あの日 〜
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秋月 涼 |
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「きもちぃ〜」 長く猛威を振るったイラッサ町の〈夏〉にも、少し陰りが見え始めた。海沿いの大通りでは、夕方になると驚くほど涼しい風が吹くこともあり、ウピはふと立ち止まる。額にかかる黄金色の前髪はふわりと舞い上がり、黄昏の光を浴びて赤くきらめいた。 休みの日、ルヴィルともレイナとも都合が合わず、暇を持てあまして久しぶりに海辺の道を独りで歩いた。一年中、泳ごうと思えば泳げる亜熱帯のミザリア海だが、クラゲが水中の蝶のように我が物顔で浮遊している今の時期は泳ぎに適さないため、砂浜の人影は一ヶ月前とは比較にならぬほど疎(まば)らとなり、海の花園も最盛期からすれば目に見えて色褪せていた。 海の花園――。 潤月(うるおいづき=七月)ともなれば、ミザリア島は山だけでなく海の中まで夏の花が咲き乱れる。裸足で立っていられないほど白砂は燃えるように熱く、透き通った海水を湛えた遠浅の波打ち際と、水底で揺れる珊瑚の花は、まさに〈海の花園〉の名にふさわしい。ルデリア世界では、ミザリア島か弧状列島、あるいはフォーニア島といった熱海(ねっかい)の周辺でしか見られない独特の景色である。潮の香りまで、どこか情熱的だ。 風は海に潜って汐となり、また陸へ顔を出して草木と戯れる。岩場の細い海流で、小魚とともに波の先端はちゃぷちゃぷ跳ねる。水面に映る第二の太陽は静かに揺れ、そして夕暮れはひときわロマンティックになる。空と海は一対の美しい水彩画となり、時間と空間を越えて、どこまでも果てしなく広がってゆく。 あの日の回想から、ウピはふと我に返った。 南国の木々は紅葉しないし、相変わらず厳しい残暑は続く。だが、そんな中でも季節は確実に移ろってゆくのであった。あの日と良く似た日没も、ウピの心は全く違うものとして捉えた。 「さあ、帰ろっかなっと」 ウピはゆったり家路をたどることにした――秋の歩く速さで。 | ||
(了) | ||
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