花の咲く道

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


(一)

「ナンナちゃん……またおばあちゃんに叱られるよ」
 そう言ったのは村長の娘のレイベルだ。黒い髪を風になびかせ、心配そうに顔を曇らせて、友達のナンナを見つめている。
 一方、ナンナは少しカールのかかった黄金の髪が愛らしい魔女の孫娘で、はるばる都会の町から越してきた。明らかに悪戯をたくらんでいる青い瞳を大きく見開き、ナンナはこう言った。
「だって、育てるなんて、めんどくさいな〜」
 昨日の昼間の話し合いで、学舎の生徒たちは村での今年の役割分担を決めた。その時、レイベルは公道での花壇づくりを提案して認められ、担当者となった。そして友達のナンナを誘ったわけであるが、明らかに人選ミスと言わざるを得なかった。
「手伝ってもらえるのは嬉しいけど……」
「ヘーキだよ。ナンナにおまかせっ☆」
 翌日、二人はさっそく種と肥料とスコップとバケツを持って花壇の予定地へ向かい、方針を話し合った。おおざっぱなナンナは、主に植物を扱う〈妖術〉で花を育てようとしたのである。
 二人はまず肥料を混ぜ、それから種を蒔き、適度に水を撒いた。半ば無理矢理な論理でレイベルを説得したナンナは、いよいよ魔法の呪文を、お得意の〈うろ覚え〉で詠唱したのだった。
「草木の隠す……じゃない、草木の宿す未知の……神秘の、力の……力を? まあいいや、とにかく早く大きくなーれっ」
「大丈夫かな」
 ナンナのアバウトな呪文に、横ではレイベルが、いつもながら不安げにうつむく。心配をよそにナンナは大きく手を伸ばした。
「マギリッタ!」
 
 
(二)

 ぽんっ!
 妙な破裂音がしたかと思うと、ナンナの手のひらから緑の霧が吹き出した。むせる魔女の孫娘に、レイベルは駆け寄る。
「けほっ、けほっ、けほっ……」
「ナンナちゃん!」
 レイベルよりも一回り小さいナンナは、その友達に支えられて後ずさりした。間もなく妖しい霧は空の高みに溶けていった。
 するとどうだろう。
 種を蒔いたばかりの地面から緑の芽が吹いたのだ!
「や、やったっ……なんとか成功だね☆」
「無事で良かった。心配したんだよ」
 小さな魔女が何とか普段の自信を取り戻してVサインを出すと、レイベルもほっと息をつく。花は双葉となり、本葉となった。
 その後も花は恐るべきスピードで生育し、ナンナとレイベルは観察活動に余念がなかった。あっちでもこっちでも枝分かれするたびにナンナは大はしゃぎし、そういう親友を微笑ましく思いながらレイベルは絵を描いて、観察記録作りに余念がない。
 だが、あまりにも速すぎる育ち方、しかもつぼみができず枝ばかり伸びてゆく花に、レイベルはしだいに不安になってきた。
「ねえナンナちゃん、このお花、ちょっと変じゃない? いくら何でも速すぎるし、それにいつまで経ってもお花が咲かないわ」
「そだね、じゃあ、花を咲かせる開花妖術を使ってみるよ☆」
 あくまでもナンナは軽いノリで、瞳を閉じ、魔法を唱えた。
「全てを育む草木の力よ、今ここに結実せよ。カゾフール!」
 珍しくまともに呪文を唱え終えたナンナだったが……。
 
 
(三)

「あれっ。止まんないよ?」
 むしろ反抗するかのように花は育つ速度を上げた。二人の膝の丈くらいしか伸びないはずの花は、すでに二人の身長に追いつき、複雑に枝を伸ばして全部の花が絡み合いながら、さらに天の頂を目指そうとしている。レイベルは顔面蒼白になった。
「ナンナちゃん大変よっ! 地面がひび割れて、周りの草や木やお花たちが、だんだん元気を無くしてきてるみたいなの!」
「うーん……」
 さすがのナンナも首をかしげて腕組みした。危険のシグナルである。レイベルは居ても立っても居られず、町へ駆け出した。
「わたし、ナンナちゃんのおばあちゃん呼んでくる! ナンナちゃんは、どうにかして止められないか、色々やってみてね!」
「わ、わかった。お願いねっ」
「ナンナちゃんも、気を付けて!」
 レイベルの姿が町の通りに消えていく。ぐちゃぐちゃに絡み合って蔓のようになった花の枝は、家の屋根ほどの高さにまで成長していた。ナンナは巻き込まれないように現場から少し離れて、何かいい魔法がないか思い出そうと知恵を絞っていた。
 
