かなえの夢魔法

 

秋月 涼 



【第一話・魔法の国の王子様】


 学校帰りでした。
「これ、何だろう?」
 道端に転がっていた奇妙なボール。野球用にしては大きすぎ、サッカーやバスケットボールには小さすぎます。おまけに、ピンク色できらきら光っているのです。
 春日かなえは十一歳。好奇心旺盛な女の子です。もちろんそのボールが気になりました。しゃがんで、じっと眺めます。
「ひゃっ!」
 彼女はびっくりして後ずさりしました。突然ボールの上側にひびが入り、足のようなものが二本飛び出したからです。その足もボールと同じピンク色です。
 足はばたばたと動き、地面を捜しているようでした。
「大丈夫?」
 と訊ねますが、返事はありません。かわいそうに思ったかなえは、そのボールを逆さにして、足を地面に着けてあげました。
 するとそれは何事もなかったかのようにとことこ歩き始め、何歩か歩くと宙に舞い上がり、最後にはどこかへ飛び去ってしまいました。
「一体、何だったんだろう……?」
 かなえは訳が分からず、きょとんとしています。
「不思議だなあ」
 と、空を見上げてつぶやきました。

 その夜、もっと不思議なことが起こりました。ベッドに潜り込み、かなえがうとうとしかけた頃です。
 突然、風が強くなりました。カーテンが揺れ、外から黄色い光が射し込んできます。
「雷かな? 怖いなあ」
 かなえは窓を閉めようとしましたが、堅くて動きません。
 その時でした。
 何かが部屋の中に飛びこんで来たのです。
「きゃあ!」
 それはあまりにもまばゆく輝いていたので、かなえは思わず目をつぶりました。少し経ってから、恐る恐るまぶたを開きます。
「あ、昼間の……!」
 そこには例のボールが浮かんでいました。相変わらず、ぴょこんと足が出ています。次の瞬間、別な場所から二本の腕が飛び出しました。
「何なの? 誰なの?」
 かなえは脅えています。ボールはぶるぶると震えだしました。振動で、卵の殻のようにだんだんと崩れていきます。
 中から現れたのは、ピンク色の洋服を着た奇妙な小人でした。皮膚は肌色ですが、髪の毛はこれまたピンク色です。
 小人はいきなり伸びをしました。
「う〜ん、やっと解放されたぜ。……よぉ、嬢ちゃん」
「あ、あなた誰?」
 かなえは目をまん丸くしています。
「昼間は助けてくれてありがとな。逆さに着地しちまって、困ってたんだ」
「……?」
「おっと、そんな心配そうな目で見るなよ。俺の名はピット。これでも魔法の国の王子様なんだぜ」
 ピットはそう言うと、自信ありげに胸を張ります。かなえは首をかしげました。
「魔法の国? 何それ?」
 何もかもさっぱりわかりません。ピットは説明を続けます。
「つまり俺は魔法の国から、王子として修行を積むために、この世界にやってきたというわけなのさ」
「でも、どうして私のおうちに来たの?」
 ピットはお手上げのポーズを取りました。
「わかんねえ嬢ちゃんだな。昼間助けてもらったお礼のつもりで、こうして来ているんじゃねえか」
「ふうん」
 かなえは試しに頬をつねってみました。
「いたたた……夢じゃないんだ」
「当たり前だっつーの。信用できないんなら、実際に魔法を見せてやるよ」
「うん」
「じゃあ、このステッキを持ってくれ」
 小人が指をぱちんと鳴らすと、かなえの目の前に、きらきら光る金色のステッキが現れました。
「これを持つの?」
「さっさと持てよ」
 かなえは、半信半疑でそのステッキを手にしました。ピットが訊ねます。
「お前、何になりたい?」
「え?」
「将来、何になりたいかを聞いてるんだよ」
「う〜ん……急に言われても」
「何でもいいぞ」
「じゃ、歌手にしとく」
 かなえは、何だかわくわくしました。
「はいはい、歌手ね。じゃ、そのステッキを持って『パラリル・パラレル・パラネリア』って、ゆっくりと回りながら唱える」
