食事と料理

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


 二人がまだ旅に出て日が浅い頃のことである。

「美味ひっ」
 焼きたてで煙の出ている油の乗った豚肉をほおばり、涙目のまま唇を素早く閉じたり開いたりしながら噛み砕く合間に、口を半開きにして言ったのは、二十五歳の聖術師、シーラである。
 瞳の辺りには少し隈があったが、ぬばたまの長い黒髪は艶やかで瑞々しく、長旅を感じさせないほどに麗しかった。女性としてはやや背が高くて、腰回りは細く、脚はしなやかに長い。
「君は本当に肉が好きだね。太るんじゃないの?」
 旬の焼き魚を目の前にして、なるべく皮肉にならないように軽い口調で尋ねたのは、恋人の魔術師、同い年のミラーである。彼の髪はやはりシーラと似た不思議な闇の色であった。二人は北国のガルア公国出身で、民族的には〈黒髪族〉に属する。
「さかはも、ふきほ(魚も好きよ)」
 また口を半開きにして、いかにも熱そうに喋ったのはシーラだった。古びたランプが高い場所からぶら下げてある遠い町の小さな酒場には少しずつ常連客が入り始め、活気を呈し始める。彼らは、手を休めることなく調理を続ける主人と話をしていた。
「今年はガルアマグロが大漁でねェ」
「ほんとだよなァ。どこのメシ屋でも言ってるよな」
「おおよ。でも、捌く技術と焼き加減と仕入先で、ウチは負けませんよ。生でも、焼き魚でも、お客さんの注文に合わせてねェ」
「あんたはー、ええ料理人だぁよ!」
 強い吟醸酒に酔っていて、すでに顔だけでなく耳まで真っ赤に染めた頭の薄い中年男が舌足らずな大声で言い、笑った。

 そのやり取りを何となく耳の後ろの方で聞いていたミラーは、食べ終えた皿を見つめながら満足そうに、少し眠そうにけだるそうに頬杖をつき、グラスを指で弄びつつ、ゆらめくランプの光に薄紅のさした頬が照らし出されている恋人のシーラに訊ねた。
「君は料理は得意じゃないんだろうね、きっと」
 そのグラスの中身を傾けて重そうに持ち上げ、唇を湿らせるようにほんの少しだけ口に含み、相手はとぼけた様子で答える。
「え? そう見える?」
 そこでシーラはグラスを置き、相手の目を見上げて応えた。
「でも、やむを得ない場合は作ってるじゃない。野宿とか」
 それはある意味、料理の不得意さを暗に認めるかのような発言だった。ミラーは首をかしげ、すかさず攻勢に出るのだった。
「でも野宿じゃねえ。判断材料にならないよ」
「作れるわよ」
 シーラはやや眉をひそめて、少し声量を落として言った。自信に満ちているというよりも、不愉快だから反発するような声だ。
「どんなのができるんだろう。空恐ろしいよ」
 ミラーは冗談を楽しみつつ、微笑みを浮かべて語ったが、どうやらそれはシーラの刺激してはいけないところをほじくってしまったようだ。麗しの放浪聖術師は明らかに苛立ちを募らせ、人差し指の先でテーブルを叩きながら文句と反論を投げつけた。
「うるさいなァー! そんなことないわよ。それに、そういうミラーだって大したものは作れないじゃないの。なんか作れんの?」
「うーん。悪かったよ」
 相手がこれほど気分を害するとは思わなかったミラーは、いつも通りにあっさり負けを認め、優しい声を発して謝るのだった。

「お待ち遠様」
 その時、タイミング良く主人が別の焼き魚の皿を置く。目にしみる煙は〈黒髪族〉の二人の食欲をくすぐり、気分を和ませる。
「食べるのは好きなのよね」
 シーラはにったりと笑って、民族伝統の〈箸〉を構える。
「僕も」
 魚には目がないミラーも、さっそく身をほぐし出すのだった。

(了)



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