秋の気配 〜シャムル島より〜

 〜森大陸(しんたいりく)ルデリア・幻想結晶〜

 

秋月 涼 


「ずいぶん、影の波が満ちてきましたね……」
 ゆったりと歩きながら、テッテは独りごちた。朝の同じような時間に同じような場所を歩いていると、幹の影が夏よりも伸び、木陰の面積は確実に広がっていることに気づく。それは日を追うごとに少しずつ伸びてくる緩やかな影の満ち潮のようだった。
 シャムル島の明るい森には、柔らかな光が射し込んでいる。通り過ぎる風は爽やかで涼しく、身軽なステップを踏んで駈け抜けてゆけば、まだ緑色の木の葉が揺れてカサカサと鳴った。
 テッテは空を仰いで、思いきり伸びをした。
「うーんっ」
 木々の間から覗く空は澄んで蒼く、白いちぎれ雲は優雅に漂っている。陽の光はまぶしいけれども、以前ほどの力強さは影を潜めていた。鳥たちの歌声の高らかに響く、秋の朝だった。

〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜

「夕焼けが早くなったな」
 シャムル町の城内にある長い廊下を大股で歩いていたクロフ公子が、西から降り注ぐ橙色の光に目を細めた。以前はまだまだ明るかった時間でも、今日は日没を迎えようとしている。太陽が沈んでしまうと、急激に薄暗くなってゆくのが想像できた。
 公子の少し後ろを、やはり早足に歩いている騎士が答えた。
「左様であります」
 しばらくの間、クロフ公子と付き人の騎士のブーツの靴音だけが辺りに響いた。シャムール公爵家の紋章入りの、簡易的な白銀の胸当てが、夕日を受けて黄金に誇らしげにきらめいた。
「塔から見る星や月の美しさ、夜風の涼しさは、もう秋だ」
 がっしりと鍛えられた肩と腕を動かしながら歩いていた背の高いクロフ公子は、彫りの深い顔の唇を和らげた。夜の虫の声が届かない城内でも、空や風の季節による変化は感じられる。
「雅やかな感想ですね」
 突然、斜め後ろから若い女性の声が聞こえた。だがクロフ公子は全く動じた様子がなく、表情を変えずに親しげに問うた。
「そうか?」
 早歩きするクロフ公子の斜め後ろに、いつの間にか妹のクリス公女が寄り添っていた。豊かな金の巻き毛をアップにしているクリス公女は、公子の八つ年下の妹で、二十一歳になる。女性としては大柄で、足早に歩く兄にピッタリとついてきていた。
 公女は悪戯っぽく微笑みながら、こう語りかけるのだった。
「気配を消して近付いてみたの。気がついた? 兄上」
「ああ、もちろんだとも」
 クロフ公子は満足げに答えた。その時、ちょうど長い廊下が尽きて、両側に立っていた警備の槍の兵が機敏に敬礼をした。
「はっ」
 槍の刃が一瞬だけ輝き、すぐに失われた。陽が沈んだのだ。
「お疲れ様」
 通り過ぎる際、兵に声をかけてから、クリス公女は兄のクロフ公子に向かってちょっと拍子抜けした様子で告げるのだった。
「あら、残念。さすが兄上」
「ふふっ。まあな」
 クロフ公子は嬉しそうに笑った。城内の別棟に入った公爵家の兄妹と守護の騎士は、角を曲がると広間に入っていった。
 薄暗くなりつつある城の中には、微かな夜風が吹いていた。

(了)



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