海路の朝

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


 潮の香が辺りに漂っている。
「クリス様、お食事の支度が整いましてございます」
「はい、わかったわ。ただいま行きますと伝えて」
「かしこまりました」
 金の滝のような巻き毛はお気に入りの侍女が整えてアップにし、髪留めで止めた。公国直属船の水夫の白い制服を好んで着用し、ズボンは肌にピッタリとして動きやすく、強調された脚の長さは見る者の目を惹いた。椅子から立ち上がると、女性としてはかなり背が高いのに気づくが、ウエストが細く、大柄だとは感じない。クリスは大きく伸びをして、首を左右に動かした。
 ドアを開けると木の床を張った広い甲板で、見上げればと西風をいっぱいに受けた白い帆が風をいっぱいに孕んでいた。見下ろせば蒼い海には波頭が揺れ、それはルデリア世界の東に横たわり、どこまでも果てなく続くと伝えられる〈永海〉である。
 船員たちに挨拶をしながら食堂へ向かう途中、見慣れた男と鉢合わせた。五十を過ぎたが、体格の良い生粋の海の男だ。
「おはようございます、クリス様。よくお眠りになりましたかな」
「おはよう、グローズン」
 クリスは屈託のない普段通りの笑みを振りまいて応えた。
「ぐっすり眠っちゃったわ。立派な船員たちがいるから安心ね」
「こりゃまた、朝からお世辞がお上手だ」
 あご髭をたっぷりと蓄えた船長のグローズンはさも楽しげに大声で笑い、二人は並んで談笑しながら食堂へ向かうのだった。

 シャムル公国の第一公女であるクリス・シャムール姫は、向日葵(ひまわり)を彷彿とさせる若さの盛りの二十一歳である。ミザリア国のララシャ王女とはまた違った方向で、活発で積極的で健康的な姫君である。外見的には可愛らしいというよりも美人タイプだが、気だては良く、民衆の人気は高い。年頃であり、当然の結果として貴族からの結婚の申し込みも数多いが、兄のクロフ公子の嫁が決まるまでは、と断り続けている。
 だが実際のところ、クリスは〈もうしばらく自由を謳歌したい〉という、公爵の娘としては斬新な考え方をしていたのであった。
「そう、この海のようにね――」
 向こうに幾つもの島影が見えてきた。公爵家の代表として視察に訪れるシンシリア列島だ。クリスは潮風に吹かれ、ゆっくりと島が近づいてくる様を、落ち着いた心持ちで眺めていた。

(了)



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