 
(四)

「あ!」
 息せき切って走っていたレイベルは、急に立ち止まると左手を膝に置き、反対の手を天に掲げて目立つように左右に振った。
「ナンナちゃんのおばあちゃん!」
 魔女のカサラはほうきに乗って空を飛んでいるところだった。レイベルに気づくと、下降気流のようにふわりと舞い降りる。
「あの花……また、孫娘じゃな」
「はいっ」
 苦しげにレイベルが頷くと、魔女はほうきの後ろを指さした。
「お乗りなさい」
 
 他方、ナンナは考えたあげく、一つの答えに至っていた。
「火炎の魔法で燃やしちゃえば……」
「そんなことをしたら大火事になるわい」
 上空からの声で、ナンナは祖母が来たことを知った。彼女と、その運転手にしがみつくレイベルは素早く地面に降り立った。
「おばあちゃん! レイベル!」
「全く困った孫娘じゃな」
 その間も、レイベルは気が気ではない。お化けのように成長した花は、すでに村で一番高い〈鐘の塔〉をも越えてしまった。
「このままじゃ、他の草花や木が死んでしまうわ……」
「孫娘よ。鋭い風を飛ばして、根を絶つんじゃ」
 カサラの助言に対し、ナンナは驚いたように声をあげる。
「えー、ナンナがやるの? 今日、かなり魔法使ったのに」
「自分の責任で後始末するんじゃ!」
 老婆が語気を強めると、さすがのナンナもしょんぼりする。
「わかったよぅ」
 
 
(五)

「塔ヨξйэ……私、天空の力・大いなる風を欲す……ヒュ!」
 祖母であり魔法の師でもあるカサラの前だからか、やや緊張の面もちで正確に呪文を唱えたナンナは、さすがに魔法の使いすぎで疲れを感じ、その場にぺたんと座り込んでしまった。
 渾身の力で放った〈風の刃〉はまっすぐに飛んでいき、蔓の切れる痛々しい音を響かせながら、お化け花の根を断ち切った。
 レイベルは思わず目を背け、ナンナはくちびるを噛みしめる。

(何の罪もなく生まれ、ここまで育ったのに……)

 お化け花は辛うじて立っていた。
 次の刹那。
 ナンナもレイベルもカサラも自分の目を疑う。
 消えてゆくお化け花のあちこちに、きれいなつぼみが――。
「あっ!」

 そして、花はぐらりと右に傾いて。
 瞬間、まばゆいばかりの緑の光が輝いた。
 老いた魔女と子供の魔女とその友は耐えられず瞳を閉じる。
 
 恐る恐る目を開けると、そこは花畑であった。
 地面の花畑ではなく、天に広がる花畑である。
 桃色や黄色のたくさんの花びらが舞っていたのだ……。
 ものすごく簡素で、虚無のあふれる風景だった。

 カサラは重々しく語りだそうとしたが、全く蛇足だったことに気づき、思い直して言いかけた言葉を飲み込み、ぐっと堪えた。
(植物だって、あんたらと同じ生き物なんじゃ。命を軽々しく魔法で扱ってはいかん。育てるんであれば、水をやり、肥料をまき、愛情を注いで、じっくりとな。本当に、あんたらと同じなんじゃ)

「さよなら、って言ってるのかしら」
 自分の頭にそっと舞い降りた花びらを一枚、手のひらに載せ、レイベルは呆然とした表情でかすかに呟く。その友に抱きついて、ナンナは長い間、ずっと肩を震わせて低く泣きじゃくった。
 村じゅうに降りそそいだ花びらの雨が終わっても――。
 

 その翌日の昼間のことである。
「ふーう、できたっ!」
 少なくとも見かけ上は元気を取り戻したナンナは、土で汚れたスコップを地面に投げて汗を拭った。その横で友は微笑む。二人の日焼けした顔は、心なしか昨日よりも大人びて見えた。
「芽が出る日が待ち遠しいね」
「今度は、ぜーったい、ちゃんと花を咲かせてあげるね☆」
 花園に立てた目印の小さな旗が澄み渡る風に揺れていた。

(了)



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