合わせたのは、ミザリア国のマリンブルーの海のように澄んだ瞳と、神秘的な光を湛える長い銀の髪を伸ばして、お気に入りの民族衣装風のスカートを着こなした天涯孤独の十六歳の娘、サンゴーン・グラニアである。
「かわいそうですわ」
 悲嘆にくれていたのは一瞬のことであった。普段はボケ気味でどんくさい彼女であるが、動物や植物のこととなると、隠し持っていた素晴らしい判断力と優れた実践力を発揮するのだ。
 サンゴーンは即断即決し――というよりも考える前に身体が動いた、という感じで、手が泥だらけになるのも気にせず、ただちに花たちの周りの土を浅く掘り始めた。町の人はぎょっとした目つきで道端の少女を見下ろし、通り過ぎてゆくが、完全に自分の世界へ入っているサンゴーンは気づく素振りも見せない。
 土を掘り、残土をのけ、だんご虫に悲鳴をあげ、少しでも失敗すれば切れてしまいそうな月色の花の根本をしっかりつかみ、精神を集中させたまま力を込め、花が抜けると同時に尻餅をつき、たなごころに載せたまま立ち上がって歩き出し、すぐに道を外れ、今度は先ほどと逆の作業を繰り返す――花を植える。
 彼女はいたいけな花たちを一本ずつ丁寧に抜くと、安全な果樹園の脇に植え替えるという、見た目よりも遙かに神経を使う細かい作業を続けたのである。しかも普通に立っているだけで汗だくになる、南国の焼け付くような太陽のもとでだ。喉は張りつくように渇ききって水を求め、目は汗が沁みて開けるのもつらい。もともと体力のある方ではなく、目眩もする。けれどもサンゴーンは頭を空っぽにし、ただひたむきに、黙々と手を動かし足を動かす。散ってしまった花びらも忘れずに拾い集め、新天地の大地に埋めた。時間も忘れ、いつしか最後の一輪になる。
「あっ!」
 かすれた声で驚きの声をあげる。今やサンゴーンの方が倒れそうなほど疲労困憊していたが、その顔はみるみるうちに元気を取り戻し、それとともに瞳の海は汗でもなしに濡れていった。
 すべて落ちてしまったと思った花びらだった。が、よく見ると、その花だけは、たったの一枚だけれども、黄色の蝶の美しい羽のように自由な翼を、その小さな身体に残していたのである。
 何だか良く分からなかったが、サンゴーンは涙が止まらなかった。森の泉水のように溢れて、日焼けした頬をヒリヒリさせるのも構わず、そろそろ夕暮れを迎えようとしている空の下、身じろぎもせず、その場にしゃがみ込み、こころ震わせていた。
「おねえちゃん、えらいんだね」
 沈黙を破ったのは、椰子の木の陰から顔を出した、まだ五歳ほどの女の子であった。ザーン族の特徴である金の髪を可愛らしく編み込み、素敵な空色の瞳は不思議そうに瞬いている。
 サンゴーンは服の袖で涙を拭き、誇らしく立ち上がると、作り事の感情では決してたどり着けぬ最高の笑顔を浮かべ、手招きをする。その姿は儚くも優しい花の天使を彷彿とさせた。
「もしよかったら、最後のお花、植え替えませんの?」
「……うんっ」
 夕風が身体をなでる。少し迷ったあと、女の子は心を決めて木陰から飛び出し、完全に姿を現すと、素早くサンゴーンのそばに駆け寄った。期待と好奇心とに胸を膨らませて……。

 良いことも悪いことも、きっと誰かが見ていよう。見返りを求めない地道な活動の積み重ねこそが、やがて〈草木の神者〉として――いや、むしろ一人の人間としてのサンゴーン・グラニアの評価を高めてゆくことになるが、それはまた別の話である。

(了)



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