月影の瞬き 〜
|
||
---|---|---|
秋月 涼 |
||
部屋の窓からはデリシ町の通りが見下ろせるが、今は秋の夜のしんと静まり返った深い闇につつまれている。その向こうに広がっているはずの空と海の境界線も見分けられなかった。 ベッドに座り込み、出窓に頬杖をついて夜空を一心に仰いでいたリュアは、部屋の方を振り向くと沈んだ声で返事をした。 「うん。まだ曇ってる……」 「なぁんだ、せっかくリュアの家に泊まりに来たのになぁ」 机に置いたランプの炎が微かに動き、影が揺らめく部屋の中で、隣のベッドから同級生のジーナの緩慢な声がした。言葉には〈諦めるのは嫌だな〉という響きが含まれていたけれども、その感情すら、膨らんできた眠気に覆いつくされようとしていた。 「んー」 既にジーナは横になっていて、暖かな布団の中に小さくて活発な身体を休めている。まぶたが何度も落ちては開き、睫毛がほんの僅な風を起こしていたが、やがてそれもゆっくりと止まっていった。その代わりに、安らかな寝息が聞こえ始めていた。 リュアは再び振り向いて、ささやくように友の名前を呼んだ。 「ジーナちゃん」 しばらく待ってみても返事はなかった。夢幻の世界へ続く坂道を下っていったジーナが、どんどん遠ざかってゆくようだった。 リュアは長袖の寝間着に薄手の上着を羽織っていたが、肌寒かったのだろう――ベッドの掛け布団を引き寄せると、頭からすっぽりとかぶり、顔だけを出した。そして飽かず空を見ていた。 曇った夜空は一見すると果てしない闇に覆いつくされ、視界には何も映らないように思える。けれど、しばらく闇に目を慣らしていたリュアは、ささやかな夜の変化に気づくことができた。 (闇のヴェールが、ちょっとずつ薄くなってきているみたい) それは少女の気のせいではなかった。鱗がこぼれ落ちて生まれ変わるかのように、煙が吹き飛んでゆくかのように。あるいは顔を出した朝日が海を照らし始める瞬間のように、音もなく雪が降り積もってゆくように――雲の層は確実に薄まってゆく。 (あっ) この部屋から遙かな距離を隔てた天のかなた、南の空の高い場所がぼんやりとした明るさを帯び、少女は心を奪われた。 そして次の変化は予想だにしなかったほど早く訪れた。 ふいに雲が途切れ、天の窓が開いたような感覚があった。暗闇に慣らしたリュアにとっては、まぶしいくらいの輝きだった。 淡い乳白色の光が夜の水紋となり、波となって、銀河の見えない風に乗り、星座を凌駕して天の隅々にまで拡がってゆく。 光は瞬く間に地上へも届けられた。ルデリア大陸の東に浮かぶ〈魅惑の島〉シャムル、その西側に位置して大陸への玄関口の港として栄えるデリシの町――そこにあるリュアの家へも。 (お月さま、出てきた) 願いが叶ったからだろう、リュアはうっすらと涙を浮かべた。 今宵の空の冴えた望月が、こうして全貌を現したのだった。 | ||
(了) | ||
【この作品は"秋月 涼"の著作物です。無断転載・複製を禁じます】 |