「え、変なのー! あははは」
 かなえが笑うと、ピットは顔を赤くしました。不機嫌そうに大声でどなります。
「変なのじゃねえ! さっさとやれよ!」
「えー、でも変だよ」
「いいからやれ!」
「わかったよお。……パラリル・パラレル・パラネリア」
 不意に、ステッキが輝きを増します。
「すごーい!」
「次、『フォルトン・ウォルトン・歌手になあれ!』」
「あはははは、おもしろーい!」
 かなえはおかしくて吹き出しました。するとステッキは輝きを失ってしまいました。
「馬鹿野郎! ちゃんとやれよ!」
「ごめんごめん……だって、面白いんだもん」
「魔法の呪文ってのはこういうものなんだよ! さ、もう一度やり直しだ」
 最初は面倒くさそうだったピットも、この状況(やりとり)を楽しみ始めているようでした。
 かなえはパジャマ姿のままステッキを持ち、ゆっくりと回りながら呪文を唱えます。
「パラリル・パラレル・パラネリア、フォルトン・ウォルトン・歌手になあれー!」
 光輝くステッキから白い煙が吹き出し、かなえを包み込みます。
 次の瞬間、背がにゅっと伸びたように感じました。服の手触りもいつもと違います。
「鏡を見てみろよ」
 ピットの言うとおり、鏡の前に立ってみます。
「これが……私?」
 鏡に映ったのは、まるでアイドル歌手。かなえはもう一度、頬をつねってみました。痛みを感じます。
「間違いない、これが今の私なんだ」
「歌唱力も、プロ並になったはずだぜ」
 かなえは感心しました。ピットは、わざとそっぽを向いて言います。
「欲しけりゃ、そのステッキ、やるよ。俺、お前が気に入った」
「本当?」
 かなえは身を乗り出し、小さなピットに顔を近づけました。彼は言います。
「誰かに魔法の力を授け、それを補助(サポート)するのが俺の修行なんだ」
「嬉しい!」
 かなえは心から喜びました。
「その代わり、この部屋に居候させてもらうぞ。食事とかは必要ない。眠れる空間があれば充分だ」
「うん、それなら平気だよ。あたし、春日かなえ。よろしくね!」
「こちらこそ、よろしく頼むぜ。……ただし、これだけは約束してくれ」
「なあに?」
 ピットは低い声で言います。
「俺や魔法の存在は誰にも言うな」
「どうして?」
「決まりなんだ……他人にばれたら大騒ぎになるだろ?」
「変身する所が見られても駄目なの?」
「ああ。どういう経路であれ、他人にばれた時点で、ステッキの魔力は効力を失うからな。覚えとけよ」
「うん、わかった。気をつける」
「あと、一日に変身できるのは三回までだ。『ププック・クルルルルー』で元に戻る」
「あはははははは!」
「おい、いちいち笑うなよ」
 そう言ったピットも、嬉しそうに微笑んでいます。かなえは大笑いしましたが、最後はあくびに変わりました。
「……ふぁ〜あ、眠いなあ。あたし、もう元に戻るね。ププック・クルルルルー」
 まぶしい光が彼女を取り囲み、気が付くといつものかなえに戻っていました。
「不思議……」
「どうだ、俺を信用したか?」
「うん、うん!」
 かなえはしきりにうなずきました。ピットはまじめな顔つきになり、こう言います。
「かなえ。お前の魔法は、人助けに使え。無駄に使うなよ。他人の夢を叶えてやるんだ。大変だぞ」
「あたし頑張る!」
 かなえは目を輝かせましたが、まぶたは下がってきます。それもそのはず、時計を見るとかなり遅い時間でした。
「もう寝なきゃね」
 彼女は再び布団に潜り込みます。ピットは本棚の上にふわふわ飛んでいき、横になりました。
 とても静かな夜です。
「じゃ、また明日な」
「うん。……ピット、おやすみ」
「おやすみ」

 この夜を境に〈魔法使いかなえ〉の忙しくも楽しい毎日が始まったのです。

(了)



【この作品は"秋月 涼"の著作物です。無断転載・複製を禁じます】