王女暗闘

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


[アクセス20001件記念 まじっかぁさんへ]

 脳が溶けそうなくらい、うだるように暑い南国ミザリアの夏の、そのまた特別に暑い日もようやく暮れかかろうとしていた。ここは王都にして国内第一の都市、ミザリア市の住宅街である。
「ちょっと、そこのリィメル族!」
 その路地を通り過ぎる時、機嫌の悪そうな少女の甲高い声がした。レフキルは自分のことを呼ばれたのだと察しがついたが、敢えて無視を決め込む。目の下に隈を作り、全身は乾いた汗でベタつき、皮膚は真っ赤になってしまうほど日焼けをし、足が棒のようになっており、体力的にも気分的にも最悪だったからだ。
 彼女は人間と妖精メルファの合いの子、耳の長いリィメル族の十六歳。現住所は湾を挟んだ反対側のイラッサ町だが、今は大事な捜し物でもあるのか、王都ミザリアを彷徨っていた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! お前、聞こえてんの?」
 予想外の反応に、声をかけた方は拍子抜けする。レフキルを追い、慌てて飛び出したのは、肩にかかる艶のある黄金の髪も美しく、青い双眸から発せられる眼光は鋭いが、レフキルと同じくらいか少し年下に見える、妙に肩のがっしりした少女だった。格闘家が好むような、動きやすくて堅い皮の武道着を着ている姿は見るからに暑苦しかったが、よく見ると、それは外国から輸入した最高級の皮を使用し、紋章が誇らしげに輝いていた。
 王家に仕える国内随一の格闘家を師匠とし、身体を鍛え続ける〈おてんば王女〉として世界に名を轟かせ、城を抜け出したのは数知れぬ。前回はドレスで脱走するという愚を犯し、様々な騒動を巻き起こしたのだが、今回はその反省を活かしたようである。しかしながら容姿の整った若い少女に似つかわしくない武道着では結局のところ目立ってしまい、追っ手の近衛騎士から逃れるため路地に隠れつつ移動する羽目になってしまった。
 彼女こそはミザリア国の正当な第一王女にして、賢明なるレゼル王太子の妹、十五歳のララシャ・ミザリア姫である。
「返事しないと、ぶっ飛ばすわよっ!」
 王女らしからぬ暴言だが、これは格闘の師匠の受け売りである。彼女に限らず、わざと汚い言葉を使ったり、両親や義務に反発したい年頃でもある。本人はドスの効いた声を出したつもりでも、生来の可愛らしさを完全に消すことは出来なかった。
 他方、落ち込んでいたレフキルは、かっと頬を朱に染める。振り向いて言い放った言葉には静かな怒りが込められていた。
「あんた、何様のつもり?」
「王女様よ!」
 胸を張り腰に手を当て、ララシャはのけぞるほど威張って応えた。レフキルは目を丸くしたが、すぐ興味なさそうに歩きだす。
「あたし、くだらない冗談につきあってる暇はないの」
「な、なんですって!」
 今度はララシャが怒り狂う番だ。武道着の袖をまくり、筋肉質の腕をあらわにする。通りをゆくザーン族の人々は、もともと好奇心旺盛なこともあり、少女たちの確執に目を向けた。このままでは姫を捜す騎士たちに見つかるのも時間の問題だろう。
 その時、レフキルは急に立ち止まると、ララシャに向かってすがるような視線を送った。もともと元気印で行動的な商人の卵のレフキルであるが、今や見るも無惨なほど疲れ果て――持ち前のパワーが爆発寸前のララシャ王女とは対照的であった。
「この辺で、十六歳くらいの女の子、見かけなかった? ザーン族で、髪は銀色で、背はあたしよりも頭半分くらい高くて、緑色の宝石を首にかけてて、ボケ気味で、変な言葉遣いで……」
「そんな急に言われても、わかんないわよ!」
 ララシャは思わず怒鳴ったが、その態度はさっきよりも幾分、落ち着いているようだった。もともとが寂しがり屋のララシャは、レフキルの反応が、ことのほか嬉しかったのだ。その上、リィメル族の少女が人捜しをしている事態にも強く興味を惹かれた。
「そいつの名前は?」
 思わず話に夢中になり、ララシャは身を乗り出した。レフキルは素早く周りを見回し、王女に近づくと、小声で耳打ちする。
「サンゴーン・グラニア。さらわれたの!」
「さらわれた? 面白そうじゃない、腕が鳴るわ!」
「シーッ!」
 ララシャが大声をあげたので、レフキルは思いきり渋い顔をして唇に人差し指を当てる。どう話を継ごうかと悩んでいたレフキルはしばし口をつぐむと、代わりにララシャがしゃべり出した。
「そういえば、その名前、朝食の時に侍女から聞いた気がするわね。内密だけど、サンなんとかっていう草木の神者が……」
「それよ! その子よ! なんで知ってるの?」
 今度はレフキルが叫ばずにはいられなかった。一日じゅう、歩き通しても見つからなかった手がかりが掴めたのである。
「ラ、ララシャ様!」
 その時だった。若い男の声が通りに響き渡る。騒ぎを聞きつけた近衛騎士の一人が、ついに主君の姫君を見つけたのだ。
「まずっ。とりあえず逃げるわよ!」
「ええっ?」
 仰天しているレフキルの腕を強く引っ張り、にわかにララシャは駆け出した。頭よりも身体が先に動いてしまうタイプだ。
「お待ち下さーいっ!」
 騎士に追いかけられるという、生まれて初めての経験をしたレフキルは、走りつつ隣の少女に念を押さずにいられなかった。
「あなた、ほんとにララシャ様なの?」
「だから最初に言ったじゃないの。王女様だって!」
 ララシャはむくれて言い返す。彼女はもとより、レフキルもそれほどひ弱なたちではない。二人は逃げて逃げて逃げまくった。
 いつの間にか日没し、騎士の姿はとうに見当たらなくなっていた。同年代の少女たちは胸を抑え、ようやく立ち止まる――。

(了)



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