巨きな翼

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


 町外れは砂浜で、その先には南国の青い海が、いつものように穏やかな汐の音を奏でている。後ろに垂らした長い銀の髪をその先端で結び、青い瞳(め)をした少女は、空色のスカートの裾が濡れるのも気にせず、誰もいない波打ち際を歩いていた。
 夏とは異なり、陽射しはだいぶ和らいでいる。窪地に溜まっている海水は温かだが、新しい波にはかすかな鋭ささえ混じる。
「つまんないですわ〜」
 十六歳のサンゴーン・グラニアは、最も遠くまで昇ってきた波頭をひらり飛び越え、口を尖らした。その表情からは、やり場のない不満と不安、今の状況に対する諦めとが交錯していた。胸を張り、両手を後ろで組み、一歩を踏み出すたびに左右へ大きく重心を傾け、微妙な上目遣いのまま、ほっそりした少女はあてどない散策を続けていた。空と海とを全く別の代物に変える時間の流れは、わずかずつ確実に夕暮れを紡ぎ始めている。
 足先が冷えてきてクシャミが出ると、ようやく彼女は波打ち際を離れ、ほこりっぽいけれどもカラッとした砂浜へ上がる。しばらくそのまま歩き続け、特に理由もなく目を上げた時、サンゴーンの視線は疾風の矢文となって、的の中心点に吸い込まれた。

 向こうの岩場で、力強く一双の翼をはためかせ、白い海鳥が今まさに飛び立とうとしていた。大地を離れるまでは無駄と思えるくらいの猛烈な羽ばたきを必要とするが、脚が宙に浮かんで上手く風をつかまえれば、当分は身軽な空滑りで距離を稼ぐ。
「あーあ、サンゴーンもまたお空を飛んでみたいですの」
 それはまさに激流と化した、少女の心情の吐露であった。
 仕事で忙しい親友のレフキル、優しかったが他界した祖母、行方の知れぬ両親――サンゴーンは話相手に渇望していた。
 彼女は大きな翼を持つ海鳥に自分を重ね合わせる。想像の世界では、樹や空や海や風や――世界の全てと触れ合える。誰だって気休めは必要だし、その温もりに浸っていれば楽だ。

『でも、このままじゃ駄目ですの!』

 もう一人の自分の叫びを聞き、それでサンゴーンはふと我に返った。いつの間にか目を閉じて立ち止まり、内面へと深い考えに沈んでいたのだった。空と海は黄色く色づき始めている。
「きっと、ありますの」
 彼女は自らを鼓舞するように、追いつめられて決然としたような顔で、勢いのある小声を発した。彼女にこんな表情ができるとは、親友のレフキルさえ信じられないだろう。そして、その続きの言葉は当分の間、人知れず心に閉まっておくことにした。

サンゴーンも
サンゴーンなりのやり方で
飛んでみせますわ。
きっと。

 海鳥の啼き声はどこか遠くから流れ来て、何もかもが曖昧になって境目のなくなる黄昏の刻の始まりを告げた。吹き過ぎる秋は少し肌寒く、海の水面にちらちら瞬く光の子らは落ちた羽を、漂う雲は巨きな翼を連想させる、南国の夕暮れであった。

(了)



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