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秋月 涼 |
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「雪……?」 シルキアはふっと顔を上げ、耳をすました。 微かに窓を打つ、不規則な音が聞こえてきたのだった。時折それに混じるのは、隣のベッドで既に眠りについている、シルキアの姉のファルナの寝息だ。 安らぎに満ちた濃密で深い闇が、部屋を、家を、そして山奥の小さな村を充たしている。 「まさかね」 十四の少女は、瑞々しく艶やかな頬を柔らかな毛布にうずめる。 しばらく布団は、誰も居ないかのように動かなかった。 だが結局のところ、それはちょっとした休符でしかなかった。 好奇心は募るばかりだったのだろう、やがて彼女はおもむろに毛布を跳ね除けて上半身を起こし、暗い中で双つの瞳を見開き、しばし呆然とした。 彼女の答えは、あるいは身を起こした時点でほとんど決まっていたのかもしれない。 布団をめくり上げて右足を出し、膝を折り曲げ、徐々に伸ばしていって床を確かめる。足の裏に力を込めて支えにしてから、左手をベッドにつき、今度は反対の足を出す。 左手でベッドを押し出すようにして一気に立ち上がり、布団の上に放っておいた長袖の上着を、布の手触りの違いでつかんだ。 薄手ではないが厚手ともいえない、その春用の上着を羽織り、袖を通しながら、手探り足探りに姉を起こさないよう慎重に歩く。敷物を踏み締めると、冷えた木の床がぎいっと鳴った。 闇の湖を漕ぎ出したシルキアは、ほどなくして窓際に立つ。星明りはなく、闇の色濃い夜だった。相変わらず、何か小さなものたちが、ふとした瞬間にはリズミカルに、また別の時は適当な感じで窓をノックしている。 シルキアはそこで後ろを振り返った。姉の姿は見えないが、安らかな寝息が続いているので、相手は眠っていると知ることができる。 彼女は再び前を向き、ゆっくりと腕を掲げていった――。 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 窓を開けると、ほんの少し遅れて、春の夜の澄みきった高原の空気が染み込んできた。身を凍えさせ、身体の芯まで伝わってくる夜空のほんの隅っこは、若干冷たすぎた。辺境の山奥では、さっきまで居間で暖炉に火をくべるほどの冷え込みだったのだ。 その風は湿り気を帯びていた。微かな雨音が聞こえる。 シルキアは窓の隙間に手を滑り込ませる。 「……」 霧になってしまう寸前の小さな雫が、手の平を打った。それは確かに冷たかったが、凍ってはいない。溶けることもない。 少女の内側でふいに高まった期待は、眠りの波のように穏やかに引いてゆくのだった。 今とちょうど逆さまの季節――霙(みぞれ)から育ったばかりの、冬の始まりの夜の切ない雪は、冷たい風にさらさらと流れて、明かりのないうちに世界を聖なる銀色に塗り変えてしまう魔力を持っていた。それは秘かに速やかに行われる絨毯や壁紙の張り替えとも、闇に紛れた見えない純白の絵筆の仕業とも思われた。 雪はまさに、真白き絨毯だった。 長い冬の間、ずっと聞いていたはずなのに。 今やシルキアは雪の降る微細な響きを正確に思い出すことが出来ない。 あの頃は、吹雪の夜が続き、いい加減やんでほしいと思ったことも幾度もあった。が、今は心のどこかで〈雪が降ること〉望んでいる――少女はそれをおぼろげに、時折鮮明に感じていた。 冬の始まりを告げる、懐かしく静かで。 穢(けが)れなき空の贈り物を。 今宵の雨に託して。 | ||
(了) | ||
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