雨の樹 |
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秋月 涼 |
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雨が降る時、かすかな雨の匂いが混じっています。これは、何の匂いか知っていますか? ……さあ、今日は雨の樹についてお話ししましょう。 皆さんの中には、雨の樹を知らなかった方も多いことでしょう。雨の樹は、無色透明です。普通は見えません。実物が見えないのですから、無いと判断する方もいます。でも、本当はあるのです。 雨の樹は、雲に根を下ろします。雲が土の代わりです。雲の中には、雨の樹の生育に必要な養分、つまり水蒸気がたっぷりと含まれています。雨の樹は、水蒸気を吸って、すくすくと育ちます。 幹を太らせ、枝を伸ばし、葉っぱを広げ……雨の樹は、どんどん大きくなります。根はそれを支えるため、さらに太く長くなります。 雨の樹の群れが出来、林が出来、森が出来あがると、私たちが見上げる空は、全体的に暗くなります。当たり前のことです。たくさんの雨の樹によって、太陽の光が遮断(しゃだん)されてしまうのですから。 そして、雨の樹たちはいっせいに実りの季節を迎えます。透明な雨の樹に、透明な雨の実がなります。雨の実はどんどん膨らんでいきます。 時が満ち……森のはずれに生えている、ある一本の雨の樹が作り出した、ある一つの雨の実が、ぽんっ、と弾けます。それを合図に、森のあちらこちらで、雨の実が弾(はじ)けます。ぽん、ぽん、ぽんっ、と。 透明な雨の実には、透明な雨の種がたくさんつまっています。雨の種はとても小さく、見たところ、普通の水滴と区別がつきません。 こうして弾け飛んだ雨の種は、初めは静かに、そして徐々に速度を増し、最後にはものすごい速さで、ひたすら地上へ向かって落ちていきます。 そうです。この〈雨の種〉こそが、現在、一般的に〈雨〉と呼ばれているものです。人間も、大昔は〈雨の種〉と呼んでいたのですが、だんだん面倒になって、いつしか〈雨〉という略称がつけられました。今では、それが正式名称となっています。 雨の種は地上に潤(うるお)いをもたらします。草木は、たくさんの葉っぱで、しっかりと雨の種を受け取ります。動物たちは、喉(のど)の渇きを癒(いや)します。人間もまた然(しか)りです。 さて。種を降らせた後、雨の樹はどうなるのでしょう? 熟した実が全て弾けてしまうと、雨の樹は静かに枯れていきます。雲の養分を吸い尽くしてしまい、生きてゆけなくなくなったのです。 こうして、雨の樹と雲の地面が消え、地上には青空が戻ります。 雨の樹がかわいそう? ……いえいえ、ご心配には及びません。例えば、温められた海からは、いつでも大量の水蒸気が、空に向かって羽ばたいています。水蒸気が集まって雲が出来れば、そこにはまた、新しい雨の樹が生えるのです。 雨の樹には、再び雨の実がなります。雨の実は弾けて、雨の種を降らせます。雨の実からは、雨の種だけでなく、雨の果汁がこぼれます。 そうです。雨の匂いは、雨の実からこぼれ落ちた、果汁の匂いだったのです。天が授(さず)けてくれた、かすかな雨の匂いです。素敵な、雨の匂いです。 | ||
(了) | ||
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